第33話 白昼夢
「六月八日は俺がエルミアと出会った日……」
何か運命的なものを感じた。
……イヤ、六月八日の夜に見た夢なら、その日からの始まりでもおかしくはないか。
「……やっぱり夢だよな。異世界とか本当にあるわけないし」
そうだ、全て夢だったんだ。
異世界も、エルミアも、霊戯さん達の存在だってそうだ。俺が勝手に妄想しただけの、俺が作り出した架空の存在。
「……でも、ちょっとなぁ……」
何故か納得がいかない。夢で終わらせてはいけないような気がした。
でも、夢以外にあの体験を説明できる言葉が思い付かない。でもそうすると変な気分になってしまう。
――確かめてみるか?
あれが全て夢だった。そう説明できる証拠的な物があれば俺自身も納得する筈。気持ちに区切りが付くってもんだ。
しかしどうやる?
布団の上に座り、腕を組んで考える。
「そうだ」
夢……というか妄想の中の存在なら、実在はしない。実在しないという証拠を探し出せば良いんだ。
そうと決まれば後は簡単。
霊戯さんは探偵だ。事務所もある。
パソコンで検索してみればその存在の有無を確認できる。
俺は早速椅子に座り、パソコンの電源ボタンを押下した。パッと画面が明るくなり、可愛い背景画像と共にアプリやらファイルやらが表示される。
俺はマウスをスラスラと動かし、検索エンジンに目的の言葉を打ち込んだ。
霊戯探偵事務所
人数が少ないとはいえ事務所なんだからホームページぐらいあるだろ。
これで探偵事務所のページが出てきたら今が夢、出てこなかったら今までが夢。
かなり緊張している。自分の部屋の中でここまで緊張したのはゲームの大会に参加していたときくらいだ。
……後はエルミアと一緒に寝るときか。まあそれも夢だったのかもしれないけど。
ドキドキと胸を鳴らしながら、カーソルをゆっくり「検索」の文字へ動かしていく。あれが全部夢だったって、薄々分かっているんだけどさ。
さあ、いくぞ。
「……あれっ、これは」
検索をかけると一番上に「霊戯探偵事務所」の文字が出てきた。見間違いじゃない、はっきりそう書いてある。
俺は数秒間固まった。その結果をすぐに受け入れられなかったんだ。
氷みたいに固まっていた俺はやっと動けるようになり、非現実的な現実を直視する。
「じゃあ、これは夢……?」
手をグーパー、グーパーと広げたり握ったりを繰り返した。その次には頬を抓り、その次には頭を思いっ切り叩いた。
ちょっと痛い。
「夢ってこういうの痛くないんじゃねえの?」
頬を抓って、痛くて、あっ夢じゃない!
というお決まりの展開が現実になってしまった。何ということだ。
これは夢ってことでいいのだろうか。普通に痛み感じてるけど。多分夢でしょう。
「夢なら起きないと死ぬんじゃ!?」
とんでもない事に気が付いた。
これが気絶している間に見ている夢なら、一秒でも早く起きなければ俺はべべスに絞め殺される。
「起きないと……でもどうすれば!」
当然、俺は目を覚ます方法なんて知らない。
しかもこれは普通に夢を見ているのとは状況が違う。気を失っているんだ。
そんな状態からどうやって目を覚ませと?
起きろ! 起きろ! 起きろ!
