第106話 別れても希望あり、再会には絶望のみ
八月二日。
エルトラは教団の基地を抜け出してから三日が経過した今も、現世の町を歩んでいる。
三日前は剣を持ち歩いている人が、とかあの人に近付いちゃ駄目だ、とか道行く人々に非難され、避けられていた。
しかしエルトラは覚えた。エルトラは学習のできる女だ。もう無闇に剣を抜いてそのまま歩くことはしていないし、魔法で火を出してはいけないと分かっている。
そんな彼女ではあるが、ショートカットとして建物の屋根や屋上に上っている。これは異世界でも決して推奨はされていない行為だ。
なのに実行するのは、「ある人物を追う」ことに夢中になり、倫理など捨て去っているから。今のエルトラに何を言おうと、目的達成のために重要なことを止めさせることは不可能。やるだけ無駄である。
「それにしても、エルミアが十二人の戦士だなんて、衝撃の事実……偶然ね。……いや、必然なのかもしれない。あいつに良心なんて無いわ」
怒りの呟きである。
過去を思い返し、怒りの感情を増幅させた。エルトラは毎日こうしている。復讐心を絶やしてはならない。エルミアを発見したら、その時も回想すると決めている。
無論過去の出来事を忘れることなど有り得ないが、感情を昂らせることで体力や気力を上げているのだ。
「六箇所も燃やせば充分よね。……ふふ、少し楽しみだと思っているのかしら、私。……そうね。もうすぐ、あと少しでエルミアに会えるんだから……」
生ぬるい風が吹いてエルトラの紺色髪が揺れる様は、まるで隙間風で揺れるロウソクの火のようだ。
尤も、エルトラの心に宿った火の激しさは、ロウソクの比じゃない。きっと大量の燃料を投入しなければ、届かないだろう。
「震えて待っていなさい。エルミア」
エルトラは自ら禁じていた抜剣を、いつの間にか行っていた。
*****
霊戯に人形を返してもらった天原遼子は、彼から殆ど何の説明も無いので怪しく思っていた。
「昨晩のことも、原因も、調査の内容だって、何一つ教えてくれない……。どうしてなの? あなたなら……分かるの?」
人形の頭を撫でる。この物に何を施そうと、多分無意味であるということは、立派な大人の天原も心のどこかで理解している。
だが、今のように不安になり、しかもその不安が人形にも関係があることからのものであったら、自分を助けてくれそうな存在に話しかけるしか解消する方法が無いのだ。
精神の安定がもたらされる。その効果も勿論、天原の勝手な安心。実際に問題が解決するわけではない。ただ気持ちが楽になるだけだ。
しかし、何故だかこの人形と一緒に居ると、孤独感が消える。睡眠の前後や仕事の最中はやっぱり孤独だが、人形と会話している間は幸せな気持ちになる。
(もし本当に、彼の魂が憑依しているのなら…………辛いけれど、成仏させてあげないと)
天原は悟っていた。
彼の魂が望むのは、「天原と再び恋をすること」でも「自分の存在に気付いてもらうこと」でもなく、「死んだ魂として成仏すること」であると。
彼女が思うのは、自分が愛されていなかったとかそんな自己中心的な事実ではない。彼はこの世に留まっているのが堪らなく苦しいのだと信じている。
その立場になることを想像すれば、嫌というほどよく分かる。死後、成仏できずに、再び自分と恋愛をすることもなく、再び抱き合うこともなく、その辺を彷徨うか人形に入るかしているのだ。永遠の魂なんて、辛いに決まっている。
天原は愛されていたいとは願うタイプだが、その愛に応えるためには彼を楽にさせてあげなければならないと強く思っているのだ。
素直に坊さんを呼べば良かったと後悔する。
同時に、あの探偵は今頃何をしているのかと、また不安になる。
探偵を生業としているのでそれなりに奔走しているのだとは考えられるものの、不安は不安だ。
(この際、依頼を取り消してしまおうかな)
人形を撫でる手が止まった。
決断はせず、静かに悩む。
信用できない探偵くらい、紙くずをゴミ箱に捨てるように関係を断ってしまっても構わない。
しかし失礼ではないのか。また、恨みを買ったりしないだろうか。こんな状況だからこそ、不安な要素は集まってくる。
(…………よし)
どうしようかと悩む天原だったが、霊戯の行動を探るという道を選んだ。
実は天原は、霊戯の後を追っていた。公民館に入っていったのを知っていた。
