第144話 平木野グループ②
平木野祈が放った衝撃の告白は、俺たちの思考をせき止めるのに充分な力を有していた。沈黙が居座る中、意識せずとも言葉は脳内で繰り返され、響く。
彼の一族である平木野家を牛耳り、本来の意思を捨てさせて従属を強制した異世界人・メイア。私怨は彼の中で根を伸ばし、それが今日の会合にも繋がっている筈なのだ。
だのに平木野祈は、恨むべきメイアを「好きだ」と告白した。至って真剣な表情で。羞恥心は無いようだった。その代わり、緊張の念が顔面に張り付いている。非難を恐れているかのように。
「好き……って……?」
開いた口が塞がらないまま、その仕事をしない口でエルミアが言った。俺は一足遅れてエルミアに便乗する。
「どうしたらそうなるんですか。メイアは……あなたの、仇敵みたいなものなんでしょ?」
平木野祈はたっぷりと息を吸い、落ち着いたペースを保って答えた。
「改めて言うまでもなく、そうだ。メイアは家族の仇であり、俺はそのためにお前らと手を組む。……だがな、好きなもんは好きなんだよ。なんでだろな……自分にも、よくわからないんだ。…………昔話をさせてくれ」
突然切り出された昔話を、敢えて拒絶する者は誰もいなかった。事情が全く掴めないが、しかしそれを知るには彼の昔話を聴くほかないと、皆んな理解しているのだろう。現在、彼が味方か否かは疑われていない。ただ、メイアに好意を寄せるということが不可解なだけだ。軽く頷き、昔話を始めさせた。
*****
あれは七年前――2013年のことだ。
平木野グループ現当主・平木野実の下に、ある訪問者が商談に現れた。親父は嗅覚とか観察眼に優れた人で、何かを感じ取ったのか、まだ幼かった俺を別室に送った。
連れられる時、商談相手の容姿があまりに衝撃的だったので、そいつを完全に記憶してしまった。
鮮やかなピンク髪に外国人みたいな顔や体型、左右で色の違う手袋、肩や胸元など複数の箇所が露出する艶かしい派手な服装。
ただ、俺はすぐに目を逸らした。
俺は女は苦手だったんだ。酷く虐められた経験が蘇って、まともに接することができなかったのさ。いいとこの坊ちゃんが調子こきやがって、みたいな、刺々しく悪いことばかり言って笑う生き物だと思ってた。
だからメイアみたいな格好の奴は余計に、怖くて見れなかったんだ。俺は問答無用で連れて行かれたが、不満は微塵も抱いていなかった。
聞き耳を立ててみた。すると、親父とメイアの話し声が絶え間なく聞こえてきた。最初は互いに静かで、普段と変わらない、普通の仕事の相談なんだと俺は思っていた。しかし時間が経つにつれ、商談は口論に様変わりしたんだ。
俺が聞き取ったのは、メイア側が多額の賄賂と、組織の拡大に活用できる力を提供するとの主張。そして、財閥から技術と資材を借りたいという主張。親父が反対したのも、鮮明に聞こえた。
得体の知れない奴らが親父を利用しようとしていることは、まだろくに勉強もしていなかった俺の心にも焦りと恐怖を芽生えさせた。
親父が部屋に入ってきた。
「……祈」
あの人はとても厳格で、いついかなる時でも自我を失わずどんな難しい局面も乗り越えてきた人だ。俺は親父を信頼していたし、大切にされていることが嬉しかったし、いつか親父みたいな格好良い大人になりたいとまで思っていた。
俺の憧れは、その時に目の当たりにした親父の姿で、失せてしまった。
恍惚の表情をたたえた親父なんて、死んでも見たくなかったのにさ。俺はショックで何もできなかったよ。言葉が出てこなくなって、それで……。
親父の背後に立つメイアへ、抗うことはできなかった。
不敵な笑みから、銃の形にした黄色い手から、その呪いは放たれた。俺は容易く撃たれた。
*****
後から考えりゃ、親父の所にメイアが現れた時点で、こっちに為す術は無かった。メイアは最初から一族全員を手駒にする予定だったんだ。まともに交渉する試みは、それ自体がほんの遊びという認識なんだろうな。
親父はメイアと彼女の後ろにある怪しげな教団に、恐れず対抗した。親父の勇気と判断は、メイアにとっちゃオモチャがピーピー鳴いているだけだったわけだ。
メイアの計画は、おそらくこんなだろう。
教団の基地建設と戦力増強のために、巨大財閥平木野グループを協力させる。まずは真っ向から交渉してみるが、取り合わなければ能力で従わせる。
