第42話 計略と死
丁寧に描かれた線は灰色だった。幾つもの曲線は髪の毛を表現している。
そして、ピンク色の目。恐らくそれは生まれつきのものだろう。メイクや加工なんかよりずっと可愛い印象を抱かせてくる。しかしその目の持ち主が大量殺人鬼であるから、僅かな好意は雲散霧消してしまった。と同時に、その目に確かな鋭さがあることに気付いた。エルミアによれば俺は「サンダーウルフ」という種族らしいから、サバンナの獣みたいな目付きであることには何の疑問も生まれなかった。
何より、綺麗だからと油断している髪の毛や目を出し抜いて俺の頭に突撃してくるのは、耳だ。正に獣。
灰色の髪とかピンク色の目とか、そんなものなら珍しくはあっても、日本中を探せば無数に出てくるだろう。
でも、獣耳はない。ハロウィンに仮装する人はいるが、ただのカチューシャだ。
元から獣耳が生えているなんて、言うまでもなく有り得ない。もしこの世に存在したなら、多分……いや確実に、そいつは人間じゃない。
「異世界」という概念が存在していることを知る俺だからこそ、獣人の少女というのはすんなりと受け入れられる。
この絵は顔だけを描写しているが、きっと尻尾も生えているんだろう。俺は獣人は趣味じゃないから求めないけど。
とはいえ、本当にいるんだなあという驚きに基づく興味はある。「異世界」は「異世界」なのだと、俺に改めて教えてくれた。
「サンダーウルフ……やっぱり……」
エルミアは貼付された絵を見るなり、描かれているのが「サンダーウルフ」だと俺達が判るように口からその名を出した。だが彼女にそういう意図はなく、単に自分の件の殺人の犯人がサンダーウルフだ、という予想が正しいと知って言っただけとは思う。
ところで、咲喜さんと透弥がやけに絵に注目しているのは何故なんだ? まあ俺とエルミアもそうだけど、その二人は一段上というか。
もしかしてコイツと戦った? ……そしてコイツは今どうなってる!? 死んだ……のか?
「この子の種族はサンダーウルフ。名前はウィンダ。ウィンダは――
「ちょっと待ってください!」
俺は霊戯さんの台詞が余りにも不思議だったので、待ったをかけた。
そうしないままじゃ疑問が晴れず、いつか晴れるとしてもその時まで疑問を持ち続けていては頭が不具合を起こしそうだったからだ。
俺の疑問は、文字に起こせば結構シンプル。
"何故、霊戯さんがサンダーウルフの少女の名前を知っているのか"
エルミアがどうかは判らないが、少なくとも俺は彼女の名前を知らない。実は俺の記憶から抜け落ちていて……なんて事もない。
なのに霊戯さんは知っている。彼女はどう考えても異世界人。だから警察の調べで名前が判る筈もない。
俺はそんな疑問を解消すべく、霊戯さんに問い掛けた。
「何でソイツの名前を知ってるんです? ……まさか、戦ったりでもしたんですか?」
俺は数秒前に生じていた、本当は言うつもりのなかった別の疑問も併せた。
名前を知っているなら、本人と対面したとしか考えられなかったからだ。
「それはこれから説明するから。大丈夫、そんなヤバい事はしてないよ」
不味いことを聞いたからこういう対応をされた、とは思わない。説明すると言ってくれているし。
でも、後回しにされるとどうしても気になってしまう。
例えるならそう、重大発表と聞いて生放送の視聴を始めたのに、前振りが長過ぎて中々発表されないときのようだ。
「ま、はい……分かりました」
取り敢えず了解の意を示した。
「ウィンダに殺された人達の遺体は全員分が回収されて……検死の結果も間違いなかった。……で、皆んなには伝えてなかったけど、どうやらここで僕の名刺が一枚、奪われていたらしい」
名刺が? 誰に……ウィンダか?
名刺というのは個人情報、さらに詳しく言えば名前や住所、職業なんかが書かれている物。
狙っている者の仲間、加えて本来知られるべきでないことを知ってしまった者。そんな者の居場所を特定できるような情報の入手など、敵にとって好都合でしかない。
もしかして、俺の家にウィンダのフリをした奴が来たのもその影響?
「ウィンダの襲撃に遭う直前、僕の名刺を渡されていた人の近くからそれは出てこなかった。どれだけ探しても、欠片の一つすらね」
名刺が奪われていたと判る明白な理由まで示され、この場所を敵に知られてしまっている事を知った。
俺もエルミアも、驚愕の表情だ。
だってそんなの、圧倒的不利じゃないか。俺達は何も知らないっていうのに!
いつ攻めてこられてもおかしくない状況で、落ち着いていられるわけがない。
でも、一つ気になることがある。
敵は相当量の情報を得ていて、力の差も歴然だ。エルミアはまだしも、他の四人は魔法の使えない一般人だから。
なのに一週間程の間、何もしてこない。既に何かされていたとしても、その気配がない。というかコソコソと計画を進めずにさっさと殺せばいいのだから、既に何か……という説は否定できてしまう。
また口を開こうとする。上唇と下唇が距離を大きくしていく。
喉で待機する言葉を外に……というところで、俺は口を噤んだ。
また話を遮ってしまうから、と思ったから。
どうせこれも、聞いている内に解決するための材料が揃うんだろう。
それに、霊戯さんがこの事に何の対策もしていない、なんて事はない筈。
謎の安心感は、エルミアにも共有されているようだった。だから、口を閉じていられる。
「そして……この次は、泰斗君とエルミアちゃんの耳には入っていない事だと思う」
俺とエルミアが知らない事。それはつまり、霊戯さん、咲喜さん、そして透弥だけが知っている事。
今足を着けているこの場所、この付近で起こった事なんじゃないかと、勝手な憶測を組み立てた。
しかし、それならもう聞いている。ほんの少しではあったが、ここに敵が来たんだと、咲喜さんと透弥が言っていた。
それが……ウィンダ?
