第138話 子供たちの園
広々とした空間に、棺を乗せた台車のガラガラと運ばれる音が響く。
告別の儀式として棺が開かれると、詰められた花々がそれぞれの色を主張する。きっと、色々な想いが込められているのだろう。
「あなた方も、近くで挨拶してあげてください。最後ですから」
そう言って招いたのは、霊戯さんの父親だった。
母親は数年前に他界したが、こっちは今でも元気で、時々連絡を取ったり、仕送りを貰ったりする関係だったらしい。
お父さんの髪も金色に輝いている。霊戯さんの髪色が地毛だったことに少しびっくりした。
壁際で眺めていた俺とエルミアは、遠慮を捨てて近付いた。
「羽馬は……どうでしたか」
彼は呟きの声色で尋ねた。
本当なら俺が質問したい。事実を聞かされて、どう思ったのか。俺に道徳心が無ければこのモヤモヤも解消されたことだろう。
しかし否定的な感情ばかりでないのは、聞かずとも分かる。複雑な心境なのだろう。
……おっと、質問されているのは俺だ。
「楽しい人でしたよ。なんか……歳が離れてるのに、感覚としては友達同士みたいな感じで……」
嘘偽り無く答えた。
といっても、俺が抱く印象は全て表に対してだけのものだ。俺は最後まで、本当の霊戯さんを、霊戯羽馬という人間を理解できなかった。
それも、父親なら知っている。この流れで是非とも聞いてみたい。
「そっちのお嬢さんは?」
「……私は…………前に一度、勇気付けられたことがあったんです。その時に強い信頼感が生まれました……。普段から賢くて気立てが良いのもあると思うんですけど……。ああいう風なことを言ってくれたのは、人生で四人だけだったので……」
口だけが笑っている。
エルミアが勇気付けられた話、俺は知らないが。
「…………羽馬は……昔から、どこでも何も変わっていないようです」
棺の反対側に居た透弥と咲喜さんの意識がこちらに向く。
「昔からね…………子供っぽかったんですよ。外見や頭脳こそ成長するものの、精神はそのままというか。しょっちゅう叱りました……」
お父さんは寂しそうに語ると、膝を折って霊戯さんの顔を間近で覗くような姿勢になった。
さっき友達感覚だと言ったように、霊戯さんとは目上の人と対面で食事をするような、緊張のある生活や会話をしたことは無かった。知り合って間も無い頃はちょっと緊張してたか。
しかし霊戯さんは、年齢や立場という意味では誰よりも大人だった。
だからあっさりと子供っぽいと言われると、胸がドキリとした。
「ごめんな……大人にしてやれなくて……」
屋外と繋がるドアを潜れば、汗が滴る猛暑に出る。火葬場の室温も外とそれほど変わらない。
だというのに、年末の深夜の外出よりもずっと冷えた感覚に支配されてしまっている。
このお父さんにかけるべき言葉やその表現を、見付けられる気がしない。沈黙は続いた。
「羽馬にいは……」
透弥に似合わない弱々しい声で、透弥は開口した。
「最後に…………愛してるって……言ったんだ……」
お父さんが俯きの体勢を解除して目を見開く。事件に直接の関係が無い最後の言葉までは、聞かされていないのだろうか。
一方の透弥は、恐竜も仰天する咬合力を披露するかのように、歯を食いしばって嗚咽を我慢する。それは行き場の無い嘆きを口にするためである。
「愛してんなら…………っ……死ぬなよ……!」
咲喜さんは声にはせず、透弥に何度も頷いていた。
*****
棺が炉に運ばれたのは、あれから間も無いことだった。
会場は控室に移動した。収骨までの間、俺達はここで食事をする。ここ数日は食事も捗らなかったからな。喜んで頂こう。
因みに俺とエルミアは同じテーブルだ。参列者は俺達の他に、霊戯さんのお父さんと親戚、友人が数名。席数にはかなりの余裕がある。だから俺とエルミアの二人が大きめのテーブルを共有しても不思議は無いのだが、霊戯さんの計らいでハーレム寝室を作られたことを思い出すと、これも彼の意思の影響かと考えてしまう。
「……まあ、食うか」
黒胡椒のかかった唐揚げを頬張る。
こんな時でも唐揚げは美味い。
「あ、それ、醤油かけるんだぞ」
「そうなの」
