第37話 変わる暮らし
病院での生活は本当に息苦しい。
俺は今生きているぜぇっ! って感じがしないというか。
俺なんて一時的に息が止まったのと軽い怪我をしただけで、ここにいる他の患者と比べればずっといいのに。満足ラインが上過ぎる贅沢な男なんだ、俺は。
きっと家で自由に暮らせていたからなんだろう。
アニメを観たいときに観て、ゲームをしたいときにして、ちょっとお散歩に行きたいなぁというときは外に出る。
そんな毎日が俺の思考を捻じ曲げたんだ。
でも院内を自由に歩き回れたのは、正直楽しかった。こんなデカい病院に来る機会なんて滅多に訪れないからな。特にまだ子供の俺には。
当然ここは行ってはいけませんって場所はあるが、それすらも俺は好奇な目で見ていた。
売店での買い物も許されているから、プリンやらオレンジジュースやらを購入して見舞いに来てくれたエルミアと一緒に飲食を楽しんだりもした。
エルミアはカラメルソースを見て「魔獣の血みたい」と言ったが、俺が美味しいからと強く推して食べさせたら気に入ってくれた。
魔獣の血って結構黒いんだな。
それとは別の日、今度は透弥が見舞いにやって来た。しかし、その登場の仕方は予想外過ぎた。
俺が入っている部屋は他に患者はいないものの、デカい声で話されては隣室に迷惑だろうと思っていた。恐らくそれが理由だろうけど、透弥は捕まった泥棒猫みたいに咲喜さんに引っ張られて入ってきた。
学校やらで多忙なスケジュールを割いて来てくれたにも関わらず、俺はその不格好な様につい吹き出してしまった。
透弥はキレ気味に「早くよくなれよ」とだけ言って帰っていった。意外と心配してくれてるんだな、透弥も……と小さな感動を覚えた。
まあ色々あったけど今日が退院日なわけで。
この病院ともおさらばだ。実に清々しい気分で、俺は迎えに来た霊戯さんと共に諸々の手続きを終えた。
「エルミアはもうそっちに居るんですか?」
「うん、家で待ってもらってるよ」
そう、俺とエルミアは霊戯さん達と共同生活することになったんだ。
流石に子供二人……この世界の人間だけで言うなら一人で一軒家に住むわけにいかなかったのがその理由。
家の荷物の整理をして必要な物は運び、それが終わったら母さんの通夜。今日のスケジュールはざっとこんなもんだ。
明日になったら葬儀や告別式もある。この流れは父さんの時や親戚の時に経験したから慣れている……が、多分泣くだろうな俺は。
あの雰囲気で、しかも一番身近な人を弔うのに真顔でいてたまるか。
今は落ち着いているけど、そこに行ったら一気に乱れるんだろう。
「俺が葬式の帰りに泣いてたよ、とかエルミアに……いやそれ以上に透弥に言わないでくださいよ。恥ずかしいんで」
「あはは、僕はそんな意地悪しないから安心してよ」
霊戯さんは笑いながらそう言った。
その性格、その口調の人に意地悪しないなんて言われても信用できないんだが。
四六時中一緒に居たことが無いから断言はできないけど、絶対この人話のネタになる事があったら全部ばらすタイプでしょ。
エルミアも透弥も俺が泣いていたと聞いて笑うような性格じゃないけど、俺が恥ずかしい思いをするならそれは避けなければならない。
霊戯さんお願いですよ。
絶対ですよ。必ずですよ。
俺の言ったことは守ってくださいね。
もし守られなかったら、俺はちょっとだけ……ほんのちょっとだけ霊戯さんを睨むかもしれない。ジローって。
俺は彼の隣で密かに祈り、彼の車に乗り込んだ。車の中を見ていても思うけど、霊戯さんの物って無駄に清潔だよなー。
霊戯さんみたいなおちゃらけた言動をする人にそんなイメージ全く無いのに。
まあまあな汚れを気にも留めないような……イヤ、これは偏見が過ぎるか。
霊戯さんの場合、神経質……というよりは完璧主義の方が近いのかもしれない。頭良くて色々手を回してくれてるし、多分そうだな。
兎に角凄い。
「さ、しゅっぱーつ」
この人は本当に何なんだ。
しっかりしていて賢い人かと思えば、子供みたいなことを言うし。
もう永遠とそれの繰り返しじゃんか。
彼の顔はすんごい楽しそうだし、もしかしたら精神の成長が中学生辺りで止まっているんじゃないか?