時系列を表している直線に、霊戯さんの喋った事が追加されていく。
直線の終点にかなり近い所に、次の文が書かれようとしていた。
べべスと戦ったあの日と、かなり近い日の事を今から喋ろうとしているのが分かる。
霊戯さんが口を開いたと同時に、咲喜さんと透弥の眉間が僅かに歪んだ。
普段の生活の中では気に留めない程、微妙な変化だ。それでも、俺の目は確実にそれを捉えた。
絶対にそうだ。
ウィンダはここに来た。
三人を襲った。下手したら、他にも襲われた人間がいる。
「6月14日、ウィンダはここにやって来た。凄く、凄く突然に……」
6月14日……べべスと戦った日!
俺の記憶が正しければ、あの日は6月14日だ。霊戯さんが言ったのと同じ日。
詳細なことは分からなくても、同日に起こった二つの事に関連があることは、俺の中で確定していた。
「これは完全に僕のミスだったよ。まんまと敵の策に呑まれた……うん」
「羽馬兄さん、あんまり落ち込まないでいいんですよ……」
「そうだぞ。あんなの予測も対策もできたもんじゃねぇ」
霊戯さんはすらすらと言葉を並べ、最後に一回、反省の念を感じる頷きをした。
二人が必死にフォローする。
霊戯さんが策に呑まれたって?
それは霊戯さんが敵に嵌められ、本来あるべきでない結果になった……という捉え方であっているんだろうか。
「二人共、ありがとう」
「霊戯さん……どういうことですか?」
このタイミングなら口を開いても問題はないだろうと考え、俺は尋ねた。
霊戯さんはやや下に向けた首を立たせ、俺の問いに答えた。
「ほら……伝えたでしょ? この家に盗聴器が仕掛けられていて、外したらまた付けられていたって話」
ああ、そういえば。そんなことも言っていたな。二回目のはメールでだけど。
盗聴器を仕掛けるということは、敵はまだ情報……まあ、大方エルミアのこと、を求めているだろうってことだった。
その話を出してくるということは、この考えが見当違いだったのか?
「あの盗聴器はね、行動を見透かされないための囮みたいな物だったんだ。……つまり、それ自体に何の意味もない。盗聴器なんて、彼らには必要なかったんだ。本当は」
盗聴器が必要なかった? 囮?
新しい情報が多過ぎて、頭がこんがらがってきた。
盗聴器が囮なら、真の目的は何だったんだ?
霊戯さんは俺達全員に向けていた視線を、エルミアだけに絞った。
「エルミアちゃん、例のやつを」
「あ、はい」
エルミアが何かゴソゴソと、手をポケットに突っ込んで動かしている。
滑らかな動作で取り出したのは、ついさっき見た純魔石だった。
相変わらず嫌な見た目。嫌なオーラを纏っている。
「ウィンダはその純魔石を使って、この家の中に入り込んでいたんだ。どうやら、それを使えば身を隠せるらしくてね」
家の中に入り込んでいた。それって相当危険な状況だったのでは?
「信じらんねぇよな……何日かの間、俺達の会話を聞き放題だったってわけだろ?」
透弥はそう言って、藁人形に釘を打つようにウィンダの絵を睨んだ。それで彼女を呪った気になっているんだろうか。
でも、気持ちは理解できる。俺だってべべスの絵を眼前に出されれば、同様の反応を示す。
「……そう、ぜーんぶ聞き放題。敢えて僕たちを殺さずとっておいて、泰斗君の家を特定したんだ」
ウィンダの襲撃とべべスの襲撃、この二つが同じ日に起こったのはそれが理由か!
霊戯さん達を殺さないまま同じ場所で過ごす事で情報を得、十分になったら襲い出す。
そして、俺とエルミアをべべスやその仲間達が襲ったと。これが真相だ。
恐らく、Xの行動を操っていたのはべべス。
アイツに違いない。
べべスより位の高い奴はいるだろうけど、俺達が体験した一連の事は全て、奴の指揮での事だと思う。幻術の類を使っているという考えを持つと、合点のいくものも多いし。
「……ところでさ、二人は聞いてる? 加藤さんのこと……」
どこか悲しみがありつつも軽い口調だった霊戯さんが、何の前触れもなく暗くなった。とはいえ、彼の雰囲気はまだ残っている。
暗くしよう、というよりは、明るくてはいけない……そういう考えによる変化だと察した。
加藤さん……というと、確か隣に住んでいる人だったな。前は車を出したりしてくれて、親切な人だった。
その加藤さんに、何が?
……俺は薄々感じていた。これから告げられる事実が、どんなものであるかを。
6月9日、初対面だったあの日から、一度も顔を合わせていないこと。
場の雰囲気が、一瞬にして何段か暗くなったこと。
そして、あの恐ろしいウィンダがここを襲ったこと。
ゴクリと息を飲む。エルミアも俺の横で同じように、息を飲む。
そして今、告げられる。
「加藤さんは……加藤輪夏さんは、亡くなった」
第42話を読んでいただき、ありがとうございました!
次回もお楽しみに!




