第132話 隠し事
搬送された透弥と咲喜が外来に入るのを見届けると、紅宮は横の椅子に腰掛けた。
取り敢えずの役目を終えた霊戯がその隣に座る。
深刻な事態ではあるが、生きているだけでも幸いだった。邪魔にならぬよう担架を覗くと、二人の意識が確かにあるのがわかった。恐らくだが、適切な治療を受ければ命の危険はないだろう。
あとは心のケアが必要だ。攫われる直前の事件現場の状態や、犯人の姿、話していた内容など、聴取したいことは山ほどあるが、暫くは簡単な質疑応答さえできないだろう。
優先すべきは心身の回復である。紅宮はそう考えながら、治療室の方を眺めていた。
「……ほら、一週間で終わったでしょう?」
豪く落ち着きつつも自慢げな顔で、霊戯は言う。
視線を横にずらしてそんな霊戯の顔を直視した紅宮は、真反対に目を逸らして小さく息を漏らした。
「ええ、あなたの言った通りになりましたね。嬉しいことです」
とても嬉しく思っているようには見えない。
「ほんとにそう思ってます?」
「私も子供好きですから。……でなければ、下っ端の私がわざわざここで待機したりなどしませんよ」
納得した霊戯は体を引っ込ませた。
やはり、今日の霊戯は控えめだ。決して普段のおちゃらけた態度が好きというわけではないが、紅宮からすれば、彼が控えめで言葉少ななのは率直に言って変である。
ほんの一週間の関係だというのに、実に屈辱的だと紅宮は思った。まるでそちらを望んでいるみたいじゃないか、と。
達成感に飲まれて燃え尽きたのだろうか。それとも治療を受けている二人が心配なだけだろうか。捜査中も二人はきっと生きているからと冗談を許していた者が、本人に出会って心配や特別な感情が芽生えたというのか。
予想をしてはみたものの、どれも霊戯らしくない。霊戯なら寧ろ大喜びして飛び跳ねそうなものだ。それか、紅宮の見ていない所で済ませたのかもしれない。
(聞いてみるか)
特にやることもないので、紅宮は躊躇せずに聞いた。
「霊戯さん、随分と落ち着いていますよね。何か理由でも?」
「…………それは……」
目を逸らして会話していた所為で、霊戯が口ごもったのに気付くのが遅れた。
口数が少なく落ち着いている理由を知りたかっただけなのに、それが加速してしまった。
「どうし……たんですか?」
仕方ないなと向き直ると、紅宮は衝撃を受けて凍りついた。
「……何故……涙を……?」
「……うっ……ううっ……だっ…………て……」
震える唇に、流れる涙。
霊戯は声を殺して泣いていた。
そこで紅宮は、彼の様子の変化が、泣くのを我慢していたからだと悟った。
しかし、有り得ない。
紅宮にとってこれは、有り得ない反応なのだ。
子供好きの探偵なら、この状況で涙を流すのも不思議ではないが、彼は、そうではない筈なのだ。
「……透弥君も……咲喜ちゃんも……無事に助かったんですよ……! 生きたんですよ……! 見つけた時は絶叫されたけど、でも、でも…………僕は……嬉しくて……」
顔を赤くし、不明瞭な発音をしながらも、霊戯は最後まで語った。その後、霊戯は嗚咽を繰り返した。
流石の紅宮もちょっと心配になり、少しだけ彼に近付く。その時に手に当たった彼の涙は、じんと熱かった。
(……!)
