第148話 シーサイド逃亡劇①
「何だよ……これ」
まずいと思って扉を開けたらこれだ。
全ては終わっていた。会場にいた一般人は皆んな死んでいる。
四肢が離れた死体まである。どこかしらが潰れてるか裂けてるのはまだ原型を留めている方らしい。服を剥かれた人もいる。数分のうちに――介入する余地がなくて踏み込めずにいた間に、血祭りに上げられた。
中心で、メイアは付着した血を嫌って文句を吐いている。
「このドレス、もう着れませんわね……。新調したばかりでしたのに、残念でなりません。中々快いダンスでしたが……最後が静かになってしまうというのは考えものですわねぇ」
「メイア!」
エルミアが叫ぶ。服を弄っていたメイアは間の抜けた声を漏らし、正面を向いた。
「あら、私の本名を知っていますのね。まったく祈ったら世話が焼ける人なんですから」
祈……そうだ、祈はどこだ?
見渡す。彼の姿はどこにもない。殺されたわけじゃない筈だ。
「それにしてもいけませんわお客様。勝手に逃げるから……中にいると思って皆殺しにしてしまいました」
「ふざけないで……楽しそうにしていたくせに」
「殺すついでに楽しめた方がより有意義でしょう?」
「無関係の一般人を……! 自分で惨いと思――
「思いません」
彼女の剣幕に、エルミアが黙らされた。
自信満々という調子だ。エルミアは彼女の迫力に怖気付いて喋れなくなったんじゃない。価値観の乖離……滲み出る異質な思考がエルミアを圧倒したのだ。
そして俺もまた、ヤツの根本的に分かり合えない感性に、祈が主張した「生来のクズ」という性格に、不本意ながら気圧されている。
メイアは笑っているんだ。
「純愛ですのよ、純愛。この方々は私を愛した……。愛するあまりに、他人に私を取られるのを嫌ったわけです。だから殺し合った…………愛情がそうさせたのです。今際の際まで人を愛し、幸福に亡くなった…………それはとても素敵なことですわ。惨いだなんてとんでもない。寧ろ私は、誇りに思います。人を幸せにできたのですから」
血溜まりの中央で顔に微笑みをたたえるメイアは、控えめに言って悪魔的だ。
何を言っているのかわからないから、脳がメイアを見るのを拒絶する。思わず逃げ出したくなる狂った思想をこうも嬉しそうに語られると、本能が体を動かしそうになるんだ。
――こいつは生かしてはおけない。
メイアと対峙する状況に身を留められているのは、きっとこの気持ちがあるからだ。人を殺すことを簡単に思い浮かべる人間になるつもりはないんだが……心底許せない。
同じ思いが三人にも通っているのがわかる。
エルミアの燃える音、ラメが体に力を入れる音、冬立さんが歯をぎしりと食いしばる音。実際に耳まで届いてはいないが、そうしているだろうというのが見ずともわかる。
「……なにも固まらなくても。ああ……まあ……そうですよね。愛を知らない人間はこの世に腐るほどいますからね、あなた方もそうだということなら…………」
メイアは金色の手をこちらへ向けた。
「教えるしかありませんね」
「業火の砲」
ドギャアアァァン。
爆発の魔法か!
いや、爆弾のようなでかい火球を飛ばしたのか。
いずれにせよ……やっぱり、メイアには当たらなかった。
「学習は大切ですよ、エルミア」
「今か?」
疑問形でそう言いながら、純魔石の魔力弾を撃ってみた。
が、スライドして躱された。エルミアのみを警戒した状態ならあるいはと思ったが、駄目だった。
「人が話している時に攻撃するのはよろしくありませんよ。というかあなたは…………ああ、泰斗というのはあなたのことですか」
俺の名前まで?
「勇敢な馬鹿。ユーラの評価ですわ」
覚えのある名が飛び出て動揺を隠せなかった。
ユーラ……人形のアイツ! 俺の情報まで勝手に!
