第116話 禁足地
私はエルミアの命を救うため、たった一人で禁足地に踏み入ることを決意した。フェイリーは禁足地には入りたくないようだし、エルミアのためという侵入の理由は解決してからでないと使えない。途中で見つかったら、フェイリーは解雇され、最悪の場合死刑にもなる。万命草が見つからない場合も考慮すると、巻き込むことはできない。
「本当に良いのですか……? 書庫を一人で調べるとなると、これまで以上の多大なる時間を必要とすることは目に見えていますのに」
フェイリーはそう言って首を傾げる。
私の考えが覆ることはない。書庫は調べないけれど、あなたに迷惑は掛けない。
彼女への情からだろうか、自然と笑みが零れた。嘘をついているっていうのに。
「いいのよ。書庫と町、二つから同時に情報を得た方が効率が良いと思うから。新たな発見もあるかもしれないしね。……それじゃあ、よろしく」
フェイリーを見送り、あちらからこちらの様子が窺えない位置まで進んだことを確認すると、私はくるりと回って扉に背を向けた。
そこでやっと実感が湧いた。規律とか規則とかを押し付けるのを嫌う私でも、十年ほど前から言われ続けてきた掟を破るのはそれなりに勇気が要る。
頭を振って気持ちを固める。
私のやる行いは正義だ。大切な妹を守るための、正しい行為だ。悪くなんてない。
*****
必要な物を揃えた。
動きやすい服に、正体を隠すための黒いローブ。禁足地内で襲われたときのために、剣も携帯する。フェイリーが見つけてくれた日誌も持って、準備は万全だ。
「城の敷地内だから一般人はいいとして、兵士達には見つからないようにしなきゃね」
禁足地の入り口は城とロレイユの森の間に位置する。
日誌に書かれた地図では、そこから細い道が伸びていて、奥に開けた場所がある。さらに先にも何本か道があって、旅人が万命草を発見したのは一番右の道。探しても見当たらなかったなら、もうこの地には存在していないということだ。
「もしも無かったら、エルミアは………………ううん、そんなこと考えない。気力が削がれる」
紅色の剣に映った不安の表情を、鞘に収めて消し去った。そしてローブの中に仕舞い、手ぶらで部屋を出た。
まずは禁足地の入り口付近へ向かう。
これは難しいことではない。ローブを着ずに、さも普通の荷物のように持っておけば、怪しまれることはまずない。そもそも地位的に、私は中々不審に思われることはないんだ。
「建物からは出られた……次は東側の庭の奥へ」
剣術や魔術などの訓練が行われるのが、東の庭だ。
兵士だけでなく、私とエルミアもここで訓練する。だから今も兵士は多い。
兵士の訓練の見学や花の観賞と偽って、足取りは全く崩さずに進む。大丈夫、バレやしない。
しかし、これじゃあ帰る時が大変だ。草の一つや二つは隠せても、長時間禁足地で過ごしたら、そんな長い間何をしていたのかと聞かれてしまうかもしれない。
エルミアに万命草を与えるまでは、できる限り隠蔽した方が良い。
嘘が思いつかない。急ぐしかないか。
兵士が剣を交える音が、左からも右からも、後ろからも聞こえてくる。火球を飛ばす音や、岩を作り出す音もだ。
エルミア様を心配する声が、激しい音に混じって耳に入ってきた。そんなに心配なら、私のように行動の一つ起こしてみればいいものを。……無理か。流石に、禁足地には。
「庭から一旦塀の外に出て……左に曲がった先にある離れた門へ」
門の中に小さな空間があり、禁足地の入り口はそこにある。目的地はすぐそこだ。
「エルトラ様! 外出されるのですか?」
門衛に止められた。そういえば、一ヶ月前にエルミアを助けた時、門衛なんか無視して出て行ってしまったような。
「……ええ。……あ、護衛をつける必要はありませんよ。このローブを纏い、近くの咲き誇った花々を観るだけですので」
そう言って折り畳んでいたローブを目の前で纏ってみせた。
兵士二人は了承してくれた。しかしなんだろう。私を曇った目で見てくる……もしかして。
