調査
「ちょっと、傾いてるわよ」
「こうですか?」
「そうね。あと硬すぎるわ。柔らかくしなさい」
「それはちょっと……」
「それと無駄に遊ばせた毛先が高校デビューみたいで不愉快だわ」
「これは天パだよ知ってんだろ!」
四つん這いになった俺の背中に足を組んで座るヤチを、全力で体を起こすことで突き飛ばす。ヤチはなんなく着地した。
「もう終わりなの? あなたの誠意はその程度ということね」
朝イチでヤチを呼び出したところ、誠意という名のイジメを受けていたところだ。
場所は例によって空き教室。椅子なんてたくさんあるんだから、そっちに座って欲しい。
という旨をストレートに伝えたところ、
「あなたの屈辱でさらに崩れた顔がたまらないのよ。一人前にプライドだけは高いから、まるで丸めたティッシュのようだわ」
と言われた。美人のくせに口も性格も悪いな!
「次は、そうね。厚木さんのジャージでも盗んできなさい」
「んなことしたら捕まるわ! 俺を犯罪者にしたいのか」
ストーカーは既に犯罪だということは考えてはいけない。
「なに言っているの。分泌物を調べれば色々分かることがあるでしょう?」
「研究者かなにか?」
「大賢者よ」
「おっしゃる通りで。というか、一応協力してくれるんだな。昨日は来てくれなかったけどよ」
さらっと嫌味を言っておく。おかげで取り逃がしたじゃないか。
「剣聖のあなたが戦闘で遅れを取る可能性があるとでも? 行くだけ無駄よ」
「お、おう。まあな。余裕だったけどな?」
どんな罵倒が飛んでくるのかと思ったら、突然褒められてたじろぐ。
「私は私で、動いていたのよ」
「まじ?」
「えぇ」
ヤチは書類の束を取り出した。枚数にして10枚ほど。
慌ててひったくり、軽く目を通す。厚木さんの家族構成や来歴、さらには血液型やよく行く病院まで、事細かに記してあった。
「なんだこれ」
「見ての通り、厚木さんについての調書よ」
「【アカシックレコード】でも引き継いだのか?」
「あれはスキルというより大賢者の権能の一つだから、無理だったわ」
そりゃそうだ。【アカシックレコード】は、世の中に存在するすべての記録を閲覧できるスキルだ。書物に限らず、魔水晶による記録や石板に至るまで、誰かが記録したものは悉く、大賢者によって暴かれる。
そのスキルのせいで極秘情報は言伝でなければならないのは、余談だ。
剣聖の権能である【絶対切断】や【時空斬】などは危険すぎるので選べても絶対いらないが、【アカシックレコード】は非常に有用なので、惜しい。
「じゃあどうやって?」
「もちろん、自前の情報網よ」
「スパイでも雇ってるのかよ」
もしかしてリアルチートの類か、こいつ。
「でもありがとう。助かる」
「言葉じゃなくて誠意が欲しいわね」
「普通逆だろ」
この場合の誠意は金じゃなくて嫌がらせの方だろうが。
「でも、見る限り特におかしな点はないよな」
「そうね」
ヤチも、ペラペラと紙をめくる。
「戸籍もあるし、生まれた病院も分かってる。交友関係は非常に良好で、今回の件を除き周囲で行方不明などの事件は発生していない。正直、情報だけ見れば普通の人間よ。今更行動を起こす理由も謎」
ただ、と一枚の紙を摘まんで、こちらに見せた。
「かかりつけ医以外の病院に、ただの一度も行っていないのよね。持病があるからと学校の健康診断も拒否し、その病院で受ける始末。宇宙人が経営しているのか、地球人の協力者がいるのか。今日そっち方面から洗ってみようかと思ってたのだけれど」
なるほど、それは怪しい。
あの軟体生物のような肉体が地球人の姿をしているだけなら、そこらの医者に調べさせるわけにはいかないのだろう。
「すげーな。ここまで協力的だとは思わなかった」
「失礼ね。私も勇者よ」
「そうだな。すまん」
危険を前に目を背けられるのなら、俺もヤチも異世界であれほど苦労することはなかっただろう。
一歩届かず、失った命がある。体を張って、助けた命がある。
動くことで守れる人がいるなら、勇者ってやつはじっとしてられないんだよな。
「だけど、じっくり調べている暇はなさそうね」
「ああ。既に犠牲者が出ているし、昨日実際に戦った。急がないと、次の犠牲者が出るかもしれない」
「分かった。戦闘の準備は?」
俺は、どや顔でサバイバルナイフをカバンから取り出した。
昨日の木刀とは一味違うぞ。
「あら、聖剣デュランダルじゃない」
ヤチがニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべて言った。
くっそ、そうだったあああ!
「忘れろって言っただろーが!」
怒鳴りながら、すぐにしまう。恥ずかしさで顔が熱い。
これは異世界で使っていた聖剣――
「あなたのナイフ捌き、ぷぷ、捌きなら、余裕よね。あははは」
ではなく、俺が中学生の時にカッコつけて買った、ただのサバイバルナイフである。一応切れる。
ヤチは笑いを堪えられず、腹を押さえている。
「うるせえ」
あのクソ神様、絶対許さない。
部屋の中で名前を付けて振り回していた、昔の黒歴史映像を異世界で上映しやがって。