第109話 ドールの計略
天原遼子は透弥を睨みつつ、少しだけ傷付いた人形を手に取った。躊躇なく壁に叩きつけられから、頑丈ではない人形は怪我してしまったんだ。
彼女にとってこの人形は、亡くなった彼氏からのプレゼント。所謂形見だ。何よりも大切にしている。
デリカシーが欠落した透弥は、形見だとかは考えずに攻撃する。
理由は分からない。俺とラメが廊下に居る間に、何らかの事件や事態が発生したんだろう。恐らく悪いのはユーラ……人形を操作している魔術師。詳しく聞かなくては。
「一体何が……?」
「この人が……いきなり人形の首を掴んで……まるで人に対して激怒するように!」
完全に被害者であろう天原さんは、軽い興奮状態にあった。彼女がどれだけ人形を大切に扱っていたかは、実際に家まで出向いた俺が知っている。霊戯さんとラメもだ。
透弥以外には怒ってはいないようだが、事情を明かすなら落ち着いてもらわなければ。
「すみません…………透弥、あなたは下がって」
咲喜さんは丁寧な所作で代わりに謝罪すると、透弥の服の袖を引っ張って強引に下がらせた。
「この傷……小さいので、隠すことはできます」
「見かけの問題じゃありません。傷は傷です。他の誰にも直せない」
霊戯さんの働きで天原さんを椅子に座らせて落ち着かせることはできたが、怒りそのものは残存している。
世界に一つだけの人形、と言える代物だ。好きなアニメのフィギュアが汚れたのとは訳が違う。怒りと同時に悲しみも湧いてくるだろう。
それをこの乱暴で粗暴な透弥は、謝りもしない。
ユーラが悪い、と言うだろう。俺が彼を責めようとしたら。
でも人形に罪は無い。人形は操られ、そして傷付けられた。天原さんと同じ、立派な被害者だ。
「透弥な……ユーラを殴っても俺は文句言わないけど、人形に矛先向けんなよ」
「ヤツは人形があれば、例えば誰かを殺すことだって可能なんだぜ。矛先を向けたのは、殺られる前に殺る精神だ」
壁に背を任せて不貞腐れている。
しかしユーラが変な動きをしたらすぐに人形を破壊してやるって考えていそうだ。そういう目をしている。
「よく考えてみろよ。ユーラにも信念がある。彼氏さんの思いを尊重したいユーラは、天原さんの前では本性を現せない。人形だけ持ってくるということをしなかったのは、それが理由だ」
まあ、実際どうなのかは知らないけど。
ユーラが何も言わず、透弥に反撃もしないのは信念があるから。これは確かだ。
本当なら天原さんには何も明かさないのが一番良かったんだけど、ユーラに何かあるなら仕方なく、と言って天原さんも連れてきたんだろう。
透弥は「フンッ」て態度だ。
俺が見張っているから、霊戯さんと咲喜さんには目の前の事態に集中してほしい。
「……何が……どうなっているんです? もしかして彼が過去に……事件でも? それで……」
「いや、そんなんじゃないんですよ。彼氏さんは一切関与してません」
「なら、何故……」
無知がコントラストを生んでいる。
まだ何も知らない、知らされていない天原さんの無垢だけがこの画面の明るい部分だ。
霊戯さんだって、できればこんなシチュエーションにはしたくなかった筈だ。
霊戯さんの真面目な顔が見える。
きっと彼女は、彼氏の魂が人形に宿っていると今も思い込んだまま。その方が夢があるし、ロマンチックで良かったのに。現実はそんなに甘くない。
「実は……僕達は、少々奇妙なものと関わっていましてね。ほら……よくあるでしょう、魔法とか魔術とか」
「魔法に魔術? 迷信……都市伝説などを解明するために活動しているということですか?」
「そうではなく……。分かりやすく言うと、信じられないかもしれませんが魔術師というのは実在していて……手を組んで悪事を働いているんですよ」
心の底から意味が分からないのを、困惑と呆れの表情で表現している。首を傾げて、眉を歪め、少しだけ口を開けて。
簡単に信じた俺が馬鹿みたいじゃないか。彼女にも体験させれば、すぐにでも信じてもらえるとは思うけど。
「……嘘だと思ってます? でも残念、本当なんです。そして、ですね……」
