第115話 病床の妹
誘拐事件から一ヶ月後。
エルミアの体に異変が起こった。
何の前触れも無く、息苦しさを訴えられたらしい。部屋で休ませて医師を呼び、診察。その結果、肺の病に罹っていることが判明した。
事件との関連性は無い。エルミアとペンシーの証言から、毒や傷口からの感染は有り得ないとわかっている。だから他に原因がある。
かなり重い病らしい。フェイリー曰く、肺の病で死亡する人は多いそうだ。魔法は傷や痛み、毒なんかは消せても、病気は消せない。魔法の最先端のエルリスでも、医療で何とかするしかないのだ。
「そ……それで……治るの? エルリスは飛び抜けた医療技術を有しているわけじゃないけれど……治療を続ければ、治るのよね!?」
フェイリーは苦渋の色で顔を染めた。
何でそんな顔するのって、心の中で叫ぶ。
心臓が今にも逃げ出しそうな暴れ牛のようにドクドクと動いている。
「……私は特別、医療に詳しい人間ではないのでお答えできませんが…………医師の方々もまた難しい顔をしておられました」
想像した光景は、白黒でビリビリと破けそうなものだった。
エルミアを診察したり看護したりしている医師達は、国中を探しても見つからない選りすぐりの者達。この前私を治した回復魔法使いだっている。手術だって可能な筈だ。
そんなエリートでも難しいの? それってまるで、助からないって言っているようなものじゃない。
「両陛下ならば、病気や治療内容の詳細をご存知である筈なので、エルトラ様自らお聞きになるのが一番かと」
「そうね……分かった」
動揺で震えた唇を隠し、走って部屋を出た。
エルミアは自室で療養中だ。姉である私なら、部屋に入ることも許可されるだろう。彼女も私が隣に座っていれば、安心できるというもの。
私が治すことはできないけれど、支えることはできるのだから。
*****
グチャグチャのスープみたいに不安と希望が脳内で混ざる。走った所為で余計に混ざったのかもしれない。私は冷静じゃなかった。
「ど、どうして……部屋には入れさせてくれないんですか!」
「エルミアは今、安静にしなければなりません。家族といえど、会話は禁じられているのです」
兵士が見張る部屋の前で、母に制止された。
しかもよく見ると鍵が掛かっている。強行突破は不可能だ。扉を焼くわけにもいかないし。
母を説得するのも困難だ。父ほどではないにしても、厳格な人で、禁じられていることを容認することは絶対にしない。いくら私の言葉でも、だ。
「そんな……し、しかし、医師以外誰も居ないより、家族が寄り添っている方がエルミアも安心するのではないですか!?」
「いいえ。長年の経験を持つ医師です。経験から前者こそ今のエルミアに必要だと判断したために、禁じたのです」
娘の危機だというのに、声色を変えずに語る母。
もう少し感情を出してやれば、エルミアにもその念が伝わるかもしれないというのに。愛情が無いのか?
やっぱり私が何とかするしかない。……が、無理だ。
落ち着こう。落ち着いて、エルミアのことについて詳しく聞くんだ。
「では、お母様…………エルミアの病気の詳細をお聞かせ願います。それくらいは……家族として、承知しておかなければならない筈です」
とにかく情報を聞き出すため、怒られることがないように丁寧に尋ねる。
すると母は、診断書らしき紙を取り出した。
上の部分に病名が記されている。
その下に肺の図と説明、さらに下には病状が悪化した場合の可能性、予想される治療期間、それに治療費が。
「肺にいくつもの腫瘍があります。呼吸が浅くなるため器具を外せない状況です。加えて発熱もしています」
図や文を指して説明される。
そのうち私は、病の恐ろしさを知った。重病を罹患したことがなかったから、エルミアの苦しみを真に理解できていなかった。
肺の腫瘍。図で見るだけで身の毛がよだつ。医療用の魔道具で発見したらしい。これだけで人は死ねるのだ。
「手術で切除することはできないのですか?」
「本来、治療法は手術です。しかし、あまりに腫瘍が多すぎることと体内を侵食するような病気の性質から、肺を完全に取り除かなければならないと言うのです」
目が丸くなって、掴んでいた紙の一部がクシャッとなった。衝撃が脳から手へと送られたからだ。
肺を完全に取り除く。それはつまり、死ぬのと同じことだ。回復魔法は、失った部位を治すことはできない。肺が無ければ呼吸ができず、呼吸ができなければ生きることができない。存在する医療器具の中に、肺が無い状態で生命を維持する者は一人としていない。
