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異世界ヒロインが現世に召喚された話  作者: みたろう
第四章 愛の弾丸編
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第140話 ココア②

 時刻は零時を回った。リビングは窓から注ぐ月明かりでぼんやりと青白い。


 ただならぬ緊迫の空気に気圧され、目を落とすと、混ざり切っていないココアがある。ココアの表面は凪いでおり、無感情に静止したその姿もまた、言い表すことのできない緊張を誘う。


 緊張をほぐすべく、俺はスプーンで掻き混ぜた。浮いていた粉は消え、全体の色が茶に近付いた。


「……覚えてますか?」


 片腕をテーブルに置き、窓の方に体を向けていた冬立さんは、俺の一言で顔だけ向き直った。


「ラメが寝込んだ日。エルミアのトラウマ呼び起こしちゃった時のことです。……冬立さん俺に言いましたよね、後悔にはあんまり触れようとするな……って」


「……そんなことも、言ったかもな」


 文字に起こすと無関心さが表れた発言だが、語気は弱く、負の感情、特に辛さや悲しみが漏れ出しているように感じられた。


 予想はしていたが、やはり冬立さんにも秘められた過去があるのだろう。霊戯さんの件にも匹敵する、惨たらしい何かかもしれない。

 俺は対応して声色を少し穏やかにして続けた。


「引っ掛かったのは、それです。冬立さんにも後悔があるんだと思って……。聞かせてください。支えになりたいんです! 冬立さんだって、大切な仲間だから……」


 冬立さんの目が揺らいだ。

 すぐに、彼女の全身はこちらを向いた。


「……その話をする前に、一つ。……これから柄にもない台詞を言う」


「え? は、はい……」


 彼女はもどかしそうに目を逸らし、そして予告通りに発言した。


「今少し嬉しかった」


 これは正直、予告通りすぎだ。

 何秒か、俺は硬直していたと思う。

 あの淡白で堅物で日常的な対話も存分にできない冬立さんが、俺の言葉に喜んだ? それも面と向かって、率直に?


 有り得ない。有った現実を受容できない。

 いや、これは受け入れるべきだ。感謝されたんだぞ。

 ここは「どういたしまして」とか「ユアウェルカム」という態度を示すべきだ。


「随分と! ムカつくリアクションをしてくれるな。わざわざ前置きしたのに、恥を忍んで言ったのが分からないのか」


「あっ……ああ、確かに……。ごめんなさいっていうか、どういたしまして?」


 って何口走ってんだ俺は。動揺し過ぎだ。

 冬立さんの恥辱に拍車をかける気か。


 とはいえ、彼女の新たな一面を見れたのは収穫だな。

 無論、ギャップ萌えはしない。


「はあ……追い討ちか、呆れたな」


 緊張はすっかり消し飛んでいた。

 長い間が置かれ、熱は冷めていく。


「脱線したが、本題に戻すぞ。私の後悔……だな」


 カップに目を落とし、パウダーがミルクと分離したまま放置されていることに気付くと、冬立さんはスプーンを摘まんだ。


 彼女はそのまま、掻き混ぜずに再開した。

 すぐに表情が穏やかでなくなる。

 瞳が虚ろに見えた。

 同時に光を反射して煌めいているのが印象的だ。


「…………あれは……十三年前か。いつの間にか昔の出来事になってしまった」


 十三年前なら、冬立さんはまだ高校生か。


「当時、私は担任だった化学教師と仲が良かった。とても優秀な人でな……教え方は勿論、生徒への支援も、クラス全員が認めるほどだった」


「……良い先生だったんですね。俺、この先生好きだなーとか、そういうのありませんでしたよ」


「私もそうだった。彼女に出会うまでは」


 女の人か。化学というから白髪ボンバーを想像していた。


「友人関係とか、進路とか将来……何度相談したか分からない。恐らくそういう生徒は他にもいただろう……にも拘わらず、彼女は一度だって不満を零さなかった。いつも寄り添ってくれたし、レポートも毎回褒めてくれたよ」