深追いせず確認だけして帰った。だから天原は、公民館の従業員にでも聞き込みをしようと思い立ったのだ。
入ってすぐの受付に立っている人に声を掛けてみる。
「すみません……先程、金髪の高身長の男性がここを利用したと思うのですが」
「……金髪の…………ああ、居ました、居ました。白髪の女の子まで連れていて特徴的だったので、覚えていますよ。……どうしてそんなことを?」
「知り合いなんです。行き先が知りたくて……何か話していませんでしたか?」
「いえ、ここからは遠くてコソリとも聞こえませんでした」
天原は落胆した。まさか施設内にいる従業員でもない赤の他人には聞き込みできない。
人形を返された時も聞けなかった。帰ってこないわけはないが、帰ってきたところで結局、質問しても良い回答は得られないだろう。
(せめて彼らが使っていた席だけでも、調べてみよう)
霊戯らが座っていた席とテーブル。
受付はその場所だけは覚えていたので、教えてもらった。
聞き込みしたり、席を詳しく調べたり……天原は自分の方が探偵っぽいじゃないかと心の中で文句を垂れた。
「物の一つでも忘れ物していれば、行き先を突き止められたのにな……」
卓上に人形を置いてみた。
「……もう、前のようには話せない。……この人形の背じゃ、二人とも椅子に座ると目線が合わなくなる」
天原は、彼氏と向かい合って食事をするのが好きだった。この公民館でも、持ち込んだ菓子を一緒に食べたことがあった。
天原にできるのは、人形の中の魂を天に向かわせてあげること。
しかしそれもまた、苦しい。未亡人とは、全く素敵ではない。
「おねーさん!」
「えっ?」
五歳くらいの小さな男の子が、面識のない無邪気な子供が、突然現れた。
公民館には絵本も遊び場もある。だから全然不思議ではないのだが、子供だって理由も無く他人に話しかけることはしない。
「……どうしたの?」
とても元気を出せるような状況ではないが、天原は子供に向かって怒鳴るような人間にはなりたくなかった。
「そのお人形さん! 可愛いね!」
まるで爽やかな夏の日に水平線を見るような、純粋で美しい眼差しだ。
その視線の先にあるのは、当然、天原の人形。巧みに作られた人形である。
彼の魂は、いずれ旅立ってしまう。
だが、彼の生きた証は、天原が生きていくことで、絶対に消えないものとなる。
子供の言葉が飛んだ瞬間は、天原遼子の中に希望が生まれた瞬間であった。
同時に、不安が消滅した。
問題は解決していない。希望に押されただけだ。
探偵の霊戯も頑張ってくれているのだろう。危害を加えられるわけではない。
しかし結果的に彼が報われるのは、確定している。何故なら天原は生きている。だから探偵の霊戯を完全に信用しても良いような気がしてきた。
霊戯だって、本当の依頼が「元恋人の成仏」であることはそろそろ理解した筈だ。
成仏するまでの期間が変わるだけで、その元恋人は安らかなる眠りを得られる。
彼の魂がこの世から去ってしまうというのも、天原の不安ではあったのだが、解消された。
「大丈夫よ。私がいるわ」
天原はいつものように、人形の頭を撫でた。
*****
「ここで合ってるんですよね? 最初の現場」
「僕のカーナビが間違うことはないよ」
俺達がやって来たのは、誰かさんによって最初に燃やされた森だ。
燃やされたといっても、全域ではない。ほんの一部だけ、焼け焦げているらしい。
「みんな注意して。爆弾のような罠の魔法が仕掛けられてるかもしれないから」
エルミアは先頭で安全を確認しながら進む。
この中で一番戦い慣れているのはエルミアだ。ラメはエルミアと比べると経験が少ない。
あと、万が一敵が襲ってきても、エルミアが対処できる。後ろから来られたら終わりだけどな。まあ周囲にも目を向けているから、億が一くらいの可能性だ。
「そーいえばだけどさー。この近くに教団のアジトがあるのかな?」
霊戯さんは、邪魔な草を手で押さえながら疑問を口にした。
言われてみれば、そうなのかもしれない。レジギアからの連絡と、ここがやられた連絡の間は、ほんの二時間程度だった。
鍛えられた人間の脚力と走力で二時間以内に辿り着ける位置に、アジトはある。
「ですね。ここから二時間以内の位置です」
そう考えると途端に怖くなってくる。ユーラから指令が行って、包囲されたりしないよな? 包囲の防止のためにユーラを連れてこなかったんだよな?