霊戯さんはそっと人形を持ち上げ、正面を天原さんの方にして、遂に真実を言った。
「あなたのこの人形は、魔術師に操られています」
まるで生徒の問題行動を親に話す先生のようなキッとした口調だった。
これで信用されないならもう方法は無いと言い切れる伝え方だ。天原さんが大真面目なこの態度を嘘だよと砕くような人とは思っていない。
大丈夫だ。信じてはくれる。その後は、分からない。
「操られて…………って……つまり…………」
「魂や霊ではなく、魔術師です。夜間の物音は全てその魔術師によって操られた人形が動いて生じたもの。今まで隠していて、すみませんでした」
落胆か憤慨かしそうではあった。
だが予想は外れ、天原さんは「信じます」と首を縦に振り、真実を受け止めた。
霊戯さんから人形を渡され、抱きしめる。しかし中にいるのは魂ではなく、ユーラなのだ。
彼女は何を思っているのだろうか。
「…………その魔術師は……この話、聞いているのでしょうか? 今も……」
「聞いていると思いますよ」
今度こそ憤慨して怒鳴ると思った。
だが今度もそうはしなかった。手に力が入っただけだった。
「……どうして、彼なんですか?」
氷のように冷たく、それでいてどこか熱い所がある声で、彼女は言う。
「……誰でも良かったんでしょう? どうしてよりによって彼なんです? ……私は、たとえ崇高な目的があろうと、もしくは邪悪な目的があろうと、人の思いを踏みにじるようなことは……許せません。きっと彼も同意見です」
これがユーラの危惧していた事態であり、避けたかった事態だ。
ユーラは詰んでいた。この場に来てしまったら、どう行動しても同じ結果になる。天原さんが傷付いたのと同時に、ユーラの信念も汚れた。
霊戯さんが近付き、頭を下げる。
「その魔術師……ユーラはあなたの亡き彼氏を尊重し、あなたにバレないように人形を操作していました。なので僕は、一つの発言で三人の思いを同時に踏みにじったことになるわけです。……詫びの礼を」
十秒くらい静寂が続いた。ヒグラシの鳴き声が外から聞こえてくるだけの、呼吸音さえ抑えたいような静かな時間だった。
天原さんは首を小さく横に振る。
「霊戯さんに罪はありません。……いがみ合いはしたくないですし……ね。でも、私は……その魔術師さんとの対話は、したいです。悪い組織の人間であっても、人形への愛はあるらしいじゃないですか。話すくらいなら、許してもらえますよね?」
霊戯さんは静かに頷いた。
これでひとまず安心だ。透弥が我慢できずに殴りかかるようなこともなかったし。
でも、許すとはいっても、先に俺達が色々と話してからだ。どうやらユーラがやらかしたらしいからな。その後でゆっくりと語り合ってもらおう。
*****
天原さんは冬立さんと一緒に外へ行った。散歩か何かかな。都合を理解してくれて助かる。
「さて、問い詰めさせてもらうよ、ユーラ」
さっきとは打って変わって愉快で軽快で、そして怖いオーラを放つ霊戯さん。
彼は人形と向き合い、口角を上げた。
「急に呼び出して、秘密までバラして……何のツモリなのかな? 僕結構ムカついてるよ」
「こっちのセリフだ人形野郎。お前がハメやがったんだろ? 羽馬にいが言うんにはさあ」
相変わらずキレている。
一度感情を抑えられたからか、爆発しそうだ。
キレた時はいつも爆発しそうだけど。
「イヒヒッ、誤解じゃないの」
「いいや?」
ユーラも霊戯さんも余裕そうだ。
そんな空気の中、俺とラメは訳が分からずにいる。
「霊戯さん……ユーラは何したんです?」
俺が尋ねると、霊戯さんは水を一口飲んでから、ユーラに向かって話し出した。
「僕ら、会ってきたよ。半分くらいは君の計略通りに……エルトラ・エルーシャに」
「ん……エルーシャ? なるほど、エルミアの血縁だったのか」
ユーラがそう言った時、透弥が凄い勢いでテーブルを叩いた。
「知ってたんだろそれも! 預言者とかいう奴から聞いてたんだろ」
「いやいや聞いてないよ。何の情報も無しさ」
嘘くさいな。透弥が圧で勝っているからかもしれないが、ユーラが嘘をついているように見える。