だが財閥を自由に動かせるようになったメイアが表に出ず引っ込んだままじゃ、少々やりづらい。だから俺の許嫁ってことにして、偽名を使って社会に顔を出す。
教団の意向では、平木野の財と資源の供給が止まるのは避けたい筈。そこで当主を継ぐ俺の嫁になれば、子供を作ってあわよくば未来永劫関係を継続させられると踏んだんだろう。実際に、親父の命……もといメイアの命により、彼女は俺の許嫁の地位を得た。
ここで一つ言及しときたいことに、親父は操られつつも息子思いだったってのがある。愛するメイアの要望とはいえ、そう易易と俺とくっつけたくはなかったらしい。
じゃあどうして許嫁になれたかというと、俺の女性不信が理由だ。親父も俺の女性不信には頭を悩ませてたんだ……。
メイアの虜になり、日々彼女に可愛がられているうちに、女性への不信感は薄れていった。学校のクラスメートとも元のように会話できるようになった。その恩を汲んで、親父は認めたのさ。俺とメイアの、将来の結婚を……。
恩を受けたのは俺も同じだった。
女性不信を治してくれたのは、最悪の経緯とはいえ今でも感謝している。当時の俺としては大好きなメイアが欠点まで除去してくれたんだから、大層喜んだもんだよ。愛情はより一層強くなった。
そうして暮らしていたから、生まれてしまった。俺の心にな。能力なんて関係無い。本当に心の底から俺は……メイアのことを愛するようになった。ある日その気持ちに気付いた時、俺はぱちりと目が覚めた。
メイアの暗躍と一族の人間としての失墜を、その瞬間に悟った。メイアを憎むようになった。
*****
「……それで、なんとかしてメイアを追放しようと画策を始めた。その一環で何度かSNSに投稿する写真に、腕のマークがしれっと写るように小細工をしていた」
平木野祈はそこで一度言葉を切った。
俺は静まった時間を利用して、話を整理した。教団と財閥の接点、経緯、メイアの立ち回り、平木野祈がメイアに好意を抱いた理由。
途中で邪魔が入った。
「何を平然と黙っている」
びっくりして声の方を向くと、冬立さんが鋭い眼光をこちらに突き立てていた。彼女は以後俺を無視し、平木野祈に向き直る。
「霊戯と知り合ったのはその時か」
やっと思い出した。
最初のメールで、霊戯さんは写真がどうのこうのって書いていた。鏡奈舞の黄色いマークを目撃した霊戯さんは、平木野祈の小さな叫びを敏感に受信したんだ。
「その通り。十八日、霊戯さんはまずダイレクトメッセージで連絡してきた。君の腕の痣に心当たりがあるってな。運命だと思ったよ……」
十八日……そうか。
霊戯さんはきっと、以前から平木野祈と彼の痣の存在は認知していた。ただ鏡奈舞のそれとの関連性を掴めていなかったから、連絡はしていなかったんだ。
この間起きた事件で関連を確信し、同日中に平木野祈と接触。協力を約束した。
「……とにかく、事の経緯はわかりました。他には何かありますか?」
「いや、ない。ここからは……打倒メイアの作戦を考えよう。……と、その前にドリンク補充してくる」
彼は自分と俺、エルミアのコップを手に取り、ドリンクバーに向かうべく部屋を出ていった。待機するのはいつもの四人。平木野祈がいない分、肩の荷が下りた。
長い話が一区切りし、疲れがどっと押し寄せる。俺は疲れを体外へ逃がすように溜め息を吐いた。
「はあ……。……それにしてもまさか、メイアの影響がこんなに大きいとはな……」
疲れを癒すために飲食したいところだけど、あいにくドリンクは無い。注文するわけにもいかない。なんてことだ。
「うん。それに無関係の人まで巻き込んで、祈さんの弱みに付け込むのも許せない」
とエルミアが言う。
俺は首を縦に振って同意を示す。
「無制限に勢力を増やせるのが厄介なところだな。……しかも奴の能力は私好みじゃない」
冬立さんは腕を組み、淡々と感想を述べた。この人はクールな堅物に見えて意外と感情的だ。顕著なのは怒りや嫌悪で、言動に反映されやすい。メイアには今のところその二つの感情しか抱いていないというのもまた、短い付き合いである俺の目にも明らかなこと。俺は何も言わずに、彼女の過去を偲んだ。
「冬立さん……」
