第124話 夏祭りの日
八月九日、木曜日。
口にガムテープを貼って黙っていると扇風機が回る音とセミの声しか聞こえなくなる季節である。一週間前の緊張感も抜けていないから、余計に汗かくし。八月さえ過ぎてくれれば涼しくなるんだけどなー。
でもうちにはラメという対熱中症の権化がいる。一瞬で飲み水を用意することができ、汗は一旦クリスタルに変えてから消せば無くなり、玄関前の打ち水も窓から自由自在に行える。冬立さんの方に居る期間もあるが、本当に助かっているんだ。
一方でエルミアは「私なんて暑くさせることしかできない」と嘆いたり嘆いてなかったり。そういえば、エルミアは五日経って元気を取り戻してきたようだ。最愛の姉を救った直後に封印しなければならなくなり、洗脳が解けるまで解放させられなくなってしまい。それで、また沈んでしまっていた。しかし念願の仲直りはできたので、徐々に明るくなっていった。
咲喜さんが百均で買ってきたアイテムを使って封印石を首から提げ、姉さんとずっと一緒だと喜んでいる。めでたしめでたし。
そして現在、俺はパソコンに向かっている。
画面に映るは黒と白の髪を持つ男、レジギア。
八月四日にも電話したのに出なかったから、今日やっと報告を行うのだ。
「何度見ても厳しそうというかドライな感じというか……そんななのに、この間はどうしたんだ?」
『預言者についてのことやバリアの解除方法を探るために暫く連絡できずにいたんだ。三日にその旨を伝えようとしたんだが……誰も出なかったから仕方なく、勝手に活動を始めた』
なるほど、そういうことだったのか。
八月三日といえば、俺ら全員がエルトラに捕まった日だ。それも朝から。繋がらなくて当然だ。どうしたのかと心配されるべきは、どちらかというと俺の方だったんだな。
「その日、エルトラ……あ、例の異世界人に捕まっちゃて」
『何だと? その調子では……無事だったんだな?』
レジギア側のムードが一変し真剣になる。
先生に怒られたみたいなノリで話す俺の様子から、特に問題はなかったと察したようだが。
報告にはそのことも含まれている。このまま全部話してしまおう。
「もちろん。その異世界人、エルミアの実の姉で……殺すことはできず、洗脳も解けないってことで、偶然あった封印石を用いて封印したんだ」
彼の表情が少しだけ和らいだ。
しかし、あまり良い気はしていないっぽい。
まあそうだろう。他人の感情で自分の気持ちがどうこうなるタイプじゃなさそうだし。それに、封印というのも確実性がないというか、危険に思えてしまう。
俺はエルミアとエルトラに感化されて封印というやり方で納得したけど。レジギアの真っ赤な目が怖いよ。
『エルミアの姉か……。爆発音も、エルミアの姉の仕業と考えれば全く違和感が生じないな。封印も……まあ良いだろう。状態は万全なんだろうな?』
「そこは信じてくれ。二人は和解したし、姉さん大好きっ子のエルミアだからこそ……ちゃんと気を配ってる筈だ」
俺がやるべきことは、できる限りレジギアに信用してもらうことだ。じゃないとエルミアが苦しむ結果となってしまう。自信満々に、それでいて真面目に。
『……わかった。信じよう』
安堵の溜め息が出た。
「よかった……」
『ところで、そのエルトラの追跡をしていた機動隊第四班の話は教団内で聞かなかったが……鉢合わせすることはなかったのか?』
安心したかと思えばユーラのことを聞かれてしまったので、俺はビクッと震えた。
そういえばと焦る。ユーラは操っていた天原さんの人形を破壊されただけで、生存している。エルトラが突然凶暴化したのもユーラが預言者に現状報告したからだとされている。何かしら仕掛けてくる可能性は大いにあるぞ。
「鉢合わせ……は、したな。第四班の、班長かどうかは分からないけどユーラって奴に……」
『戦ったのか?』
「いや特には。ただ、そいつは人形を操る魔術師で、本体はまだ生きてるんだ」
『ならば警戒が必要だな。エルトラを取り返しに来るやもしれん』
ゴクリと息を飲み、頷いた。
ユーラの能力は未知数だ。魔法もある程度使えるようだし、人形が操作できるなら包囲網の戦法を取られる恐れもある。後で皆んなにも伝えよう。尤も、霊戯さんは既に警戒しているだろうけど。
『お前の方はそれだけか?』
「ああいや、まだ伝えたいことがあって……預言者が洗脳に必要とする要素と、一時的に洗脳を解く方法が分かった」
『何だと!?』
珍しく感情を大きく表現するレジギア。
仰天って感じではないけど、そんな反応もできたんだなって感想だ。
「もう結論から言うぞ。洗脳にはどうやら魔力が必要みたいなんだ。逆に、魔力が抜けている間は洗脳が弱まり、本来の意思で動けるようになる。エルトラが実証してくれたから確かなことだ」
『……なるほど、魔力か。召喚時に魔力を全く残していなかった私が被害に遭わなかったのも辻褄が合うな』
やっぱりそうだよな。レジギアに効かなかったことも同じ理由で説明できる。
『魔力……洗脳は魔術である可能性が高くなった。宝能で他者の魔力を使うなど聞いたことがない……いや、それは昔の認識か?』
レジギアは目を横に逸らした。
「昔の認識?」
『何でもない。忘れてくれ』
昔の認識って何のことだ? レジギアがまだ異世界に居た時から今まで、一年も経過していないんじゃなかったか。二つの世界は時間の流れの速さでも違うのか?