「お二人とも、もしかして私がエルミアのことを気に掛けていないのかと疑っているんですか?」
「いっ、いえいえ、そんな失礼なことは、決してございません!」
声色を和らげた筈なのに。
兵士二人は慌てて頭を下げた。
「……エルミアを心配していないなんてことはないですが、傍からそう見えてしまうのは……きっと妹なら難病にも打ち克つだろうという信用の心を持っているからでしょう」
門衛の目が感動の色に染まっていくのが分かった。
ちょろい、ちょろい。病気の詳細を知らされていない兵士にはこれが効く。
まあ、エルミアを信用しているのは本当だけれど。信じたいのは山々だが、病状が病状だから、信じて平和に花を観ているなんてできない。
心配していないように見えるのは、今まさにエルミアを助けようとしているからだろう。
私は何の問題も無いまま、門を出た。
*****
次の課題。
禁足地の入り口を見張る兵士をどうにかすること。
「……この塀、土魔法で簡単に登れちゃうじゃないの……んしょ」
塀から顔を出し、中を確認。
案の定兵士が張り付いている。人数は六人。斬るわけにはいかない。姿を見せないままこの場から離れてもらう。
町の方の適当な空に火球を生成し、三秒後に消した。
するとどうなるのか。私の作戦通りになる。
「あっ! あれは!」
「エルミア様に何かあったのか!?」
「し、しかし……エルミア様は病で床に就かれている筈だ! まさか、医師が!?」
「前の事件の犯人は召し使いだった……可能性はある。向かうぞ!」
兵士達はワーワーと騒ぎながら、門を出て町に行ってしまった。一人ぐらい残しとけばいいのに。相当焦っていたみたい。
私は兵士達が門を開いたと同時に全身を持ち上げ、塀の内側に着地した。
エルミアと私の間でのサイン。事件が起こったら空中に火球を三秒、事故なら五秒。例の事件の後、私は召し使いや兵士にそのサインを伝えた。まさかこんな形で役に立つとは思ってもみなかった。
「さあ、これで邪魔する奴は居なくなった。けれど、邪魔する物はあるのよね……」
禁足地への道は鉄格子で閉鎖されている。扉になっているタイプじゃないから、「入り口」とは呼ばれない。
これだけなら横の塀を越えて侵入できたのだが、加えて魔力結界が張られているのだ。弱い結界だったなら魔力を溜めてぶつけることで壊せたが、魔法の最先端エルリスはちゃちな結界は用意しない。
試しにいつもより魔力を込めた火球を一つ、石を投げるように禁足地の中へ向けて飛ばしてみた。
すると火球は空中で何かにぶつかり、大量の虫が逃げるように消滅した。
「やっぱりそうなるわよね。……結界を操作するための魔道具がある筈……そこの石碑かしら」
鉄格子の側に「エルリス魔法王国禁足地、入るべからず」と刻まれた石碑が設置されている。
魔道具はコイツの中に埋まっているとみた。
「長い年月が経って亀裂が生じている……ちょうどよくて助かるわ。……地獄を這い回る大蛇!」
亀裂に沿って炎を注ぎ、石碑の前側半分をバラバラに破壊した。
私は魔法で破壊されず、前側半分が露出した魔道具を見て、ニヤリと笑った。予想通りだ。
「これが魔道具……」
剣と同様にローブの中に入れておく。兵士は多分石碑の中に魔道具があるなんて知らないから、仮に戻ってきたとしても盗んだことは気付かれない。
あとは石碑を直して終わりだ。地獄を這い回る大蛇は石碑の破片に残っている。魔法の発動者である私は、全ての破片を操って元に戻すことが可能なのだ。しかも亀裂に沿って破壊したから、新たにできた亀裂が破壊の跡だと認識されずに済む。
「よし。行こう」
石碑を修復した私は、先程と同じように塀を登った。
結界は魔力だけでなく、人体も弾く。
私は他にも魔道具があったらとドキドキしながら、ゆっくりと片手を伸ばした。
結果は…………成功。
「よかった」
張り詰めた空気が散り、私は胸を撫で下ろして塀の内側に下りた。
*****
日誌を取り出し、栞を挟んだページを開く。
地図通り、細い道が続いている。敵に警戒しつつ、進んでいこう。
