病院
厚木さんに連れられて訪れたのは、住宅街にぽつんとある開業医だった。
なんの変哲もない小さな病院だが、厚木さん曰く宇宙人に理解のある病院らしい。
「腕に中に捕まっていた少女は無事に取り出せたよ。命にも別状はない」
「ありがとうございます!」
「それどころか、状態はいたって健康だ。すぐに目を覚ますだろう」
厚木さんが勢いよく頭を下げる。言ってしまえば厚木さんが原因となる被害者だ。友達ということもあり、相当不安だったのだろう。先ほどから、心配と罪悪感で青い顔をしていた。
医者としてはまだ若い、おそらく30代前半の医者が眼鏡のつるを上げた。
「もう一人の子も、特に大きなケガはしていないね。二人とも今日中に帰してあげられそうだよ」
「よかったです……!」
「あっちの部屋にいるから、様子を見てきておいで」
「はい」
厚木さんは立ち上がり、隣の部屋に消えていった。
それを見届けると、医者が鋭い眼光を後ろで大人しく聞いていた俺たちに向けた。
「さて」
俺はごくりと生唾を呑み込んだ。
厚木さんは信用しているようだが、地球人にとってこいつが信頼できる相手かは分からない。
出会ってすぐ【鑑定】したが、この医者も看護師も全員地球人だった。厚木さんが学校に通っているように、宇宙人が医者として溶け込んでいるのかと思ったが、そうではないらしい。
「君たちは地球人だよね」
「ああ」
「だが、ただの人間ではない」
「それはどうだろうな」
探るような視線に、少し鳥肌が立つ。
疑うのは当然だ。
宇宙人である厚木さんと一緒に現れ、何もないところから二人の人間を突然取り出した。
しかもそのうちの一人は、巨大な腕を持つテェテェ星人だ。
「あんたも地球人だろ? なぜ宇宙人の味方をしている?」
「味方というわけではないさ。詳しいことは話せないがね」
「テェテェ星人はどうするつもりだ」
「こちらで処分するよ。彼は危険だからね」
医者は有無を言わさぬ雰囲気で短く告げた。職業柄なのか、こちらに意見は求めていないらしい。
俺がイラっとして口を開こうとしたが、ヤチに手で制された。
「あなたが秘密裏に逃がさない保証はあるのかしら。私たちからしたら、もう一度襲われたら困るわ」
「そんなことはしないさ」
「殺すならこちらで殺しても同じでしょう。中に生徒がいたから生かしておいたけど、トドメはこちらに任せてちょうだい」
「恐ろしいことを言う高校生だ。相当場数を踏んでいるようだが……安心していい。私も地球人だからね」
「あら、宇宙人と通じている地球人を信じろと?」
バチバチと火花を散らす二人を前に、俺は黙ってることにした。
戦闘が必要になったら呼んでくれ。
「それは君たちも同じではないかな。厚木沙希が宇宙人と知った上で付き合っている。それに、身を助けたのだろう?」
「ええ。なりゆきで」
「その点は感謝しよう。彼女のことはご両親から任されているんだ。ああ、彼女が小さいころから知っている」
「そう。両親も宇宙人なのよね?」
「うん、極めて善良な、ね。地球に来たときには相当弱っていて、既に亡くなっているが」
生まれたばかりの厚木さんを、この医者が引き取ったらしい。それから、厚木さんは地球でずっと暮らしてきた。
だから厚木さんは地球外のことはほとんど知らないし、本名も戸籍も日本のものだ。
良かった。厚木さんは地球に危害を及ぼすような存在ではなかった。
今回のようにトラブルに巻き込まれる可能性はこれからもあるが、ひとまずの敵は退けた。
「君たちは私を、悪の組織か秘密結社の一員かと思っているようだが……ただの医者だよ。たまたま宇宙人の実在を知っているだけの」
「あいにく、全てを信じるほど純粋ではないのよ」
この医者が何かを隠しているのは間違いない。それを暴く手段は、持ち合わせていなかった。拷問などはしたくない。
それに、現状この医者の助けがいることは確かだ。香川と多田さんを、普通の医者に連れていくわけにはいかない。
「宇宙人が実在していることは、一部にとっては常識でね。あの子のように人間のフリをして普通に暮らしたいだけの者もいれば、テェテェ星人のように危害を加える者もいる」
医者が椅子を回して、机の方を向いた。
「しかし、不思議な力があろうと君たちのような子供を巻き込むわけにはいかないんだよ。これは医者としてではなく、大人としての判断だ」
「だからあの男をよこせと?」
「宇宙人は本当に危険なんだ。こちらで確実に処分することを約束しよう。代わりと言ってはなんだが、君たちのことはこれ以上詮索しない。それで手を打ってくれないか」
今回は、俺たちの武力で解決できた。
しかし相手は地球よりも優れた科学力を持つ宇宙人だ。次もうまくいくとは限らない。
関わらないに越したことはないだろう。
それに、俺たちの存在についてどう言い訳しようか考えていたところだ。
詮索しないでもらえるのはありがたい。
ヤチは一瞬だけ逡巡すると、すーっと息を吐いて踵を返した。
「好きにしなさい」
「ありがとう。先ほどの言葉を覆すようだが、あの子とは仲良くしてやって欲しい。普通の、地球人の友達として」
「言われなくてもそうするつもりだ」
俺はそう返すと、ヤチを追って席を立った。
「ああそれと。他に宇宙人に関連するものは、持っていないかな? 危険だから、もし持っていたら預かるよ」
「何も持っていないわ」
それだけ言い捨てて、扉をスライドさせて外に出た。
女子生徒三人は、病院に任せておけばいいだろう。多少信用できないとはいえ、医者だ。
それに関わるな、と言われれば、無理に首を突っ込む必要はない。誰かに危険が迫っているならともかく、必要もないのに藪を突くのは勇者ではなく愚か者だ。
「あの医者は信用できないわね」
「まあな。でも厚木さんを守ってるのは本当だろ」
「そうね。悪人だと決まったわけでもないし、今日のところは帰りましょう」
「おう。協力してくれてありがとな」
「あら、タダだと思ってるの?」
ヤチの優しい笑顔が怖い。
この場合金銭を要求されているのではなく、貸し一つ、ということだろう。あとから何をさせられるのか不安だ。
「なあ、そういえばお前、テェテェが投げた薬品みたいなの持ってなかったか?」
別れ際、ふと思い出した俺はヤチに尋ねた。
「ふふ」
とびきり悪い笑みが、沈みかけの陽に溶けていった。
俺は何も知らない。そう、知らないことにしよう。