……それはないな。霊戯さん頭良くて完璧で普通に大人だし。
……ああもう! やっぱりこれの繰り返しだ。
霊戯さんについて深く考えるのは止め。
流れる景色でも見ながら寝よう。
窓から巨大な病院が見える。俺が入ってたのここか。
院内に居た時から何か見覚えがあるなーと思っていたけど、父さんが病気を患って入院したのと同じ場所だ。
全然変わってないな。懐かしいとかそんなことは思わないけど。
同じ病院に入院するなんて親子の運命なのだろうか……とカッコつけようとしたのに、当然だということに気付いてしまった。
そりゃあほぼ同じ場所から救急搬送されたんだから同じ病院に入るよ。
なんて馬鹿なんだろう、俺。
*****
さあ俺の家に着いた。
どうやら作業は少し進んでいるよう。
引っ越し業者的な人が何人か居る。唯一残った住人である俺がいないのにここまでやってくれたと思うと「ご苦労さまです」と頭を下げたくなる。
「あれ、女の人も居るのか」
明らかに男ではない長髪の人の影が見えた。
こういうのって男がやるイメージだから少し気になってしまった。
でもよく見たらこの人どこかで見たような。
「あの……」
テレビ横の棚の中身を出している彼女に声を掛けると、すぐに振り返ってくれた。
美しいピンク髪がファサっと揺れる。
ん? ピンク髪?
「咲喜さんじゃないですか!」
「どうしたんです? 泰斗さん」
その声を聞き、俺の中の疑いが確固たるものになった。やっぱり咲喜さんだ、この人。
手伝ってくれているのはありがたいけど、一体何を思って他の作業員と似たような格好をしているんだ。
普通に私服でいいのに。
俺はその疑問を彼女に投げ掛けた。
「咲喜さんこそどうしたんですか。その格好」
「これですか? ……いやぁ、こういうのって形から入れって言うじゃないですか」
彼女はそう返答した。
俺はそんな教えを受けた事は無いけどな。
まあこれも一種の拘りなのかもしれない。
変につっこまないでおこう。
「……ま、何にせよ手伝ってくれてありがとうございます」
「いいんですよ。もう立派な仲間ですから」
俺はその言葉に微かな感動を覚え、良い返事を望むような彼女の口元を真似た。
「はい!」
そのすぐ後に、一つの事に気付いた。
「あ。咲喜さん、これだけは俺が」
俺は開いている引き出しの中に日記帳を見付け、それを取り出した。
この日記帳は俺が大切に持っておきたいと病院に居た時から思っていたんだ。
母さんの日記があったところで何かの役に立ったりはしないが、形見みたいな物だな。
この中には母さんの思いが綴られているわけだし。
咲喜さんは積まれた日記帳を片手で重たそうに持ち上げて抱く俺を見て優しく微笑んだ。
咲喜さんは……透弥とは全然性格が違うよな。
透弥も意外と優しいところがあったりするけど、咲喜さんはそれ以上。彼女の雰囲気も相俟って慈悲深い感じがする。
二人は姉弟の筈なんだが、まあそういうものなのかもな……。
「家の本棚に使っていないケースがあるので、良ければそれに仕舞ってください。大事に保管しておきたいでしょう?」
「えっ、良いんですか? ……ありがとうございます」
俺は一言感謝の言葉を述べると、運搬のための段ボールに日記帳を入れた。
それを終えた頃、俺は唐突な寄り道をしてしまっていた事に漸く気付き、階段の前で俺を待っている霊戯さんの下へ向かった。
「さ、僕らは二階担当だ」
霊戯さんは俺の勝手な行動に対しては特に何も言わず、階段の上を指差した。
