第154話 命のやりとり
ある晩、エルミアを家の屋上へ呼び出した。
肌寒い風が通り過ぎる。ぶるっと体が震えた。
昼間の方が良かったかなあ。雰囲気重視とか考えた今朝の俺を小一時間説教したい。
雰囲気より空気だろう。物理的な空気について配慮すべきだった。
とか考えて寒さを紛らわしていると、エルミアがやって来た。毎日見るパジャマ姿も、いっぱいの月光に晒されると一風変わったように映る。艶やかだ。
「た、た、泰斗……君……来ました……けど……?」
パジャマの皺を執拗に直しながらたじろいでいる。
頬も心做しか紅潮してるようだけど。
なんだ、ここを卒業式の日の体育館裏と勘違いしてるんだろうか。ドラマでも見たのかな。
「ごめん、場所ミスった。寒いよな……」
「い、いや、私は寧ろその……あったかい気分だよ?」
「どういう強がり?」
何か様子が変だ。
あったかい気分て……あ、そうか!
俺はエルミアに歩み寄った。
「俺にも火出してもらっていい? 寒すぎて……」
「え、あ、ああ……うん」
ポッとささやかな破裂音がして、エルミアの掌から火が出た。
あったけー。火属性魔法は秋から冬にかけて重宝しよう。
それにしてもエルミアが落ち着かないな。体調が悪い風ではないんだけど。
それ以外にもおかしい所は見当たらない。可愛い所美しい所はいくらでも見当たるのに。試しに言ってみるか?
「な」
「うん?」
「お前の目って月みたいで綺麗だよな」
瞬間、時が止まった。
俺だけの時間だぜ。
じゃなくて……エルミアが静止した。
そして動き出した。
「はうええっ!? そ、そ、そう? いや別にそんな……! 姉さんも昔言ってくれたけどさ! き、綺麗じゃ……」
いくらなんでも焦りすぎじゃないか。
俺も褒めるつもりで褒めたけど、前は似たようなこと言っても幾分か薄いリアクションだったと覚えている。
気を悪くしたんじゃなさそうだから、まあいっか。
そんなことより、今日は真面目な話をしに来たんだ。
「こほん」
咳払いを一つ。空気の変容に気付いて、エルミアも静かになった。
あまり堅苦しい話もしたくないから、強張らせたくもないんだけど。どういう調子で進めればいいか分からない。口調を若干崩しておけばいいだろうか。
「そろそろ本題に。今日はちょっと、相談があるんだ」
「相談?」
エルミアが一気に冷めた。なんだったんだ。
「ああ……その、俺の心持ちというか覚悟的な話なんだけどさ」
月光と火で照らされ、エルミアの瞳が爛々と輝いている。
暗闇に囲まれた二人の間だけが暖かい。幻想的ですらある手元の火から顔を上げると、彼女は口を結び、傾聴してくれる姿勢だった。
こんな相談だ。話しづらいし、エルミアにあしらわれることも想定の内にあった。でも、そうはならない。気兼ねする必要なんてないって思えた。
「一昨日の戦いで気付いたんだ。俺はなんだかんだ、人を殺すのに積極的になれないって。……いや、そりゃ、必要に迫られればやるんだけど。でもなんか、躊躇いが生まれちゃうんだ。どうすれば迷わずに戦えるかな?」
俺はカイとかいう男を殺すのに躊躇し、取り逃がした。
この場で殺す理由は無いんじゃないかという考えがよぎった瞬間のことだった。理由がないならやらなくていいだろうと思った。
だけど、殺すべきだった。デメリットなんてなかった。だのに俺に覚悟が足りず、背を向けてしまった。
これは俺の偏見だが、エルミアはそういう躊躇を欠いている。殺せるなら殺そうという、ある意味で野蛮な倫理観だ。もちろんエルミアを責め立てるわけじゃない。生死が懸かった戦いでは有利に働く思想だ。
見習いたいっていうと違う気がする。でもこういう割り切った考え方みたいなものは身につけたい。
しかし、相談したところで身につくものだろうか。結局俺が心から納得できなければ身につきはしないんだ。エルミアの意見からヒントを得られれば良いけど。
「迷ってもいいんじゃない?」
まぶたが跳ねる感覚を覚えた。
迷ってもいい、とは俺のエルミア観と背反する意見が飛び出したな。
「な、なんで?」
「なんでって、人を殺すのは悪いことでしょ。寧ろ迷う方が人として正しいんじゃないかな」
エルミアは世の理を説くように平然と言う。
そして彼女の言うことは正しい。俺も、悪いという意識があるから躊躇するんだから。そりゃあそう思ってる。
躊躇することは正しいとして、それじゃあこの先やっていけないってことを言いたいんだ。
「それはそうだけど。迷ってたら勝てなくなるだろ? ほらあの、『生きるためには戦わなきゃ』みたいなやつ」
かつてエルミアとその姉・エルトラが言った信条を引き合いに出した。
俺自身これに鼓舞されてこの戦いに足を踏み入れた側面もある。だからいつも念頭には置いていたんだが。
エルミア的にはそんなに大事じゃなかったのか?
