第118話 復讐の火
再開した思考で始めに見たのは、淀んだ灰色の檻と壁だった。鉄格子の扉が閉められ鍵を掛けられると、ガシャガシャと金属の動く音が牢に響いた。無情に去っていく兵士の足音もまた、不快に響く。
しかし、響いているものはそれ以外にもある。私の中にあるのだ。
最後のエルミアの言葉が、何度も何度も、脳内を巡っては帰ってきて、そして私を刺してくる。
『一生かけて罪を償いなさい、お姉様』
皮膚の下に氷を詰めているのかと思うほど冷たい表情で、姉妹の絆など微塵も感じられない姿だった。もしかして本当に、私の夢だったのだろうか。大好きだって笑ったエルミアは、私が創り出した偽りの姿だったのだろうか。
分からない。この世の誰よりも、あの子のことが好きなのに。その子に背を向けられては、もう何の支えも無いと言っても過言ではない。
誰もいない。
何人かは罪人が同じ階層に入れられているのかもしれないが、会話なんてできない。檻の外を覗いても、視界に入るのは真っ暗な石造りの空間だけ。動体は水の雫くらいだ。
「エルミアを救えたこと……これを素直に喜べたなら、どれだけ幸せだったか…………。実際とても嬉しかったけれど……私が見たかったのは元気に笑うエルミアで、聞きたかったのは彼女の愛のこもった言葉だった。のに」
足を引き摺るように鉄格子から離れ、申し訳程度の布にストッと腰を下ろした。
「掟を破るような、そんなオネエサマは嫌いか……。そうね、エルミア、洗脳され切っているもの。……でも何か、想ってほしい……自分勝手かもしれないけれど、『ありがとう』の一つくらい……」
腰の両脇に落としていた手は、意識せずとも辛さを抑えるように布をぐしゃりと握っていた。
あれ、これって本当に辛さ? 私、怒りを抱いているんじゃって気がする。
「怒り………………そうよ怒りよ! どうして知っておいて私を捨ててしまったの……。あなたの命か掟かの天秤は、右側の方が下がっているの? 私の天秤が逆に傾いていたってこと、分かってくれないの?」
エルミアとの記憶が、まるで火をつけた紙のように黒くなって消えていく。この心の中にある大切な思い出や笑顔や、おまけに未来が……全て茶色に焦げて、黒くなってボロボロと崩れていって、そして何も残らない。
エルミアと私が隣り合うことはもう焼失してしまったのだ。
*****
生きる途を探したい。
こんな王国とはおさらばして、どこか遠くの地で暮らしたい。エルミアは連れて行かない。
しかし、この牢屋からの脱出は困難を極める。裁かれる側になると厄介なのがこの国だ。
まず、地下牢の最下層とは最も罪が重い罪人が収監される場所。禁足地に入るのはそれに該当し、他にも大量殺人やら国家反逆やらの犯人が入れられる。貧弱な罪人はまず収容されない。
ということは、ちんけな牢では脱獄されてしまう。だから魔法の技術を活かして最高の牢を作っているのだ。
禁足地に張られていた魔力結界と同じものが、ここにも張られている。規模が小さくても効果は同等。食事の用意、片付けと排泄物の片付けのとき以外は解除されず、内からも外からも向こう側に干渉できない。
さらに、魔法の発動を阻害する高度な魔術が常時仕掛けられていて、指の先くらいの火球すら出せない。
私の自慢の火魔法も、ボッと微かな音を立ててすぐに消えてしまった。
当然剣も没収されているから、檻を破壊することは不可能。窓も排泄用の穴も設計図に描かない抜け目の無さもある。
大抵の囚人は諦めて絶望に暮れるとか言ってた。私もそうなるのか? いや、そうはならない。
……と思い立つまでは良かったが、体感で一日経っても、方法の一つも考え付かなかった。
ひんやりとした壁に背を任せたその時だ。
ここは小さな音もよく響く。
誰かが近付いてくるのが簡単に分かった。
それも、兵士ではない。兵士なら鎧や兜の擦れる音もする筈が、聞こえない。食事ではないのだろう、少なくとも。
鉄棒の隙間に何が見えても対応できるよう警戒する。
あと、父とかなら睨んでやるんだ。エルミアよりも、ソイツが凶悪な奴だから。
「エルトラ様」
柔らかくも真剣な女性の声が通り、暗い地下牢には似合わない明るい色の服を着た人が現れた。
