第122話 蝋は溶けゆく
2020年 6月8日
気付けばそこは、見知らぬ空間だった。
時間は昼だった筈なのに、辺りは真っ暗。空にはポツポツと星が見える。月もあった。
周囲にあるのは、本で読んだことすらない見た目の建物だったり、高速で動く鉄製の何かだったり、十分過ぎるほど舗装された道だったり。とても、好奇心を煽るようなものではなかった。
金属で出来た物が沢山あるのは分かる。だがそれ以外は分からない。王都の喧騒はどこへやら、人一人見当たらないし。
エルミアは人生最大の戸惑いを感じた。
護衛の者も消えていたから、誰かに助けを求めることもできない。
何かただならぬことが起こっているのだろう。しかし具体的にどうなっているのか、頭を竜巻のように回しても理解できない。
泣きそうになりながらふらふらと歩いて近くにあった鉄の柱に手をついた。
「……どこ……なの? ここは……」
ブウウンと鉄の物体が通り過ぎる音。人声の代わりだと思うべきなのだろうか。しかし定期的に耳に入ってきて、不穏を感じさせられる。
(そうだ……魔法は……)
指の先から火を出してみた。こんな奇天烈な場所でも、魔法はいつも通り使えるようだ。少しだけ安心。
それに、火は明るい。解決への一手となるわけではないが、暗闇の中を彷徨うようなことはしたくない。落ち着きを得られるのだ。
「誰か、人を……人を、探そう……」
自分一人ではどうにもならない。そう考えたエルミアは、助けてくれる人を探すことを優先した。もしかしたら、ここに住んでいる民族に会えるかもしれない。現在地の情報と水と食料さえあれば、帰れる。王国まで数年を要するような所なら悩むが。
とにかく、少しでも多く情報を集めねば。でないと、今のところは安全だが、死の危険が訪れたときに対処ができない。
エルミアは咆哮するドラゴンの喉のように身を震わせ、胸を押さえながら夜道を進んだ。
道は判別できる。そして、横の幅広い道は危ない。だからこのまま進むだけでいいのだ。いつ賊に襲われてもおかしくない状況だが、不思議なことに、エルミアを狙う目は無いようだ。
(…………あれ……人?)
エルミアと同じくらいの背丈の男がいた。向こう側に渡りたいのか、そっちを向いてぼーっと立っている。
恐らく大きくても年齢の差は三つしかないであろう子供だ。変な服を着ているし、嬉しいのか悲しいのかよく分からない顔をしている。
ここに来てエルミアは、話しかけるべきか迷った。賊ではなさそうだし戦闘能力も高そうではないが、「来ないでオーラ」を放っている。まだエルミアの存在を認識していない筈なのに、接近を拒んでいる。
(地名を聞くだけでも、別にいいんだから……じゃないと今夜生きれるかどうか……。いや、でも話しかけていいのかな……本当に?)
もじもじしていると、男はぼーっとしたまま前進し出した。何か、渡るタイミングがあるのだろうか。
そうにしては、何も変わっていないような。
そこで、エルミアは気付いた。
男に注意していたからだ。男が、鉄のやつに撥ねられようとしている。横から来るその動く物体に、男は反応できていない。
(死ぬ!)