「じゃ、じゃあエルミアは……」
「治療薬の投与や魔術療法は行われます。ですが、助かる見込みは……特に、後遺症や再発を完全に防いだ上でのものは、ゼロに等しい……とのことでした」
まるで足元の地面が陥没したときのように、立った姿勢を保てなくなって両膝が大きな音と共に床に落ちた。
視界にあるのは華やかな赤色の絨毯だけだが、それも灰と化したようにしか見えない。受け入れ難い現実が、それこそ腫瘍として私の体を侵しているようだ。
完璧に治るのはって言ってはいるものの、後遺症アリで復活する可能性も海面ギリギリの、ゼロに等しい低さであるのだろう。
すぐそこの扉の向こうで、愛する妹が、守ると誓った人が、死に怯え、そして苦しんでいる。私の方が先に耐えられなくなりそうだ。せめて隣で「大丈夫だよ」って言ってあげるくらい、それくらいは……それくらいも許されないの? 私は誰よりもあの子を愛している自信があるのに。
「中に……中に私を、入れさせてはくださいませんでしょうか?」
「何度願っても回答は変わりません。彼女を想う気持ちは、母である私も同じですが……禁止事項は禁止事項。これもエルミアのためです」
手足が震え出す。強風に煽られた紙切れのように震え出す
その原因は恐怖や不安ではない。やっぱり落ち着いてはいられない。落ち着き払っている母に対する怒りの感情が震えの原因だ。
だがしかし、母を殴り飛ばしたからといって、エルミアの病気がパッと治るわけではない。
「……承知致しました。エルミアが病に打ち克つことを祈っております。……それでは」
私は決意を固め、その場を後にした。
*****
好都合なことに、今日は授業や稽古の予定が入っていない。時たまの休日だ。
信頼できるフェイリーを部屋に呼ぶ。
「エルミア様のご病気はどうでしたでしょうか?」
フェイリーは恐る恐る尋ねてきた。エルミアの勝利を祈っているのは彼女も同じ。接することも多く、とても大切にしていた。
私はそんな彼女を見て唾を飲む。
仕方がない。協力を要請するためでもある。
「肺に腫瘍が沢山できているんだそうよ。……ちょっとの腫瘍なら手術で何とかなったんだけれど……でも、無理みたいで…………で、でっ……助かる見込みが…………分からなくてっ………」
さっきは出なかった涙が、遅れましたと言わんばかりに一気に溢れ出た。伝えるべきことは伝えて、嗚咽の声を何度も漏らした。
最初は背中をさするのを渋るフェイリーだったが、私が泣きながら彼女に近付くと、手を伸ばしてさすってくれた。
「涙、お拭きくださいませ」
フェイリーからハンカチを受け取る。
目に当てて涙を拭うと、少し落ち着いた。
そうだ、私はまだ伝え切っていない。彼女に協力してもらうために、呼んだのだ。
「フェイリー! エルミアを救う方法を探すわよ!」
「探す……? というと……?」
「決まっているでしょう! 片っ端から調べるのよ、エルミアの病気を治せるモノを!」
フェイリーは一瞬だけぽかんと呆気に取られたような顔をしたが、すぐに表情を変え、私に指示を求めた。
「二人で書庫を調べてみましょう。もしかしたら特別な魔術とか、あるいは薬とか、世界のどこかにあるかもしれない……いいわね?」
「承知致しました。専門書から冒険日誌まで、幅広く探します」
方針は決定した。
私とフェイリーの秘密の探求が始まる。
*****
城の書庫というのは、町にある本屋や冒険者ギルドの本棚とは比べ物にならないほど巨大だ。分厚い書物が大量に並んでいる。魔導書や歴史書などは私も読むことがある。読書は新たな発見があって、嫌いではない。
しかしこう、片っ端から調べるとなると、エルミアの病状が悪化するのに間に合うのかどうかわからない。労力も勉強の何倍かかかる。
それを二人で、か。信頼できる使用人がたった一人であるということの弊害だ。
「私はこっちを調べる。フェイリーはあっちね」
「はい」
こっちには魔物や動物、植物などの図鑑が、あっちには魔導書や冒険日誌などがある。当然、一日で洗える量ではない。
幼い頃、私が母に「何故こんなにも沢山の本があるのか」と聞くと、「叡智を保存し、未来の人々に渡すためだ」と返された。王国が蓄えてきた叡智を覗き、必要な情報を手に入れる。胸に力を込めて臨まなければ。
「動物……よりは、植物の方が良さそうね。極上の薬草が載ってるかもしれないわ」