心から泣いていると、心から喜んでいると、ただ泣き顔を見るだけで、ただ涙に触れるだけで簡単にわかった。
繕っているわけでも、飾っているわけでも、騙しているわけでもない。本気の涙だ。この男は、本気で二人を救ったことに、二人が生きていたことに、喜びを満ち溢れさせているのだ。
「……も、もう……紅宮さんのっ……前では、泣かないようにしよ……うと、してたのに……」
霊戯はゴシゴシと雑に涙を拭うと、バッと立ち上がった。
「彼ら! 身寄りがいないそうなんですよ。……そこで一つ、できれば……僕が引き取れないかなって! 考えてるんです!」
この提案で、思考が迷子になっていた紅宮は我に返った。やはり間違ってはいなかった……そうに違いない、と。
しかし、紅宮の考えは変化していた。
霊戯ならば引き取りたいと言い出すだろうとは予想していて、その対応も決めていたのだが、さっきの涙で違う対応をすることにした。
(…………問題は無い……と思いたい……)
怒りが込み上げ、体を支配しそうになる。
すぐに眉間と口端を押さえ、感情を抑える。
「…………紅宮さんなら、わかってくれますよね?」
「……はい。まあ、私やあなたに決定権はありませんがね。……もし叶ったら、大事にしてあげてください」
紅宮は立ち上がり、病院を後にした。
彼に不安は残っていなかった。また彼らと会えたら、その時に後悔するだけだ。
もう一つの選択肢を採ったところで、結局後悔してしまうだろうから。
己の望むことを思い出せ。犯罪の未然防止……もう、気にしなくていい。ならば何より重要視するのは、子供達の幸せだ。ほんの少しだったとしても、あの子達が幸福を得られるのなら、そちらを選ぶのが正しい。きっと正しいのだ。
*****
その後、紅宮と鏡奈姉弟が相まみえることはなかった。
ただし事件は、取り敢えずの終結を迎えた。
犯人が牢に入ることこそなかったものの、殺害された夫婦は葬られ、誘拐された子供は救出された。
救出完了後、取り調べが始まった。
最初は事件のショックで対話不可能となっていた鏡奈姉弟だったが、霊戯の献身もあり、数週間で回復し、受け答えができるようになった。
しかし大人達の求めていた返答は来ず。事件は迷宮入りとなった。
捜査に協力し成果を挙げた探偵・霊戯。
彼の提案により、引き取り先のなかった鏡奈姉弟は彼に引き取られる運びとなった。
一応、霊戯は里親である。だが、本人らが親子関係と考えていないことは、五年後の様子を見れば明白だろう。
*****
八月十七日、金曜日。
あの夏祭りから早くも一週間が経過した。
今のところ、教団からの攻撃はない。レジギアからの任務で教団と手を組んでいる組織を探しているのだが、これが全然見つからない。警察という味方がいるっていうのに。
俺達を纏めているのは霊戯さんだが、もしや彼は向こうからの攻撃を待っているんじゃないかと疑うくらいには、全く手がかりが掴めない。
いや、もう、俺でさえあっちが顔出してくれたらいいのにと願いそうになっている。無傷で済んだことはないし人も死ぬけど、今まで生きて勝利したからな。
……と、そんな感じで、俺は三回目の平和の中を生きている。どうせ束の間の平和なんだろうけど。自分や隣にいる人が突然死ぬかもしれないということは、この朱海泰斗、言うまでもなく覚悟している。
そして、現在進行形でやっていることがもう一つある。それは霊戯さんの昔話を聴くことだ。エルミアも一緒に聴いている。
「……とまあ、こんなことがあったんだよ」
生々しく惨い話を、よくも笑顔で語ってくれるな。
「…………もうちょっと辛い顔で語ってくださいよ」
「ええっ。いいでしょハッピーエンドなんだから!」
そりゃそうだけど。
五年も家族として共に生きてきた人が両親を殺され監禁される話なんだぞ。最後に助かるからって、想像したら笑えないだろ。
「それに、そっちが聞いてきたんでしょ」
透弥と咲喜さんの事件について、俺は詳しいことを何も知らなかった。だから霊戯さんに聞いてみるか、と思い立ったんだ。
エルミアにも言ってみると、彼女も同席したいということだったので、透弥と咲喜さんが寝ている深夜に三人で集まった。
「……でも、知れてよかったです。こういう過去を知っていれば、無意識に言葉で傷つけちゃうようなこともないので」
俺がそう言うと、エルミアは微笑した。
「私も、知れてよかったです。夜中にわざわざ、ありがとうございました」
「いえいえ」
その後軽く雑談し、俺とエルミアも寝室に入った。
そういえば、霊戯さんの昔話に、知っている名前が出てきたな。
紅宮佐太郎。
教団を追うため、俺達と協力関係を結んでいる警察官の一人。彼が鏡奈家の事件に関わっていたということは覚えている。
けど、予想以上に目立っていた……というか霊戯さんの仕事を半分くらい奪ってなかったか。新米だったとか言ってたから、端っこにちょびっと立っている程度だと思っていたのに。
どうりで紅宮さんが賢く見えるはずだ。五年前の時点で霊戯さんと並んでいたとは。
いや待てよ。
霊戯さんと紅宮さんって不仲そうだったよな。性格は木組みの家が絶叫するほど合わないが、同じ事件を捜査した戦友みたいな関係性になっていてもおかしくはない。
何かあったんだろうか。
「なあ、エルミア。紅宮さんって……」
「えっ!?」
何故か過剰な反応をされた。
こちらを意味深にじーっと見つめるのがちらっと目に入った気がしたが、それは気のせいか?