心の中で何度もそう叫ぶ。こういうのは強い意志が大事だったりするもんだ。
「……駄目か」
何も起きず。まあそうだよな。
俺は布団の上に大の字になって寝転んだ。一種の現実逃避だ、これは。
真っ白な天井を見つめながら人生を振り返ってみた。他にできることも無いし。
学校のこと、母さんのこと、エルミアと出会ってからのこと。
雑音も無くただ空気が流れ動くだけのその空間は、俺に色々なことを思い出させた。記憶の数々が天井から浮き出てくるようだ。
目を閉じ、その記憶を幾つか手に取った。
「……どうせ夢なら……か」
母さんの話を、俺はまだ覚えている。
今日……つまり六月八日は高校で文化祭をやっているらしい。どうせ夢というのなら、一度学校に行ってみるのもアリかもしれない。
それをしたからといって俺の人生が劇的に変化するなんてことはないが、俺が目を覚ます奇跡を待つには最適だ。
文化祭という楽しい日。それを他人を苛める事で消費するような輩はいないだろう。
俺が出向いたところで相手するやつなんて一人もいない。なら、俺が行っても問題は無い。
俺は鞄と制服を用意し、準備を始めた。
とはいっても何を持っていけばいいかなんて分からず、適当に鞄に詰めた。まあ多分大丈夫でしょ。
「後は母さんと話さないとだな」
これも結局夢として処理され、現実には反映されない事だが、母さんと話そうと思った。
勝手に学校に行ったら後々面倒になるだろうし、何より夢の中だけでも後悔を無くしたい。
制服を着用し、鞄を提げて部屋を出た。
まだ早い時間だから、母さんもまだリビングに居る。十分に会話できる時間もある。
「母さん」
リビングと廊下の境で声を掛けた。母さんは夕食を前もって料理しているところだったようだが、俺の声を聞いた途端驚愕していた。
母さんの気持ちも分からなくもない。引きこもりで全くと言っていい程口を利かない息子が突然話し掛けてきたんだから。
しかも制服を着ているし。
母さんは料理を焦がすような勢いで俺に駆け寄ってきた。
「泰斗……急にどうしたの、その格好」
絶望した顔がこの世の終わりのようだと形容されるなら、今の母さんの顔はこの世の始まりのようだ。
だが、完全に喜んでいるかといえばそういうわけでもない。
「いやー、そのさ……今日文化祭らしいから。学校行ってみようかなーってさ」
予想を超える勢いに押され、ヨロヨロした喋り方になってしまった。多分そんなの気にされてないからいいけど。
「だからその前にさ、母さんとも少し話そうと思って」
「うん……」
新鮮な空気だった。悲しくも楽しくもない独特で俺には経験のない雰囲気。だが、不思議とこの雰囲気は心地よかった。
テーブルを挟み、向かい合った椅子に座る。
鞄はその辺に置いておいた。
どっちが先に切り出すのかと目で意思疎通を計る。が、母さんはそんなものを弾き飛ばして俺に問うた。
「何で急に学校へ行こうと思ったの?」
「特に意味なんてねえよ。その……気分?」
「貴方が気分でそんな事するわけないわ。何か理由があるんでしょ?」
笑って誤魔化そうとしている事は筒抜けだったようだ。それとも親の勘ってやつなのかも。
理由を聞かれ、俺は考え込む。理由として、何を言えばいいのか。何なら言っていいのか。
「理由……」
俺は全て打ち明けてしまおうかと思った。ここが多分夢だって事も、異世界の存在も。
でも、それはいけないような気がした。それが何故かは俺にも分からない。
遠回りな説明になるだろうけど、あのことはバラそう。
俺は席を立ち、薄い光を浴びせてくるカーテンを開けた。窓の外は真っ白だ。日光の温かさは感じるっていうのに。
それもこれが夢だと裏付ける証拠の一つとなるのだろうか。俺が外の世界を拒んだからなのだろうか。
「俺も母さんもさ、いつ死ぬかなんて分からないだろ?」
「……それは……そうね」
母さんの目には、窓の外は普通の町に見えているらしい。真っ白な光しかないこの空間は、彼女にとっては色付いている。
そんな母さんの様子を目の端で確かめつつ、俺はその話題の暗さを紛らわすような元気な声で母さんに言った。
