第107話 再会という名の火種
エルミアの実姉、エルトラ。姓は勿論エルーシャである。そしてエルーシャとは、エルリス魔法王国の王家の姓である。
二人とも、主に火の魔法を使う。今更ながら、それはそれは重大な共通点だ。
姉ということは、エルミアよりずっと強いのかもしれない。それに剣を携えている。怪我無く帰還できる可能性は低い。
いや、強いか弱いかより先に、考えるべきことがあるじゃないか。
想像すらしていなかった。既に召喚された人物の血縁が、同様に召喚される事態なんて。片方だけ洗脳されずに済み、対立してしまうなんて。
エルミアに姉がいたことに驚きはない。王族なんてそんなものだろう。
だが、エルミアの様子からして……彼女の後悔には、このエルトラが関わっている。間違いない。
「コイツが……エルミアの姉! 俺達が追っていた異世界人!」
これもまた間違いのない事実だ。
当然、洗脳されているわけだが。洗脳云々は抜きに、俺は惨い殺し方をした野郎を許さないって確かに思ってしまった。
それが、実はエルミアの姉だったんだ。全力で戦えるだろうか。いざとなったら、殺せるのだろうか。
彼女の姉を?
「あら、意外にも愕然としているのね。とっくに私が召喚されたことに、気付いていたと予想していたのに」
エルミアから感じられる気品は、エルトラも放っている。姉妹だと確信できる共通点だ。
しかしエルミアと決定的に異なる点がある。路傍に転がるミミズを見るような、見下した視線と態度は、エルミアには無い。
そしてそのエルミアは、愕然として座ったまま動かないでいる。
召喚の前、姉妹がどんな関係だったのかは知る由もないが、絶望的な再会のシチュエーションからの衝撃は計り知れない。
「ねぇあなた達、どうして私に出会ってしまったんだと思う? ……教えてあげるわ。……ここを含む六つの森こそが餌だったのよ。直線の先に、とか、ハズレの考え」
理解に苦しんだ。
だが霊戯さんだけはハッとした。彼の頭は理解できたんだ。
「なるほど……。つまり、君はどこにも向かっていなかった。目的地なんて無くて、現場を調べるために森を訪れた僕達を狙っていた……!」
「そうよ、その通りよ。途中でエルミアの仲間二人に遭遇したのは想定外だったけれどね。ここであなた達が見つからなくても、見つかるまで何往復も繰り返すつもりでいたわ」
じゃあ俺達は、まんまと餌に釣られた魚ってわけか。
進む先を察されることを考慮せず、ただひたすらに探すのではなく、カブトムシを採るために木にバナナを仕掛けるように、誘導していた。
特に俺。最も責任があるのは俺だ。俺の思考は、エルトラの狙いそのものだった。
霊戯さんが悔しがっている。でも今日の計画を提案したのは俺なんだ。
敵の思い通り。それだけでも、精神的に追い詰められてしまう。
色々な意味で追い詰められたってことは、どうにかしなければ死ぬってことだ。
ドクドクと鼓動が聞こえてくる。ほんの数ヶ月の間に耳まで届く鼓動音を何度も聞く男は、そういない。
勝てる見込みがなければ逃げるべきだ。
逃亡すら防がれたら、他に生き残る道は無いが。
とにかく、辛くてもエルミアに立ち上がってもらわないと!
「エルミア……辛っくて心がグチャグチャだろう。でも立ってくれ! 最悪、逃げて一旦落ち着くことも可能なんだからな……」
エルミアは返事をしない。
俺の言葉には反応せず、目の前のエルトラを見て、顔面蒼白になっている。
「………………どうして」
喉にファンが設置されているような、震えた小声でエルミアは言った。
「……どうして……あなたが、ここに……」
「は? 分からないの? 召喚されたのよ、神に選ばれたってヤツね。そしてあなたは神の敵であり、私の個人的な復讐相手。召喚の直後、預言者の放ったエルミアという名前に反応して基地を飛び出したものだから、てっきりアンタにも情報が行き渡っているのかと勘違いしてたわ」
復讐相手だって?
