第103話 スピリチュアル・ドール①
天原遼子、二十四歳。
現在彼氏無し、結婚履歴無し。
中堅アパレル企業で働く女性であるが、流行には疎いのが欠点。
彼女が住むのは都内の一戸建て。地価が安い土地とはいえ、贅沢な暮らしはできていない。
最近投資に手を出した。
……というのが天原さんのプロフィールらしい。
こんなこと知ってなんになるんだか。霊戯さんは何を考えているんだ。
少なくとも俺には、必要の無い情報だ。同い年の女の子が好みの俺は、彼女には興味が無い。
霊戯さんのこの行為、ハラスメントに当たらないのかな? よくSNSで流れてくるぞ、セクハラがパワハラがって。
天原さん、あなたもですよ。
聞かれても答えなくていいのに。素直な人だなー。
嫌な顔もしていないし。探偵って、別に必ずしも相手の全てを知り尽くさなければならない職業ではない。
「一人暮らしで都内の一戸建てとは、勇気がありますね」
「同棲していた彼氏が資産家でして。私が決めかねているうちに購入してしまったんですよ」
頭がおかしいのかな?
初対面同士の会話とは思えないんだけど?
それとも俺の倫理観や常識の方が特殊なのか?
聞いてるこっちが不安になってくるよ……。
霊戯さんが軽くて飄々とした人物であることはずっと前から承知しているが、あまりにもデリカシーが無さすぎる。相手が天原さんじゃなかったら、車が横転して死んでただろう。
「アパートやマンションなら、上の階や隣の住人に聞き込みできたんですけどねー。一軒家なら……前の住人の亡霊とか? いるかも?」
バックミラーに映った顔が……笑っている。
よくも笑顔でさっきみたいな話を、楽しそうに話せたもんだ。
今はちょっと真面目な内容になってるけど、どうして霊戯さんは常に笑顔なんだ。
「事故物件ではなかったので、考えにくいですね……」
助手席で頭を抱える天原さんは、霊戯さんと比べれば普通だ。
しかし霊戯さんからの質問に平然と答えていた辺り、彼女も少し変な人格の持ち主なのだろう。霊戯さんを嫌っていないのも、珍しい。
二人への関心も薄まってきた時、エルミアにトントンと肩を叩かれた。
「ラメちゃんが車酔いしちゃったみたい」
左を向くと、ラメが気持ち悪そうに呼吸をしていた。
「ラメちゃん大丈夫?」
「前に車で移動した時は酔ってなかったのにな……。飴舐めるとマシになるから、ほら」
ミルク味の飴を差し出すと、ラメは「いらない」と首を振った。
飴は嫌いだったのか。それとも、別のフレーバーのやつが欲しいのか。
ラメは俺の迷いを払うように、寄り掛かってきた。
「目を閉じて寝れば治るから……飴はいいです」
そういうことしてくれるのは、男子的欲求が満たされるから許す。
でも寝るのにも時間が要るだろう。眠りに落ちるまでの間は苦しい。
だったら、睡眠は試みずに最初から飴を舐めるべきなんじゃ?
「で、でも……」
「まあいいじゃない。寝かせてあげなよ」
エルミアに言われた。
彼女、やけにニヤついている。
ラメは可愛いし、ニヤつきもするか。
本人がその気なら、強要するのも良くない気がしてきた。寝かせてあげよう。
……と思ったら、異常発見。
「お前酔ってるにしては嬉しそうだな……?」
目元を俺の腕にうずめているから、表情がよく分からないが、口元が綻んでいる。
乗り物酔いは特に口に来る。吐き気が生じるし、場合によっては吐く。嬉しそうな口になっているのは「異常」だ。
「い、いや…………半分寝てたから何のことか、わからないです……。乗り物が揺れて……き、気持ち良かったからだと思います……よ?」
本当かなあ。
なんか嘘っぽい。
疑いの目を向けると、ビクッと震えて慌て出した。
「ま、また……き、気持ち悪くなってきたなぁ! ……だから寝かしてぇ……」
「だって。具合悪い人に話しかけちゃ駄目だよ泰斗君」
エルミアから叱られた。
俺だけ仲間外れされてるような……?