「命が終わるそのときまで、後悔し続けるのは嫌なんだよ。あの時ああしていれば……なんてものを背負い続けるのは、結構大変だ」
俺はカーテンを閉じ、俺の口から出た言葉に戸惑っている様子の母さんに目を向けた。
さあ、ここで遂に言う。あのことを。
「俺さ、母さんの日記……見ちゃったんだよ」
「えっ…………そんな、いつの間に……」
母さんは目を丸め、その驚きを噛み締めているようだった。無理もない。どういう風の吹き回しか俺がリビングの棚を漁り、運良く日記帳を見付けた。内容も内容だし。
「勝手に中身読んだのは謝る。けど……それで気付けたんだ。母さんが俺を大切に思ってくれてたって」
「泰斗……」
「俺勘違いしてたんだよ。母さんは俺のこと全く理解してないし大切に思ってないって。でも実際はそうじゃなかった」
母さんの目に涙が浮かんだ。太陽の光を乱射しながら揺らめく海のようなその瞳は、俺の気分まで変に悲しくさせてきた。
もらい泣きの一歩手前まで来てしまった俺は涙が出てくるのを我慢し、言葉を続ける。
「母さん……俺が学校に行かずに引きこもっているのには秘密にしている理由があると思ってたんだろ? ……俺、苛められてたんだよ。小学校の最後ら辺から中学校まで」
「私も……そうなんじゃないかって、心のどこかでは気付いていたの」
ああ、やっぱり。そう言いたくなってしまう程俺の予想通りだった。
「ごめん。もっと早くに貴方を助けるべきだったの。なのに、こんな生活を送るしか道が無くなってしまうまで……」
「それは違うよ」
震えながらも芯の太い母さんの声を、俺は更に強い声でスパッと切った。
「俺が母さんの気持ちを考えずに……母さんの話を全く聞こうとしなかったのが悪かった。一度でも耳を傾けていれば良かったんだ」
そうやって自分を責めれば責める程、俺が発する声に力が無くなっていった。最後には呟きと変わらないくらいに。
「俺ってホント悪い奴だよ。一人で家のことも仕事のことも頑張って……息子のことだって諦めない。そんな母さんの思いを蔑ろにして引きこもってるんだからさ。そもそも不登校だって褒められた事じゃないし」
「……確かに不登校っていうのは良い事なんかじゃないわ」
「……だろ?」
「いや」
予想外の言葉が母さんの口から放たれた。流石の母さんでも不登校を簡単に許してしまうような事はないと思っていたが、今のはそれをひっくり返すみたいだ。
「悪いのは母さんの方よ。泰斗の好きなようにしてほしいってそれだけで、世間一般じゃ悪いとされる行為を見過ごしていた。普段の言い方だって悪かったし。兎に角私は甘過ぎたの」
数秒間、両者が沈黙した。俺は何て言ったら良いのか分からなかった。
親の意志がどうであろうと、最終的にどうするかは子本人が決めることだ。なのに自分が悪いと抱え込む母さんにどんなことを言えば、俺が悪いと分かってくれるのか。
俺は必死に頭を回した。
「……ちょっと話が逸れたけどさ。俺は今日文化祭を楽しむんだ。きっとこんな日に苛めるような奴なんていないだろうし。だから、俺を応援してくれ」
「えっ?」
俺は床に置かれていた鞄を手に取り、如何にも学生らしい姿を母さんに見せた。
「数年振りの学校だぞ? 俺だって少しは怖かったりするよ。そんな俺を応援してくれるって言うなら……俺が母さんを許してやる。誰目線だよって思われるだろうけど、絶対そうする」
逆転の発想だ。もう母さんも俺も悪い奴なんだから、許してもらえば良い。
そして、お互いに許し合う。そうすれば、二人の抱える物はどこかに飛んでいく。
「だから母さんも許してくれよ」
俺は母さんに手を伸ばした。母さんはすぐにその手を取る事はなかった。そうして良いのか自分の中で考えているようだ。
その間、俺は何も言わずに待ち続けた。普段入れることの無い荷物ばかりの鞄の重さすら感じない時間だった。
そして、その終わりを告げるかのように母さんは俺の開いた手を掴んだ。
第33話を読んでいただき、ありがとうございました!
次回もお楽しみに!