まあいいか。博識そうなレジギアの意見だ。多分、魔術なんだろう。
『……とにかくだ。今後に役立つ。ありがたい』
「んじゃ、レジギアからも報告頼む」
『ああ。私の方でも、有益な情報を得た』
冷ややかなレジギアが言う「有益」はマジで有益に違いない。期待マックスだ。
『教団の基地には、預言者のみが入れる特別な部屋があることが判明した。また、バリアの管理室も一部の団員だけが入れるようだ』
よく調べられたな。もしかして実際に行って確かめたのか? 相当危険な調査だっただろう。
そして、任せていた預言者の正体に迫る部屋とアジトに突撃するために解除しなければならないバリアの管理室か。少なくとも管理室はレジギアに頑張ってもらうしかないが、どうするんだ。
「じゃあどうすれば……」
『どちらの部屋も、入るにはカードキーが必要だ。預言者のキーは本人から直接奪うより他ないが、管理室に関しては手立てがある』
一部の団員とは、詰まるところ突然の事態にも対応できる力と単純な戦闘力を兼ね備えた教徒だ。施設を守るバリアの管理役だからな。
レジギアがその管理役に任命されればキーカードを手に入れられるという計画なのだろう。条件として異世界人だということがあるならそれは達成しているが、魔法を一切使えない彼では戦闘どころじゃない。可能性は極めて低いと考えられる。
それ以外でレジギアにもできそうな方法が存在するのか。
『そこでだ。教団と手を組んでいる日本の組織を押さえたいと思う』
思わぬ手立てにドキッとした。
日本の組織が教団と手を組んでいるだと。
「日本の組織って……どこだよ、それは。どっから出てきた話だ?」
『調査の結果、言えるのはそれまでだ。何という組織なのかは不明……だが、手を組んでいるのは間違いない。まず、最初は異世界人だけで構成されていた教団がこのような近代的な地下施設を造れている時点でおかしい』
確かに、と納得せざるを得なかった。
レジギアの背景はロケット開発施設と教えられても全く不思議に思わないであろうものだ。異世界人にどんな能力があったとしても、これは作れない。レジギアの言う通り、大きな会社か何かと裏で繋がっていそうだ。
「なるほどな……。それをお前達が特定しろと」
『そういうことだ。外出が不可能な私は適任ではない。エルトラの件が解決した今、そちらに任せたいのだ』
「……で、それとカードキーはどう関係してるんだ?」
『基地のセキュリティシステム等はその組織が担当、管理している。複数の団員に送られるカードキーなら組織の誰かが保有しているか、または作成できる筈だ。場合によっては施設の機能全般を停止させることもできるだろう』
いくら異世界人だらけの難攻不落のアジトといっても、機能を停止させれば問題無しか。
大分無茶なようにも思えるが、これ以外に案を考えてみろと言われてしまったら縮こまるしかなくなる。やってやろう。
「分かった。時間は掛かるかもしれないがやってやるよ」
『ああ。では、改めて任務を伝え――
「あーっと、それは後でにしてもらえないかな?」
圧のある「は?」という声が聞こえてきそうな表情に怯えつつ、俺は親指で後ろを指さした。
これから、予定あるんだ。彼ノリノリだから、きっと今レジギアからの命令があると教えても聞く耳を持たないだろう。
「泰斗君早く! 夏祭りだよ、サマーフェスティバル!」
そう、今日は近くの神社の夏祭りに赴く日。
ちょうど出発の時間なのだ。時刻にして午後六時。
皆んなが玄関外に集まっている。
『夏祭りだと? 今後の生死にすら関わる事項だぞ!』
「だ、だいじょぶ分かってるから! じゃ、急いでるんで! 夜にこっちから掛けるから!」
『待――
