第135話 終着点に臨む
あの後、俺とエルミアは着替えてソファに座った。
今は雨なのか涙なのか判別のつかない水滴と泥を拭い、背中をさすられている。
「……どう? 落ち着いた?」
「…………うん……」
雨粒が地を叩く音がよく聞こえる。
この雨の中、霊戯さんはどこへ行ってしまったのだろうか。知り合いに会うと言っていたが、嘘としか思えない。遅くなるという発言も、俺達が起きているうちに戻ってこないことの証明である。
「……繋がらない……」
咲喜さんは何度も電話をかけている。が、当然応答はされない。恐らく携帯の電源を切っているんだ。自分を探させないように。
エルミアが近くを探してくれたが、車はどこにも見当たらなかった。
「なぁ泰斗……羽馬にいが……羽馬にいが死ぬって本当なのか!? 答えろ! 早く!!」
鬼気迫る表情で透弥に胸倉を掴まれる。ただでさえ泣いた後で息遣いが荒いのに、首が絞まって息が苦しくなる。
「落ち着いて! ……泰斗君、本当なの?」
「いや……あれは口からでまかせだ……透弥を制止するための」
「なんだよ……嘘、つくんじゃねぇよ……」
「でも霊戯さんが危ないのは事実だ。死にはしなくても、助けが必要なのには間違いない」
一度落ち着いた透弥と咲喜さんの顔が、再び焦り固まる。
「……泰斗さん……あなたは、何を知って……?」
「紅宮さんに言われたんだ。霊戯さんが危ないって……だから目を離しちゃいけなくて、他の誰にも話しちゃいけないと思って……それで……」
俺は小走りで二階に上がり、霊戯さんの部屋からスマホを持ってきた。
撮影を終了し、残り数パーセントの充電で紅宮さんのメッセージを開いて見せた。
「そっか……紅宮さんと話してたの、そういうことだったんだね」
「うん」
エルミアはずっと優しい口調で俺に寄り添ってくれている。お陰で数分前に糾弾された盗撮行為も、こうして落ち着いて晒すことができた。
そして、俺と紅宮さんの最後の会話は普通に見られていたらしい。そりゃそうか。
「あの二人の間に何があったのか知らないけど……俺は紅宮さんに自分の意思で従った」
「それが何だってんだよ。羽馬にいが危ねぇんだろ? 狙われてんのか……!?」
こいつ、理解力が無さすぎる。
後悔って言っただろ。教団に狙われているんじゃなく、俺達の知らない過去が現在の心に悪影響を与えているんだ。
「狙われているんじゃなくてね……。ほら、泰斗君が『後悔』って言ったでしょ? 霊戯さんにある後悔が、彼の心を蝕んでいるって話……そうだよね?」
「ああ、そうだ。ラメの時と同じようなことだ……。だから、霊戯さんが危ないんだ。……ありがとうエルミア、わかってくれて」
エルミアは静かに頷いてくれた。
「二人とも、心当たり無いか? 霊戯さんの『後悔』について」
「あったらとっくに言ってる」
「ごめんなさい……私も全く……」
二人は悔しさで苦虫を噛み潰した。霊戯さんのことを強く慕って、共に生きてきた二人だ。確かにある苦しみの種を見つけることができない悔しさは、俺のよりよっぽど大きいのだろう。
「……とにかく捜索だ。手当たり次第に、霊戯さんを知ってる人とは連絡取ってみよう」
全員が合意した。
俺はタオルを置き、透弥に向かって手を出す。
「携帯貸せ。こっちはもう充電が切れる」
「傷付けんなよ」
透弥はスマホを投げて渡してきた。
これで落ちたら傷付くじゃねえか。
「咲喜さんは冬立さんに掛けてください。俺は……紅宮さんに掛けます」
「分かりました!」
俺は怖かった。
何故かといえば、紅宮さんの指示を破りまくりだからだ。従いたくなかったから破ったんじゃないが、破ったは破った。
怒られるのは承知している。
「もしも――
『今出ます。彼の行き先に心当たりは?』
時間が消し飛ばされたのだろうか。
もういくつかの問答を済ませなければ、こんな返答は来ない。
俺は声を出せなくなった。
「……え……え……?」
『霊戯さんと電話が繋がりません。これ以上事情を伝え合うのでは時間の無駄なので、行き先に心当たりがあればそれだけ教えてください』
「な……無いです……」
『了解』
通話が切れた。
俺が連絡せずとも、既に霊戯さんに電話を掛けていて、現在の状況を察したらしい。
