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第34話 火中、焚き付ける思い

 それは、生まれて初めて自分と親が対等な存在になった瞬間だった。母さんや父さんを偉い人だと認識していた時もあれば自分より下に見ていた時もあったが、今はそんなものを感じないし、考えようとも思えない。

 普通なら親が上で子が下。だが、俺と母さんにそんな常識は通用しない。


「そろそろ行かないとな。遅くなると文化祭を楽しむ時間も無くなるし」


 握られた手で握り返し、俺は廊下をタンタンとリズム良く進んだ。

 俺の足音が鳴ると、母さんの足音が一つずれて聞こえてくる。それが続くことで、音は休むこと無く床を揺らした。静寂で堪らない夢に彩りを与えるように。


 廊下はこんなに長いものかと思う程に、俺はゆっくりと進む二人の距離と小さな音を楽しんでいた。自分でも何でこんなものに心を動かされているんだと思ってしまう。


 玄関前のマットに足を乗せたとき、二人の足音は止まった。


「泰斗。頑張ってきてね」


 母さんのその言葉は、ここ最近……どころか俺が聞いてきた言葉の中で一番優しく響いた。

 ずっと近くで暮らしていた人に言われたからこそそう感じるのかもしれない。

 一番俺を知っている人だから、発言全てにそれだけの重みがある。たった一言の応援でも、俺の心はそれを有り得ない程大きなエネルギーに変換する。


 どこからともなく誰かの声が聞こえ始めた。

 低く、狡猾な男の声。夢の終わりが近付いていると俺に告げている。

 終わりというのは俺が目覚めるという事ではない。

 俺が死ぬという事だ。俺は後少しで死んでしまう。意識を取り戻さなければならない。


 それを悟るも、母さんに伝わってしまわないようにと身の震えを抑えた。

 震えが十分に収まり、俺は漸く一番言いたいことを言うことができる。


 俺が後悔し、嘆いたこと。母さんは夢の中の存在で、既に死んでしまっている。それでも、俺は母さんに伝えたかった。

 それができればきっと、俺の体により大きな力が宿る。理由を説明しろと言われればできないが、俺はそう確信して疑えない。


「母さん。最後に言いたいことがあるんだ」


「何?」


 振り向くとそこには、瞳を輝かせた母さんの姿があった。俺が口を開けば、お互いが相手についての悩みに胸を苦しめられる事も完全になくなる。


 ところで、母さんには俺がどう見えているんだろう。格好良く見えているのか、それとも可愛い子供に見えているのか。将又そのどちらとも当て嵌るのか。


 母さんの瞳には、確かに俺が映っている。少し汚れているジャージを身に着け、鋭くも光の無い剣を握った一人の少年が。扉を開け、暗闇の戦場へ帰る勇敢な姿が。

 だが、彼女がそれを具体的にどう思っているかなんて俺には分からない。きっと良い意味で捉えているんだろうが、命懸けで戦うところを見たとき何と漏らすのかは俺にも想像が付かない。

 見ていてほしいと言って叶うのなら、俺は何度でも言う。母さんも呆れさせるくらいは容易いだろう。それは迷惑なので一回しか言わないけど。


「今までありがとう。見ててくれ」


 天国から見ているよ、なんて有り触れた感動のストーリーは意外と現実でも有り得たりするのかもしれない。実際にそうだとしても、そうでなかったとしても、俺は母さんが見ていると思いながら生きていく。その方が精を出して毎日の敵と戦う事ができるから。


 その言葉を掛けられた母さんがどんな反応を示したのか、俺はそれを確認しない内に体を回転させ、足を前に出した。


 親の泣き顔なんて良い意味でも悪い意味でもニヤニヤと笑いながら見ていたい物だが、俺は振り返らなかった。これが正解だとそう思ったから。


 ドアノブに手を掛けると、かなり弱い力だというのに扉は滑るように開いた。俺が前に倒れてしまいそうだった。


 俺ごと夢を壊されるなら、俺が出ていってやるってことだ。


 純白な光が俺を包み、その夢は終わりを迎えた。



*****



 俺の体は知らぬ間に動いていた。夢のような夢の時間。刹那を過ごした俺には有り余る程の力が宿った。


 一瞬を戻れば俺は九割死んでいたが、俺の手は大きな力を注入され、動いたんだ。それは俺が意図的にやったわけではない。中に眠るもう一つの意識が覚醒し、行動に移した。


 俺の持つ剣は虹を描くように振られ、べベスの手首を素早く斬った。肉や骨の断面なんて俺は見たくなかったんだが。

 赤い血が炎のように吹き出し、べベスから離れた左手はグネグネと気持ち悪い動きをしながら落ちていった。


 べベスは大怪我を負ったというのに、まるでそれを嬉しがっているような不気味な笑みを浮かべた。切り落とされた片手を気に留めている素振りすら無い。

 子供が泣いて怖がる御伽噺の悪魔が現実にいたら、きっとこんな感じだろう。


「そうだよ、そういうのを待ってたんだよ!」


 俺が苦しむ姿を見たいのか勇ましく戦う姿を見たいのか、どっちかにしてほしいな。


 俺は愉悦に浸っている様子のべベスに、次の斬撃を食らわせようと踏み込む。

 ……イヤ、ただ斬るだけじゃさっきと同じ結果になる可能性が高い。いくら俺の意志が強いとはいえ、幻術やその他の魔法を前にしては塵も同然。べベスが本気を見せてくるなら尚更だ。


 ――ならどうするのか?