「変な雰囲気ね……。壁を隔てて分けられた別世界みたい……」
考えてみれば、ここは今まで王国の誰も入ったことのない区域。当然整備されていないし、人気のない不気味な雰囲気が漂っている。
魔物や魔獣に遭遇しても恐れない私でも、次第に怖くなってきた。
小道の両脇に並ぶ木々が鬱蒼とした森を作っている。
沢山の木で陽の光が遮られ、昼間なのに肌寒い。しかしそれは隣のロレイユの森も同じ。それ以外に、ロレイユの森とも異なり、独特で恐怖心を煽ってくる要素があるのだ。
理由も原因も分からない。エルミアと自分を守るという覚悟が無ければ、王宮に帰ってしまっただろう。
「そろそろ丸い開けた所に出る筈…………」
思わず立ち止まってしまった。
眼前の光景が、私の行く手を阻むようだ。
そこに広がった光景は、比喩抜きで別世界だった。
文字通り、ついさっきまで暮らしていた世界とは全く違う、別の世界だった。
「…………何……よ、これ……」
これまで見てきた木と種は変わらないように見えるのに、幹が鞭のようにグニャグニャと曲がった木。
赤と青と緑の花びらを持つ、私の肩くらいまである草丈の花。
ただれた皮膚のような形をした木の実。
ドラゴンの尻尾を地面に突き刺したような形の木。
蛇のような花。
葉の先がドクロみたいになっている垂れた木。
全てが、私の喉に入り込んで言葉を詰まらせた。
「見たことない植物ばっかり……気持ち悪い……」
魔物の腐った肉を混ぜて煮たような臭いや、逆にどんなデザートよりも甘い匂いが鼻に入ってくる。
日誌にはこんなこと書いていない。旅人が訪れた時は生えていなかったのだろうか。呪われそうで、一刻も早く万命草を採取して帰りたい気分だ。
「……まさか禁足地がこんな場所だったとは……。でも、だからこそどんな病気でも治す草の信憑性が濃くなるわね……」
私は別世界の草を踏み、奥へ奥へと進んだ。
私の行く手を阻む植物の遺志を継いだかのように、とある建造物が私の足を止めた。
「祠……?」
石造りの大きな祠が、草まみれの地の真ん中に建っている。
表面はヒビと苔だらけで今にも崩れそうだが、魔力を感じる。強大な魔力が結界となり、祠を守っている。
「前人未到の地の祠……ということは、王国ができる以前に建てられたもの。結界は誰が……? 王国か、それとも個人なのか……。神でも祀っているのかしら?」
異様な植生、正体不明の祠。
私には知ることのできない「何か」がある。
祠の結界は球や立方体などではなく、祠にピッタリ覆い被さる布のような形状である。
触れてみよう、と手を近づける。
……やめた。
首を横に大きく振り、祠から離れる。
「私は万命草を探すだけ……闇とか神とか、気にしてられないわ」
怖くなったからというのもある。
でも自分が恐怖し、逃げるようなマネをしていると思うとムカつくから、目的のためだという気持ちを強くして抑えた。
奥へ、奥へ。
何故か虫の一匹も見当たらない草むらを走って、日誌の地図の印のある所へ。
「万命草はこの近く!」
日誌に描かれている草の絵を見つめる。
膝くらいの高さがあり、鉄球を小さくしたような、白くてトゲトゲした花がついている。
他の別世界のような植物と比べれば、おかしな見た目はしていない。逆に判別しやすい。
「ええと…………うぅっ、吐きそう………………白い花、白い花……」
草が肌に刺さる。
段々腹が立ってきた。こういうときのための剣ってわけね。
――ジャキンッ! ジャキンッ!
剣を振り回し、万命草が無いと分かっている範囲の植物を全て斬り裂いた。
「……はあ……これで動きやすくなった…………」
日誌に書かれていた範囲の二分の一はもう調べた。
あと少しだ。あと少しで、万命草がありさえすれば、エルミアを助けられる!
「エルミア…………エルミア……エル、ミア……」
剣が落ち、私に走った衝撃を表現するように高い耳障りな音が鳴った。
鳴った……そう、鳴った雷が数歩先に落ちたときのような衝撃だ。
そこにあったのだ。
「万命草……!」
エルミアの命を、救えるのだ。