 口伝だと好感度が青天井だな。でも、口ぶりからして脚色の無い真実なんだろう。温かい昔話だ。

 ところで、恩師を尊ぶ割には表情が暗い。不穏だ。


「……そんな彼女を見ているうちに、科学者に憧れを……いや、これは少し違うな。彼女と同じ道に進みたいと思うようになった」


「それが……冬立さんが科学者になった理由」


「違う」


 穏便に否定された。

 認識の相違を修正したいが、それはこれから説明されるであろうことは明白である。

 俺は傾聴に専念することにした。


「新たにできた夢も、当然彼女に伝えた。その時の彼女の喜色をたたえた顔は、今でも鮮明に覚えている」


 冬立さんの口角が、微かに上がった。

 それは一瞬の変化で、回想の光景と彼女の胸中を想像する間に、険しい表情へ戻ってしまった。


「だが……ある日、事件が起こった」


「……!」


 鳥肌が立った。不吉な言葉を聞き取った。

 最初から予想はついていた筈だ。なのに、耳を塞ぎたくなる。

 しかし、掘り下げたことを後悔してはいけない。冬立さんに申し訳ないとも思ってはいけない。

 冬立さんは嫌々打ち明けているのではないのだから。

 その代わりに、気持ちに応えなくてはならない。

 そして俺の行為が後悔すべきものか評価するのは、今ではない。


「ある放課後、買い物に出かけていた時だ。路地裏に引っ張られる先生を目撃した」


 路地裏といえば、いじめやリンチの典型的な犯行現場じゃないか。

 誰かに引っ張られているということは、暴力が始まった直後の出来事だろう。放置すればどうなるか分からない。


「犯罪に巻き込まれているのは明らかだった。相手の姿は見えなかったが、このままではまずいとは思った。……泰斗、こんな時お前ならどうする?」


「えっ。俺……ですか?」


 突然の問題に戸惑いながらも、俺は答えを出した。


「……ええっと、助けま……いや、警察に連絡すると思います」


「……だろうな。自分一人で助けに行く選択か、周囲の大人や警察に救援を求める選択が望ましい。…………そう……その筈だった」


 冬立さんは歯を食いしばり、強く握った手でテーブルを叩いた。

 振動はカップの中のココアまで伝播し、その表面を揺らす。


「…………私は……どうしたと思う? …………何もしなかった」


「は……」


「反撃や逆恨みを恐れて、誰かに通報することさえしなかった! 目の前で大好きな人が襲われるのに……私はっ……保身に走った! 勇気がなかった!」


 無造作な叫びが繰り返され、やがて一時の静寂が訪れる。


「……明くる日の朝、登校直前にテレビのニュースを見た……。先生の名前が載せられ、都内で性的暴行、被害者女性は死亡、昨晩遺体発見……」


 俺は自分が身震いしているのに気が付いた。双方がそうしていた。時間は不快な沈黙に突入したが、俺の立場で言える言葉は無い。故に、沈黙を沈黙として味わうしかなかった。


 後悔の正体は明かされた。

 要するに冬立さんは、怖気付かずに庇えば愛する恩師の命を救えたのに、それをしなかったことを悔いているというわけだ。

 なんとも残酷な話だ。確かに俺は、実際にそういう場面に遭遇したら、助けると答えた。しかし万人がその選択をできるわけではないし、実際怖い。

 そんなごく自然な、生存本能的な感情に左右された結果、大切な人を失うとは。別の選択肢を採っていれば、大切な人を守れたという事実を突き付けられるとは。


 時計はカチカチと定まった間隔で鳴り続け、沈黙を弄ぶ。段々と、体が冷えていくのがわかる。

 その不埒な時間の流動は、一人の来訪者の手によって崩された。


 それは、廊下の奥、壁に遮られて見えない場所からの足音だった。不確定なリズムで、ふらふらとした足取りで。


「……あれ? 冬立さん……泰斗君もここに居たの」


「エルミア……」


 久々に発声して唇の乾燥を察したが、俺はエルミアへの対処を優先させる。


「物音がしたような気がして目が覚めたんだけど……。何分か待っても泰斗君戻らないから、咲喜さんたちのとこ突っ込んだのかと思って心配したんだよ」


