鑑定
窓から差し込む陽が目を刺す。
「おい、聞いてんのか?」
「陰キャくーん。無視?ねえ無視なの?」
学校だ!
白い壁に、窓ガラス。木と鉄でできた机や椅子。
教室に押し込められた、学生服を着たクラスメイトたち。
ああ、こんなに学校が嬉しく感じたのはいつぶりだろう。
「なんとか言えやコラァ!」
朝から絡んでくるクラスの不良も、懐かしさのあまり涙が出そうになるくらい嬉しい存在だ。
そういやこんなやついたなあ!
「ちっ。痛い目見なきゃわかんないみてえだな」
不良の手が俺の襟元に伸びる。名前なんだっけ。
「やっちゃえ!」
金魚のフン君は、今日も不良の取り巻きをやってるらしい。
「ああ、ごめんな。ちょっとぼーっとしてたんだ」
「ああ?」
俺は、その手を軽く掴んで止める。
こんなの、モンスター共の攻撃に比べれば、恐れるほどのものじゃない。
相手も本気じゃないしね。
殺気どころか、敵意すらそんなに感じない。
ちょっといびってやろうとか、その程度だろう。
転移前は、びびって縮こまってたっけ。
日本での時間は進んでいないけど、俺の性格というか態度は、この一年でだいぶ変わったようだ。
よく言えば、自信が付いたというか。
とはいえ、あまりイキらないようにしないと。
俺の目標は目立たない平穏な生活であって、クラスカーストの上位でもなければ、影の実力者でもない。
「お、おう」
あまりに普段と違う態度だからか、不良君がたじろぐ。
数秒目を合わせていると、「あんま調子乗るんじゃねーぞ」と言いながら自分の席に戻っていった。
クラスメイトの視線が一瞬集まったが、すぐに興味を失い、元の会話に戻っていった。
新学年が始まって数日だから、新しいコミュニティを確立させようと必死なのだろう。
俺はと言うと、一年生のころから友達はいないので、問題ない。
不良君たちも、たまたま標的にしやすい奴が新しいクラスにいたから、絡んでただけだと思う。
一年も前のことだから、あまり覚えていないけどね。
「さて、と」
クラスメイトの名前をだれ一人思い出せないことより、目下の問題が一つあった。
「勉強しねえとな」
間に一年も空いてたら、授業の内容なんてこれっぽっちも記憶に残っていない。
まだ高校二年生だから追いつける、と信じたい。
【完全記憶】とか【高速演算】みたいなスキルは、持ってなかった。
賢者だったヤチならともかく、剣士の俺には縁のないスキルだ。
あったら絶対選んでたのに……。
俺は急いで教科書を取り出し、机に広げてみる。
ふむふむ、数学ね。やべ、ぜんぜんわからない。
せめて退学にならない程度の点数は取らなくては。
まだ新学年は始まったばかり。しばらくは家でも机に向かう生活が続きそうだ。
「私、さっき籾山会長とすれ違っちゃったー」
「うそ! いいなあ」
「会長、今日は一段とお綺麗だったわ……」
教室の真ん中で、明るい女子生徒が会話に花を咲かせている。
ヤチの話をしてるみたいだ。
生徒会長をしているヤチを知らない生徒はいない。男女問わず、彼女が歩けば黄色い歓声が上がる。
圧倒的なカリスマ性に、容姿端麗、才色兼備となれば、人気が出るのは当然のことだろう。
本来であれば、地味で目立たない俺なんかとは関係のない人物だ。
ま、これからは関わる気ないけどな。
みんな内面を知らないからキャーキャー言えるんだ。
本当に美しい女性っていうのはな、うちのクラスの……何さんだっけ?
一年生の時からクラスが同じで、とても優しい子だったと記憶しているのだが、名前がどうも……その程度の思いだったということかな。
「なあなあ、厚木さんかわいいよな」
「わかる。一緒のクラスになれてマジラッキー」
そうそう。厚木さんだ。
ほんわか系の美少女で、みんなに優しい。
俺にさえ普通に話しかけてくれるのだから、聖人だ。
もっとも、転移前の俺は極度の口下手だったのでまともな返事なんてできなかったんだけどな。
自分で言っていて悲しくなってくる。
異世界では否応なく人と関わらなければならなかったので、多少は改善したと思う。
いや、気のせいかも。
席に座って教科書を眺めていうフリをして聞き耳を立てていると、話題の厚木さんが登校してきた。
「サキ、おはよ~」
「おはよう、なっちゃん」
なっちゃんと呼ばれたギャルが、厚木さんに真っ先に話しかけに行く。
散れ! 我らがマドンナにお前のような頭空っぽな奴は似合わん!
もちろん、直接言ったら女子グループからいじめられること間違いなしなので、言わない。
凶悪なモンスターより、時には人間の方が恐ろしいのだ。
俺にできることと言えば、こうやって密かにチラ見するくらい。
片思いすることすらおこがましいので、目の保養するに留める。
俺が卑屈なのではない。厚木さんが神聖なのだ。
どこぞのエセ美少女とは違い、心根まで素晴らしい。
しかし、俺はあることを思いついてしまった。
【鑑定】スキルを厚木さんに使いたい。
「いやいやいや、待て。俺」
突然呟きだした俺に、隣の席の奴がぎょっとして肩を震わせた。
【鑑定】スキルはその名の通り、対象物を鑑定するスキルだ。
物に使えば真贋を判定したり、素材や価値を見抜く。あるいは、武具であれば性能が分かる。
そして生物に使えば、名前や種族、その他の情報について、事細かに知ることができるのだ。
対モンスター戦では、生態や弱点などを鑑定し、戦闘に役立てたものだ。
俺は剣士タイプの勇者だったが、非常に有用なスキルだったため、【鑑定】スキルを育てていた。
そして、現代日本でも有効に扱えるだろうと、持ち込むスキルに選択したのだった。
もし厚木さんに使えば、趣味や好み、住所や習慣など個人情報を得ることができてしまう。
それどころか、3サイズまで……。
落ち着くんだ桂木佳。それは犯罪だぞ!
スキルに対する法律なんてないから、裁かれることはないかもしれないけど。
やろうとしていることは完全にストーカーである。
だけど、思いついてしまったら気になってしまう。
俺の悪い癖だった。
【鑑定】スキルが使えるとは言っても、スキルレベルはリセットされたので、大した情報は得られないはずだ。
だから、使っても、いいよな?
「【鑑定】」
やってしまったあああああ。
異世界を救った勇者。
ストーカーにジョブチェンジした瞬間である。
【鑑定結果】
名前:厚木沙希
種族:イコラッカ星人
年齢:16
なんだ、これだけか。
そういえば、最初は名前と種族くらいしか鑑定できなかったっけ。
懐かしいなあ。
いや、別に期待してないからな!
それに、これだけでも重要な情報だ。なんと、フルネームを漢字まで知ることができた。
それに種族や年齢まで。
……ん?
「イコラッカ星人?」
アイドル、厚木さんは聖人じゃなくて星人でした。
「なんだそれ……」
非日常の到来に、俺は目元を押さえ、うなだれた。
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