第100話 紅蓮の女が舞い降りる
望労済教団基地、地下召喚室にて。
茶色い装束に身を包み、顔が見えなくなるほど深くフードを被った男――預言者が、また一人、異世界人を召喚した。
「今度の召喚も成功だ。しかもこれは……この召喚時に感じる魔力の波が……とてつもなく大きい! これは……魔力の濃さでいえば……あのべべスにも匹敵する!」
預言者は興奮を覚えた。
信者で構成された機動隊のうち二班が、既に十二人の戦士によって打ち倒されている。
残るは三班。中でも第三班は、班長だけはまさか死ぬことはないだろうと言える。
だが、万が一ということはある。
だから戦力となる存在は、いればいる程良いのだ。現班長と同等かそれ以上の力を持つ異世界人は、預言者の最も求めていた人材なのだ。
特に、元班長ではあるものの、教団に多大なる貢献をしたべべスに引けを取らない実力があるのだとしたら、期待できるというもの。
比較対象であるべべスは死んだ。戦士に殺された。故に不安はある。
だがべべスは、他の班員が弱かった。率いる男が強かろうと弱かろうと、部下が貧弱であれば意味が無い。
今召喚したこの者には、厳選した団員を与えよう。
預言者はそう考えている。
「ふむ……女か。そして立派な剣を携えている……。この外見で、戦えぬということは有り得んだろう」
召喚の衝撃で気を失っている間に、ジロジロと変質者のように細部まで観察する。
整っているようで乱れた部分が目立つ紺色の長髪。
著名な鍛冶屋が打ったと思われる立派な剣。
貴族や王族の着るような美しい服。
心臓は鼓動している。死んではいない。
「紺色の髪といえばエルミア・エルーシャもそうらしいが……同じ家の出ではないな。エルーシャ家の人間は、胸に純金製のファルカンのバッジを付けている」
エルミア・エルーシャは髪が紺色であるという情報を得ていた預言者は、召喚者がエルミア・エルーシャの身内ではないかと疑った。
しかし、代々エルリス魔法王国を統治する王家――エルーシャ家の人間は、ファルカンという鳥を象った純金製のバッジを胸に付けている。
この女は、エルーシャではない。
*****
召喚者は、目を開けた。
「………………? ここ、は?」
瞳の色は紅だった。
地獄に通じていそうな、炎のような眼だ。
「起きたか。……私が預言者だ」
「預言者……」
「ここは教団の基地の最下層、地下召喚室だ。そなたはついさっき、召喚された」
「召喚……! つまり私は……神に選ばれた!」
「その通り」
召喚者は喜びを露わにした。
信者にとって、神に選ばれるということは、この上なく幸福で、名誉なことなのだ。
その燃えるような瞳が、厄災に遭った都のように震える。
「では早速だが……そなたの名前を聞こうか」
預言者はいつもと同様に、召喚者の名前を聞く。
「エルトラ。姓は持っていない」
「そうか、わかった。エルトラよ……召喚したばかりで申し訳ないが、その力を試したい」
預言者はそう言って、離れたところにある人形を指した。
「あれは戦闘訓練用の人形だ。壊してみよ」
召喚の影響でまだ少し怠いようで、エルトラは立ち上がった後ふらふらと人形の前まで歩いていった。
召喚の衝撃への耐性には、個人差がある。すぐに幾つかの武器を振り回した者もいれば、一日中立てなかった者もいる。
エルトラは軽い方だ。これだけ動ければ、何の問題も無い。
「背は高いけれど……布と綿の、脆い人形」
エルトラは暗くてよく見えず、人形の素材が木や鉄だと勘違いしたようだ。
人形の素材は布。中は綿。人型で、身長は百六十センチある。
ただ大きいだけの人形で訓練になるか、と普通は考える。火魔法で燃やしてしまえば、一瞬で崩れる。
しかし、この人形には秘密がある。
「なっ!?」
人形は、エルトラの左腕を豪快に掴んだ。
この人形は動くのだ。生物ではないが、魂が宿っている。
人形を倒せなかった異世界人は、問答無用で情報班や雑用班に回す。
これは第一審査である。
魔力が全く無いために魔法が使えず、倒せないと言った異世界人もいたが……エルトラはどうだ。
「どうだ……やれるか? エルトラ」
「この程度」
かなりの力で掴まれている。
抵抗力が無く、骨を砕かれた者もいる。
エルトラは、人形が動き出した瞬間に驚きの声を上げた。だがそれっきりだ。
痛がる声は出さない。震えもしない。
彼女は腰の剣に手を掛けた。
「おお…………んっ?」
預言者は、何が起きたか理解できなかった。
エルトラが剣を抜き、斜め上方向に剣先を移動させたのだが……その時、剣はグニャグニャと曲がっていた。
人形は真っ二つになり、切り口とその近くは真っ黒に焦げている。
「魔剣技か! 一瞬、何をしたのかわからなかったぞ」
預言者は何度も頷きながら、エルトラに近付いた。