さっきから見下しているのは、それか。
神の敵である十二人の戦士。それ以外にエルミアを狙う理由は、私怨。飛び出したのも同じ理由なのだろう。
私怨……エルミアの後悔って……一体過去に何が?
「……何だって!? 今、君なんて……」
「ええ? だからぁ……エルミアに復讐を……」
「そうじゃない! 召喚の直後……預言者は君がエルミアを殺しに行ったことを知っているのか!?」
霊戯さんが困惑している。
彼の頭の中はどうなっているのか。俺はエルミアとエルトラのことで他の事柄は頭に入らないぞ。
「……知ってる筈だけれど?」
「そうか……」
霊戯さんの様子を観察していると、自然にラメも視界に入る。
ラメは何が何だかって感じだ。最低限、状況は把握しているのだろうが、次の行動が浮かばないようだ。
「何なのよ。……まあいいわ。エルミアに再会できたんだから、命を取るだけで終わる」
血で染まったように赤い剣先が、エルミアに向けられる。
「やめて……私、最近思い出すことが多かったから……沢山考えたの! 反省も――
「黙れっ!!」
鬼の形相が迫る。
「ウォーターウォール!」
逆向きの滝が俺とエルミアのすぐ前に現れ、瞬時にクリスタルの壁へと姿を変えた。
ラメのお手柄だ。ギリギリ、エルトラの剣を防いでくれた。少しでも遅れれば、多分エルミアは胸を貫かれていた。
「ラメ、ナイ……す……」
違う。完全に防げてはいない。
安心しちゃ駄目だ。これは、駄目だ。
「剣が……」
俺は本能によるものか、どうしてこうなったか察することができた。
剣がクリスタルの壁に刺さっている。
壁の向こうにはエルトラ。透けて見える。
ただ、刺さっているといっても、ヒビなどは無い。
クリスタルが構築される時には、剣先だけがこちら側に出ていたんだ。
だから綺麗に、建設の段階から刺さっているように、剣がある。
――バキンッ!
エルトラの攻撃は止まらない。
まるで鍵を挿して扉を解錠するように、尋常でない力で剣を回した。
剣は強く、そしてエルトラも強い。
クリスタルの壁はいとも容易く、豪快に破壊された。
「くっ! 逃げるぞ、エルミア!」
破壊の瞬間だけは、攻撃は来ない。
俺はエルミアの手を取り、引っ張った。
エルトラは鬼だ。
ほら、今も、回転の勢いが残った剣をそのまま飛ばして、誰もいないと分かったら左手で取っている。
「逃げるしかない……勝てないっ!」
霊戯さんとラメも反対側から逃げている。
戦うことは考えちゃいけない。逃げて、十分に作戦を練るべきだ。
転びそうなくらいの全速力。
それも、エルミアを連れて。
「エルミア……大丈夫か!?」
「う……うん……でも、まだ……!」
エルミアは俺の手を振り払う。
復讐とか後悔とかで、言葉を交わしたいのか?
そうするつもりなのか? きっと取り合ってもらえない。一度でも足を止めたら最後、殺される。
「……再会できて嬉しいわ、エルミア。逃げずに立ち止まってくれてもっと嬉しい。この怒りを晴らせば、もっと嬉しいわっ!」
真紅の刃が揺れる。
空間が歪んでいるようだ。剣先が、刃が、どこにあるのか。いつエルミアに到達するのか、読むこともできない。
助けにも行けない。純魔石を取り出しても間に合わない。どうなってる? 剣術とは訳が違う。剣がグネグネと曲がっている。
――エルミアが斬られる!
そう思った時には、エルトラは既に上にいた。
斬られる寸前に、エルミアの土魔法が地面ごと彼女を上に持ち上げたのだ。
剣は当然、当たらない。
「見てない内に素早くなったのね。……うざい。けれどこのまま、剣を突き刺せば!」
柱の上で、柱に剣を突き刺そうとする。
何となく、予想ができた。エルミアの魔法、「地獄を這い回る大蛇」のように柱に火を流し、爆弾にしようとしているんじゃ。
「クリスタルで剣を固定だ! ラメ!」
我ながら賢明な判断だ。
ラメの水が飛び、刺さる前の剣と柱にかかる。
クリスタル化して、剣は突き刺さらなくなる。
「ぐっ……またこれか……しかも水! 火は通らない!」
エルトラの腕力でも、あの状態の剣を元に戻すのは難しいようだ。これで逃げる時間は稼げる。
なのにエルミアは、まだ話そうとしている。彼女は何を抱えてるっていうんだ。
チャンスはこれからもある。仲直りでもしたいのなら今度でも良い筈だ。今日のところは取り敢えず、エルトラが剣を使えなくなっている間に逃げるべきだ。
激高の状態にあるエルトラとは、仲直りはおろか普通に会話することもままならない。
その判断に至らないほど気が動転しているのか?
