第139話 ココア①
収骨を終え、帰宅。遺体や遺骨を目に焼き付けたことで霊戯さんの死を実感した俺たちは、心身共に疲弊していた。
「飲め」
疲弊した上でも、冬立さんのココア好きは変わらないらしい。ココアにリラックス効果があることを否定はしないが、この一杯で何でも解決できると信じないでほしい。
「……どうも」
殴られた拍子に貰ったココアをぶち撒けた俺だ。謝辞を述べて受け取っておこう。
「泰斗君、ココア好きじゃないの?」
実は茶人だとカミングアウトされても納得してしまうような飲み方でココアを飲むエルミアが、俺に向かって首を傾げた。
「遂に理解したか。こんな状況でなければ赤飯でも炊いたところだが」
黙れ。
エルミアはあれだ。北方の国出身らしいから、温かい飲み物に馴染み深いだけだ。ココアだけが特別に好きというわけではないだろう。そうであってくれ。
「俺も嫌いじゃないけど……。そう何度も飲む程じゃないな、ましてや夏には」
「そうかお前には何をご馳走しようか」
「ココア以外で」
冬立さんの額に怒りマークが表れたが、ココアを喉に流して誤魔化した。
「……あいつらの様子を見てくる。お前らはあの件について適当に話し合っておけ」
冬立さんは二階に向かった。
あいつらとは透弥と咲喜さんのことである。葬儀を終えて尚絶望に暮れているんだ。
そして取り残された俺たち三人。
「ノート……そこの棚だよな」
「うん」
棚から引き出したこのノートとは、霊戯さんが死ぬ前に遺した物の一つだ。もう一つは事件の真相と遺言を録音した動画である。
ノートの方は、最初は気にしていなかった。音声で語られた内容だけで、十分すぎる衝撃を与えられたからだ。それ以上に重大で優先すべきことなんて、記されていないと思っていた。
だが、落ち着いて開けてみればどうだ。こっちはこっちで衝撃的だった。ある意味、俺たちが最も優先すべきことが書かれていた。
表紙を捲って始めに現れたのは、ある地名と住所だった。霊戯さんの最期の場所だ。透弥と咲喜さんを連れた冬立さんは、その住所を頼りに向かった。
そして、ページを一枚捲ると、一面に文章が現れる。
以下がその文章である。
*****
どうも。これを読んでいるということは……って陳腐な冒頭をできる立場じゃないね。まあ、この言葉の意味が伝わるなら、やっぱり僕は死んでるよ。下手な前置きはしないって決めてるんだ。したところで、何も喜ばれないのは明白だからね。
さて、君は……冬立さんかな? それとも泰斗君? 君たちは今、前のページの文字列に混乱していることだろう。僕の要望を伝えるよ、簡潔にね。
僕らは教団と手を組んでいる組織を探していた。手掛かりを掴めなくて、行き詰まっていた。けど、実は僕、手がかり持ってたんだ。手を掛けられるどころか、体を横にしてくつろげるほどのものをね。その組織の名前を言ってしまおう……「平木野グループ」。日本の大きな財閥。多分皆んなも知ってるはずだ。「平木野グループ」の御曹司とちょっとコンタクトを取っててね。詳しい話は彼から聞いてほしいんだけど……まあ、黄色い星型の痣を持つ者さ。でも安心して、彼は操られていない。
彼の名前は平木野祈。「祈」で「いのる」。彼と力を合わせて、平木野グループを裏で支配する異世界人を倒してくれ。彼を救ってやってくれ。そして、平木野グループは教団の基地の建設やシステムに深く関与している。教団打倒の道も開けるってわけさ。
僕からの具体的な要望は一つだけ。彼に待ち合わせのメールをして、会いに行くこと。日にちは自由だけど、できるだけ早くね。
健闘を祈る。
霊戯より
*****
ページの最下部には、待ち合わせる場所としてカラオケの住所が小さく記されていた。
「祈さんに……まだ連絡してないよね。お葬式も終わったから、すぐにメールして、数日後か明日にでも会おうってことでいいんじゃないかな」
「そうだな。向こうとしても、早く決めたいだろうし」
俺は霊戯さんのパソコンを開いた。親切なことに、パソコンに付箋が貼られていて、パスワードが記されていた。
「本当にそれで良いんですかね……?」
「え」
真摯な調子でラメが言う。
俺はロック解除のエンターキーを押すと振り返り、言葉の真意を問うた。
「どういうことだ?」
「だって、その祈さんと予定を組んだら、すぐに戦いになりますよね? 透弥さんと咲喜さんがあんななのに、良いのかなって……」
ラメの言いたいのは、つまりこういうことだ。