「もちろん私は、姉さんが言ったこと、心に留めてるよ。でもそれとこれとは別で……私も、迷う時あるから」
「そうだったんだ。俺はてっきり、エルミアは殺人に抵抗ないんだとばっかり……」
「わ、私そういう風に見えてるの? 私だって死ぬとか殺すとか嫌いだよ」
好きなわけはないか、そうだよな。申し訳ない。
迷ってもいい……か。エルミアが言うならそうなのか。
いや。にしてもエルミアは躊躇ないよな。心中がどうあれ、エルミアが俺みたいに寸前で躊躇う姿は見たことがない。
「そっか。でも、俺とお前じゃ明らかに殺しの割り切り方が違う気がするけど……?」
「まあ確かに、殺し損ねた経験無いかも」
「だろ?」
「うーん、泰斗君は躊躇っちゃうんだよね? 割り切り方の違い…………」
長考し始めた。
火は弱まることなく、未だほの明るい。
思いつくことがないから火を眺めていると、エルミアの頭に電球が灯った。
「分かった! 泰斗君と私とでは言い訳の仕方が違うんだよ」
「言い訳の仕方?」
どういうことだろう。
「うん。まず、二人の共通点は『殺人に罪悪感がある』点。相違点は『迷いが実際に行動に出るか』という点。この二点を踏まえると、罪悪感を感じてから行動を起こすまでに、何か別の考えが挟まってるんだと思うの」
「なるほど」
エルミアにしては論理的だ、珍しい。
それともこういう戦闘などに関する心理は理解しやすいんだろうか。猟奇的な美少女だ。
「それが言い訳。泰斗君と私では、言い訳の方向性が違ってるんだよ。泰斗君いつも『殺さない言い訳』を考えてない?」
思い出してみよう。カイと戦った時だ。
俺はトドメを刺そうとして――そうだ、こいつも洗脳された一人なのにって考えた。
善良な人間だったかもしれないのに。操られているだけかもしれないのに。殺してもいいのだろうか、と。
おまけに殺す必要性の有無まで考慮に入れた。戦闘不能にさえすれば、後は逃げ切れば解決するんだから、と。
「考えてた」
言い訳という表現に関してはエルミアを褒めたい。
俺はそれを、言い訳とは思っていなかった。
「でしょ? 私は逆で、『殺す言い訳』を考えるようにしてる」
そう言うとエルミアは両手を出し、空いている方の手にも火を出現させた。
「私たちは命のやりとりをしてる。一歩間違えたら死ぬし、相手も一歩間違えたら死ぬ。お互いに心臓を晒しているようなものなんだよ。この火みたいに」
エルミアがふっと息を吹くと、片手の火が消えた。
「だから生きるためには戦うこと――命を奪うことが必要不可欠になる。でもそれは本来許されない罪。だから私は言い訳するんだ……『そんなことを言っていられる次元じゃないんだ』ってね」
なるほど、わかったかもしれない。
殺人は罪で、やるには罪悪感を抱くことになる。
この事に対する言い訳が「殺す言い訳」だ。
殺人は生きるために必要不可欠であり、相手を殺せるという局面において最善の行為である。
この事に対する言い訳が「殺さない言い訳」だ。
俺とエルミアでは重視している観点が違うってわけだ。
「俺も殺す言い訳すればお前みたいになれるか?」
「別に合わせる必要も無いと思うけど」
「やりづらくなるのは事実だろ」
「それはまあ。泰斗君がそうすべきだと思うなら、そういう方向にシフトすればいいと思うよ。やりやすくはなるはず」
よし、決めた。殺す言い訳だ。
殺しについての考え方なんて簡単に変えられるものじゃないと思うけど、ゆっくりと慣れていこう。
そうだ。慣れだ、慣れ。殺人に慣れるとか嫌だけど、これも生きるためであり、打倒教団の一歩でもあると自己弁護しておこう。それこそ言い訳に過ぎないか。
