接近
クラスに戻ると、厚木さんは普通に登校していた。
昨日ひと悶着あったというのに、図太いというか、舐められているというか。
しかし、学校に来てくれてよかった。同じ教室にいれば行動を監視できる。下校時間までは、香川かあるいは他のターゲットが犠牲になることはないということだ。
香川はというと、いつものように厚木さんの隣に陣取り、会話している。見ている側としてはハラハラするが、本人は呑気なものだ。
今のところ、厚木さんに変わった様子はない。
香川との会話にも違和感はないし、むしろいつもより明るい気がする。
「なっちゃん、昨日なんかあったでしょ」
「え? ないない! なんもないよ!」
「ほんとー?」
香川目線、昨日のことを厚木さんは知らない。
どうやら言いふらす気はないようで、はぐらかしていた。
香川がちらっと俺の方を見てきたので、軽く頷くことで返した。
その視線に気が付いたのか、厚木さんも俺を見やると、意味ありげに微笑んだ。
「こわ」
完全に俺をロックオンしてるな。
ばちばちやり合った後だから、仕方ないといえば仕方ないが。
俺は授業を聞き流しながら、放課後になるのを待つのだった。
そして放課後。
終業のチャイムと同時に立ち上がった俺は、まっすぐ厚木さんの元へ向かった。
「厚木さん」
意を決して、話しかける。
この俺が、自分からクラスのアイドルに話しかける日が来るなんて。
いつも一人で席に座っている俺からは、考えられない光景だ。クラス中の視線が、俺に集まる。
「桂木くん」
厚木さんはこんな俺にも優しくて、普通に接してくれる。
だけど、俺はこれから厚木さんを殺す。
「なっちゃん、ごめんね。先に帰ってて」
「う、うん」
状況を呑み込めていない香川は、俺を疑いの目で見てくる。心配しなくても、告白じゃねえよ。
「じゃあ桂木くん、校舎裏でもいこっか」
香川が足早に去ったのを見届けると、厚木さんはそう言って笑った。
俺は頷くと、厚木さんは先行して歩き出した。
ずいぶんと余裕だ。衆人環視で攻撃されることはないと踏んでいるのか、彼女は振り返ることなく軽い足取りで進んでいく。
野次馬が何人か付いてきているようだが、タイミング良くヤチが現れたことでそちらに気が向く。
「籾山先輩だ!」
「会長さん、こんなところでどうしたんですか?」
「二年生に何か御用でしょうか!」
まだ教室に残っていた生徒のほとんど全員が、ヤチへ我先にと駆け寄った。
「みなさんごきげんよう」
そんな挨拶、現実でするやつがいるとは思わなかった。相変わらずの猫かぶりだ。
だが、今回はヤチの人気と機転に助けられた。
創作では定番の校舎裏だが、この高校においてもやはり人の目が少なく、隠れて会話したい時には最適なのであった。
倉庫やゴミ捨て場が並び、来る人と言ったら用務員さんくらいで、用事のある生徒はいない。それこそ、告白のために呼び出すくらいなものだ。
「昨日のこと、だよね」
スカートを翻して振り返った厚木さんは、直球でそう切り出した。
これ以上、隠す気はないらしい。俺を始末するつもりなのかもしれない。
「ああ」
「ふふ、やっぱり」
スクールバッグを置いて、校舎の壁に寄りかかった。
「まさか、桂木くんがねえ」
それはそうだろう。勇者としての戦闘技術なんて、地球の時間で先週までは持っていなかった。
もっとも、俺が持ちうるものといえば異形との戦闘経験と、【加速】スキルくらいだが。
「別に、あんな必死に逃げなくたっていいのにー」
茶化すように、歯を見せて笑った。
「たしかに、逃げても無駄だった」
結局、追いつかれたからな。
「だが、それも終わりだ」
俺はポケットに忍ばせていたサバイバルナイフを、手の中に握りこむ。
「香川には手出しさせない」
「え、私なっちゃんに手なんか出さないよ?」
脅すように低く言い放った俺に、呆けた様子で厚木さんが手を体の前で振った。
なんだ? 今更演技をする必要性が分からない。
「なにを言ってる。昨日、襲ってきただろ」
「あは、襲うって。たまたま目撃しちゃっただけだよ。怒らないでよ」
「とぼけるな!」
思わず、声を荒げて詰め寄る。
どうなってる。厚木さんは、本気で戸惑っているように見える。
何か、重大な見落としをしてるんじゃないか。
「えっと、桂木くんはなっちゃんと付き合ってるんだよね」
「は?」
「大丈夫、私その辺ちゃんと理解あるから」
「なにを」
話がかみ合わない。
「なにを言ってるんだ。お前が、イコラッカ星人であるお前が、香川を襲ったんだろ?」
「え――」
なんで知ってるの、と厚木さんの顔から血の気が引いていく。
「クラスメイトに続いて、あの黒い流動体のような腕で!」
俺は、サバイバルナイフを回して刃を出し、構える。ヤチはそろそろ来るだろうか。
今日こそ、けりを付ける。
「黒い、ってまさか」
「早く擬態を解け」
「待って、桂木くんは私が宇宙人だと知ってるんだよね」
「ああ、そうだと言ってる」
「昨日、襲われたの?」
「あんたが襲ったんだろう」
「ちがう」
厚木さんは、焦った様子で首を大きく横に振る。
「なっちゃんが危ない」
「あ、おい、待て!」
厚木さんは、バッグを置いたまま、俺に目もくれず走り出した。
どうなってる。今更逃げるのか?
「私じゃないの! 黒い腕の宇宙人は、私じゃ、ない!」
並走する俺に、険しい剣幕で捲し立てる。泣きそうな表情にも見える。
「なっちゃんを助けないと! 私の大事な友達なの」
少し、見えてきた。
俺は勘違いしていた。厚木さんが香川を尾行していて、その後に襲われたのだから、状況的にあの宇宙人は厚木さんであると、思い込んでいた。
他の宇宙人が存在する可能性も考えていたのに。
「桂木くん」
厚木さんは、足を止めずに全力で走りながら、言った。
「なっちゃんを、助けて」