ラメは俺より数ヶ月先に冬立さんと出会っている。多分ラメの方が冬立さんには詳しい。常日頃俺や霊戯さんに厳しい評価を下す冬立さんだが、今回の怒りは普段のそれともまた違うものであることを察したのだろう。
そういえば冬立さんは後悔の話をラメにはしているのだろうか。してないか。ラメには刺激が強いし、それこそ堅物として振る舞いたい冬立さんは、自ら弱みを打ち明けることはしないだろう。
「ん……気にするな。ラメは目の前のことにだけ一生懸命になればいい。メイアは強いぞ」
一際優しく、堅いところと忘れない助言。やっぱり冬立さんは感情が表に出やすい。
しかしラメは、冬立さんの言葉に同意しなかった。
「それは……できません」
珍しく強い口調で反論したラメの効果で緊張が走る。
どこからともなくパキパキという音がした。
「あっ」
思わず声を漏らすラメ。
麦茶の一部がクリスタル化していた。ある程度の水分量を満たしていれば余計な物が混じっていてもそこだけ避けてクリスタルにできるんだな。
「…………水沢さんのことを忘れるわけにはいかないです。私が、命を奪った分…………頑張らないと……! それに霊戯さんのことだって……!」
かつてヴィランのもたらした混乱により、ラメは水沢吉という仲間を手にかけてしまった。水沢さんを慕う後輩である古島さんとは和解したが、代わりにラメは失わせた分の努力をすると誓った。
ラメの心に俺は感動した。ラメは俺よりずっと幼いのに、勇ましい。
「ラメちゃん……」
エルミアは胸の前で手を握り、同様にラメを思っていた。
冬立さんはというと、
「……そうだな、悪かった」
と言い、腕組みを保って目を閉じた。
冬立さんには今の、刺さっただろう。
俺はそっと、エルミアとラメに察されないように言う。
「冬立さんだって乗り越えられます」
「……わかっている」
彼女は左目だけ小さく開き、キョロキョロさせながら付け足した。
「気遣いに礼は言わないからな」
「でしょうね」
ほらまた感情出てる。
暫く無言の時間が流れ、エルミアが前傾して俺を見た。
「そういえば泰斗君の新兵器、メイアには有効かもね」
軽快さと可愛さと賛美の合体したエルミアの声に、俺は癒された。ドリンクや料理なんかより、こっちの方が疲れた心身には効く。
「だろ? 長射程は強いんだ」
「別に射程が伸びたわけじゃないけどね」
時に胸に突き刺さるのも、美少女の特性。俺は憎まないぞ。
その何秒か後、平木野祈が戻った。
「待たせたな。さあ、会議を始めよう」
彼は持ってきたばかりのコーラを三分の一くらい喉に流して一服した。俺もつられてアイスコーヒーを飲む。これはこれで効く。
腕を組む姿勢を解かない冬立さんは、中々切り出さない平木野祈に指摘した。
「既に策を用意している風だな」
「当たり前だろ。何せお前らとメイア達、双方の内情を把握してる唯一の人間だ。ここは俺が策するのが筋ってもんだ」
冬立さんは彼を認めたのか小さく頷く。
日本トップレベルの経営者の息子は、物事の道理というのもよくわかっているのだろう。
「……先に聞いておきたいんだが、そっちの……エルミアとラメスティだったか」
「あ、ラメでいいです……」
「そうか。じゃあエルミアにラメ、君らがどのくらい戦えるのかを教えてほしい」
まずは戦力チェック。大事なことだ。
先にエルミアが回答する。
「私は火属性魔法を主に使います。……どのくらい……うーん……」
エルミアは悩んだ。異世界はゲームのようにステータスやレベルが数値化されるわけではない。自分の戦闘を全く見たことのない相手にどのくらい強いかを正確に伝えるのは難儀だろう。
そこで、いっそのこと出自を明かすという方法を思いついた。俺は横から口を挟む。
「もう言っちゃえばいいんじゃないか? 国のこと。そうした方がわかりやすいだろ」
「確かにそうだね」
エルミアは首肯し、平木野祈を前に畏まる。
「実は私、エルリスという異世界では大きな……魔法王国という名を持つ国の次代女王なんです」
当然、平木野祈は固まった。
そして信じられない自己紹介に対するハテナを吐き出すように、大仰に驚いた。
「……は?」
なるほど、思惑通りこれが一番手っ取り早いな。
俺はアイスコーヒーを飲んだ。
第144話を読んでいただき、ありがとうございました!
次回もお楽しみに!




