第30話 憤怒と悲愴
2020年 6月14日 19時15分
相変わらず血がつくってことは気分が悪い。
もう少し綺麗に、美しく殺せないものかと考えても浮かんでこない。
……美しく殺すってよく考えたらめっちゃサイコパスじゃ?
俺がサイコパスになる理由はない。血がつくのはもうしょうがない。これで解決。
解決なんだが……また殺しだ。罪悪感が募る。足元に転がった死体は、ついさっき自分が殺した奴なんだ。
駄目だ、このままじゃ永遠に悩み続けるだろう。認め、乗り越えろ。
違う話にしよう。
「俺はやっぱり魔石を使えないんだな。今も結構意識してたのにできなかったぞ」
「ここまで下手なのは泰斗君ぐらいしか見たこと無いかも……」
そんなこと言わないでくれよ。薄々そうなんじゃないかとは思っていたけど。
俺がまだ魔石君に認めてもらえる程強い思いを抱けてないってことなのか。それとも、単に才能が無いだけの話?
どちらにせよ俺は悲しいよ。
透弥とか咲喜さんとか、意外と簡単にできてたりするんじゃないのか。
だとしたら余計悲しいな。これも考えるのは止めよう。
「お母さん、大丈夫かな?」
エルミアは、さっき邪魔だと言わんばかりの勢いで跳ね除けられていた母さんを心配している。
「結構頑丈な人だから大丈夫だろ」
気を失って倒れているわけだが、外から見える傷も無いし、事切れてるわけでもない。
だから、そう心配する事じゃないんだよ。
まあ、この状態の母さんを家まで運ぶっていう新たなミッションがあるんだけど。
それか、救急車を呼ぶ方法も。
警察でも良い。
俺はまた警察を呼ぶのか。正直、もうやりたくない。
あれは緊張感がヤバいんだ。普通に面識のない大人と話すのも緊張するんだから、超冷めてて仕事に徹している警察と話すなんてもう無理よ。
「……ってあれ? そういえば俺スマホ持ってないじゃん」
初めはリビングに行くだけだと思ってたからだ。
そこから母さんが攫われ、追いかけ、戦う……と事が転がっていくなんて俺の頭の中のどこを探しても無い考えだっただろう。
すると、二人のどちらかが家に戻る必要があるわけだ。気絶してる母さんと死体をここに放置するわけにもいかないし。
「俺スマホ取ってくるから、エルミアはここで待っててくれ」
「あ、うん。分かった」
そして俺は来た道を戻ろうとする。
が、ここどこだよ。家どこだよ。
ここが俺の知らない道だって事を忘れてた。
アイツを追う事に集中し過ぎてどこを通って来たのか覚えてないし。
家に帰るのは難しいと俺は判断し、くるりと体を回してエルミアの所に戻った。
エルミアは余りに早い俺の帰還に少々驚いている様子だ。
「ごめん、エルミア。道わかんなくなっちゃったんだよ」
「あー……私も分からないかも」
エルミアはそう返してきた。十六年間この地域で過ごしてきた俺が道分からなくて、ここに来て数日のエルミアが分かってたら怖いよ。
「多分、母さんのスマホが鞄の中にある筈……」
俺は母さんのそばにある鞄に手を突っ込んでスマホを探した。
スマホ無いし。奥にあるのか?
俺は空き巣泥棒みたいにゴソゴソと鞄の中を漁る。仕事に行くときスマホを持っていかないなんて流石にないだろう。
じゃあどんだけ用心深いんだ俺の母さんは。
……やっと見つけたぞ。
小さめのポケットの中にある隠しポケットの中にスマホがあった。マトリョーシカを最後まで開けるのと同じ気分を味わった気がする。
「はい、スマホゲット」
人のいない夜の町には似合わない、陽気な口調で俺はそう言った。
さて、番号は。
当然、俺には分からない。
「パスワード」
「どこかに書いてあったりしないかな?」
エルミアにそう言われたが、パスワードの書かれた紙がそんな都合よくあるもんか?