透弥も咲喜も、とても戦える状態ではない。平木野グループを支配している奴と今戦えば、二人が危険になるし、色々と行動に障害が生じる。
その通りだ。二人のことは主に冬立さんに監視してもらうつもりだし、二人を戦線に出すことは絶対にしない。
しかしこの家まで敵の魔の手が伸びれば、二人の命は危うい。
「確かに……。日程は少し先にした方がいいよ」
「いや、平木野祈とはすぐに会う」
俺は強く反対の意を示した。
少々驚いた様子の二人だが、俺は理由を説明する。
「俺達の第一の目的は、教団の基地への侵入。そして預言者の撃破だ。そして、基地の結界を解除するためには……レジギアと平木野グループの力が必要になる」
一拍置いて、続ける。
「これは霊戯さんが考えてたんだけど、平木野グループの技術員が基地をハッキングして結界の管理室を開錠、レジギアが侵入して結界の解除をするっていうのが作戦だ。前はカードキーを受け渡すって話だったけどな……こっちの方が安全ってことで。……そして、この作戦のキーパーソンであるレジギアの暗躍は……絶対にバレちゃいけない」
「できる限り実行を早めないと、レジギアさんが捕まって計画が頓挫する……ってこと?」
「そういうことだ」
二人が納得の意を示したところで、俺はメールの執筆を開始した。
メールの内容は……「連絡遅れてすみません。数日内に会いたいと思ってるので、そっちの予定が空いてる日を教えてください。返信待ってます」と。過去のやり取りを読み漁り、霊戯さんの文体を真似てみた。
真似る必要はなかったか。しかし、恐らく霊戯さんの死は伝わっておらず、メールでいきなり「死にました」と言うのも不適切に思える。落ち合ってからきちんと伝えるつもりだ。
「さて……と。……あ、そうだ、レジギアには霊戯さんのこと言っておかなきゃだな」
「それなら冬立さんが済ませてくれたみたいだよ」
そうなのか。無駄に仕事ができる人だ。
「そういえば、冬立さん遅いですね?」
ラメが天井を仰ぐ。
透弥や咲喜さんとの話が長引いているのだろうか。その場合、言うまでもなく霊戯さん関連のものだが、口論まで発展していそうな遅さだ。
俺はおもむろに二階へ向かった。
透弥や咲喜さんと、まともに会話したのはいつぶりだろうか。アイツにタコ殴りにされてから一切言葉を交わしていないんじゃなかろうか。
心配だ。一度霊戯さんに溢れんばかりの憎悪を抱いた俺だが、だからといって彼の死を嘆くばかりの姉弟まで批判する気はない。
いや、そもそも嘆いているだけなのかすらも不明なんだった。言葉を交わしていないから。
長考から帰還すると、俺はぼそぼそとした声が漏れ出ている部屋の前に立っていた。
邪魔するのも悪い。ということで、俺は耳を立てた。
「…………とにかく……だな、悲嘆に費やせる時間は無限ではない。……そして、何度も言ったように……ヤツへの感情移入にも、限度というものが要る」
次の瞬間、ドアが開かれた。
いくらか落ち込んだ様子の冬立さんが、目を丸くする。
「……盗み聞きとは趣味が悪いな」
「あ……すいません……」
一瞬で普段のテンションを取り戻した冬立さんに、俺はたじろいだ。
彼女の用事は済まされ、階下に足が向けられたが、俺はその場に留まった。
「……どうした?」
溜め息混じりの問いかけ。
俺の望みは、彼女には筒抜けのようだ。
「……二人と、話させてくれませんか?」
「……研究者として推定を繰り返してきたが、予想の的中がこうもつまらなかったのは始めてだぞ、泰斗」
うんざりだという心情が、鋭利な視線となって俺に届いた。しかし、これで屈服するほど、こちらの決意はやわではない。
階段の下の冬立さんを見下ろす形で、俺は食い下がった。
「俺はあいつらの心が知りたいんです! ……いや、知るために、心を開けるようにしてやりたくて!」
冬立さんはその表情に一切の変化を見せない。
「霊戯が死んで、即座に感想を迫るのがあいつらのためか?」
胸を冷たい何かが通り抜けた。
冬立さんの指摘は的を射ている。相手の思いを、相手の思いを考えずに知ったり探ったりしようとするのは、俺の悪い癖だろう。
それは自覚している。だからこそ、この行動だ。相手の思いを尊重し、心を開ける環境を作り、そして思いを知り、サポートする。これが互いに助け合うことの、理想的な形だと気付いたのだ。
とは思いつつも、その尊重の考えが汲み取れないような言い方をしてしまったことも、自覚している。
「心を開かせるにしても、まずそんな状態でないのは盗み聞きしたんだから分かるだろう」
