第114話 妹思いのプリンセス
魔獣の討伐は経験がある。
このロレイユの森でだって、魔獣の被害はよく発生するから討伐を依頼されたこともある。とはいえ、次代の王である私を一人駆り出すことは誰もしない。何人もの兵士が隊になって私を護衛する。
だから単騎の状況は初だ。しかも相手は召喚魔術師。敵はある程度は操作されており、連携もされる。勝てるだろうか。
「エルミアは死なせないけれどね」
思えば、簡単に命を失えるこの世界で、エルミアを命の危機から救い出したことはなかった。
死神が隣で腕を組んでいるようにも感じる今、私は高揚している。姉として妹を救える絶好の機会に、口元を綻ばせている。
「トワイライトビートル……強靭な顎に鋭い角、猛毒を持つ魔獣。空中では素早く、視力、知能共に高いため並の剣士では傷一つ付けられないとされる……」
さっきの稽古で学んだ、見えない剣筋が必要な相手。
並の剣士から脱しなくては、トワイライトビートル三匹を一度に蹴散らすことはできない。
しかし、何年も練習してやっとできるような技術を急に習得できるわけではないから、師範の言う見えない剣筋では戦えない。
「トワイライトビートル! 猛毒を注入するのよっ!」
ペンシーの号令で魔獣達が一斉に飛んできた。
ブンブンとうるさくて虫唾が走る。黒光りする外骨格が迫ってきて、全く気色が悪い。
さあどうするか。それはもう決まっている。
視力が良くて剣筋を見られてしまう。なら、目を塞いでしまえばいいのよ。
私は剣を持っていない左腕を大きく振り、三匹全員を腕に噛み付かせた。
「なっ……ば、馬鹿な……自ら噛み付かせた!? そんなことしたら猛毒が全身に回って死に至るのに!」
ペンシーは顔面を驚愕で染め、耳障りな声を何度も上げる。
猛毒が全身に回って死ぬ……その通りだ。しかも数秒で肉まで到達している。ヒビが入って砕かれる岩石になった気分だ。
だが、これが私の目的。痛くて苦しいけれど、飛び回られて攻撃が当たらず、疲弊したところを食われるのよりずっとマシ。
「馬鹿じゃ決してないわ……。ふふふ、これで視界は私の血と肉だけになった。知能が高くても所詮は魔獣……虫。目の前の餌には釣られてしまうものよ」
火を宿した木剣で、馬鹿みたいに並んで肉を食っているトワイライトビートルを一度に裂く。
腕に残ったのは顎の欠片のみ。それ以外の部位は燃えながら足元に落下した。
「……はぁ……はぁ……これが……見えない剣筋……」
食われた部分から大量の血液が溢れている。
息も苦しくなってきた。毒による刺激もある。
でも良かった。エルミアに被害は行っていない。
「確実に当てるために、自ら食われるなんて……。け、けど、毒は少しずつ回っていく筈……。あなたは王位を継承するエルトラ・エルーシャ! 妹のためだけに死ぬなんて……!」
「いいや、毒も根絶する」
魔剣技によって燃え、先端が崩れ落ちそうな木剣。これを利用する。その先端が傷口に触れることで、毒は消える。
――ジュッ。
先端がボロっと落ち、腕の傷に触れた。
「ぐっ! うぅ……はぁ……これよ……トワイライトビートルのような魔獣は危険だから、毒の対処法は本なんかに載っている……。熱に弱い毒! 全身に回らないうちに熱してしまえば平気ね……」
平気ではない。肉がジワジワと焼かれていく感覚は、脳まで焼いてしまうよう。他の生き物を火で殺すことはあっても、自分を焼くことはなかった。痛みで倒れそうだ。
「…………つ、次の魔獣を……」
焦りで手をブルブルと震わせるペンシーに、木剣の崩れ落ちなかった方を投げた。
彼女の右頬に命中。棘の床のような先端と火炎がペンシーを悶えさせる。
「あああああっ! 燃えるっ、私まで燃えてしまうううっ!! 熱い、熱い、痛いいいっ」
頬を地面に擦り付けて消火しようとしているその姿は惨めで滑稽である。
他人に毒を注入したり誘拐したりしておいて、私より軽い負傷で喚き叫ぶなんてね。何が目的なのか知らないが、犯罪者とはこんな下らない人間がなるものだということなのだろう。
「さ、エルミアを攫って何をしようとしていたのか……吐いてもらいましょうか」