「しかし、火は出ないのだな。火系統の技なら、人形を燃やしてしまっても良かったのだが」
「火は出している。これは特別な魔剣技で……剣先にだけ火を宿し、剣全体からは熱を出し、空気を歪ませながら相手を焼き、斬る」
剣が曲がっているように見えたのは、剣の性質や宝能ではなかった。
魔法により剣から発せられた熱が光の進行方向を変えたことによる、「陽炎」の影響だったのだ。
「試験であり、審査であることは理解している。……から、このような技を見せて損はない。本気ではないけれど」
「本気は出さないのか?」
「本気を出したら……この部屋は壊れ、土に埋まってしまう」
彼女の本気は見てみたいものだが、折角作り上げた基地が壊れてしまっては困る。
陽炎の魔剣技で充分だ。エルトラの力はわかった。
「そうか。……そなたは、文句なしで機動隊に配属だ」
エルトラは礼を一つ、頭を下げた。
「では、編成などは後で考えるとして……十二人の戦士について話したい」
既に機動隊を二班も葬った戦士達。
今すぐに殺したいところだが、彼らと戦った団員からの情報が異様に少ない。
名前や外見がわかるのは、エルミア・エルーシャただ一人だ。
「名前が割れている戦士の名を言おう。その者の名は、エルミア・エルーシャ!」
その名を口にした途端。
エルトラの炎のような眼が、戦火に飲まれ、焼け落ちた都のようなものに激変した。
次第に部屋が暑くなっていく。エルトラの魔法によるものだと、預言者は察した。
「エルミア・エルーシャ……?」
「そ、そうだ。その名前が……どうかしたのか!?」
預言者の目の前には、鬼が立っていた。
何かに燃える鬼だ。心の底から怒り、何かを燃やそうとしている鬼だ。
「本当に? エルミア・エルーシャと言ったの……?」
「言った! 確かに私はそう言った!」
「エルミア・エルーシャが、この世界にいるのね!?」
エルトラの足元から炎が出現した。
預言者はエルトラの恐怖の問いに答えつつ、後ろに下がっていく。
「エルミア・エルーシャが! 戦士なのね!?」
預言者は鬼の前で……黙るしかなかった。
「……そう。わかったわ。エルミア・エルーシャは……私が殺す」
エルトラは消えた。
大量の炎を放出しながら扉に突進し、一秒もしないうちに基地内を進み、壁や床や天井を焦がしながらどこかに行ってしまった。
「ま、まずい……皆に知らせなければ! あのままでは死人が出かねない!」
預言者は部屋の入り口に向かった。
扉は切り刻まれている。破片に触れれば、指の皮が溶けるだろう。
外には……人はいない。
「死体は、見当たらない…………ぬおっ!?」
――ドドドドドドッ!
ドラゴンが洞窟内を駆けるような、地震のような、激しい音が上の方から聞こえてきた。
エルトラはもう、上の階に到達している。基地の外に出るのも時間の問題だ。
基地の外は、彼女にとって未知の世界。良い人材が路頭に迷ってはいけないし、下手をすれば教団のことが広く知れ渡ってしまう。
何としてでも阻止せねばと、預言者は走った。
*****
「そこをどけっ、信者ども! お前らは仲間だけれど、邪魔をされたくはないっ!!」
エルトラは、どこに階段があるのか、どこに何の部屋があるのかも知らぬまま、一心不乱に地上を目指した。
「止まれ! 召喚者か!?」
「このままでは基地が壊れるぞ! 止まるんだ!」
教団員がエルトラを制止しようと近付く。
「どけ」
しかし次の瞬間には、彼らは焦げた肉塊に変わった。
誰であっても、エルトラを止めることはできない。
近付けば死。今、彼女の行動を阻害しようとしたら、その時点で命は消える。
鬼。悪魔。猛獣。これらの言葉が相応しい。
「私には……殺さねばならない人がいる!!」
*****
七月三十日、月曜日。
ラメのヘル何とかーナも治り、俺達は笑いながら毎日を過ごしている。
「皆んなグデーンてしてるねー。ほら、アイス買ってきたよ」
霊戯さんがアイスを買ってきてくれたので、一つずつ取って、皆んなでいただく。
「このバニラとチョコが混ざってんのが美味いんだよなー」
「は? バニラとか邪魔者でしかないだろ」
「二人ともまた喧嘩してる~」
「透弥、小さい頃はハイパーカップのバニラばかり食べてたじゃない」
「イチゴ味おいしそう……」
アイスタイムの幕を閉じたのは――レジギアだった。
「あれ? レジギアから、何か連絡が……」
モナカアイス片手にパソコンを確認する霊戯さん。
俺は気になって、キレてる透弥を無視して霊戯さんの横に立った。
「ビデオ通話要求されてる」
「断る理由は無いよな」
ビデオ通話が始まった。
前回同様、ちょっと怖い面のレジギアが映る。
『レジギアだ』
「どーも、こんにちはー」
手を振ってるけど、可愛くないぞ霊戯さん。
『緊急の事態だ。ふざけるな』
ほら、叱られてる。
そして緊急の事態とは何だ?