それ以外に解決策無いしやるけど。
やっぱり見つからない。分かってたよ。
母さんの鞄とスマホを交互に見つめながら何とか別の方法を考える二人。
その時間は実に無駄だった。時間を掛けても無いものは無い、思いつかないものは思いつかないんだから。
「どうしようなぁ……」
俺が呟いた時、母さんの手がピクっと微妙に動いたように見えた。
これで起きてくれるなら、俺達の悩み事も無くなると一瞬喜んだが、そうではなさそうだ。
今度はしっかり目で確認できる程大きく動き始めた。でも、それは本人の意思で動かしているとは到底思えない。
生き物が、人ができる動作じゃない。
肘や手首が曲がり、ぐねぐねと腕が波打つように動いた。少し捻ったりもしている。
心の底から不気味だ、怖い、という言葉が湧き出てくる動作。
仮に母さんに意識があってこれをやっていたとしても、これは正気の沙汰じゃない。
「何……何が起こっているの……」
まあまあヤバい経験を積んでいそうなエルミアもこれには唖然としている。
「お、おいどうなってんだよこれ」
俺は兎に角気味の悪い動きを止めようと、母さんの腕を両手で掴んだ。
すると、掴んでいる俺の手が千切れる程強い力で母さんが何者かに引っ張られた。
その圧倒的な力に俺は耐えられず、掴んでいた腕がスルッと抜け、母さんの体は直立の状態になり、顔はこっちを向いたまま奥の方に浮きながら進んでいった。それも凄い速さで。
次の瞬間、母さんの腹の所に、赤く染まった誰かの腕が出現した。その腕は母さんの腹を背後から貫いている。
飛び出した血が、下に落ちずに何も無い筈の空間に留まっている。留まった血を架空の線で繋いでいくと、その線は立体的な人の形となった。
理解不能。それを実感した。
体が勝手に動くという不吉な予兆があったものの、突然の出来事に俺は混乱した。
透明な人型に母さんを殺されたのだから無理もない。
数秒後、母さんの体から腕が引き抜かれその犯人の姿が明らかとなった。
透明だった部分に色が付き、帽子を被った、黒色と紫色が混ざったような色の髪の男が現れた。
それが分かった頃には、俺とエルミアは同じ衣に身を包んだ複数の人間に囲まれていた。
全員例の茶色い装束を着ていて、銃を構えている。ただ、母さんを殺した男だけは黒い服だった。
「あなた……何者ですか?」
エルミアはその男に問う。
俺はエルミアがそうやって男に怒りを見せている間も、ずっと立ち尽くしたままだった。
「俺はべべス・カオス。迎えに来たぜお姫様」
俺が今まで出会った人の中で、一番人に嫌悪を抱かれるのは間違いなくこの男だろう。
目付きも、口元も、喋り方も。
不愉快としか言いようがない。
だが、この男がどういう人間かなんて大して気にならなかった。
俺が気にしているのは、あの男の少し後ろで血を流して倒れている母さんだ。
自分の親が目の前で殺されて、最初に湧く感情は悲しみ。
殺した相手を憎むなんて正義の主人公みたいなことはすぐに出てこない。
出てきてもそれを行動に移すのは無理だ。
だから、俺は何もできずに立っているだけ。
「何でだよって顔してるな。……普通に努力してもアンタ程の力は持てない。だから、俺達はアンタが欲しいんだよ」
べべスと名乗るその男は、軽快な口調でエルミアを求めた。
「俺達の所に来い。楽しいぞ?」
エルミアは何も言い返さない。
「アンタの仲間は今頃、別の奴と戦ってるだろう。アイツは馬鹿だが結構強い。そして、アンタが召喚された日からずっと行動を共にしてるソイツも、親が死んで意気消沈しちまってるみてぇだよ」
まるで他人事のような物言いだ。
それが自分のやった事だと思っていないのかと言ってしまいそうになる具合には、不快感を覚える。
だが、べべスが言うように今の俺は意気消沈している。元気を取り戻せと言われてできるような簡単な問題じゃない。
目の下の皮膚で、何かが滴り落ちる感触を味わった。絶え間なく続くそれは、間違いなく俺自身の涙だろう。
悲しくて、悲しくて、それは他人が俺の様子から感じ取れる量を優に超えている。
「まだソイツが死んでないのは、俺が情けをかけてやってるからだぞ? ……イヤ、寧ろ早く死んだ方が良いのかもな。死んだら何も考えられねーからなぁ」
その発言には、こちらが勝てるという余裕が如実に表れていた。実際、俺とエルミアの勝ち筋は無いに等しいと言えるが。
姿を見せず、音も立てずに現れた辺り、べべスは幻術師なのだろう。つまり全ての元凶だ。
それを前にしてエルミアがどんな行動を取るのか、俺には全く予想できない。
「……そうですね」
「お?」
エルミアは何かを肯定したようだ。
べべスはそれに反応した。
「……分かりましたよ」
俯いて目の辺りが暗くなっているエルミアはそう呟いた。
次の瞬間、俺とエルミアを中心に、炎のつむじ風が発生した。
しかし、不思議なことに俺とエルミアにはその炎が当たらないし、熱いとも感じない。
俺とエルミアを取り込んでいた人達は円となって並んでいたので、全員その炎に呑み込まれた。恐らく焼け死んだだろう。
エルミアはその炎が消えるとほぼ同時に、前へ走り出した。
「あなたが生きていてはいけない人間だってこと」
真っ平らで無感情という印象を受ける声。
だが、そこには確かに感情があった。
俺はまた、戦えずに傍観だ。
エルミアは右の手の平から火球を生み出し、後方を壁に阻まれているべべスに向かって放った。
あれは流石に死んだだろうと誰もが思う一撃だった。だが、火球が当たった筈の所には燃えて黒くなったべべスの体は無い。
その痕跡すら、何も。
「幻術!」
エルミアがハッとして振り返った時、そこにはべべスがいた。これが幻術師の力というわけだ。
しかも、べべスは幻術だけでなく闇属性の魔法も使えるらしい。
握った右手拳に紫とも黒ともいえる色の炎のようなものがついた。
その炎は波のようになってエルミアに放たれた。エルミアは壁に叩きつけられた。
壁が少し削れていて、痛々しい。
「ここじゃ戦いにくいよなぁ! こっちに来いよ!」
べべスは耳が痛くなる大声でそう言い、屋根の上に登って走り出した。
エルミアは一瞬この挑発に乗るか迷ったようだが、俺の後ろの方を見て小さく首を縦に振ると、べべスを追い始めた。
俺は膝を地面に叩きつけるように、ガクンと崩れた。痛みなど感じない。
「泰斗君!」
どうやら霊戯さんが来たようだ。
彼は俺の肩を揺すりながら何か言っているようだが、悲愴の沼に嵌まった俺に、その声は届かなかった。
第30話を読んでいただき、ありがとうございました。
次回もお楽しみに。