「ユーラは割と毒舌な人ですが、間違った評価でもないですわね。しかし物事に果敢に取り組むのは良いことですわ。誰かを愛するには、果敢でなくてはなりませんもの」
「俺はバカにされたからってキレ散らかすタイプじゃないけどな、愛がどうのって得意げに語るバカに説き伏せられたくはねぇな」
「ふうん……では一つライフハックを教えてさしあげます。人に人格を否定されたときは煽り返すのではなく、憐れむのです。理解できないのですねと憐れむことで、相手に教える気になりますから」
メイアは再び手を銃の形にし、指先を俺に向けた。
「だから私は銃口を向けるんですのよ。愛を知らない憐れなあなたに、教えるために」
「そうかそうか。じゃあ俺も、死にゆくお前を憐れんで教えてやるよ。『来世では上に気を付けろ』ってな」
魔力弾を撃ってやった。
メイアにじゃない。その頭上のシャンデリアにだ。
天井との結合部を破壊されたシャンデリアは支えを失い、真下へと落下する。お前を潰し殺すべく落下するんだ。
「は」
メイアの反応は遅れ、綺麗にシャンデリアの下敷きになった。金属やガラスがバラバラに砕けて割れる耳障りな轟音が鳴り、破片が四方に飛んだ。
「逃げるぞ!」
全員で会場から出た。
……あれは当たるんだな。
でも多分、死んではいない。とすれば一刻も早く逃げないと追っ手が来る筈だ。メイアの下僕が来る!
「紅宮の車まで走るんだな!」
「はい! 多分追われます!」
すっかり暗くなった町を駆けた。
*****
壊れたシャンデリアの下からメイアが這い出した。肉体のあちこちが切れ、手首も振るとぶらぶらするだけで言うことを聞かなくなっている。仕方がないから腕で目に流れてきた血を拭う。
「ふっ……ふふっ…………あまり侮ってもいられないようですわね。……あなた達、奴らを追いなさい」
その命令はトランシーバーに拾われ、待機していた下僕に伝わった。
*****
会場から紅宮さんが待つ駐車場までは徒歩で五分弱の距離しかない。全速力なら二分前後といったところか。辿り着きさえすれば圧倒的なスピードで追っ手を撒くことができる。
「みんな急いで! 何か来てる気がする!」
辛くもなさそうに先頭のポジションを保ちつつ、声を張るエルミア。彼女がそう感じたのなら、本当に何か向かってきていると思うべきだ。
ちらちらと後方を確認する。単純な経路を辿っているから、後を追ってくる敵がいれば姿を捉えられる筈だ。それが見えないということは……追っ手はいない? 暗くて見えないということもないだろうし。
……いや、こういう場合、そんな鬼ごっこみたいな方法は採らないか。
有り得るなら……
「上!」
後方遠くのアパートの屋上。そこに人影と、一瞬の光。
「ベールをくれ!」
左から右へ炎のカーテンのようなものが流れた。
ガキンと弾丸が衝突した音。やっぱり銃か。
「泰斗さん……!」
「平気だ。武器が銃っていうなら、俺の得意分野だからな」
俺が何度射線を切ってきたと思ってる?
正直なところ少し怖いけど、不思議な高揚感みたいなものが湧いて出た。
「狙撃手でもいるのか?」
「みたいな奴です! あの様子じゃ下りては来ないから……そっちの路地へ!」
時間より安全を重視したルートに変更した。敵が狙撃手だけだなんて甘い憶測を立てたわけじゃないけど、ひとまず見えている攻撃の回避をしよう。
しかし誘導されている線も考えられる。先回りした仲間が待ち構えていたら、ただじゃ済まない可能性がある。
……ただ、どうか?