 そう言って彼女は眉を八の字に曲げた。

 まあ俺ならやりかねない行動ではある。流石に付き合いも長くなってきて、俺への理解度も上がってきているな。

 しかし昼間に叱られたばかりだ。俺にも節度はある。


 ただ、考えてみればほぼ同じことをしている最中だったな。寝床を出た目的とは一致しないが、結果的に俺は、エルミアの言うそれをまさに実行した。


 無知なエルミアに対して、沈んだ感情を隠し通すのは難しいが、彼女まで介入させるわけにはいかない。

 俺はなんとか笑みを作って言う。


「流石にやらないから安心しろ。偶然目が覚めて、飲み物飲みに来ただけだ」


「そっか。なら良いんだけど……」


 まだ不安が拭い切れないのかエルミアは部屋を覗き込むが、二人分のココアが置かれたテーブルは、俺の説明したことと矛盾しない。やけに落ち込んだ冬立さんが居る点を除いては。


「冬立さん……どうかしたの?」


「あー、えっと…………ココア論争?」


 エルミアは納得したらしかった。

 おやすみとだけ言い、エルミアは寝室に帰った。


 先刻の雰囲気は嫌だったが、雰囲気が崩れるのは、それはそれで気まずい。


 そこで冬立さんから声がかかった。


「私には……勇気がない」


 向き直る。

 そして、何故だか、彼女が次に何を言うのか詳細に予想することができた。


 俺には……いや。


「お前たちには、勇気がある」


 俺にこの場限りの予知を与えたのは、霊戯さんとの体験の記憶だった。

 霊戯さんは最後も、俺を「強い」と評価した。また自らを「弱い」と言い切った。後悔による劣等感は、優等な人物と自分との比較によって増幅されるということだ。


 そういえば、エルミアも過去に、勇気を出せなかったために姉を半ば失った。姉であるエルトラの視点で映るその記憶は冬立さんも見たし、二人が和解する一部始終も観察していた。

 あの時のことも、冬立さんを苦しめる一因となっているのかもしれない。


 またも、返す言葉を見失った。

 冬立さんにしたら、俺は優等な人間だ。そんな人間の、下手で思慮を欠いた台詞は、何よりも刺さる。励ましたいが、この立場だからこそ、言葉を慎重に選ぶ必要があるのだ。


 冬立さんは自嘲するように、乾いた笑いを始めた。


「はははっ、霊戯のやつも馬鹿だ。こんな私に、子供らを託すとはな……。『よろしく』などと勝手に……」


 あの人はそんなことを言っていたのか。


「あいつは飄々としていて物怖じしないからな。……私は、そんな風には振る舞えないし……ずっと臆病だ。保護者役など……務まらない」


 彼女のココアが、掻き混ぜられ始めた。摘ままれたままで静止していたスプーンは動き出し、茶が白に溶け出していく。


「でも」


 俺は声を上げた。


「冬立さんは……まだ諦めていないんじゃないですか?」


 指摘され、一度振り返り、そして視線をココアへ戻す。


「……そう、だな。人格を修正しようとは、している。実際、ラメを拾った理由にはそういう側面がある。だがな……大事なところで、私は結局逃げると思う。また大切な誰かの生死を決定する場面に直面したら……その時は私は逃げるだろうと、はっきり分かる……自分のことだからな」


「……どうせいつか逃げるって気持ちが、常に付き纏っているんですか?」


「ああ」


 トラウマによって将来の失敗を確信してしまい、それに怯えて生きる人生、か。

 「人は変われる」みたいな文句が綺麗事だと叩かれるのは、よくある話だ。そういうネットユーザーが声高に叫ぶように、立志すれば叶う、という簡単なことは俺もないと思う。


 だとするなら、冬立さんが心配するように、重大な失敗やトラウマの再現は必ず訪れる。更生が叶う前に。

 でもそれは、「人は変われない」ことを前提に生きた場合だ。変わることがどれだけ至難でも、不可能を前提にしてはならない。

 つまり諦めることは間違いだということだ。冬立さんは俺の指摘を肯定し、努力はしていると答えた。俺は彼女の口振りに、もう諦めてしまいそうな儚さを感じたが。これは、このまま行けば、取り返しがつかなくなるのかもしれない。


