第110話 封印という道
ユーラと天原さんは、部屋が足りないのでリビングに布団を敷いてそこで寝てもらうことに決定した。
どうやらユーラは、天原さんが中立のままなら危害を加えないようなので、二人で一緒に居てもらえば、ユーラが企みを実行に移すこともない。天原さんが家を守るバリアとなっている状態だ。
エルトラとの戦いが終わった後はユーラと争うことになるだろうが、既に住所がバレてしまった。でも今までだってそうだった。多分、何とかなるだろう。
ユーラへの注意は一旦外して良い。
エルトラには居場所を特定されていない筈だから襲われる心配は要らない。
その二人よりも先に問題視すべきはエルミアだ。彼女はエルトラと違い、姉妹の仲を取り戻そうとしている。
仲直りとか対話とかは大切だ。だが、相手は話が通じない奴で、容易ではない。
お互いがお互いのことを嫌いだったなら、すぐに倒すこともできたかもしれない。
「…………エルミアさん、まだ出てこない……」
「さっき呼んだんだけどな。夕食の時は出てこいとも伝えといたのに……」
途方に暮れて頭を掻いた。
呼び出してもノックしても、ドアを開けてくれない。
この扉がエルミアの心の扉ということなのだろうか。
閉じこもっているのは、皆んなに曝け出すことができないくらい気持ちが乱れているから。そう捉えることもできる。
「エルトラさんと何があったんでしょう……?」
ラメが俺の耳の近くで囁いた。
二人の言動から推測してみよう。
まず、事件は六年前。エルミアはその日、エルトラから薬を貰ったらしい。病気を治す薬だ。エルミアは六年前、病気を患っていた。
薬をあげたことが喧嘩や絶交に直結するとは考えにくい。エルミアは当然感謝しただろうし、エルトラも喜んだことだろう。
では何故、険悪になってしまったのか。他に推理の材料が無いか、記憶を探ってみよう。
「……そういえばエルミア、姉妹以外にも、言葉遣いの話にも特別な反応を示していたような……」
薬、言葉遣い。
病み上がりのエルミアがエルトラに対して悪い言葉遣いや態度だったとか、かな。
いやしかし、それだけで殺人や復讐にまで発展するわけがない。あの鬼のようなエルトラも、流石にそれだけで復讐を誓いはしないだろう。
「……やっぱ分かんないな……」
考えれば考えるほど、真実に近付いているようで遠ざかっているように感じる。
俺の気分と連動するように、窓から射し込む光の色が黒く、暗くなっていく。
「ラメはとにかく、エルミアさんと話したいです。ご飯だって、食べないと元気出ないし……」
「だからって強制はできないからな……。早く気持ちの整理ってのが、できるといいんだけど」
エルミアの悩みは二つある。
一つは、エルトラとどうやって仲直りするのか。どうにかして対話できるシチュエーションにし、遺恨を取り払う方法だ。
もう一つは、仮に仲直りできたとして、預言者の洗脳を受けているエルトラをどうやって助けるのか。洗脳の仕組みや方法が闇の中にある内は、洗脳の解き方も分からない。再び仲良くなれたのに結局殺し合いとは、残酷だ。回避したいことだ。
特に後者はエルミアにとって重い問題だろう。
ただ戦うだけ、倒すだけ、捕らえるだけなら、覚悟は決められると思う。
しかし殺すことが必須と知っていて、戦う気にはならない。かといって殺さずに野放しにもできない。
エルミアの一番の悩みはそれだ。
「気持ちの整理…………エルトラさんが敵側だから……辛いんですよね」
「それもある。けどその先だ。洗脳の解除方法が分からない今、戦うということはイコール殺すということ……ですよね? 霊戯さん」
斜め後ろから鳴っていた足音が止まった。
足音の存在には全く気付いていなかった。だが何となく、霊戯さんが来ている感じがしたんだ。
「そうだね。エルミアちゃんの心を何よりも蝕んでいるのは、受け入れがたいその事実……。レジギアからも続報無しだ。本当に、そうなってしまうかもしれない」
暗い雰囲気に包まれた廊下には似合わない、鮮やかな金髪が揺れた。
賢い霊戯さんのことだから、エルトラを殺さずに助ける策も、考えてはいただろう。結果は言わずもがな、なのだが。
そして、十五分が経過した。
漸くエルミアが姿を見せた。
低い姿勢で、そっとドアを押して外に出る。海底で掛かる水圧のような辛さと申し訳なさに心をやられ、側溝の中のように暗いオーラを纏っている。