冴えてるぞ。俺たちの目的地は駐車場。対して敵が推測する目的地は、多分駅だ。確か近くに浦安駅だか新浦安駅だかがあった。
そっちに向かうと勘違いしてる奴らなら、俺たちを完璧に誘導することはできない。
案の定、しばらく攻撃は止んだ。エルミアも別の気配を感じてはいないようだ。
追跡に駆り出される辺り機動性に優れた狙撃手なんだろうけど、それ込みの動きの予測プラスちょくちょく覗く姿の確認で、撃たれないルートは計算できる。
お、また見えた。
残念だったな、この曲がり角でまた射線は切れる。
――バキュン。
撃った? 当たらないのはあっちも分かっているんじゃ。
「え」
手に激痛が走った。血が噴き出して、周りも痺れる……!
痛い。撃たれたの初めてだ。こんな!?
「!? 手が……! 泰斗さん!」
ラメの足が止まった。が、次にどうすべきか彼女は迷っている。この場で魔法の応急処置はできないが、焦ってやりそうな雰囲気だ。
「俺に構うな! 平気だ!」
「ラメちゃんは走って!」
急いでエルミアが駆けつけた。無事な方の手を取って助けてくれる。
「動ける?」
「動ける」
超痛いし指先すら動かせない。でも足をやられなかっただけマシだ。車まで走る体力は残っている。
幸いにも駐車場はすぐそこだった。その間に何発か発射されたが、エルミアがファイアベールで防いでくれた。
車に乗り込み、息をつく。
「これ使え」
前から包帯が飛んできた。エルミアはそれをキャッチし、俺の手に巻く。随分と迅速な処置で助かる。
「ありがとう」
「よし。ラメちゃんお願い」
車の発進と同時に回復魔法の治療が開始された。
駐車場の支払いはいつの間にか済んだらしい。次の弾丸が来る前に出発することができた。
「追っ手は一人ですか?」
紅宮さんが問う。
「今は一人だ。そのうち増えるだろうがな」
「能力は?」
「一定の距離を保って狙撃してきている」
冬立さんの報告がそれだけで終わったようだったから、俺はつい、もたれていた背を起こしてしまった。
「ただの狙撃じゃな――いっ!」
またも手に激痛が走った。
ラメがたじろぎ、俺の手を優しく寄せた。
「急に動くとよくないです」
「わ、悪い」
想定外の負傷による焦りが抜けていないな。
ここは落ち着いて、安静に徹することにしよう。
「その怪我も、能力を行使した特殊な狙撃によるものなんですね?」
俺は「はい」と頷いた。静かに説明をする。
「相手が絶対に弾丸を撃ち込めない位置なのに、当たったんです」
射線を通さないように俺が移動を工夫していたのは、皆んなも理解している。最後だってどう考えてもミスはしていなかった。物理的に考えて不可能な弾を受けたんだ。
だからこれは……。
「弾に『ホーミング機能』を付ける能力……が、良い線行ってると思います」
ホーミング弾。敵を探知して追尾する。ゲームの世界ならありきたりなものだ。
けど、現実では少し違う。あれは電波を用いて敵の機体を追いかけるもので、俺という人間一人を追尾させることはできない。
にもかかわらず遮蔽物に隠れる俺を追尾する挙動を見せたヤツの弾丸は、間違いなく能力による後付けの機能だ……というのが俺の考察である。
「ホーミング?」
エルミアは耳慣れない言葉に戸惑いをみせるが、前二人は俺の言わんとすることを全て理解したような様子だ。
困っているエルミアとラメへ向けてホーミングの意味を教えたところで、冬立さんが疑問を呈した。
「だがお前に命中する以前から数発撃たれてはいたぞ。追尾の性質を付与できるのなら、既に一人くらいは蜂の巣になっている筈だろう」
それは俺も考えた。百パーセントの精度でどこまでも追尾できるなら確実に命中する。連続で四発撃つだけで俺たちは壊滅させられていた筈なのだ。
しかし実際にはそうならなかった。
精度は完璧じゃないんだ。俊敏に動けば躱せるし、寸前で物をぶつければ自分には当たらない。
そう断言できる証拠がこの手の傷。対象の設定が可能なら急所を狙えば一発で終わるし、もし足をやられていたら、俺の動きはもう幾分か制限されていた。
エルミアのファイアベールでガードできたのも証拠の一つになるだろう。
「……というわけで、ホーミングはするものの精度は低いのだと考えられます」
「なるほどな」
ってあれ? 紅宮さん?