 あの人のように……いや、これは考えるな。思い出さずとも、十分胸に刻み込まれてるだろう。取り返しのつかなくなった人の姿は、想像するだけで息が苦しくなる。


「俺は……」


 口に出そうとしたことを、再確認する。

 してから、早足で席に戻り、言葉を続ける。


「俺は……辛いかもしれないですけど、諦めたら終わりだと思います。冬立さんが望み薄と感じるのでも、それでも成長を放棄したら、また分岐点に差し当たった時も、同じように放棄して…………逃げるんだと思います」


 冬立さんの眉がぴくりと動いた。

 刺激してしまったかと、俺は硬直しかけた。


「…………敏感だな」


「えっ?」


「ふと諦めてしまえばと……浮かぶことがある。特にこうやって話したりしているとな。……成長の放棄はトラウマの再現。その通りだ」


 そう言いながら、冬立さんはココアを混ぜる。

 窓から注ぐ青白い光に照らされ、二つの色が段々と一つになっていくその様子が、実に意味深に映る。


「私の精神にあるのは、二つの恐怖なんだ。身を害する事物への恐怖と、失敗への恐怖」


「……失敗への恐怖は、例の事件以降に生まれた感情ですよね。……なら、その恐怖を味方につけることはできませんか?」


「できれば良いな。できれば、それを勇気に変換できる」


 次の言葉が思いつかない。

 そんな時、冬立さんが立ち上がろうとした。


「カーテンを閉めよ……」


 ガタリ、と彼女の脚がテーブルと衝突した。

 当たる強さが悪さをしたようで、彼女の前に置かれたカップが揺れ、倒れた。


 多量のココアが零れ、カップは転がり、テーブルの領域を出る。カップは残留するココアと共に落下し、床に触れると、派手な音を立てて割れた。


 不幸中の幸いと言うべきか、熱々のココアやガラスの破片は、俺らを襲わなかった。


 突然の事故に、一瞬固まった。


「……すまない」


 感情の無い声で呟くように言うと、冬立さんはキッチンの上にあった布巾を取り、カップの破片を拾い始めた。


 冬立さんといえば弩級ココア愛好家。これから飲むところだったココアが、一杯とはいえ廃棄せざるを得なくなったというのに、あまりに無反応すぎないか。俺はその意外さに唖然として、行動が遅れた。


「俺も手伝いますよ」


 はっきりと発音し、もう一つの布巾を手に取って飛沫を拭く。


「…………これは霊戯さんの受け売りなんですが」


「うん?」


 冬立さんは顔を上げ、興味を示した。霊戯さんの言葉だとわざわざ言ったところに、彼女の心が無条件に反応したか。


後悔は増やさぬもの(・・・・・・・・・)、です」


「…………」


「…………冬立さんには、まだ頑張ろうって気持ちが残っている。……でももし後悔が増えたら、その気持ちの変化を、俺はどうにもできません」


 布巾を動かす手が止まり、冬立さんは一度俯いた。


「…………」


 俺は沈黙が終わるのを待つ。


「…………私は……勇気を出せるようになりたい」


「はい」


「二つの恐怖のことを話したが…………そうか、こうやって悩む余裕さえなくなったら、それは……何よりも恐ろしいな」


 冬立さんは、いつの間にか薄い笑みを浮かべていた。

 俺も笑う。


「いくらでもサポートしますよ、俺だって。冬立さんが勇気のある人だって信じてますから。必要とあらば相談なんていくらでも!」


「はっ……成人もしてない奴にお悩み相談とは、情けない大人になったものだな……。私の胸中を聞いたからには、今後も付き合ってもらうぞ」


 場を凍らせていた緊張は、既に霧散していた。


「付き合いますよ。だって俺たちは……ん、これは照れるんでしたっけ?」


「馬鹿言え。大切な仲間……だろう」


 そうして笑い合い、夜は過ぎていった。

第140話を読んでいただき、ありがとうございました!

次回もお楽しみに!

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