魔獣討伐などで兵士が死ぬ瞬間を確認したこともあるエルミアは、彼がこれから死ぬことを察した。
あの速度の物を抵抗無しに受ければ、超人でない限り散る。しかし彼は、多分強くない。
エルミアは引っ張られるように駆け出した。
彼のことなど何一つ知らないが、これがただの事故であるならば命は守った方が良いのは明確だ。
風魔石を投げ、彼の体を上に吹っ飛ばす。
鉄のやつが過ぎ去ったところで飛び出し、落ちてきた彼を抱いた。
「危なかった……大丈夫ですか?」
潔く逝きます、といったような安らかな表情でいる彼に声をかける。
すると彼は、突拍子もなく美少女がどうとか呟き出した。エルミアが困惑していると、彼はさらに異世界がどうと叫んだ。
全くわけがわからなかった。
まさか変人と出会ってしまったんじゃないか、とエルミアは思いながら、彼と言葉を交わす。
ちょっと変わってはいるものの、仲良くなれそうな人だった。明らかに文化が違うのに、興味津々そうで調子が良い。
エルミアは彼に名を名乗った。次代女王だ、と。教える度に胸が苦しくなる肩書きを。
すると彼は名乗れないと渋った。
元より自己肯定感の低いエルミアにとって、それは一番嫌な対応だ。できないことばかりで、勇気を出して姉を救うこともできなかった人間に、あなた程の者じゃない、なんて。
それに、エルミアは彼と仲良くなりたかった。帰るためではない。笑い合う仲に憧れを抱いていたのだ。友達を作らせてもらえなかったエルミアは、羨ましかったのだ。
だから彼を叱った。
身分や規則に囚われるのは懲り懲りだった。
結果、彼は「朱海泰斗」という名前を教えてくれた。
文化の違いを再認識。どう書くのかも分からない。
しかし、エルリスと言ってもエルーシャと言ってもハテナな感じの泰斗とは、暫く一緒に居たいと思った。好きというよりは、嬉しい。エルミアは嬉しかった。
人と人は、いつから友達と呼び合うのか。
友達なら敬語なんて捨ててもいいのか。
そんな疑問を持ちながら話していた所為か、思わず崩れた口調になってしまった。
泰斗は笑った。どころか、もうタメ口で喋ろうと提案した。その笑顔が、星や月よりもキラキラと輝いて見えた。
「友達……?」
「友達?」
「あっ、いや……友達はこういう風に話すって聞いたから」
「……だな、友達だ!」
朱海泰斗は、エルミアに初めて出来た友達なのだ。
教えられた通りに生き、両親に従順で犬のようだった過去の自分と決別させてくれた、唯一の人なのだ。
これで姉さんも少しは許してくれたんじゃないかとエルミアは密かに喜んだ。
*****
エルトラを抱きしめながら、エルミアは泰斗との出会いを思い出していた。
(また助けられちゃったよ……泰斗君)
泰斗の機転によって、エルミアは勝利に限りなく近付いた。
一度抱きついてしまえば、殆ど勝ったようなものなのだ。後はエルトラを改心させるだけで、全てが終わる。
「は……離せっ! 何してんのよ、エルミア!」
鼓膜が破れてしまいそうな声量で怒号するエルトラ。
エルミアは優しく包み込んだ。目を瞑り、その怒りをずっと聞いていた。
「……魔法が……出せない……!」
抱き締めようものなら、エルトラの魔法で焼かれる。
そのことを理解しているエルミアは、ある仕掛けをしている。エルミアの手の中に。
手を開くとそこには、火魔石一つと純魔石二つ。予め魔力を抜いておいたのだ。
「魔石! 私が放っている火の魔力を全て……吸収している!」
その事実に気付いたエルトラはエルミアを引き剥がそうと暴れた。
だが、余る力全てを注いで姉を抱くエルミアは、簡単に引き剥がされたりしない。血だらけで倒れそうなのに、エルトラに勝っているのだ。
目を閉じているエルミアは、思い出だけを見ていた。
エルトラとの思い出に、泰斗との出会い。その二つが全力を引き出している。
「姉さん…………まだ、私が嘘ついてると思うの?」
思い出で頭がいっぱいだからか、口から出る言葉は全て柔和に響いた。
「当たり前よ! あなたに対する信用はゼロ……ずっと昔から!」
信用を失って当然の行いだったことは承知している。
信じられないだろう。きっと誰だってそうだ。エルトラは悪くない。悪いのはエルミアだ。
でも食い下がる。悪いからこそ、エルトラを地獄から脱出させる。それが最大の償いなのだ。