バチン。と、俺は通話を切った。
*****
この世には絶景というものがある。
イエローストーン国立公園とか、ウユニ塩湖とか、日本だと厳島神社とか。一生に一度は見に行きたいとよく取り上げられる。
しかし遠い。何で行かないのと首を傾げられたら堂々と答えよう。遠い。しかもお金もかかる。かといってネットで画像検索するだけじゃ満足感が得られない。
……という問題は解決した。
何故なら目の前に現れたからだ。
対照的に、自分の心が汚すぎて悲しくなるけどな。
「日本の文化に感謝だな」
「何言ってんだお前」
透弥、お前はお呼びではない。
お呼びなのは浴衣の女子三名である。
特にエルミア。灰色の浴衣が彼女を最高に可愛くさせている。
なんて風に見惚れていると、目を輝かせたラメが寄ってきた。
「泰斗さーん! どうですか、似合ってますか?」
「ああ! めっちゃ似合ってるよ!」
「えへへ」
ラメは水色の花柄の浴衣を着ている。
ちょっと帯がきつそうだけど、嬉しそうに頭を搔いて照れてるんで良しとしよう。
「二人の浴衣、咲喜さんが着付けたんですよね?」
「そうだよ。手際良すぎてびっくりしちゃった」
と、エルミアと一緒に咲喜さんを褒める。
透弥までいい気になってることには、まあ、触れずにいよう。
「さあ、皆んな準備オーケーだね? じゃあ出発だ!」
霊戯さん、ノリノリである。
透弥曰くこの夏祭りには毎年参加しているらしい。
回数は四回。今日で五回目になる。そして、エルミアとラメにとっては夏祭りというイベント自体が人生初の体験だ。楽しんでほしいな。
ところで、霊戯さんの格好が気になる。
「……何で祭り行く前からお面着けてるんですか」
呆れ気味に尋ねる。
「新しいの買うんだよ」
「お守りの返納かよ、神社だけに」
「いやいや、お焚き上げとかしないから」
横のお面と合わせて笑顔が二つ。
この人本当に探偵なんだろうな。ただの愉快な男性じゃねえか。
*****
お祭りってのは、所謂陽キャの場所だ。
賑やかで良くも悪くも騒がしくて、活気がある。
ここ最近は祭りなんて見に行きすらしなかった。しかし今はどうだろう。楽しみで仕方がない。
好きな人もいるし、仲間もいる。嫌な要素が見当たらない。
夜なのに虹がかかったかのようなカラフルな屋台。
それらから香る熱い匂い。食欲をそそられる匂い。
知り合いから全く面識の無い人まで集まる空間。
星々が萎縮してしまいそうな提灯やライトの明かり。
「姉さんにも見せてあげたかったな……」
エルミアはぽつりと呟いた。
日本人からしたら、特に何の変哲もない祭りの風景。
彼女達が別世界の住人であることを強く感じた。
そして、どうしても異世界側の感覚になれないから、日常の何かすらも話したい、無邪気な姉妹に見える。
エルトラにも、か。
その頃、俺達どうなってるんだろうな。
預言者を倒したなら、すぐに異世界に帰れるようになるんだろうか。そしたら、夏祭りなんて二度と来れないかもしれない。
――じゃあ。
「じゃあさ……」
いや、何考えてるんだ俺。
約束したんだ。したんだぞ。
エルミアのことが好きだから、エルトラのことも大事だから、だからってこの世界に留まって、なんて……。
許されるわけがない。俺の個人的な感情で彼女達の人生を振り回してはいけない。そう、好きだからこそ抑えるんだ。
「……? どうしたの?」
「いや、何でもない。……それより……ほら! 案内してやるよ、ここのは初めてでも大体分かるから!」
俺は焦りを誤魔化してエルミアの浴衣の袖を掴み、奥の方へと誘った。
第124話を読んでいただき、ありがとうございました!
次回で第三章も終わりとなります。次回もお楽しみに。