誕生日パーティー開催直前の主役になった気分だ。
*****
天原さんの家に着きました。
「どうぞ、入ってください」
「お邪魔しますぅー」
特に変な所は見られない。
入った時点では異変は起こっていないし、エルミアとラメが何かを感じた様子も無い。
一見ただの住宅で、思っていたよりは狭いかなというくらい。
壁飾りやカーペットが無駄にフワフワモコモコしているのが特徴だ。夏だから暑い。
「物音がするというのは……」
「こちらです」
人形が置いてある棚の前まで案内された。
一階のリビングの壁際だ。近くに音を出すような家具は無い。テレビやラジオはあるが、独りでに電源がオンになることは有り得ない。有り得たとしても、音の感じで何なのか察するだろう。
棚の上の天井に物が吊るされているわけでもない。
横から吹っ飛んでくる物も存在しない。
それとも、ネズミがいたりするのか? 殺鼠剤でも撒いてみてはいかがか。
「うーーん。ちょっと触ってみてもいいですか?」
霊戯さんは許可を得た後、人形を持ち上げる。
可愛らしい人形だ。材質は詳しくないからわからないけど、とてもリアル。今にも動き出しそうだ。
それに精巧な作りで、作者の努力が伝わってくる。高値で買い取られてそうな代物だ。
西欧の人形を売ってる店に置いてありそうな、可愛いけどどこか怪しげなデザイン。
「かわいい」
女の子なラメは、人形を見て物欲しそうにしている。
「物音、というのは具体的にどんな音ですか?」
「ええと、ちょうどこの棚を揺らすような……人形が何かと擦れる音では絶対になかったです」
棚は木製だ。
大人なら簡単に動かせる棚だが、もし大人がこの家に侵入しているなら、流石に天原さんが気付く。
クローゼットの中とかに今も身を潜めているとか、そんなホラーな展開でなければ、な。
その後、一応人が隠れられそうな場所は全て調べた。
人も、人がいた痕跡も無かった。天原さんに聞いたことだが、朝になったら鍵が開いていた、なんて事もなかったそうだ。
ネズミが住み着いているという説も話したが、この家にはそんな隙間は無いという。
いよいよ魔法で遠隔操作している説が濃厚になってきたな。天原さんには伝えられない説だ。
「あの……一つ、私は考えていて……」
「えっ?」
突然、天原さんは辛そうに俯きながらそう言った。
「その人形に……死んだ彼氏の霊が取り憑いているんじゃ……ないかって……」
突拍子もない説だ。しかし天原さんは、本気でそう思っているらしい。
死んだ彼氏というのは、この家を買ってくれた資産家の彼氏のことだろう。
現在は一人暮らしらしいから、彼氏は亡くなったか離別したかのどちらかだと思っていたが、前者が正解だったようだ。
その彼氏の霊が人形に取り憑いている、か。
ホラー且つロマンチック。洋画の題材になりそうだ。
俺は信じない。
「……この人形……亡くなった彼氏と何か関係が?」
「はい。彼は人形を作るのが趣味でした。その人形の精巧さも、彼の才能ゆえ。そして彼は、作った人形を売りに出し、儲けていたんです」
天原さんは人形を返してもらい、さらさらのした髪の毛を撫で出した。
「しかし、彼が求めていたのは……金だけ。私にとやかく言われる筋合いは、なかったんでしょうが……私は少しだけ悲しかった。でもある日、彼は私に、この人形をくれました。金ではない……愛のために、人形を作ったんです」
愛と懐古の心が眼差しに乗り、人形に注がれる。
途端に人形が輝き出した。ライトを内蔵しているのかって具合に。
可愛いとか怪しいとかの印象は消え去り、美しいという印象が生まれた。
「だから思い出の品なんです。彼は交通事故で他界してしまったので……形見でもあります! 形見なら、成仏できずに彷徨っている彼の霊が入ることも、あるんじゃないかと……!」
霊戯さんは「うんうん」と何度も頷き、そしてこう言った。
「なるほど。もしかしたら彼が、あなたを心配してやって来たのかもしれませんね?」
嘘だ。俺も霊戯さんとは二ヶ月くらいの付き合いがある。だから段々、彼の心理や心情がわかってきたんだ。
霊戯さんは常時笑顔でいるが、笑顔にも種類がある。
今の笑顔は、嘘をついている笑顔だ。
多分、異世界人が関係していると確信しているんだろうなあ。根拠があるのかどうか。
*****
霊戯さんは「僕らが霊について調べてみせるので、異変が起こる夜まで居させてください。なんなら泊まらせてください」と上手く語った。
彼のお陰で、俺達は天原さんの家に泊まることになった。今日知り合った人なのに。
まあ、もう決定事項だから仕方ない。
俺とラメとエルミアは一階で、天原さんと共に寝室に居ろと言われた。特にエルミアは天原さんを守れと。
寝たって良いけど、全員はやめろとのことだ。じゃないと寝込みを襲われたら死ぬからな。
霊戯さんは二階で待機。
これでもし家の中に敵が入ってきたら、すぐに撃退できる。戦わずに話し合うのも一つの手だが、異変を止めてほしいというのが依頼内容。何よりその目標の達成を優先する。
そして、夜。
時計の針の音が気になる。眠気の所為か、例の物音に聞こえるときがあるんだ。
「二十三時。まだか……」
天原さんは寝ている。無防備だ。
エルミアの護衛能力が発揮される。
ラメはウトウトしたり目を擦ったり。
俺の隣に座っている。
が、急にブルブル震え出した。顔赤い。
「どした?」
「……………………お、おしっこ……」
なんだトイレか。
「びっくりした……なんだ、トイレか。ポルガイが始まったのかと思ったよ」
「ポルガイって略さないでよ」
エルミアにちょっと笑われた。
だってポルターガイストって長いんだもん!