緑色の本を引き出す。他より薄めなのに、兵器と勘違いしそうなくらいの重さがある。後ろから声を掛けられたら落としてしまいそうだ。
「……よいしょ」
座ってパラパラと捲る。良いものを選んだようだ。絵や図に色が付いている。取り敢えず、これを読んでみよう。
……そして、気付けば一時間経っていた。
最初に手に取った植物図鑑と、同じく植物について書かれている本をもう一冊読んだ。読んだといっても、絵と説明の頭を見て、気にならなかったところは飛ばしていたが。
エルミアの病気を治せそうな植物の記述は無し。フェイリーの方も、今のところは進展していないそう。この調子で行くと、二週間か三週間という時間を要するだろう。しかし早々に諦めてはいけない。
「エルミアの記憶を、思い出を守るためなら……叡智だって読み尽くしてやる」
二冊を軽々と持ち上げ、本棚に戻す。
まだまだ全然、疲れてなんていない。
エルミアのためなら、疲れることなんてない。
*****
あれから十五日が経過したある日。
書庫から持ち出して積み上げた書物を読んでいると、フェイリーが扉を叩いた。
「どうぞ、入って」
「失礼します。エルトラ様、お見せしたい物がございます」
フェイリーの髪飾りが光り輝いている。
吉報だろうか。まさか、凄い記述でも見つけたのか。
そう思うと私は、我慢できなくなってフェイリーに近寄った。
「こちらを」
彼女が私に見せたのは、昔の旅人の旅の記録。世界の色々な場所を巡る旅の記録だ。かなり古くなっていて、表紙が掠れている。年を見てみると、それは約五百年前のこと。現存しているのが奇跡といえる。
「こ、この記録のどこに……」
「エルリス魔法王国の誕生より十年ほど前、旅人はこの地に足をつけたようです。それが百二十四ページに……これです」
そのページには、所々掠れているし、今とは少し異なる言語で記されているが、確かにここらの地名が載っている。
「右上の図をご覧になってください。変化してはいますが、この辺りの地形とよく似ています」
「本当だ……あっ、ロレイユって書いてあるわ! それに丘っぽくなっているここ……王城なの!?」
窓からロレイユの森の方を見る。それから手元に視線を移動させると、目の前の地形と本の中の地形が殆ど同じであることを理解した。
「そっ、それで……エルミアの治療に繋がる何かがあるから! 持ってきたのよね?」
「左様でございます。旅人はこの地で……『万命草』なるものを発見したそうです。」
「万命草? ……どんな病も治せる薬草!?」
ドキリと電撃が走り、思わず身を乗り出した。
フェイリーは静かに頷いた。現実だと思えなくて、喜びは表面に出なかった。
「今もあるの? あるなら早く採りに行かないと!」
五百年も前に発見された植物は、もう残ってはいないのかもしれない。誰かに先に摘まれていたり、風で飛ばされてもうここには無かったり。繁殖して種を存続させていたら良いのだが。
「今は……そうですね……可能性はあるでしょう。生息している場所は…………」
フェイリーの顔が、まるで霧で見えなくなっていく月のように、曇っていく。驚きの感情の霧が内側から噴出している状態だ。
固まってしまったのには理由があるだろうと、私は本を覗く。
「ね、ねえ……一体どうしたっていうの?」
「生息している場所…………ただの森の中なら、多少の危険はあれど入れたというのに……」
「どこ……なの?」
危険な魔物が蔓延るエリアでも覚悟を決めている私なら怖気付かずに突入することは、フェイリーは充分に分かっている筈。身体的な危険以外の危険が、あるということか。
「禁足地です。国の掟で、たとえ王族であろうと入ることを禁じられている場所です」
禁足地。
両親からも教えられていた。絶対に入ってはいけないと、「悪い子は悪魔に攫われるぞ」とかそんな躾の文句よりずっと恐ろしい口調で教えられた。
賊や一般人が侵入することを試みようものなら、すぐにバレて処罰される。私やエルミア、そして両親でさえも領域内について何も知らない、前人未到ともいえる場所だ。
「非常に残念なことを申し上げますが……流石に禁足地には、入ることはできません。……別の方法を探しましょう」
「……そうね」
本当にあるのかどうかも分からないものを、掟を破ってまで採取しに行く馬鹿では決してない。流石の私も、これは破れない。二人で根気よく読書を続けていこう。
と、フェイリーは思った。