「俺が聞いたのは最後の冬立さんの言葉だけです」
冬立さんは肩をすくめた。
直後、俺たちの会話にラメとエルミアが参戦した。声を大きくしすぎたようだ。
照明が一つも点いていない階段の上と、十分に明るい階段の下とで、俺たちは対面する。
「泰斗さん! ……ラメは、人の気持ちって難しくて、泰斗さんのやりたいことも分かる気がするけど……今はそっとしておくべきだと思います」
ラメは自信は無さそうだが、しかし強く訴えてくる。
エルミアに目をやると、
「私もそう思う」
と言って静かに頷いた。頷いた後、微かに笑った。微笑みというのか。意見の合致に安堵するラメをちらりと見てから、エルミアの真意を考察する。
嘲笑と呼ばれるような、不快感を覚える笑みではなかった。寧ろ俺を肯定するような姿をしていた。
肯定の意を示しつつも、言葉では反対意見に同調する……。笑みに含んだ肯定は、俺以外には理解されない意見ということか。
ならば簡単だ。俺とエルミアは、母さんやラメやエルトラや霊戯さん、そして自分自身の経験から、人の支え方を学んできた。そういう意味では特別な仲で、それに関する価値観が近い。
あの微笑みは、俺の行動の目的を汲み取り、密かに賛同を教えてくれた微笑みだ。そう捉えるべきだろう。
「……わかった」
俺は階段を下りた。
やるべきなのは今ではない。三人の意見が正解だ。
「……お前のモヤモヤを一つ解消させてやる。……あいつらは、別に霊戯に対して一色の感情を抱いているわけではない。整理がつかないだけで……正しく認識すべきことは、直に正しく認識する筈だ」
「…………そう…………ですか」
「それと、お前が心配していたことは、伝えておいてやる」
冬立さんはそれだけ言うと、玄関に向かった。
「どこ行くんですかー?」
ラメが聞く。
「買い出しだ」
冬立さんは家を出た。
*****
その夜、短針が十二を過ぎる頃。
俺は目が覚めた。
特に理由は無い。ラメの足が当たったりしたのかな。
「……何か飲も」
のそのそと歩き、リビングに入った。
そこには冬立さんがいた。相も変わらず、カップでココアを嗜んでいる。電気も点けずにだ。
「……何してるんですか、こんな真夜中に」
「見ての通りだ。嗜好は深夜、孤独の空間でこそ楽しめる」
いまいち共感できないな。そりゃアニメは薄暗い空間で一人で観るものだと思ってるけど、飲食はどうでもいい。
俺も大人になったら月に照らされながらコーヒーを飲むようになるんだろうか。もしくはシエスタに紅茶を嗜むのか。
「そういうお前こそ何故起きてきた?」
「目ぇ覚めちゃったんで飲み物を……あ、ココアは要りませんから!」
「だろうな」
全く、この人とはとことん合わない。
まだ冬立さんの人物すら、掴めていないような気さえする。
冬立さんが何を考えてるのか見当もつかない。
「……あ」
一つ思い出したことがある。
エルミアが、冬立さんの家で酷く取り乱した時のことだ。その原因はエルトラとの過去だったわけだが、あの時点では原因は不明だった。
にも拘わらず、冬立さんは原因が「後悔」だと見抜いた。そこで俺は疑ったんだ。
冬立さんにも後悔があるのではないか、と……。
冷蔵庫に掛けた手を戻し、振り返る。
「冬立さん」
「?」
「あなたは……何か、過去に後悔があったんじゃないですか?」
彼女は目を見開き、カップを置いた。しかし、指は取っ手に突っ込まれたままである。
「……懲りないな。霊戯の件もあったというのに、まだ詮索を止めないのか」
溜め息と共に放たれた痛烈な言葉に、俺は思わず顔を下げた。
俺の様子を見兼ねてか、冬立さんははっとして言う。
「……今のは意地が悪かったな、すまない」
「いや、その通りですよ」
俺は彼女の向かいの席に座った。
「霊戯さんの件で……俺は漸く気付きました。悩みやコンプレックスのある他人に対して、不用意に聞こうとしてはいけないと。相手を尊重し傷付けないためには、心を開ける環境を作らなければいけないと」
彼女の目を直視し、真剣に訴える。
俺は本気だ。その本気を伝えろ。目の前にいるあなたのことも助けると決意した俺の気持ちを。
冬立さんは、再び溜め息を吐いた。
「…………なるほどな。良いだろう。お前の分のココアを作ってくる」
そして、カップに入れられたココアが出された。
ココアは飲みたくないんだが。仕方ない。
これは、意識を改革した俺の、第一歩だ。
執筆が止まって申し訳ありませんでした。連載再開します。