例の現象を表す言葉、他に思いつかないし。
「……まあ、行ってきな二人で」
「え、俺も行くの?」
ラメは夜中に一人でトイレに行けないタイプの子らしい。
天原さんのことはエルミアに任せる。もし寝室の窓から化け物が現れても、エルミアがいれば数秒で返り討ちだ。
*****
家の構造で、寝室からトイレに行くにはリビングを通る必要がある。
リビングには……あの人形。片目がチラッと見えた。
昼間はそうでもなかったのに、真夜中になると途端に怖くなる。
神社と同じだ。夜中に見ると、不思議なくらいに恐ろしい。ラブコメ映画の神社とホラー映画の神社では、印象に天と地ほどの差がある。
「は……はやくっ!」
いつの間にか立ち止まってしまっていた。
逃げてトイレに行けば恐怖も消えるのに、何故か立ち止まっていた。
怖い話をついつい聞いてしまうのとは、また違った感覚だ。
そんなことより、早くラメを連れて行こう。
モジモジピョンピョンしてるし……怖さで失禁でもされたら困る。ここ、他人の家だからな。
*****
「ぜ、絶対外で待っててくださいね! もし置いてったら……置いてったら……」
フラグが立ってしまった。
「そういうことは言うと現実になっちゃうんだぞ」
「えええっ!?」
やばい怖がらせすぎた!
ので、さっさとトイレに入らせた。
さて、素直に待っていましょう。わざと近くの部屋に隠れるなんて意地悪はしない。やるならトイレのドアを思いっ切り開けて「わっ!」ってやるけど、相手が女児だからできない。
でも、寝室に戻りたいな……。普通に怖い。ここからは人形は見えないけど、後ろを振り向いたらナイフを持ったアイツが……とか、想像すると俺までトイレに行きたくなる。
……いないよな?
バッと振り返る。
何もいない。よかった。
「俺はひとりかくれんぼなんて御免なんだよ……」
ホッと息をついたその時。
――ガタガタッ、ゴトン。
奇妙な物音がした。
ちょうどあの棚の人形の段から、物が下に落ちたような、そんな音だ。
まさか。まさか、本当に人形が?
……証言があったんだから、そりゃ本当に起こるか。
ホラー系の洋画に登場する六歳くらいの男子になった気分で、抜き足差し足でリビングへ向かう。
「エルミアは……まだ気付いてないみたいだ」
息を殺し、精神を安定させるために小声で喋りながら進む。
そして、ゆっくりとリビングを覗く。
「……人形が……床に転がっている……」
落ちたのは間違いない。
考察するべきは、「何故落ちたのか」。
今夜は無風。リビングには誰も居ない。扉を開ける音や、足音もしなかった。
人形を落下させられる生物は、存在していない。
警戒しつつ近付く。
音に反応するのかもしれないから、口に手を当てて。
そうだ、霊戯さんは?
霊戯さんの方ではどうなっている?
音には気が付いたのか?
人形から目を離し、階段の方に目を向ける。しかし霊戯さんは下りてきていなかったから、再び人形へ。
「……な……」
人形が消えていた。
一瞬だ。一秒にも満たない時間、目を離しただけなのに……人形はどこかに消えてしまった。
棚にも、床にも、どこにもない。
いよいよ恐怖と緊張がマックスにまで上った。
マジで幽霊の仕業じゃないだろうな? 俺祟りで殺されたりしないよな?
ゆっくりと振り向いてみる。
「いたぁっ!」
後ろにいた。
一瞬のうちに、俺の背後に移動した!
こんなの、幽霊にもできない芸当だ。
「イヒヒッ、イヒヒヒヒ……」
「笑った!?」
口はあるけど動いてはいない。
なのに笑い声が聞こえた。確かに笑った。
コイツが不気味な笑みを浮かべたように見えた!
有り得ない。幽霊じゃない。
物体操作魔法でもない。小人もいない。
人形が生きているなんてことはない。
つまり、この人形は……誰かに操られている!
「イヒヒ……イヒヒッヒヒ……」
まるで人間の凶悪殺人犯みたいに、人形は笑った。
第103話を読んでいただき、ありがとうございました!
次回もお楽しみに!