「……エルミア、あなたもう限界でしょう? じっくり魔力を放出していけば、先に倒れるのはそっちの方よ。それに、魔石には容量がある! 容量が体力か、そのどちらかの限界に到達するだけで勝敗は確定するんだから」
微かに感じる魔力の波が弱くなった。
エルトラの作戦通り負ける可能性はある。
説得を急がねばならない。
「……姉さん……私、教え込まれたことを厳守するのは止めたんだよ。召喚されて、泰斗君と出会って、初めての友達が出来て……それで、ワイワイ楽しく話せるようになったんだよ……」
本当につい最近の話だ。泰斗と友達になったのも約二ヶ月前で、十六年の人生の中ではごく僅かな期間。そんな短い日々でも、エルミアは変われた。こうしてエルトラに立ち向かうのもまた、変わったことによる強さだ。
「楽しいのは……あなただけよ。そんなに長い付き合いじゃないのに、自分変わったアピール? おめでたいのね」
長くない付き合いで、確かに変わったのだ。
人との関わり方を学んだ。皆んなと一緒に歩むことを学んだ。他の何にも代えられない成長の経験。泰斗達が教えてくれた。
それをまるで自分が操って皆んなの愛情を買っているような表現をするエルトラに、エルミアは心を痛めた。
慕っている姉は、そんなことは言わない。そんな人ではないと自信を持って紹介できる。
「皆んなに罪は無い。私が……私が罪を犯したから……」
「ええそうよ。あなたが変えた……」
「姉さんをね。私が姉さんを変えてしまって、駄目な私を皆んなが変えてくれた」
エルトラは歯をギリギリと噛み合わせる。
「この分からず――
「でも!!」
ずっと静かに優しく話していたエルミアは、遂に声を張った。
「姉さんにも変えられたんだよ。……ほら、前、『生きるためには戦わなくちゃいけない』って」
どんなときも大事にしていた考え方だ。泰斗達にも、同じように教えた。その信念はまだ生きている。
「さっき喋る人形と戦ったでしょ? あれは教団の団員。姉さんが勝手に出て行ったから探してるらしいの。私もね……召喚された直後からずっと追われてる。だから姉さんの言葉を思い出して、『生きるために戦ってきた』んだよ……」
「っ!」
「神の敵、らしいけどさ。ほんの二ヶ月で知らない神を信仰してる教団に対抗しようなんて気にはならないよ。異世界に帰るために探ってはいるけど、先に攻撃するのはいつもあっちだった」
エルトラの全身に込められた力が、少しだけ弱まったのが分かった。暴れるのも止めて、魔力を放出するだけの抵抗をしている。
「姉さんを救えなかったから、せめてと思って……頑張ってきたんだよ」
その時、二人は互いに、右肩に水がかかった感触を得た。
「…………私……エルミアに泣いてほしくなかったのよ。抑えてくれないと……ただでさえ駄目な姉さんが、もっと駄目になっちゃうわ」
大粒の涙を豪雨のように流して、エルトラは笑った。
六年ぶりの満面の笑みに、エルミアも涙を垂らした。
しがらみにやられずに姉妹で笑い合ったのは、実にエルミア誘拐事件の後以来だ。
「姉さん……っ! ごめんなさい……ごめんなさい……」
もう一度、強く抱きしめる。
感情が溢れ出した。仲間を殺されたことなど、許すべきでないことは当然ある。だが、かけがえのない姉が帰ってきてくれたのだ。大好きだって何度も叫びたい。
「エルミア……私の方こそ、ずっと勘違いしていて……糾弾してばかりで……ごめんなさい」
いつの間にか、魔石は魔力で一杯になっていた。
エルトラの体には、もう魔力が残っていないよう。なのに元気そうだ。
「謝っても謝り切れないと……思うんだ」
「これ以上謝る必要無いのよ。もう分かったから。思い出したの、あなたの可愛さ美しさを」
二人は涙が零れる度に拭う。エルミアが火魔法を使えば、これくらい一瞬で乾かせるのだが、そうはしなかった。
こうやって号泣し合うのもまた、姉妹の時間であると思ったのだ。
「エルミアのことだから、今まで散々悩んで来たんだろうね。そう考えると……溜まった苦痛は同等なのかも」
「そんな…………私からはそう言えないよ」
「とにかく……良かった。また二人で幸せに生活できそうで」
「うん!」
世界を越えて、姉妹は愛情を取り戻したのだった。
第122話を読んでいただき、ありがとうございました!
次回もお楽しみに!




