第143話 平木野グループ①
俺は三人分のドリンクを二つの手で持った。油断したが最後、アイスコーヒーと麦茶は真っ逆さまに落ち、俺の足元はビチャビチャになるだろう。
平木野祈も自分と冬立さんの分のドリンクを注いでいる。お互い詮索はやめにした。俺としては、平木野祈が「黄色い痣を与える支配者」の影響に執着する理由はこれから本人により語られるであろうことは分かっている。先駆けて聞く必要は無い。
彼とて、四日前に人を亡くした俺に故人の最期を問い質すほど、節義を欠いてはいないだろう。霊戯さんの死に「黄色い痣を与える支配者」が関与しているのではないかという彼の疑念に対して、「少しだけ。でも直接じゃありません。だから気にしないでください」と答えると、彼は黙った。
まあ、透弥や咲喜さんなら、気にしないということはないだろうけど。
ところで、平木野祈の指摘は、彼の執着心を抜きにしても俺たちの非情な態度を的確に突いたものだった。確かに俺たちは霊戯さんの死について冷めている。
何故だろう。エルミアなんかは、命のやり取りが平気で日常に入り込むような異世界で育った。それも王族で、殺伐とした場面に幾度となく遭遇し生きてきたことは容易に想像できる。
なら俺はどうだ。のほほんと生きてきた人間だ。命のやり取りというものも、経験したのはここ何ヶ月かの話で、慣れるものでもない。
霊戯さんに言いたいことは沢山ある。どうして自殺なんて、とか、よくも透弥たちの両親を、とか、抱く感情も色々だ。どうして助けられなかったんだ、と自責をすることもある。
彼の人間はどういうものだったのか、未だ結論は出ない。結局俺は彼のことが好きだったのだろうか。一度は号泣したくらいだし、そうなのかもしれない。そうではないのかもしれない。
もしかして俺は、冷めているのではなくて、霊戯さんの死を完全に受け入れ、自分の気持ちを整理できていないだけなのではないだろうか。
そう考えた。
*****
カラオケの扉は重い。
両手が塞がった状況で俺は、腕でドアノブを下げ、肩で押し開いた。
三人のうちの誰かが歌ってたりでもしたら面白かったのに、彼女らは清楚にもソファーで落ち着き、あくまで待機していた。
「遅いぞ」
冬立さんは開口一番、俺を叱責した。不快だけど、事実だ。怒られても仕方ない。
俺は適当に頭を下げながら、元の場所に座った。その向かいに平木野祈が、コーラを飲みながら腰を下ろした。
「遅くなって悪かった。さあ、本題に入ろう」
全員が頷くのを確認して、彼は腕をテーブルに置いた。
それを境に、彼の雰囲気は一変した。目つきや口元に変化は無い。オーラという呼称が正しいのか分からないが、とにかく急変したのはそれだった。
いや、思えば彼は、ずっとこうだった。ツンデレの話をしている時だって、目の奥に不安が見えていた。本題に入るということで、上機嫌なように取り繕う必要性が消えただけなのだ。
「メール、見たんだろう? 霊戯さんの口からどれくらい説明されたのか知らんが、それで大体の事情は把握してる筈だ。……改めて説明しよう」
日本の様々な企業を傘下に置く、財閥・平木野グループ。それは教団と裏で繋がっていて、基地の建設やシステムの製造・管理に携わっている。
そんな平木野グループはある異世界人に支配されている。言うまでもなく教団員で、何か特殊な能力を持っている異世界人だ。因みにソイツは、透弥と咲喜さんの母親である鏡奈舞を操り、霊戯さんに彼女を殺させた元凶でもある。
目の前に鎮座する平木野祈もまた、その異世界人の術を受けたようで、黄色い星型の痣が残っているらしい。
メールでは、その異世界人には誰かに誰かを好きにさせる、という能力があると書かれていた。俺たちのした推測まんまだ。
ソイツは能力を駆使し、平木野家や傘下の企業の重役などを操っているのだという。
その通りの説明が、改めて語られた。
「自慢は趣味じゃないが、うちは巨大な財閥……いくつもの大企業を手駒にする権力がある。件の異世界人はそれをいいことに、『恋心を操る能力』で親父や他の血縁、傘下の企業の重役なんかを手中に収めた。
具体的にどうやったかというと……だな。好きになる相手を自分に設定することで、その強力な精神操作で自分の思い通りに行動するようにしちまったわけだ」
「つまり平木野家は今、その異世界人にゾッコン、ということか」
冬立さんの問いに、平木野祈は首を縦に振る。
言葉だけだといまいち分からなかったが、冬立さんの要約で理解できた。
財閥を操る仕組みまでは、前情報にも無かったな。
驚きが顔に出ていたのか、平木野祈は不思議に思うような仕草で俺たちを見た。