「今の俺ならできる!」


 この前挑戦した時のように、頭の中で思い描くなんて事はしなかった。だが、どうやらこれで良いらしい。

 剣は炎を身に着け、お前に味方するよと言わんばかりの熱を放つ。まだ上手いこと制御できていない所為で俺の手が焼けそうだ。


 内側にいるもう一人の俺が、魔石に強い意思を送り込む。そして外側の俺は剣と共に溢れ出た炎を振る。


 べベスの顔には「やっと来たか」と書かれている。


「エルミア!」


 ここから少し離れた場所で幻術をかけられ戦っているつもりのエルミアに向かって、俺は叫んだ。しかし、叫ぶだけで術が解けるとは俺も思っていない。

 剣を振る事で、纏っている炎をエルミアの居る方向へ飛ばした。無数の小さな火球はエルミアを通り越してどこか遠くへ行ってしまった。

 だが、エルミアはそれを見ている筈だ。


 べベスの対応が遅れたらしい。エルミアは認識の狂いに気付いた様子でこっちに向かってくる。エルミアが戦闘に加われば俺もやり易い。


「泰斗君、後ろ!」


 俺が振り返るより先に、カキンと金属でも割れたかのような音が耳に程近い所で鳴った。

 べベスが俺を背後から攻撃し、エルミアが俺を守ったのだと瞬時に理解できた。俺は彼女の魔法が効いている内に振り返り、剣を振る。


 しかし、眼前の巨体は徐々に薄くなり、消えた。何度見せられたかも分からない幻だ。

 幻という名の偽物がいるなら、本物がいる。

 相手が折角術に惑わされているんだから、本物は当然のようにその相手を襲う。大きな黒い炎が俺を殺しかけたその時、赤い炎が視界を占領した。


「エルミア!」


「また見えなかった……魔法陣」


 エルミアは豪快にもべベスを撥ね飛ばし、息を吐くように呟いた。

 魔法陣が見えないってどういうことだ?

 俺は過去に取り入れた情報の中にヒントがあるのではと記憶を手繰り寄せる。特にエルミアが発言していた事は重要だろう。


『転移魔法や変魔術は発動させるとき、対象者の下に魔法陣を出すの』


 そうだ、幻術を発動させるときは魔法陣を出すんだ。なのに俺やエルミア、それに霊戯さんも魔法陣なんて見ていない。

 彼女はそれが不可解で、どうにか目視できないかと図っているんだ。


「魔法陣を探すとかはっきり言って無駄だぜ。俺は極上の幻術師だからな、魔法陣を出さずとも術をかけられる」


 エルミアの説明は"異世界"を考える上での前提みたいなものだと思っていたが、すぐそこに例外がいた。

 異世界の常識を破る程の練度と才能。べベスは相当危険な奴のようだ。


「じゃあアイツどうす……げほっ! ごほっ!」


 何の前触れも無く息苦しさが俺を襲った。俺の喉に恨みでもあるのかという程に、咳が何度も出た。途中から意識が朦朧とした首絞めよりこっちの方が苦しいまである。


「動かないでいて。後は私がやるから」


 前より魔力の量が増えてないか? と場に合わない変な調子で言いたくなったが、当然そんな余裕は無い。

 いつの間にか俺の炎も消えていた。俺は剣を下に突き、肺を押さえて苦しみを少なくするよう努力した。

 これが治るまでは素直にエルミアに任せるしかない。不服だが。


「もうちょっとソイツと戦わせてくれても良くねぇか? なぁ、お姫様」


「呑気なことを言っていると死にますよ」


 エルミアはこういうときかなり冷酷な発言をするが、相手がべベスとなると俺は聞いていて冷ややかには感じない。

 それに比べ、べベスは何が起こってもその態度は一貫している。感情の起伏は多少見られたが、体の一部が欠落した人間の態度じゃない。


 エルミアの火炎が騒ぎ出す。火花が散る中、彼女は確かに俺を守っていた。火の一欠片も俺に刺さらない。今の俺は火中に放り投げられているも同然だというのに。

 二人は右へ左へと飛ぶように動き回る。ここが広い平原にでも見えているんじゃないかと疑ってしまう程だ。


「エルミア……俺は……」


 エルミアが俺のことを守ろうとする気持ちはよく分かっている。家族でも恋人同士でもないのにこの態度と行動とは、俺が驚くべきだ。

 べベスという強大で最恐な敵を前にしても尚他人を守り続けるのは普通じゃない。千人集めても二、三人しかいないだろう。


 だが空中を舞う火花と彼女の戦いぶりを見てしまったら、復讐を果たしたい、力を貸したいという思いは盛んになって弾けた。

 息が苦しいからって黙って休んだまま、なんて俺にはできなかった。

 苦しみと恐怖に打ち勝つ思いは俺の体から飛び出した。


「べベス! 俺はこれで終わらない! お前を殺すまでは!」


 俺の怒声と共に、剣から炎が噴き出す。闇夜も昼に変えてしまうような光が三人を包んだ。

 べベスはそんな光をも抑えるような顔で愉悦を口にする。


「だよなぁ泰斗! お前も戦ってくれねぇとおもしろくねぇ!」


 俺はエルミアが文句を言う前に目配せし、戦いに目を向けさせた。俺が次にダウンするなら少なくともコイツを殺した後だ。


 夢にまで出てきてもらって支えられたんだから、少しの不調で止まってられない。

 俺が仇を討ってやるよ、母さん。

 第34話を読んでいただき、ありがとうございました!

 次回もお楽しみに!

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