困惑してまともなコミュニケーションが取れなかったが、助かる。実に迅速な対応だ。
「……はい……はい、お願いします」
咲喜さんの方も通話を終えたようだ。
「ラメさんの魔術・アンテムを使って、魔力が尽きるまでバイクで走り回ってみるそうです」
「よし……」
ラメのアンテムの効果は本物だ。俺達と出会った時も、その魔術でヴィランらの魔力を探知したことでこの探偵事務所近くまで来たのだから。
「羽馬にいは見つかんのか!?」
「俺達次第ってとこもあるな……。紅宮さんや冬立さんの立ち回りは予測されている可能性がある」
「そ、そこまで考えてるかな……?」
「霊戯さんなら有り得る」
ラメの時と違うのは、相手が霊戯さんだということ。
一筋縄ではいかないのは、同じ屋根の下で暮らしたからこそ分かることだ。そして、それは逆に、霊戯さんも俺達のことをよく理解しているということでもある。
全ての行動が予測されている前提で動くべきだ。
「予測されてたって関係ねえ! 俺達も行くぞ!」
「まだ近くにいるという可能性も否定できません!」
透弥と咲喜さんが家を飛び出した。
「行こう、エルミア」
「うん!」
俺とエルミアも後を追い、雨の中に飛び出した。
*****
同日、深夜。明日を迎える頃。
冬立碧那は疲労した身体を背もたれに預け、夜空を眺めていた。
指に掛かっているのは、ココア入りのマグカップ。彼女がどんな健康状態であろうと、この飲料は心身の回復に役立つのだ。
その疲労の原因は他でもない、霊戯の捜索である。
冬立がしたのはバイクの運転のみだが、休日でも夜となると疲れは溜まりやすい。加えてラメの面倒も見なければならないのだから尚更疲れる。
ラメは魔力が切れ、疲労も限界を迎えたため、即刻家に帰ってベッドに寝かせた。
ラメの持つ魔術・アンテムは、人や物を探知することができる。探知の対象を「霊戯羽馬」、範囲を半径二キロメートルに設定し、ラメをバイクに乗せて常に探知範囲を移動させることで捜索していたのだが、霊戯を見つける前にラメがダウンしてしまった。
その後冬立が目視でマンションの近辺を少し探したが、それでも成果は得られず。
ラメは眠りに落ち、冬立はココアを淹れた。
「全く……手間をかけさせて……」
冬立は、霊戯とは相容れなかった。
性格が絶望的に合わなかったのだ。いつもヘラヘラしているし、女児のことをちゃん付けで呼ぶ。
ちゃん付けには特に嫌悪感を抱いている。冬立は不純な愛を嫌う。霊戯が小児を好む人間でないのは分かっているのだが、どうしても寒気がしてしまうのだ。
賢いことは認めている。実績を調べるのは面倒なのでやっていないが、探偵の肩書きは本物のようだ。
透弥や咲喜から慕われているのも理解はできる。絶体絶命の状況から助けられたのなら、命の恩人として好きにもなるだろう。
しかし、冬立は彼のことが嫌いだ。
――ピンポーン。
インターホンが鳴った。それもマンションの玄関ではなく、部屋の前だ。
冬立は不審に思いながら、玄関まで行って覗き穴に目を近付けた。
そこには、見慣れた金髪の男――霊戯が立っていた。
冬立はドアにチェーンを掛けてから、ドアを開けた。
「……何の用だ?」
「中に入ってから話しましょう」
チェーンを外し、中に招く。
もしも家に霊戯が来たらすぐに連絡しろと咲喜から言われていた。しかし、霊戯の目は、「絶対に連絡するな」と告げている。
突然行方不明になり、捜索されていた人物とだけあって、ただならぬ雰囲気を感じるのだ。
「ラメちゃんは寝てるね?」
「……ああ」
リビングまで歩くと、霊戯は振り返り、笑いながら言った。
「携帯、切ってください」
「……何故だ?」
意図は分かっている。自分の居場所を伝えさせないためだ。そこを敢えて、聞いてみる。
「いいから切れよ」
笑顔が一瞬にして仏頂面に変貌した。
これまでに感じていたのとは種類の異なる寒気を、冬立は感じた。
一旦従うべきだという信号が走る。
「……切ったぞ」
電源を切って暗くなった画面を見せると、その時にはもういつもの笑顔に戻っていた。
「……無理矢理家を出てきたんだってな?」
「そうだよ。エルミアちゃんに追いかけられたけどね」
「撒いたのか?」
「予めパーキングに車を置いといて、家の裏を回って逃げたんだよ」
「……なるほどな」