胸倉を掴んで凄む。
すると、ペンシーはあっさりと吐いた。
「お、王宮で働いていて……エルミアっ……さまを見ていて……あの人が苦しむ姿は、何よりも癖をくすぐるものだろうと……思って……うぅっぐっ……」
大雨の後の川のような涙に塗れたペンシーはそう語った。エルミアの側で使える召し使いになったことで、歪んだ性癖が爆発したということか。
こんな者を召し使いにしてしまうとは。今まで従順に働いていた所為で、監査で引っ掛からなかったんだな。
いや、待て。引っ掛かることがある。まさかとは思うが。
「まさか前任のジュールの負傷はあなたがやったの?」
「そ……そうよ! エルミアさまの召し使いになって近付くために、魔獣でジュールを襲った……」
「なるほど……生粋の変態ってわけね。自己の欲求のために王の娘を襲う度胸だけは褒めてあげるわ」
私はゴミを捨てるように胸倉から手を離した。
正真正銘のクズとはこういう奴のことをいう。物理的にエルミアを傷付けたのがコイツで、それ以上に精神に干渉しているのが父親のエルドリス。
ここはクズが多すぎる。
私はファイアベールを解除した。
エルミアに犯人の撃破を報告し、安心させるためだ。
「もう大丈夫よ、エルミア」
「お姉様っ!!」
エルミアの涙が倍増する。この子の涙はアイツのみたいに汚くない。綺麗な涙だ。
「前から、言ってるじゃないの……姉さんでいいって」
嬉しさと痛みで片膝をついた頃、呼び集めた兵士達がやって来た。
*****
エルミア誘拐事件の犯人、ペンシー・グラスは即座に逮捕され、職は強制退任となった。
地下牢に拘留されたらしいが、二週間もしたら処刑が行われるだろう。現国王の娘の誘拐、次代国王の殺人未遂。しかも調査の結果、余罪アリという。当然の刑だ。
私の腕の傷と僅かに残った毒の治療は、お抱えの浄化魔法使いが担当した。
比較的平和な国であるから王族が重傷を負うなんて事態は少なく、普段から「全く不謹慎ではありますが、人命を救ってより大きな甲斐を感じたいところです」と言っていた人だから、嬉しかっただろう。
ジュールの方は感染症にもなっているらしく、エルミアの提言で手厚い支援が与えられた。当分は復帰は難しいと思われるが、再び王宮に仕えられる保証付きだ。
それまでエルミアの召し使いは別の者になるが、今後はより警戒されるし、ペンシーという実例もあるから、同じような罪を犯したりはしないだろう。
「エルミア様、ご容態はいかがでしょうか?」
「問題無いわ。もう三日も毒の症状が見られなかったんだから、心配しなくていいのよ」
「しかし……万が一のことがあります。ジュールのように感染症になられた場合、直ちに処置をさせていただかなければ最悪命に関わりますから」
事件があってからの三日間、毎日検診を受けている。
感染症は何週間か経ってから発症するものもあるからまだ続くらしい。フェイリーも毎日大丈夫かと声を掛けてくる。
元気な本人としては、そんなお世話は必要ない。エルミアを救ったという喜ぶべき事実で病気は吹っ飛ぶ。
「……大丈夫だって。それより、エルミアの方に不穏な様子は無いわよね?」
「はい。ペンシーより信頼できる人物が置かれていますので。……ただ、エルミア様が従者を恐れるようになってしまわれたため……暫く良好な関係は築けないかと」
フェイリーは目を細め、少し声を小さくして言った。
誘拐された時の状況が分からないが、突然召し使いに森へ連れて行かれたのだから、そりゃあトラウマにもなる。
私はなるべく動かないようにと医師に言われたからエルミアとあまり接することができていなかった。不安の捌け口になってあげなければ。
「なら、私が支える」
「良い顔をしておられますね」
フェイリーは口角を上げ、微笑んだ。
彼女に褒められるのは良い気分だ。
「陛下も言っておられました。『言いつけを全くと言っていいほど守らないエルトラだが、こればかりは功績だ』と」
「……そう」
自分の目の下がピクリと動くのが分かった。
嫌な褒め方だが事実ではある。私が言いつけを守らないのは厳格すぎるところだ。しかし他の人から見ればただの悪い子。心の中だけでも父を責める者はいない。