「フェイリー!」
驚きを隠せずに叫んでしまい、彼女の指が私の口に当てられた。
「お静かに。見つかってしまいます」
「……わかった。…………もしかして、助けに来てくれたの? ……それに、結界を解いたの?」
指で触れられたということは、魔力結界を解除したということだ。
フェイリーによると、ちょうど私からは死角となって見えない位置に、魔力結界を操る魔道具が置いてあるらしい。
わざわざ警備の目を掻い潜り、結界の解除までしたということは、もう、聞くまでもないのかもしれない。
「どうして……私を助ける気でいるの? 最下層の囚人の脱獄を手助けするなんて……バレたら即処刑よ。あなただけは……せめて、フェイリーだけは平穏に生きてほしいの」
「いいえ、そのご指示は受け入れられません。私は王国や陛下に仕えているのではなく……エルトラ様、あなたに仕えているのですから」
そう言うと彼女は、檻から出た私の手を優しく掴んでくれた。まるで、引っ張ってここから出してやると約束するように。
私は複雑に絡まる感情の中にある彼女を、忘れてしまっていた。
そうだ、フェイリーは、私のことを想ってくれているんだ。捕まれば命は無いというのに協力してくれる大切で心を持った人だ。きっと何とかなる。
そして同時に思い出すのは、こんな人を信じずに計画に参加させなかった自分だ。嘘をついた自分だ。
「ごめんなさい、フェイリー。私、嘘をついて……」
「気に病まれないで下さい。嘘も、掟のことも、エルトラ様のご心境を察せば当然の行為。私はあなた様を責めることはしません」
「…………ありがとう」
フェイリーは深く頷き、そして立った。
「鍵にも特殊な魔道具が使われているようです。その在り処を見つけるか、もしくは結界を操作できる別の物を探して……必ずや二人で逃亡します」
「ええ。二人で頑張りましょう。私もできることは……あるか分からないけれど、やる」
こうして私たちは別れた。
折れかけていた心が元に戻った。
フェイリーが味方してくれるのなら、エルミアを失ったって大丈夫よ。
*****
三日後。
フェイリーは帰ってこない。
時々顔を出してほしいとかお願いしなかったからか。
寂しい。毎日見るのは兵士の兜か、外したときの顔だけ。彼女の笑顔で目を潤わせたい。
と思っていると、また足音が聞こえた。
「兵士……じゃない。ということは……!」
胸がドキドキして、檻をガシャンと鳴らした。
しかしそれで、知りたくない事実を知ってしまった。
――カチャン。
金属音……剣の音。
フェイリー、護身用に剣でも準備したのか。
そう思いたい。でも、あの人の雰囲気は感じない。別の誰かだ。
「ふむ、エルトラ……。死んではいないな」
ドス黒いエルドリス。
松明だけが明かりの暗い牢よりもさらに暗く、黒い男が、私の目の前に現れた。
後ろに母やエルミアもいる。
「何の用? 早いとこ終わらせなさいよ」
目が見開かれ、歯がギシリと重なった。
「吹っ切れたか? 牢に囚われて……遂に生意気な本性を、氷山の尾まで晒したかっ!!」
石材が崩れそうな大音量で、ソイツは憤怒した。
全く嫌な面だ。しかし私は怖気付かない。
「氷山? 火魔法で溶かして、心の底まで洗脳しようって気の発言? 無駄ですよ、残念ながら私はこの国の思想に染まれない性ですから」
「どこまで言える? たとえばこれを見せられても、まだ折れずに戯言を垂れることができるのか?」
「……?」
取り出されたのは、髪飾りだった。
ただの髪飾りならよかった。だが、「ただの」物品を今出すわけはない。誰よりも私がよく知る髪飾りだ。
銀色の髪飾り……フェイリーの髪飾り。
いつ外すのかと疑問を抱くほど肌身離さずつけているもの。外出時だって取らない。
それが、何故?
元から寒い牢の中だが、空気に震わされた。
弁を止められた屈辱を気にしている余裕は無かった。
「フェイリー……の髪飾りが……どうして……」
「調査に当たった者曰く、危険な路地に入ったところを盗賊に襲われたらしい。遺体は回収され、死亡が確認された」
フェイリーが死んだ?
って? 事実がそう言っている?