六つの森全てに教団員が向かったら……。いや、今動けるのがユーラ率いる第四班だけなら、人員が足りないから不可能だ。
じゃあ安心か。
「でも幻術のバリアで守られてるんだよね。周到な組織だなあ…………おっと、これは……」
足元が黒い。どんな料理音痴でも、こんなに黒い料理は作れないだろう。
そして、木がボロボロになっている。残骸はまるで樹木が悲鳴を上げているようだ。
爆発音と共に焼けたのは、ココだ。
これが町中だったら、どんなに恐ろしかっただろう。
有名でもないただの森が標的にされてよかった。
黒の地面を見て、心の底からそう思った。
この攻撃を食らったら一瞬で黒い肉塊に変わる。
身の毛がよだつ光景と想像だ。
しかし、そういえば、エルミアも火魔法を主に使う。
エルミアと同じタイプの敵と思っておくべきか。エルミアが敵に回ったなら、この森を燃やしたのは彼女だったのだろうか。
正義と悪ってやつだ。
火は使い方によって便利なものにも、危険なものにもなり得る。
「……この跡……」
エルミアは地面の焦げた跡に近付き、化石を探す考古学者のように見つめ始めた。
「エルミア……どうかしたのか? 跡……こういう跡をつける武器が存在したりするのか?」
また、これだ。
最近のエルミアの様子はおかしい。突然おかしくなるんだ。多分、これもそうだ。
過剰なくらいに観察している所為かな。何となく、冬立さんの言う「後悔」に関係しているような気がする。
俺は我慢の限界ギリギリ状態だ。
あまり触れないようにしろとか言われたが、正直続けられない。
次に何かあれば、爆発するだろう。エルミアの両肩を掴んで問い詰めるだろう。
それが、今だ。
「エルミアさん……大丈夫……ですか……?」
俺から相談されたラメも、同様にエルミアを心配している。俺の鋭い眼差しとはまた違う、子供らしい優しい眼差しだ。
「大丈夫……って?」
とぼけている。
「お前はちょっと頭が悪いときはあっても、察しは良い方だろ? とぼけんなよ、よく分かんねえけど……後悔を思い出してんだろ!」
どうして気付かれたんだっていう驚きと不安の表情が目の前にある。
俺はたとえ老いても詐欺には引っ掛からない自信のある男だ。しかも相手は好きな人。言動から内面の変化くらい、気付けるさ。
「泰斗君、少し落ち着いて。気持ちは分かるけど、エルミアちゃん困ってるから」
「落ち着いてますよ! 落ち着いてるからこそです!」
一生懸命な霊戯さんだが、俺はちゃんと理性を保っているし落ち着いている。
「ちょ……泰斗君、違うよ! この跡が特徴的だったから気になって……」
「その特徴が! 過去の後悔と関係してるんじゃないのか!」
八月の暑さの中での、必死の詰問だ。
しかし、内容は的を得ているだろう。エルミアが狼狽えている。わかりやすく、イエスって顔に書いてあるようだ。
嘘を言ってないのなら、こんな慌て方はしない。言い逃れるような否定は、しない。
……暑いな。非常に暑い。
八月の暑さどころじゃないような。
地獄にでも堕ちた気分だ。
どうしてこんなに気温が高いんだよ。
「……っ! 皆んな私から離れて!!」
エルミアの本気の叫び。
びっくりして一瞬遅れたが、こういうときはエルミアに従うのが最善。
俺だけでなく、霊戯さんとラメも離れた。
次の瞬間。
エルミアの背後に灰色の、岩の柱のようなものが出現し、同時に現れた鉄の鎖がエルミアの体を柱に縛り付けた。
「なっ……!? これは!?」
俺はそう言って焦る。
その次に動いたのは霊戯さんだ。
「ラメちゃん! クリスタルで鎖を壊すんだ!」
「は……はい!」
魔法で水を出し、鎖にぶつける。と同時に水をクリスタルに変え、鎖を破壊する。
無事鎖は壊れ、エルミアは自由を取り戻した。
「だっ……誰だ! 誰かいるのか!? 出てこい!」
敵なのか? 例の異世界人なのか?
もしかして異常に暑いのは……ソイツの影響か。
火魔法を多用する奴だ。辺り一帯の気温を上昇させることもできよう。
「あっ…………あれ…………」
エルミアは指を差した。
俺達は木の無い一本道にいる。その道の、向こう。
人影が見えた。
「あの……あの人は…………!」
冬立さんの家で吐いた時と似た顔だ。
今にもぶっ倒れそうな、後悔やトラウマが脳内を埋め尽くした時の顔だ。
ヤツの容姿が見えてきた。
女。
紺色の長い髪。
赤い瞳。
エルミアのローブよりも何倍か動きやすそうな、戦士や剣士が着るような服。
そして、赤い剣。
まさか、な。
いやまさか。
遠目でも、エルミアに酷似した人間だって分かる。
エルミアと一緒に居なかったら見間違えそうだ。思わず「おーい、エルミア」って呼んでしまいそうだ。
――まさか、本当にそうなのか?
雰囲気まで、オーラまで、心に宿した炎で敵を焼こうっていう肌で感じられる意思まで、エルミアと同じだ。
ヤツはこちらに歩いてくる。
通過した所の一本の枝がバキリと落ち、ヤツに踏まれると……半紙に垂らした墨汁みたいな黒い跡だけが残った。
「エルミア…………俺は覚悟して聞くぞ。アイツは……誰なんだ?」
ヤツは……アイツは……。
「私の……血の繋がった実の姉………………名は、エルトラ・エルーシャ」
新たに召喚され、預言者の洗脳を受け、森を焼き、定多良さんと緑山さんを殺した異世界人は……エルミアの姉である、エルトラ・エルーシャであった。
第106話を読んでいただき、ありがとうございました!
次回もお楽しみに!