醤油を無視してシュウマイを終了しようとしていたエルミアに正しい食べ方を促す。
小さめのやつなのに二口で食べるのが可愛いな。……と、式場で色情に頭をやられているようでは不謹慎だ。
俺は急いで食事を再開した。
ところで、霊戯さんの家族の誰からも、霊戯さんの犯した罪に対しての思いを聞いていない。
エルミアやラメ、そして冬立さんとはその話をしたのに、というかそれは俺が答えるのを強要したようなものだが、最も親密な人とは何も語っていないのだ。
透弥に、咲喜さんに、お父さんに。
きっと今後聞く機会は訪れないだろう。
だが、俺は問いを心の奥に仕舞った。
俺と彼らとでは心情が乖離しすぎている。
クラブ活動や委員会活動の経験も無い小学生と国会議員が、国政について討論するようなものだ。結局詮のない話になるのは明らかなんだ。
少しは彼らの気持ちを尊重しよう。そもそもこの問題が直接に影響を与えたのは彼らだけだ。俺は弔い、彼らを見守り、そして……後悔するだけでいい。
「ただ、あの人はじっくり問い質さなきゃな」
「えっ?」
エルミアが首を傾げたので、俺は控室の入り口を指さした。
指の指し示す所には、一人の男の影があった。霊戯さんが死んだ夜から姿を見せていなかったが、いつの間にか参列していたようだ。
紅宮さんは腕を組み、「こっちに来い」と視線で示している。
まだ完食していないが、すぐに話したい。
俺は席を立った。
「ちょっと待って。私も行かせてほしい」
とエルミアは言う。
紅宮さんに目で問うと、頷きが返ってきた。
俺とエルミアは部屋を出た。
*****
丁度良く斎場の近所に公園があった。
ワイワイと騒ぐ幼稚園児や小学生。それが危なっかしくて、可愛くて、ベンチから眺めるママ友の集まり。低木の手入れをする業者。
夏休みの爽やかな空間を通り抜ける三人の人。
俺達の纏う空気は、この空間にとても似合わない。
屋根付きのテーブルが空いていた。しかしよく見ると、三つの椅子の上に紅宮さんの荷物と思しき物が置いてある。非常に迷惑な気もするが、俺からすれば有り難い。
俺の前に紅宮さん、右にエルミアという席の配置は自然と決まった。
「……」
「……」
誰も話題の先陣を切ろうとしない。
彼のことだ。俺の言いたいことは、言わずとも伝わっているのだろう。だから自分から切り出すのを迷っているんだ。
「……どうぞ……好きに言ってください」
俺の配慮が効き、紅宮さんの顔が若干綻びた。綻びても真顔のままだけど。
「では始めに…………私の無理な願いへの協力、感謝します」
いきなり頭を下げられた。
無理な願いといえば、霊戯さんから目を離すな、そしてその命令に従順でいろ、というものだ。
協力を感謝されたのだが、実は俺はやり遂げられていない。霊戯さんを行方知れずにしてしまったのは、俺が目を離したからだ。霊戯さんを問い詰めることまでしてしまった。
「頭を上げてください」
「……最後まで命令を守れなかったから感謝される義理は無い……ということですね? ならば非は私にあります。重ねて言いますが、あれは無理なので」
やっぱり考えは筒抜けか。
霊戯さんにも当て嵌ることで、時々頭がガラス張りに改修されたんじゃないかと錯覚してしまう。
「その無理なお願いをした理由……紅宮さんの望んだ結果を教えてください! ……もう、黙ってる意味も無いんでしょ?」
紅宮さんは静かに溜め息を吐いた。
「……収骨は三十分後ですね?」
「はい。そのくらいだと思います」
「三十分なら……下手に省く必要はありませんね」
そう言うと、紅宮さんはメモ帳のような物を取り出した。
「これは?」
「私が五年前に書いた推理メモです」
紅宮さんはペラペラと捲っていき、手帳の真ん中辺りのページに指を挟んだ。
手帳の上下が俺の向きに合わせられ、手渡された。俺はエルミアと一緒に中身を読んだ。
「……!」
俺とエルミアは顔を見合わせ、紅宮さんに向き直った。
「私は彼の犯行も心情も知っていました。……五年前の、鏡奈姉弟が救出されたあの日から」
手帳のメモの内容はこうだ。
『2015/5/17 殺人犯霊戯羽馬を 見逃す』