「ありがとう、解決しそうだ」
「なら良かった。……なんか、ある意味悪い方向に行った気もするけど……」
「しょうがないって。そういう次元じゃないんだろ」
こぢんまりとしたお悩み相談はその後の軽い雑談を経て終了した。
*****
「もしもーし……聞こえてるかな?」
夜風に当たると嘘をつき、屋上に残った。
泰斗君はこのまま寝るらしいから、ここを見に来る人は多分いない。
今まではリビングを使ってたけど、ここもいいな。寒さ対策は魔法でバッチリだし、こっちにしようかな。
別にバレたところで構わないけど、石と会話しているのを目撃されるのはちょっと恥ずかしい。
私の仲間なら石の正体まで知っているものの、見た目が馬鹿っぽいのに変わりはないから……。というか霊戯さんとか咲喜さんは勘が良いからバレてそうだな。
「いつも一方的に話しちゃってごめんね。楽しんでくれてたら良いけど……」
私は二日に一回程度、姉さんと話している。
話していると言っても姉さんは封印石の中だし、反応も返事も無い。つまり私の近況報告だ。
意味の無いことだと思われるかもしれない。でも私にとって、この時間は実に有意義だ。姉さんに聞いてもらってるというだけですごく嬉しいし楽しい。
今日は何から話そうかな。
まずは昨日の……いや、さっきのことを早く消化したい。
「いきなり今日の話になるんだけどさ、さっき泰斗君に急に呼び出されちゃって。『屋上に来てくれ。話がある』みたいな! それで私、てっきりその……告白……かと思っちゃって……」
頬を触ってみると熱を持っていた。火で暖まっているせいではないだろう。
「行ってみたら真面目な相談だったんだ……。こ、これ泰斗君が悪いよね!? はっきり言えばいいのにわざわざ意味深な言い方してさ。しかも『月が綺麗ですね』なんて……いや『目が月みたいで綺麗だね』か。あ、姉さん知らない? そういう遠回しな告白があるらしくて」
……と、興奮しすぎちゃった。
姉さんに引かれる光景が割と鮮明に浮かぶ。私の話はよく聞いてくれる人だけど、姉さんにも興味の向きはあるからね。言いたいことだけ言うんじゃ退屈しちゃうだろう。
そろそろいつもの近況報告をしよう。
「――こんな感じかな。祈の居場所が早く見つかればいいんだけど。いっそメイアの方から何か仕掛けてくれれば手っ取り早いとか思っちゃったり……」
報告も終わろうとしていた折、どこからか金属音がした。
どこ、というか、屋上の鉄柵で間違いない。屋上の端で何かが動いた。
「誰かいる?」
火の玉を追加で出して屋上全体を照らした。
これで見落としは起きない筈。
しかし、隅々まで探してもネズミ一匹さえ見つからなかった。
柵に当たったってことは、下に落ちたんだろうか。その時点で人間じゃなさそうだ。やっぱりネズミかな。
まさか石を投げられたわけもないし。
「……気のせいかな」
泰斗君が前に「気のせいっぽくない時の気のせいは気のせいじゃない」と熱弁していたのを思い出した。
その時は聞き流していたけど、今は意味が分かるかもしれない。気のせいで済ませてはいけない気配がする。
でも気のせいは気のせいだ。
音が鳴ってすぐに照らしたから、異変があったなら絶対に気付く。
空も、道路も、家の中を覗いても、何も無い。
「……やっぱり気のせいか」
念のために枕元にローブを置いておき、私は警戒したまま眠りについた。
第154話を読んでいただき、ありがとうございました!
次回もお楽しみに!