「い、いや、二人きりだなーって……」
エルミアは頬まで被った布団を浮かせて、恥ずかしそうに答えた。
今夜私たち二人きりだね的な展開か?
いつの間に俺はラブコメの主人公になったんだ?
それとも官能的な漫画を書くに当たってリアリティを求め、こんなことをしているのか? 実は人を本にする系の能力者?
いやいや、そんなわけはない。
でも明らかに様子が変だ。悩みとか後悔とかじゃなさそうではある。
「確かに今日はラメが帰ったけど……別に今に始まったことじゃないだろ?」
「……そ、そうだね」
まさか本当に俺のことを好きになったのか?
でもでも、恋愛経験が乏しい人間はちょっとしたことで自分が意識されてると勘違いするって誰かが……。
ここは好きになられてはいないと考えよう。後々本当に両思いだったと判明した時に喜べばいい。勘違いはしないようにしよう、恋愛経験が乏しい人間だと自覚するのは辛いから。
「まあいいや。おやすみ」
「おやすみ……」
反対向きに体を倒したエルミアから、ほっと息を吐く音がした。
隠し事をしているのは確定だが、俺はもう完全に彼女を信用している。悩みがあったら相談しようと約束したんだ。重大なことなら相談してくれる。相談してこないということは、問い詰めるほど大事な問題ではない。うん。よし。
*****
翌日。
紅宮さんから連絡があった。
異世界人が関与していると思われる殺人が起こったそうだ。
「殺人!? 教団の奴がやったってことか? 俺達以外に、誰かを殺す必要があるのか?」
透弥は朝なのに声を張って問うている。
霊戯さんに、ではない。俺に問うている。
連絡を受けたのは、俺なのだ。
「どうだろう……。例えば教団員が魔法を使うところを見られたとか……いくらでも予想はできるよね」
「ですね。全く関係の無い人が殺されたというのなら、直ちに対策を取らないと……!」
俺は霊戯さんと咲喜さんの言葉に頷いた。
続いて、その殺人の詳細を述べる。
「透弥、お前は教団の奴の仕業だと疑ってるみたいだけど、そうじゃないらしい」
「何?」
「被害者は女性で、殺したのは教団とは無関係の男性。要約すると、男は女性に性暴力を繰り返していて、その末に殺してしまったと……男は既に逮捕されている」
恐らく意外であっただろう事件の概要に、場の空気が凍りついた。
「そんなのソイツが悪いに決まって――
「待て。俺も最初はそう思った。でもどうやら、男は悪くないらしいんだ」
「どういうことだよ……?」
「男は逮捕されて留置所に運ばれると、途端に泣き叫び出したらしい。……どうして殺してしまったんだ、どうして好きになってしまったんだって……」
場の空気が再度変わる。
性暴力による殺人から、不可解な殺人に話が変わったからだ。
「そして、男の腕に、黄色い星型の痣のようなものがあったらしい。男に覚えはなく、どうやっても取れなかったそうだ」
「黄色い…………星型の…………痣…………?」
震えた声が霊戯さんの喉から出た。
霊戯さんがこういう声を出すのは珍しい。そちらを向くと、まるで隠すかのように顔を伏せた。
「……そ……そっか……黄色い星の痣…………ね……ふっ……ふふっふ……」
「……羽馬にい?」
不気味な笑い声を残したまま顔を上げた霊戯さんは、一言を発した。
「面白いじゃん」
次に、椅子を引いて立ち上がる。
「それが異世界人の能力によるものじゃないか……ってことだね?」
「……は、はい! 現場をエルミアに調べてほしいって!」
そう言うと、エルミアが少し前のめりになった。
「じゃあ行こう! 泰斗君!」
エルミアの勇ましい眼差しにちょっとドキッとした。
だが、俺はそんな彼女に、皆んなに、隠し事をしてしまっている。昨夜、エルミアの隠し事を気にしておいて、俺は紅宮さんからのメッセージの一部を隠している。
『これより下は、他の誰にも話さないこと。現場の調査中にこっそり、私のところへ来てください』
一体、何がどうなっているんだか、俺にはさっぱり分からない。
第132話を読んでいただき、ありがとうございました!
そして投稿を休みすぎでごめんなさい!本当に。