レジギアからの連絡……教団機動隊の活動が再開したとか、か?
向こうでアイスを食べていた皆んなも寄ってきた。
『……ほぼ全員、いるな』
この場に居ないのは冬立さんだけだ。
今日は仕事があるからな。休んでまで俺達の所に遊びに来るような人でもない。
だがレジギアも落ち着いてはいるし、冬立さんに伝えるのは後ででも良い筈だ。
「レジギア……緊急の事態って?」
霊戯さんが尋ねる。
レジギアは唾を飲み、真面目な瞳をこちらに向けた。
クーラーボックスの中のように冷たい、緊張の空気が流れる。
『新たな異世界人が召喚された』
ドキッとした。
しかし、ふーっと息を吐いて落ち着いた。
冷静に考えてみろ、異世界人が召喚されるなんて当たり前のことだろう。
殆どの場合、召喚が成功するなら、どこかに異世界人が落ちたことを心配する必要も無い。
いや、召喚が失敗したから、こうして報告したのか。
「そりゃあ召喚されるだろうよ、その預言者とやらが生きてるうちはな。何が問題なんだ?」
透弥はもっとよく考えてから発言しろよ。
普通の召喚じゃなかったから通話しているんだろ。
『……召喚の失敗を疑っているな? そうではない』
「そうではない」だって?
召喚の失敗ではないのなら……何で?
他に考えられることとして、何がある?
何なのか見当がつかないから、逆に怖くなる。
山でのキャンプ中にキノコを見つけたとき、それが毒キノコだと知っているのと、全く知識が無いのとでは、後者の方が怖いのと同じだ。
「……じゃあ、緊急の事態とは……?」
わからないといった様子で、霊戯さんが尋ねる。
レジギアはこう答えた。
『今回の召喚者、召喚の直後に単独でお前達の討伐に向かったそうだ』
「召喚の直後」に、「単独」で、「討伐」に?
三つの謎だ。
召喚の直後……洗脳は完了したとしても、行動させるのが早すぎる。
単独……教団には機動隊があり、機動隊の中に班がある。単独というのはおかしい。
討伐……今は機動隊の活動が停止している。急いで討伐に向かうことは、誰かが止める筈だ。
『恐らく洗脳はしているが……何があったのか、召喚室を飛び出し、他の団員を殺しながらアジトを出たという話だ』
「レジギアは……見なかったのか? そいつを」
俺がそう聞くと、レジギアは首を小さく横に振った。
『見ていない。だが音を聞いた。爆発事故が起きて地が割れたかと思うような音をだ』
何だそれは。
それが本当なら……べべスよりもヴィランよりも強い相手なんじゃないか?
恐怖。俺達の居場所は知らないだろうが……いつか目星をつけられたり、遭遇したりしたらと思うと……。
「んだソイツ……目的は?」
『不明だ。その召喚者と会話した預言者なら、知っているのかもしれないが……情報班である私には開示されない』
伝えることは以上、とにかく注意するように、とレジギアは締め括り、通話は終了した。
その二時間くらい後。
「皆んな! 今度は紅宮さんからだ!」
霊戯さんはそう言って、紅宮さんに喋らせた。
『都内のとある森が、不自然に焼けているのが発見されました。爆発のようなものもあったらしく……ただの火事や放火ならよいのですが、教団との関連を疑い、連絡した次第です』
教団のアジトを飛び出した異世界人。
地が割れるような爆発音。
森の爆発。
関連アリだ。
*****
エルトラは、辺りが暗くなっても休まず、歩き続けている。
流石に体力が減ってきたが、あと一時間は動けるだろう。
「エルミア……どこにいる……」
知らない街。
知らない建物。
知らない物。
知らない人間。
この世界のことをもっとよく聞いておけばと、心の中で思っている。
だが、エルミア・エルーシャという名前を耳にしてしまったら、感情を抑えることはできなかった。
預言者には気付かれなかったが、エルトラの服の胸の部分には、何かをむしり取ったような痕跡がある。
エルトラは、この世界で唯一知っている人物に会うため、進み続ける。
「待っていろエルミア。私がこの手で……殺す!!」
紅蓮の女が、この世界に舞い降りた。
遂に100話達成!
遂にエルトラ登場!
嬉しいです。後書き書くのも百回目だと思うと、なんとも言えない気持ちになります。
第100話を読んでいただき、ありがとうございました!
次回もお楽しみに!