「犯行だけで言えば、十七日以前になります。事件発生から一ヶ月後……諸々の推理を経て、私は一つの予測を立てました。『近いうちに、捜査に干渉してくる警察関係者やそれに近しい職業の者が現れる』と」
警察に近い職業が何かなんて、考えなくても分かる。
だって霊戯さんは探偵だ。
「さらに一ヶ月後、予測は現実となりました。それが霊戯さんです。彼の登場は……『犯人は協力者として捜査に干渉し、自ら監禁した対象を救出して引き取るつもりでいる』、この推理を確定させる要因になったというわけです」
「……それで、霊戯さんが透弥と咲喜さんを見付けてしまった」
紅宮さんは穏やかに頷いた。
「五年前の時点で事件の真相を知っていたのですから、彼の心情を推し量るのも容易でした。エルミアさんというスイッチをきっかけに再会しても、まるで昔日の協力関係も疑念も無かったことのように振る舞うのは、捕まりたくないのではなく、耐え切れなくなってしまうからだと……」
話に一旦区切りが付いた。
俺はここで、テーブルを軽く叩いて彼に迫る。
「じゃあ……じゃあ見逃すって何なんですか!? 分かっていたなら、二人のためにも霊戯さんを捕まえるべきだった筈です!」
「泰斗君の言う通りです! どうして見逃したんですか? すぐそばに居たのに!」
紅宮さんは視線を下げた。
俺達から目を逸らすというよりは、悲しみや切なさから俯くというような感じだ。紅宮さんの悲哀に満ちた姿は見たことがない。
「私と霊戯さんの共通点が何か……言い当てられますか?」
共通点。
頭が良い、しか思い浮かばない。
「子供が好きなんです」
俺とエルミアは一斉に斎場の方に目を向けた。
「二人の救出後に霊戯さんを告発するつもりでした。ですが私は……二人の無事を泣いて喜ぶ彼を目の当たりにしてしまったのです。演技かとも思いました。しかし、とても見た目だけの涙とは思えず……」
紅宮さんはメモ帳を回収し、例のページを一度見てから話を続行した。
「透弥と咲喜には身内がいなかった。霊戯さんに手錠を掛けてしまえば、二人は家族を失い、不幸な生活を送ることになる。……私はその悲しい結末に耐えられなかった。両親を殺した犯人であろうと、子供たちを愛してくれるのなら、任せても良いと……子供たちの将来の幸せを守ってくれると………………そう思ったんです」
紅宮さんの自虐とも取れる言葉は、吐息のように漏れ出ていた。
だが、こう聴くと彼のやったことが完全な悪行とは認められない。俺も透弥と咲喜さんが大事だ。結果的に五年という時間、二人は幸せに生きられたのだから、紅宮さんをあまり否定できない。
「先程彼の心情も知っていたと説明しましたが、死なせまいと動いたのは彼を助けるためではありませんよ。子供たちに再び家族を失わせたくなかったのです」
「……そう……なんですか」
俺もエルミアも、すっかり落ち着いていた。
「凶悪な殺人犯を見逃すとは、警察官失格ですね」
紅宮さんはメモ帳を鞄に入れると、立ち上がって俺の後ろを通った。
「朱海さん、あなたは正しい人です。あの時に全てを明かしてしまったら、あなたは必ず罪を償わせようとしたでしょう。罪を口にすることが彼を追い詰めることに繋がり、最悪の結果を招く……。故に無理矢理協力させたのです。申し訳ありませんでした。……エルミアさんにも、感謝と謝罪を」
また頭を下げられた。
俺なら……か。確かにな。
でも……。
「話したかったことは以上になります。では――
「強いとか正しいとか、もうウンザリだ」
独り言にしては声も語調も強すぎる俺の言葉に、紅宮さんとエルミアが振り向いた。
紅宮さんは笑った。
その笑みには、安心や尊敬が含まれているように感じられる。迷子がはぐれた家族と再会したときのそれを、いくらか控えめにしたような笑みだ。
「そろそろ戻りましょう。誰のためを思っても、早く戻るべきだということは、我々に共通する心配ではないですか?」
「……行こう、泰斗君」
「ああ」
俺達が斎場に到着する頃、公園の子供たちは遊び場を変えるべく、道を駆けていた。
第138話を読んでいただき、ありがとうございました!
次回もお楽しみに!