リビングに入る時も、変わらず顔を下げたまま。気分が悪いから前を向けないけど、下を向いていると余計にネガティブになって……という悪循環が起こっている。
「皆んな…………ごめんなさい。中々、立つ気すら起きなくて……」
低姿勢のわりには俺達の反応を窺うことなく、ゆっくりと歩いて椅子を引いた。
その椅子に腰を下ろすと、既に用意されている夕食を見つめる。
「ラップしておいたので、冷めない内に食べちゃってください」
「はい。ありがとうございます……」
咲喜さんに促され、普段より小さい一口で少しずつ食べている。
毎日毎食料理をしている咲喜さんの手によって作られた物が不味いわけはないのだが、エルミアは美味しくなさそうにしている。
しかし、そう見えるだけだ。エルミアは咲喜さんと一緒に作った料理をいつも美味しそうに食べているから。
きっと今も、心の何パーセントかは満たされているだろう。
俺は思い切ることにした。
思い切って、エルミアが抱えている悩みをこちらから話すんだ。
扉を開けて出てきたということは、触れられることも覚悟しているということだ。気持ちの整理も、七、八割は終わっている。
「エルミア……もう落ち着いたのか?」
意気込んだものの、最初の声掛けは無難な言葉だけになった。
エルミアは声を掛けられたことに対しては何もマイナスな反応はしていない。
返答も、すぐに来た。
「だいぶ……ね」
そう答えると、エルミアはお茶を飲んで溜め息を吐いた。とてもこの量の食事は完食できそうにない様子だ。
「思い出していたの……ずっと昔のことを。姉さんに会ったからか、記憶が鮮明に蘇って……その記憶について色々と考えていたら、いつの間にかこんな時間に……」
エルミアは悲しげに言った。嫌な思い出や、思い出したくない思い出が多かったことがわかる。姉妹の仲違いの原因も、その中に含まれるのだろう。
それよりも、車に乗ってから現在に至るまで、エルミアの脳内にあったのが記憶だけとは、予想外だった。
エルトラをどうやって倒すかとか、どうやって仲直りするかとか、洗脳の問題はどうするかとか、そればかり考えて思い悩んでいるのかと勘違いしていた。
実際はフラッシュバックや後悔の念に苛まれていただけだったようだ。
「……そう、だったのか。俺はてっきり、もっと先のこと考えてたのかと……」
「先のこと……? って…………まさか、姉さんを……エルトラを倒す……殺すって……?」
ご先祖様の写真のようにグレーに染まった瞳が、小刻みに震えながら俺を見つめる。
殺害を否定している。わざわざ言われなくても、心の声が聞こえる。姉を殺したくはない、とエルミアはワガママに言う。
「そうだ。……いいか? エルミア、お前はお姉さんと仲直りしたいんだろ?」
未来への恐れで揺れつつ、頷く。
「仮に仲直りできたとしよう。……しかし、もう一つ大きな障壁がある。それは、預言者の洗脳」
察したようだ。
エルミアはすっかり、料理などどうでもよくなっていた。
「洗脳の方法が不明なら、解く方法も不明で……いつ暴れ出すか分からない奴を捕まえておくのも無理だ。よって、エルトラは必ず殺さなければいけなくなる」
言った後で、やっぱり言うべきではなかったと気付いた。止まれなかった俺の責任だ。
俺はエルミアもそのことは覚悟している筈だから、大丈夫だと思っていた。でも本当は、殺す殺さないの意見のどちらも持っていなくて、覚悟だってできていなかったのだ。
そんな状態でこれを言ったのだから、エルミアのエルトラに近付く意欲が減少し、再戦すら不可能になってしまう。
そして何より、単純に、エルミアが傷付く。俺の最も好きな人間だ。傷付いてはほしくなかった。
暗黒の瘴気に呑まれたように瞳孔を小さくするエルミア。俯いて顔が真っ暗になった。
涙でも零すかと焦った。俺の思慮に欠けた発言でエルミアがうなだれ、今度こそ立つことがなくなったらどうしようと。
手を伸ばす。
すると、エルミアは顔に再び光を当てた。
「そっか……そうだよね。……姉さんを……」
不満を発散するためにテーブルを叩こうと思ったのか手が握られたが、エルミアの近くは料理や食器で埋まっている。
代わりに、太ももが叩かれた。自分の脚だから力は加減されているが、それでもまあまあ強い音は鳴った。
そこへ、ラメがやって来る。
「エルミアさん。お姉さんのことで一つ、その……良いニュースがあるんです」
俺とエルミアの動きはシンクロし、ラメに迫った。