俺と霊戯さんは二階に向かい、荷物の整理を始めた。
自慢じゃないが俺の部屋は兎に角物が多い。
漫画にラノベにフィギュアにゲーム。
足を置く場所がありません、なんて事態にはなっていないけど、この量を取捨選択するとなると尋常じゃない時間が掛かりそうだ。
「泰斗君って趣味にお金掛けるタイプ?」
「んん……まあそうですね。ゲームの大会に出たことがあって、賞金を初めて手にした時に調子乗っちゃってこんな事に……」
俺は情けない感じで霊戯さんに説明した。彼は意外とも思っていなさそうだけど。
しかしこう思い返してみると、俺は楽な生活をし過ぎていたんだな。
母さんは一人で頑張って働いてそのお金で俺を養ってくれていたのに、俺は舞い降りた賞金を趣味に全投入。
母さんが不憫でならないな。そんな状態に至らしめた俺が言っていいことじゃないが。
今夜母さんに会う時、全気力を費して謝罪するとしよう。
棚の中の服を出しながら、俺はそんなことを考えていた。
シャツやらジャージやらが出てくる。その中には中学や高校の制服も、当然ながら紛れていた。
着た回数が少ないからって、俺に向かって輝きを放ってくるのは勘弁してほしい。
余計に俺の気分が悪くなるじゃないか。流石の俺でも、不登校という行為を全面肯定はしない。
……ただ、母さんは別に俺が学校に行くことを切望していたわけじゃない。
あくまで俺の悩みを解消したい、俺が一番やりたいことをしてほしいと。
「……霊戯さん」
「どうしたの?」
「……きっとこの戦いって……まだ終わらないんですよね」
まだ謎ばかりだ。使っている武器やエルミアの力を利用して何かを企てていることからしても、敵はべベス達の他にも沢山いるんだと推測できる。
この前と同じような戦いが今後も続くとなれば、どの時間も自由に行動できた方が良い。
「そうだね。敵は大きいだろう」
霊戯さんも俺と同じ考えのようだ。彼に限って俺を無理矢理登校させたりって事もないだろう。
俺の心は決まった。
そもそも迷う必要性すらない。制服を見て心がぐしゃっと歪んでしまっただけ。
俺の自由にしたって母さんから恨まれるなんて起こる筈のない事態だ。
「俺はこれからも戦いますよ、霊戯さん」
俺は勇敢にもそう宣言した。
その意志を大きく見せるために右手をぐっと握ろうとした。
俺は馬鹿なのか。そっちは骨折してるだろうが。
「いっ……た!」
怪我している事を完全に忘れていた。少し前まではしっかり覚えていて、こんな失態は無かったのに。
「……ふっ、君がそう言ってくれなかったら、僕も困っていたところだよ」
痛みを噛み締めている姿を笑われたような気がしたけど。
言っている事がかっこいいからいっか。
*****
「いよいよこの家ともお別れかぁ……」
物を全て運び出し、空っぽになって孤独に佇む一軒家を見て俺はそう呟いた。
数年間引きこもっていただけあって、この家にはそれなりの愛着が湧いていた。
引っ越し経験の無い俺には結構刺さるよ、この別れ。
「行きますよ、泰斗さん」
霊戯さんの車の横に居る咲喜さんに声を掛けられた。
「はーい」
俺は回れ右と同時に軽い返事をし、車に向かった。
時間的に一旦霊戯さんの家に行くと通夜に間に合わなくなるってことで、このまま斎場まで送ってもらうことになっている。
んで、明日は昼頃から葬式だ。そういうのが続くんだし、目的地に到着するまでの間は心の準備をしておこう。
俺は後部座席で密かに深呼吸した。
第37話を読んでいただき、ありがとうございました!
次回もお楽しみに!