「残念だったね……嘘はバレバレだ。エルトラがね、言ったんだよ。預言者の前で『エルミア』という名前に反応したってさ」
「……イヒ……それで?」
「つまり、預言者はエルトラの標的がエルミアであることを知っていた。行方を追う君には、当然そのことを伝えるだろう。……ユーラは知っていた。エルミアが真っ先に殺されるってことを」
ユーラが少しだけ後退した。
やましいことがあるときの子供のように。
「……イヒヒ……で、なんなのさ……」
「そこで君はこう考えた。『エルミアが狙われるなら、エルミアを含む敵全員を誘導すれば……上手くいけばエルミアとエルトラが互いに滅びてくれる。自分は人形で誘導したり参戦したりするだけで、損害は発生しない。実に完璧な計画だ!』」
真っ直ぐに指が伸びた先にユーラ。
「……ってね」
完全に完璧に追い詰めた。流石霊戯さんだ。
ユーラの計略は、彼の推理通りで間違いない。この動揺具合が証拠だ。
全く、良いことを思いつくもんだ。もう少しで、二つの陣営が倒れるところだった。エルトラも、エルミアにとっては仲間だ。本当に危なかった。
「……うーん、まさか当てられるとはなぁ~」
透弥の腕が飛ぶ。また首を絞められている。
人形を操っているだけだから窒息したり言葉を発せなくなったりするわけじゃないんだ。わざわざ首を掴んだって意味は無い。
「エルトラ・エルーシャって名前も当然知ってたわけだよな?」
「それはホントに誤解だよ。確かにエルトラの名は隠したけど……エルーシャなのは知らなかった。預言者も姓は持ってないって言ってたんだ」
嘘の匂いは鼻に入ってこない。
エルーシャという姓を隠していた、か。普通なら怪しいけど、彼女は王族だ。教団内で争いが起きないよう身分を隠すのは妥当な対策といえる。
異世界人はエルトラだと伝えなかったのは、エルミアと名前が似ていてそこから推察されないためか。
「……まあ、仲間意識は無かったから別にどうだっていいよ。どうせ僕らに勝てる見込みは無いんでしょ?」
「だね。イヒヒ」
元気の無い苦笑だ。あの不気味な笑い声はどこに消えてしまったんだか。
「天原さんの要望でさ……今夜は人形と一緒に泊めてくれって。あまり離れたくはないらしくて……拒否しても帰さないけどいいよね?」
「……はあ……まあいいよ~。拘束するんでしょ、コンヤも」
霊戯さんは笑顔で肯定した。
敵意がありそうなユーラをここに泊めるのは怖いが、いざとなった時はエルミアも戦えるだろう。何人か敵が来ても撃退可能だ。
「コイツと一晩同じ屋根の下かよ……最悪だな」
「僕もサイアクだよ」
ユーラは透弥を嫌っているようだ。その態度が気に入らないんだろうけど、透弥は誰に対してもムカつく態度を取るからスルーしてほしいね。
*****
エルトラは隠し持っていた短剣でクリスタルを取り除き、愛用の剣を取り戻した。
その時間が勿体ないからと剣にクリスタルがくっ付いたままだったのだが、やっと落ち着ける時間を手に入れた。
「あの、エルミアの隣にいた男……面白いことしてくれるじゃないの。異世界人じゃないからって、油断してたわ」
何故か一部が砕けているベンチに座り、腕も脚も組んでエルミアの家を眺める。
眺めている内に負の感情が増幅してきた。すぐ先に、目と鼻の先に宿敵が居るのだ。今にでも殺しに行きたい気分になる。
しかしまだだ。エルトラは考察をした。
「エルミア以外の奴ら……きっと洗脳されてるんだ、エルミアに。だからエルミアさえ倒せば洗脳は解ける。神の敵ではなくなる」
と、そこで、良いことを思いついた。
「あ、でも……エルミアの目の前で順番に殺していくのも良いわね。残酷なのをじっくりと見せた後にエルミアを殺す……うん。人質にはならないだろうけど、捕まえましょう」
あの男の使った幻術の魔石。弱かった。一瞬惑わされたものの、慣れていないのか、十何秒かで効果が全く無くなったのだ。
だから追跡することができた。足音で気付かれるかもと思ったが、勝手に自分に幻術を掛けているらしく気付かれずにここまで来れた。
エルトラの復讐劇は、まだ始まったばかりだ。
第109話を読んでいただき、ありがとうございました!
次回もお楽しみに!