霊戯は小さなソファの近くに移動した。
「何か飲み物ください」
「ココアでいいか?」
「コーヒーで」
「無い物を強請るな」
ココアを淹れ、霊戯の前に差し出す。すると彼はカップを持ち上げ、ベランダを開けた。
冬立は無言で観察を続ける。
彼は置いてあったサンダルを勝手に履き、ベランダの柵に手を置いた。
外から雨の混じった夜風が吹き込む。月の光は雨雲に遮られて、二人には届かなかった。
「……で、何の用だ?」
「冬立さん。人の『強い』、『弱い』って……何で決まると思いますか?」
意図の知れない質問だ。
ココアを一口飲んでから、冬立は答える。
「愚問だな。それは、場合によっても違うだろう。単純に肉体的な優劣を指すこともあれば、特定の物事の得意不得意を表すこともある言葉だ」
「…………僕は、最後に逃げるか逃げないかで決まると考えてます」
「ほう?」
「ほら、絶対に諦めなかったり…………失敗から目を背けなかったり…………そういう人っているでしょ? それが僕の考える強い人。対して弱い人は、同じような物事にぶつかったとき、逃げる」
霊戯は冬立が何も言おうとしていないことに気付くと、ココアを一口飲んでから話を続けた。
「強い人がいると……弱い人が、哀れに見えてくるんですよね。どんどん逃げてくんですよ、強い人を見習ったりせずに。それで今、逆に逃げられなくなってるっていうか……最初は色々な道を選べたのに、選択肢が無いとこまで追い込まれてて…………」
「おい」
冬立はおかしなことに気が付いた。
問題は、「強い」と「弱い」の意味についてだった。
一般化した話であった筈だ。冬立も、そのつもりで真面目に質問に答えた。
なのに霊戯は、いつの間にか違うことを語っている。
「お前…………誰の話をしている?」
霊戯は振り返って哀愁を帯びた微笑を浮かべた。
「…………冬立さんに頼みたいことがあるんです」
「は?」
霊戯は困惑する冬立の隣を素通りし、持ってきていた鞄から一冊のノートとUSBを取り出した。
「明日の朝になったら、これを皆んなの所へ持って行ってほしいんです」
「……中身の確認は禁止か?」
「もちろん」
ノートに表題は記されていなかった。
USBの方も、中身の見当はつかない。
「……あの子達のこと、よろしくお願いします」
霊戯はそう言うと鞄を肩に掛け玄関へ向かった。
「待て、どういう意味だ?」
まるで耳が消失したかのように、冬立の声を無視して進む。遂に扉まで到達したが、そこで冬立が霊戯の肩を掴んだ。
「待て」
「…………」
先程の恐ろしい面が蘇り、目の前で重なった。
今にも殴ったり、殺したりしてきそうな表情。といっても、ただの真顔と見ることもできる。先程のものもそうだ。常時ヘラヘラし、陽気でいる霊戯が前触れなく冷え切った態度になるから、悍ましく不気味に感じられるのだ。
冬立は、勇気を出したかった。
ここで霊戯を呼び止め、真意を聞き出し、咲喜達に連絡しなければ、具体的な想像はできないが少なくとも良い結果にはならないことが読める。
勇ましくあれと、勇気を出せと、自らを激励する。できなければ、また同じ失敗を繰り返す。何の成長もしていない己を嘆くことになる。
(勇気を……勇気を……!)
覚悟を決めた瞬間。
カチャリという物音。眼前から。
白い銃口が向けられていた。
「これでも、僕の言うこと聞けませんか?」
それは達観と恐怖の向かい合わせであった。
それぞれが静寂の空間を作り上げ、開放されたベランダの外から聞こえる雨音だけが生きていた。
冬立が正常な思考を取り戻したのは、霊戯が去った後であった。
*****
結局、霊戯さんを見つけることができないまま、朝を迎えてしまった。
当然ながら家に霊戯さんは居ない。真夜中に帰ってくるなどという淡い願いは消え去った。
――ドンドンドン!
扉を激しく叩く音で、青に飲まれた俺達は顔を持ち上げた。
俺はすぐに扉を開ける。
「お前ら大変だ!」
現れたのは霊戯さんではなく、冬立さんだった。
左にラメを連れ、右手で謎のノートとUSBを持っている。
「ここに入っている音声を……すぐに聴いてくれ……!」
そう言うと冬立さんは、メモリをパソコンに挿した。
第135話を読んでいただき、ありがとうございました!
次回もお楽しみに!