ここは俺が解説する流れでは?
え、経験してない紅宮さんが解説しちゃうの?
「なんてことだ……」
誰にも聞かれないように呟いた。
いや、別に不満はない。こんなことで不満を言ってはいられない。
話が済むと、エルミアは座席から身を乗り出して後方に注意している。さっきの奴は狙撃手のくせに建物から建物へ乗り移りまくっていて、しかも結構な速さだ。
エルミアはもうその姿を発見しているらしい。俺もラメの治療に支障が出ないよう首を限界まで曲げて、エルミアの視線の先を見た。
「あれか」
まだ撃ってはこない。が、そろそろ来る。
狙いは……俺か? エルミア? 運転手の紅宮さん?
弾丸が誰を追うかはわからないが、位置関係がこのままなら弾道が最短になるのはこの後部の窓を突き破る道だ。ここさえ守れば次の負傷はない。
「ラメ、治療は後でいい。エルミアが車の外側をベールで守るから、お前はクリスタルで内側をガードしろ」
「わかりました……!」
車は依然進行したままだ。対して奴は動かない。
――数瞬後に撃つ。
「今だ!」
俺の合図でファイアベールと水のクリスタルが同時に展開された。
次の瞬間、窓がガシャンガシャンと割れた。
「うわっ!」
内側も守らせたのが功を奏した。
クリスタルに阻まれて俺に届かなかった弾は三つ。加えてガラスの破片も、座席後ろの荷物用の空間に落ちてくれた。
「が、ガラスが……」
「お気になさらず。窓くらい新調できますから」
顔を青くしたエルミアを思って、紅宮さんがフォローした。滅多に焦らない人だから本音は計り知れないが、少なくとも声音は言葉通りに平気そうだ。
「ナイスだぜ、ラメ」
「ありがとうラメちゃん」
ラメは褒められて素直に嬉しがっていた。
「でも……ベールは効かなくなったの?」
「いや、最初の一発は弾けた。時間差を付けて四発発砲されたせいだ……。残りの三発はベールが張られてから時間が空いて、ベールを『元からあった壁』だと認識した」
「なるほど」
車内と車外が繋がったことで、張り詰めた空気が流れ始めた。初撃は窓の活躍でクリスタルが無くともそれほどの痛手は出なかっただろうが、今度はそうはいかない。
身動きも取れないのだ。銃を凌ぐ速度でこの窓枠を死守しなければ、確実に急所を撃ち抜かれる。
「けど。あっちの攻撃が通るってことは、裏を返せば、俺らも攻撃を食らわせられるってことだ」
ホーミング野郎は度々物陰に姿を隠しているが、精度の悪さ故に対象を狙うときだけは顔を出す。また、俺たちから離れすぎてはならないという制約もある。
反撃する隙はいくらでも生まれるということだ。反撃を継続すれば、ホーミング弾を撃つのも容易でなくなる。
ラメには守りに徹してもらい、俺とエルミアで迎え撃つ。
高速に乗って引き離すまでの攻防だ。あと少しで乗れる筈だから、持ちこたえることはできる。
「これは……」
深刻そうな声が、運転席から聞こえた。
紅宮さん? 勝ち筋はわざわざ教えずとも彼なら見出しているだろう。どうして、まるで「負け」みたいな態度になっているんだ?
「まずいことになりましたね」
「まずいことになったな」
俺は声に釣られて前方を覗き、彼らが呻くほどに信じがたい事態に気付いた。
「渋滞……?」
俺たちは、とても高速へは辿り着けないだろうと絶望すべき、大量の車に溢れた道に差し掛かっていた。
第148話を読んでいただき、ありがとうございました!
次回もお楽しみに!