「……あれ、霊戯さんから聞いてなかったのか」
「はい。メールにもどうやって財閥を支配してるのかまでは書いてなかったので」
「……そうか。……霊戯さんの理解が速すぎて、詳しく説明せずに終わっちまったからだな……」
能力の概要から、財閥の状態まで考察し、見事的中させる。……うん。霊戯さんのやったことなら、何もおかしいことではないな。
平木野祈はコーラを一口飲み、唇を舐めてから話を再開した。
「まあ、そういうことなんだ。教団の基地とかいうのも、建設会社や工場の人間を操って手伝わせたんだろうな」
彼は一度、言葉を切った。
暫く発言はなかった。場の空気が張り詰めたように感じられる。ごくり、と唾が喉を通る音が、何にも掻き消されず明瞭に聞こえた。
事態の深刻さが予想を大きく超えていたからだろう。
というのも、俺たちの認識では、教団のボス・通称預言者は対象の魔力を利用して洗脳をする。つまり魔力を有する異世界人のみが洗脳にかかるのだ。逆にこっちの世界の人間は、相当騙されやすかったり恐喝されたりしない限りは、信者にはならない。
故にこっちの世界の人間が教団の手に落ちることは、殆どない。そのつもりでいた。
なのに平木野祈の話によれば、こっちの被害もかなり大きいということになってしまう。教団員の異世界人のことを好きになり、ソイツの意のままになるなら、当然思想も植え付けられる。
被害者は推定して……何人だ。平木野家の人間に、日本の大企業の幹部、そして工場で働く人々。数百人か、四桁か五桁を超える可能性も否定できない。
そこで思い付くのは、支配された被害者たちを救う方法だ。
「じゃあ……。元凶の異世界人を殺せば、その人たちは元に戻るのか……?」
平木野祈は目を剥いた。その後少し考える動作をし、一層低い声で答える。
「…………わからん。他に治す方法があるのかどうかもさっぱりだ……。だが、あいつを倒さなきゃどうにもならないのは、間違いないだろな」
アイスコーヒーを飲む。コップを置いて吐いた息は、殆ど溜め息になっていた。
「…………まあ、その話は一旦後回しだ。次に話したいのは……お前たちも気になってるであろう、俺の痣のことだ」
そう言うと平木野祈は、左腕を捲った。肩の少し下の辺りに、黄色の星型の痣が現れる。
よく目に収めるために体が前のめりになっていた。痣から目を離さずに、背を背もたれにつける。
「これが、痣だ。……痣、というより、アイツの能力を受けた証だな」
彼は袖を戻した。
「それと、アイツの能力はこれだけじゃない。『好きにさせる』ことができるなら、反対に『嫌いにさせる』こともできる。その場合、痣の色は黒になるだろう」
なるほど。じゃあ例えば、仲間割れさせることもできるってことだ。メインは黄色の方の能力だろうけどな。
一応、これも警戒しなければならない。
平木野祈は鞄に手を突っ込んでゴソゴソと中を探り出した。そして出てきたのは手帳。さらにその中から、挟まっていた一枚の写真が取り出された。
彼は写真を俺たちに見せつつ、言う。
「いちいち代名詞を使うのもアレだ。名前を教えよう」
写真には鮮やかなピンクの髪に、エルミアやラメよりも西洋顔……もとい異世界寄りの顔を持つ妖艶な女が大きく写っている。
「メイア・エロース、それがコイツの本名だ」
こいつがメイア。うん、覚えた。これで名前と顔は一致したと思う。しかし、俺は違和感を抱いた。同時に顔を上げたので、冬立さんもそれを感じたのだろう。
「本名って……」
「ああ、メイアには――
「偽名があるんだな。財閥に紛れこの世界で生活する都合上、名前に余計な疑念を抱かせないためか」
平木野祈は眉を八の字に曲げ、不満をあらわにした。
出鼻を挫かれた、とはこういうことだ。
「俺の言おうとしたこと全部言うんだな。……まあ、つまりそういうことだ。メイアは射手愛っていう名前で生きてる」
「ってことは、メイアじゃ通じないのか」
「大半の奴らにはな。ただ、親父とかメイアに近しい人間は本名を教わってるから、公的な事を除いては本名で呼んでるよ」
把握した。
平木野祈は「そんでな」と言い、写真を指して注目を集める。指先は、写真の下の方の隅を向いていた。その部分をよく見ると、メイアが手袋を着けているのがわかった。
「右手に黄色の、左手に黒の手袋をしてるだろ。メイアの能力は、ここから放たれる。手をこう、銃を撃つみたいにして」
親指を立て、人差し指を前方にぴんと伸ばすジェスチャー。平木野祈のそれは、控えめで稚拙だった。いや、手で銃を作るのに上手いも下手もないだろうけど、とにかく嫌そうに見える。