ラメから飛び出るプラスのニュースとは何だ。これが霊戯さんからなら、その脳みその詰まった賢い頭で頑張ってくれたのかと歓喜しただろう。だがラメからとなると、あまり期待は浮かばない。
ラメは不安を抱いているが、同時に喜びや希望を抱いてもいる。
そんな彼女が差し出した手の中には、ピンポン玉くらいの大きさの豪華な見た目の石があった。灰色に近く、半透明。金や黒の装飾が施されていて、不気味なようにも感じる。
「何だこれは?」
「……これは……封印の魔水晶……」
エルミアはこの物を知っていた。
どうやら、異世界の方では有名な品らしい。
呼び方は地域によって違ってくるらしく、「封印石」とか「封印の魔水晶」とか様々だとか。
それが何故ラメの所持品の中にあったのかは分からない。小さいから剣とかの陰に隠れて知らぬ間に収納してしまったんだろう、とのことだ。
「さっき見つけたんです! これを使えば、洗脳の秘密が分かるまで、お姉さんを殺さないで封印できます」
封印の魔水晶は名前の通り、特に生物を封印して外界へ手も足も出させない力を持つらしい。
魔石と同じように魔力を注ぐことで、封印が開始されるそうだ。
そして好きなときに、定めた人物が封印を解き、解放することができる。
だが封印にも条件がある。
まず、相手の魔力はかなり減らしておく必要がある。
その他にも大型の魔物などは封印できなかったり、相手の抵抗力が強いと封印の完了に時間を要したりするらしい。
「確かに制約はあるけど……まるで神様か何かが俺達の都合に合わせてくれてるんじゃないかってくらい便利でタイムリーな石だ」
半透明の水晶に映った俺の目は輝いていた。
エルミアもそうだ。彼女もまた、キラキラとした光を反射させている。
「魔水晶があれば……姉さんは、取り敢えずは死なずに済む……殺すことも、しなくて済む……!」
エルミアは泉の水を掬うように、脆弱そうな魔水晶を両手の皿に載せた。
「エルミアさんが持っていてください。お姉さんを助けられるように」
「うん……ありがとう、ラメちゃん」
これで一つの問題は、ほぼ解決した。
エルトラに魔力を消費させ、それでも犠牲を出さない戦術や作戦は、熟考に熟考を重ねても纏まるかどうか、といったところだ。だが、不可能でも無理でもない。
例えば、警察の機動隊を集める方法がある。ヴィランと戦った時は治癒の魔法陣の影響で銃撃は無意味に終わってしまったが、今回は魔法陣が無いから効く。
多少時間が掛かってもいい。
ユーラを除けば敵は一人なのが、不幸中の幸いだ。
場合によっては敵にもなるユーラだって、上手く利用すれば勝ちに繋がる。
段々希望が見えてきた。
心境はそれこそ、魔水晶と同じ半透明だ。
「……あ、ごめんなさい……ご飯の途中でした」
「いいんですよ」
咲喜さんはそう言って笑った。
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食事が終わると、エルミアは部屋に戻ろうとした。
「じゃあ部屋行くね……別に、入っても大丈夫だから」
一時は元気を取り戻したエルミアが、また暗く小さな声で去ろうとしている。
「エルミア!」
反射的に呼ぶ。
「一人で抱え込まずに、相談してくれたって……俺は嫌な顔一つしないで付き合う。お前が拒否するならやめるけどさ……そのエルトラとの事も、もしかしたら俺がヒントでも出してあげられるかもしれない」
口が乾くまで、心を込めて訴えた。
孤独が何に変化するのか、俺は知っている。エルミアにこれ以上苦しんでほしくない。
エルミアはハッとして、その後に微かに笑った。
「ありがとう泰斗君。私のこと気にかけてくれて……凄く嬉しいよ。……でも、これは私達の問題だし……暫くはどうしても一人がいいんだ。本当にごめん」
謝罪は心から生まれたものだった。確かに俺は信頼されているし、いざとなれば頼りになる男であるようだ。
拒否の理由は、もっと詳しく聞けばよく分かるのかもしれないが、エルミアにとってはそれも同様に拒否したいのだろう。
拒否された以上は、仕方がない。就寝する時間になったら、ラメと一緒になって隣で寝てあげよう。
悲しい、そう、悲しい。
他人に言う前にじっくり考えたいことは、ある。だからエルミアの行動も理解できるし、非難はしない。
だけど何だか悲しい。拒否されたからなのか、それとも力になってあげられないからなのか。
俺自身にもそれは分からなかった。
第110話を読んでいただき、ありがとうございました!
次回もお楽しみに!