「私めもエルトラ様の勇姿に感銘致しました。緊急時のサインに迅速な対応、死をも恐れぬ戦い方には尊敬ばかりで御座います」
フェイリーの瞳で反射した陽光がキラキラと光る。
やっぱり、称えられて気が良くなるのはフェイリーとエルミアと、あとは師範と魔法の教師だけだ。
*****
エルミアの部屋の扉を叩くと、召し使いが迎え入れられた。悪そうな外見はしていない。
「……エルミア」
エルミアは奥の椅子に座って本を読んでいた。
部屋の入り口で呼ぶと、彼女は驚いて尋ねてきた。
「お姉様! ど、どうされたのですか?」
「話をしたくてね。あれ以来二人きりにならなかったでしょ?」
横の召し使いが二人きりになるのかと焦る。
ジュールやフェイリーなら快く許可してくれるのに。
私はその人に色々と説明し、部屋から追い出した。
「ベッドに座りましょ」
「はい……」
エルミアはなんかソワソワしている。
落ち着けるようにと召し使いを外に出したのに、それでも駄目か。
「エルトラ……お姉様……その……」
「うん?」
エルミアは私の目を直視し、より改まる。
「先日は、ありがとうございました! きっと私、あのままだったら死んでいました……」
下がった頭を上げさせると、大粒の涙を流していた。
それから何度も感謝の言葉を繰り返す。背中をさすったり頭を撫でたりしているうちに五分も経っていた。
「もう泣かないで、エルミア。それにわざわざ感謝しなくたって……姉として当然のことをしたまでだから」
可愛い妹を抱きしめて、困っている猫に対するそれよりも優しい口調で慰める。
私はエルミアには笑顔でいてほしい。折角、女王とかいう大変な地位につかず、豪華で安定した人生を送れるんだから、泣くようなことはあってほしくない。
苦しむのは私だけでいい。エルミアが笑うなら、私は三日前のように命懸けで戦える。
「うぅっ…………お姉様っ……私、お姉様のことが大好きです。尊敬していますっ……」
敬語は崩さないくせに、赤ん坊のように頬をスリスリと私の胸に擦りつけている。
エルミアと触れている体が温かくて、綺麗な言葉が当たっているところはもっと温かい。
姉妹二人でずっとずっと生きていきたいと望む。私達の生活を守りたいと願う。そのためには私が女王として頑張らなくてはならない。
「エルミア……私頑張るよ!」
「えっ?」
エルミアはぽかんと口を開けて不思議がる。
「王位を継承して冠被ったら、エルミアを今よりも幸せにするから……! だから笑って、ほら」
そう言ってエルミアの頬を引っ張る。
父の影響で常に固い表情のエルミアが、こんなに変な顔をしている。
おかしくて、私はつい吹き出してしまった。規律や作法を守らないことがある私でも、これは流石にはしたないと思った。
でも、誰も見てないからいいわよね?
「もう~お姉様…………ふふっ」
エルミアも笑った。
この前は王になったら春の花を眺めることも少なくなってしまうのかと憂いを抱いたが、エルミアの笑顔が見れるならそんな心配、する必要は無かったようだ。
「でもお姉様! 意気込むならまずはその言葉遣いから直さなければなりませんよ……!」
「げっ」
馬鹿真面目なエルミアが出た。
私だって、要人の前ではちゃんとした言葉遣いで喋るよ。嫌っているだけで、決してできないわけじゃないんだから!
二人きりのときくらい、丁寧な言葉遣いなんて忘れてもいいじゃない。姉妹なのよ。
……と言っても通じないのがエルミアだ。
これだから父が嫌いなんだ。エルミアに洗脳みたいな教育を施しやがって。
*****
本来の目的であった、エルミアの不安を解消することをすっかり忘れていた。
別れ際に思い出して伝えると、エルミアはやっぱり不安そうだった。
そこで「もしまた同じようなことがあったら、私がソイツをぶっ飛ばしてやるから安心して!!」と胸を叩くと、エルミアはクスッと笑った。
この笑顔を守り抜くために命を懸ける覚悟。
エルミアが悲しまないために命を捨てない精神。
私の胸には、ただそれだけだ。
第114話を読んでいただき、ありがとうございました!
次回もお楽しみに!