「……つまり右手で撃たれれば誰かを愛させられ、左手で撃たれれば誰かを嫌わせられるわけだ。異能っていうと何かしらの制限があるのが定番だが、実際あるのか俺は知らない。ただ判明してるのは、メイアが手を動かしてさっと人差し指を向けられたら、ほぼ死んだみたいなもんだってことだ。お前らも気を付けてくれ」
息を飲み、大きく、言葉を噛み締めるように頷いた。
能力っていうのは、異世界では「宝能」と言われるアレなのか。因みにエルミア曰く、異世界では特別な力のことを「宝」と表し、名詞の前に付けたりするので異能力も「宝能」らしいが、それは今関係無い。
宝能を持つ敵とは一度戦ったことがある。植物を自在に操るヴィランだ。あいつも結構好き放題に植物を振り回したりしていた。
そう考えると、指で「バンッ」とやるだけで完全に相手の恋心を支配してしまうというのも、そこまで驚異的とはいえないのだろうか。いえる気もするけど。とにかく警戒は必須だな。メイアや教団に服従なんて真っ平御免だから。
「……」
顎に手を当てて記憶を探るように目を瞑るエルミアがいた。あんまり唸るので、俺が尋ねよう……としたら、ラメに先手を取られた。
「どうしたんですか?」
エルミアは我に返ったように目を開く。
「……この、メイアの見た目……書物で見たことがある気がして」
それに最初に反応したのは平木野祈。彼は身を乗り出すようにして質問した。
「どういうことだ!? 異世界じゃあ、メイアは有名なのか?」
「そ、そういう意味じゃ……」
たじろぐエルミア。
俺と冬立さんが同時にフォローに入る。
「落ち着け。書物とは、図鑑のことだろう?」
「え?」
「だよな、エルミア。この耳とか……」
メイアの耳は尖っている。ファンタジー作品に照らして考えると、これはエルフや悪魔のような、人とは種の離れた存在を思わせる。
「うん。それにこの目元とか歯も加味すると……多分、サキュバスです」
平木野祈は、またも驚きに目を見開いた。
「メイアが……サキュバス!? んなの本人の口から一度も……!」
「サキュバスって、男から精力を吸い取る的な……?」
奥の女子二人が反応に困ったような表情に、そして手前の、女子からは脱却した人が心底嫌そうな渋面に変貌した。
女子らは清楚ゆえの反応だろう。でも冬立さんは何故だ。そういえば性的なことに関して前にも厳しく当たられたような。
……昨夜の、あれか。
冬立さんの恩師は性暴力により人知れず殺された。
不純なものを嫌悪するのは必然か。
「……まあ、そういう感じの魔物だね。でも祈さんは、特にそういうことはされてませんよね?」
「ああ」
「……なら、良いんですけど。……あ良くない」
安堵の空気は一瞬だけ顔を出したが、どこかへ去っていった。思い出したように危惧するその言い方が、何よりも一番恐ろしいのだ。
「サキュバスは生命力や治癒力の高い種族です。メイアがサキュバスの中でもどの種に属するのかにも依りますが、一筋縄では倒せないかもしれません」
メイアの情報が追加される毎にメイアがどんどん強大で脅威的な敵として印象付けられていく。平木野祈という内通者が手を貸してくれるとはいえ、今まで以上にきつい戦いになることも予想できる。覚悟が必要だ。
……ん、待て。大事なことを忘れている。
平木野祈はどうして、メイアに操られていない?
「……なら、余計ちゃんと計画を練らないとな」
彼はコップの半分くらいまで残っていたコーラを飲み干し、大きく息を吐いた。
「…………なあ」
俺は思い切って声をかけた。
「そういえば、まだ教えてもらってないよな。どうしてお前が、メイアに支配されていないのか」
平木野祈はその問いに特別驚いたりはせず、至って冷静に、コーラの効果もあるのか落ち着いた態度で返した。
「だな。話そう。何故俺だけ能力を無視できているのかを。…………俺の憶測だがな、メイアの能力は、決められた相手に決められた感情を、能力に依らずに抱くことで解除されるんだ」
聞いてすぐには、意味を充分に理解できなかった。
たった数秒前に彼が言い放った内容を、脳内でリプレイする。そして言葉を飲み込んでいく。
その作業が終了した瞬間、俺は、他人に撮影してもらわずとも自分の顔が青くなったのを感じた。
つまりそれは。メイアが能力により植え付けた感情、「平木野祈はメイアを愛する」。
それを打ち消す感情とは。
現に彼がメイアの支配から逃れていることと、他に要因が考えられないことが証明する結論とは。
「つまり、だな。俺は……」
口が開かれる。
「俺はメイアのことが好きなんだ」
店内に響く音楽が、静寂の中で騒いでいた。
第143話を読んでいただき、ありがとうございました!
次回もお楽しみに!