嘘。何で嘘つくのよ、あなたの心境を考えても理由なんて察せないわ。
信じられない。信じている人なのに、信じられない。
「そんな…………フェイ……リー……」
鳥肌が全身の力を吹っ飛ばした。
膝は吸い付けられるように落ち、上半身は無気力に脚に従った。
コイツが虚偽の報告をする必要は無い。
真実なんだ。フェイリーは確かに、死んだ。危険な路地……牢を開けるための魔道具を探そうとして、それで殺された。私のために。私の所為で。
でもフェイリーはそういった結末も覚悟していたのだろう。納得なんてしたくないけれど、だからって彼女の意思を尊重しない未来が正しかったかどうかはまた別の話だ。
何にせよ、私のことを想ってくれる人間は存在しなくなった。孤独には悲しみしかない。
そして同時に、怒りの感情も生じた。
「フェイリーは……とても従順で素直で、どんな仕事も任せられる人だった……。国王夫妻からしても、大切な存在だった筈よ……。何も思うことはないの?」
父と母は顔を見合わせ、顎に手を添えた。
一筋の光が見えた。私たちを肯定する光が。
「確かに……フェイリーがいなくなってしまうなんて」
「優秀な人材を失ったのは大きな痛手だな」
光は、一瞬にして消えた。
求めたのは、そんな返答じゃない。家とか国とかの問題じゃない。彼女を愛し、弔う気持ちだ。
「……ふざけるな」
「なんだと?」
「ふざけるなッつってんだよ、蛆湧きの馬糞みたいな汚い野郎共がっ!」
猛獣のように格子に飛びつくと、汚い足で口を蹴られた。
「ぐっ……う……」
歯茎からの血と鼻血が流れ出し、反射的に押さえた両手を赤く染め上げた。
倒れて横になった視界の中で、父と母は軽蔑の眼差しを私に向けた。
「実の親を罵倒するような不出来な娘に育てた覚えはないのですが……」
「それもまた、性というヤツなのだろう。終身刑は正しい選択だった。行くぞ、エルミア」
私は鉄の味ばかりの血をペッと吐き、エルミアを呼んだ。
もしかしたらエルミアは、私にまだ情があるかもしれないから。
「お姉様……私は、あなたと一緒に今までを生きてきました。だからこそあなたが人生を罰で終えなければならないことを……知っています」
熱い涙が流れ、血と合流して腕を伝った。
エルミアは一筋の光さえ持っていないのだ。
「私は悪いことをした……自覚はある。でも……でもっ……エルミアと幸せに笑いたかっただけなの。ねえエルミア……恩着せがましいことは承知で、『ありがとう』ってただ一言言ってほしいの……」
大量の涙で視界は霧が蔓延した森のようになり、血塗れで這いながら衰退していった。
「構うなエルミアよ」
エルミアがそのまま去ったことだけを理解し、私は咽び泣いた。
決まった。
全てはここで決定した。
アイツらは家族なんかじゃない。父は父じゃない。母は母じゃない。妹は妹じゃない。死ぬべきは皆んな。
その時、そう決まった時――私の心に火が灯った。
復讐の火が。
*****
覚悟は力を引き出した。
出された食事は木製の食器で食べる。皿とスプーンを手にタコが出来るまで擦り合わせ、火を作った。
食器を片付けに兵士が来た時を狙い、ソイツの口に火をつけたスプーンを投げた。
もがいている間に足を引き摺り、装備や皮膚がグチャグチャになるまで引き摺り、手を伸ばして鍵を取った。
この役割を担当する兵士は毎日同じ人物だった。
だから牢の鍵を持っていたんだ。
牢から出た私は剣や服を回収。向かってくる兵士は全員斬り捨てた。
城を出ると、町を駆けた。
エルトラ様が王位継承権を剥奪されたそうだ、とか、継承権を得たエルミア様に期待だ、とか、そんな国民の会話が耳に入ってきた。
追っ手は隠れるか殺すかして凌いだ。
やがて都から出ると、私は人の多い場所を避けて野で暮らすようになった。
エルーシャという姓は捨てた。
そして胸にある王家の証拠であるバッジも毟り取って捨てた。
そして六年の歳月が経過し――
私は殺すと決めたエルミアと、再開した。
第118話を読んでいただき、ありがとうございました!
次回もお楽しみに!