「一週間くらい前、夢を見たの。六年前のあの日……薬をくれた、あの日の……」
エルミアの目から涙が零れた。
妹が泣いているというのに、姉は憤怒の感情を見せている。
過去に何があったのかは知らない。知らないけど、俺には、碌な姉には思えない。
「そりゃーあ良かったじゃないの! 病床から出た時はさぞ嬉しかった筈だわ! 私の……お陰だってのにさ……アンタは!!」
太陽のような火球が空に現れた。
まずいぞ。きっとラメの水より先に、エルミアに向かって放つ。
俺の純魔石で回避できるか!?
エルミアも流石に身構えている。
「来い! エルミア!」
逃げてくれた。
エルミアが俺の方に走ってくる。
「あーそうそう、集まってくれると嬉しいのよ」
憤怒の声色のまま喋り、腰の辺りから短剣を取り出した。
――シュッ。
投げられた短剣は、エルミアの頬を切った。
傷は浅い。だからエルミアに問題は無い。
「全体」に問題はあるがな。
地面に刺さった短剣は、炎を纏っている。
小さな爆弾だ。即席に作った小型の爆弾。
集まったから、全員火炎と爆風を食らうことになる。
ラメの魔法も無意味だ。短剣の中にも、炎はある。
「皆んな……何とか避けるんだっ!」
「いいや、待て……エルミア! 離れるんじゃない! 離れるのは爆弾の方だ! エルトラの斬撃を回避したように!」
土魔法ストーンタワーが短剣の爆弾を地面ごと持ち上げる。
頭よりずっと高い位置での爆発だ。そもそも、威力は低い。土や石が吹っ飛んでくるが、それくらいはエルミアの魔法で防御できる。
「エルミアちゃん、幻術の魔石で退散するんだ! さあ出して……戦うとか、ましてや話し合うなんて……自殺行為だから!」
「逃げるのが大切……だけど……嫌、折角再会したのに逃げるなんて! 望みが叶うかもしれないのに!」
霊戯さんもラメも、俺だって戦闘は望んでいない。
エルミアは話し合おうとしている。傷つくことは承知の上で、それでも仲直りしようとしている。
仲間を危険に晒すつもりか。それも承知の上か。それとも視界に入っていないのか。
死ぬ。エルトラは本気を出していない。対話の中でさらなる逆鱗に触れれば、本気の地獄の剣が襲ってくる。
「エルミアさん……お姉さんは……そう簡単に、改心するようじゃないから……一旦は……」
「そうだぞエルミア! 帰った後で、いくらでも話は聞いてやるから……心と体を整えて、以後安全に対話するためにも、向かっちゃ駄目だ!!」
喉が焼けるように乾燥してきた。
エルミア、ちょっとずつ俺の方に思考が傾いてきたようだが、時間は残されていない。
こうなったら俺が。
俺はエルミアのバッグに手を突っ込み、べべスの魔力入り魔石――幻術の魔石を手にした。
対象はエルトラ。俺達の姿は消え、足音は聞こえなくなる。
その隙に、惑っているエルミアに、俺が元から所持していた純魔石を向ける。
上手く調整すれば、波動でエルミアをぶっとばせる。
有無を言わさず、退路へ。
「わっ!?」
「悪く思わないでくれ……こうしないと、お前何秒後かには殺されてたからな」
一足遅れた俺は、魔石に意識を集中させた状態で皆んなの後を追ったのだった。
第107話を読んでいただき、ありがとうございました!
次回もお楽しみに!




