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柳壱と桂太は神湖駅で蝶司を待っていた。彼らは蝶司と同じ部活の同期生であり、三人で一緒に〈神湖祭り〉に行く約束をしていた。
「蝶司遅いな。何しているんだよ」柳壱は駅のベンチに座って腕時計を見ていた。
「あいつはいつも遅刻してくるからな。もう慣れちゃったよ」桂太は自転車に跨ってハンドルに頭を乗せている。柳壱はいら立ちを隠すこともなく、何度も時計を見ていた。
「柳壱!桂太!」
すると、遠くの方から声が聞こえた。二人が声のする方向を見ると、必死に自転車を漕いで近づいて来る蝶司の姿が見えた。彼は急ブレーキをかけて二人の前に自転車を止めると、呼吸も整わないまま声を振り絞った。
「はあ、ごめん。はあ、お待たせ」
「六時って言っただろ」柳壱は蝶司に時計を見せつけた。時計は六時十五分を指していた。
「ユキチと話していたら遅くなったんだ。本当にごめん」
「蝶司の恋人のことか?」桂太はいたずらな笑顔で訊ねた。
「違うって何度も言ってるだろ!家が近所で昔から知り合いなんだ、それだけ」
「もう良いから、早く行こうぜ」柳壱は自転車に乗ってペダルに足を掛けた。それに従って蝶司と桂太は自転車を漕ぎ出そうとした。
しかし、足を掛けたところで蝶司の目の端に奇妙な動きをする人が映った。気になって顔を向けると、そこには駅の改札があり、何かを探すように周りきょろきょろと見回す大柄で強面の男性がいた。
蝶司はその顔に見覚えがあった。それにも関わらず、どうしても名前が思い浮かばない。その姿をじっと眺めているうちに後ろから桂太が話し掛けてきた。
「新田と知り合いなのか?」
「いや……あそこで何しているんだろうなって思って」蝶司は男性の方を指さした。
「さあ、何してるんだろうな。同じ就職組だけど、俺もあまり話したことないんだ」
(そうだ、新田だ。そういえば一年生の時に同じクラスだったな)蝶司は彼が何をしているのか気になってじっと眺めていた。けれど、そうしているうちに、柳壱と桂太は先に行ってしまっていたため、慌てて二人を追いかけた。
辺りは既に暗くなり始めていた。それでも、神湖を囲うように並べられた提灯の明かりのおかげで視界は良好だった。空には提灯以上に明るい月が昇っていた。
(明日は満月かな……そういえば、今日見た夢の中で眺めていた月もこんな見た目だった気がするな)蝶司は空と向き合い、夢の光景を思い出した。
月明かりに照らされた神下家の縁側に座り、西瓜を食べる蝶司たち。
神湖の方から色とりどりの花火が上がる。
隣には蛍子、そして由希。
「……綺麗だ」蝶司は知らずのうちに声を出していた。
「何か言ったか?」それに気づいた桂太が訊ねた。
「いや、なんでもない」蝶司は下を向いた。その口角はわずかに上がっていた。
蝶司は夢の内容をさらに詳しく思い出そうとしながら自転車を漕いでいた。しかし、記憶を辿っているうちに祭りの会場に着いてしまった。三人は会場の隅に並べられた自転車の列に沿って自分たちの自転車を並べた。
「さあ、まずどこの屋台に行こうか?」真っ先に自転車に鍵をかけた桂太が二人に訊ねた。
「いや、まずは神社に行こう」柳壱は即座に答えた。
「俺も柳壱に賛成かな。こういう機会しか神社に来ることないし、ちゃんとお参りしないと罰が当たるぞ」
「二人とも真面目だな」桂太は肩を落とした。
神社に向かう道中で、三人はお参りを終えたであろう多くの人たちとすれ違った。それでも境内はまだまだ多くの人たちで溢れている。
ユキチと蛍子が見当たらない。蝶司は誰かとすれ違うたびに顔を確認していた。人々の波をかき分け、何とか拝殿に辿り着くと、そこには神社の歴史を感じさせる古い賽銭箱が置かれていた。三人は財布から小銭を取り出してその箱に同時に投げ入れた。
蝶司が投げた小銭は賽銭箱の桟に当たり、甲高い金属音が響きわたる。小銭は何度か跳ね返った後、板の間を滑り落ちて行った。それを確認したところで蝶司は手を合わせ、目を閉じた。
願い事を考えたところで、それが叶うとは思ってはいない。しかし、この所作をすれば誰かに頼りたい気分にはなる。それがただの習慣だとしても。
「お御籤があるみたいだから、引いてみないか?」真っ先に目を開け、忙しない様子の桂太が二人に訊ねた。
「そうだな、せっかくだから行こうかな」柳壱もそれに賛同した。
「……ああ、俺も行くよ」蝶司は急いで願い事を呟くと、二人の後を追った。
お御籤は境内の中でも比較的新しい建物の中で売られていた。三人はその建物の正面から伸びる長い列の最後尾に並んだ。
お御籤の値段はいくらだろうか。蝶司は目を凝らして売り場の上部にある札を見た。その札には〈弐百円也〉と書かれていた。
「ぶ……ひゃくえんなり、って一体いくらなんだ?」蝶司は柳壱に訊ねた。そんな彼を見て柳壱が首を傾げると、背伸びをして遠くの札を確認した。
「あれは『にひゃくえん』って読むんだぞ。まさか、『弐』を武道の『武』って読んだのか?」柳壱は人差し指で空中に漢字を描きながら説明した。
「『に』ってこういう漢字じゃないのか?」蝶司は指で横線を二本引いた。
「そういう書き方もあるけど、ああいう書き方もあるんだよ」
「わざわざあんな格好つけた書き方しなくても良いじゃないか!」蝶司は赤面しながら語気を強めて言った。
「そんなこと言われても……僕の名前の『壱』だって、もともとは『一』と同じ意味だよ」
「……そうなんだ。でも、ほとんど使うことないだろうし、俺は慣れ親しんだ普通の数字がわかっていれば十分かな」
桂太はそんな二人のやり取りを隣で黙って見ていた。
三人の順番が回ってくると、それぞれ弐百円を出し、お御籤を受け取った。彼らはその場では開かずに、人気のない場所に移動して一斉に中身を確認した。
「やった、大吉だ!」桂太は笑顔で二人に見せつけた。
「僕は吉だな」柳壱は表情を変えることなく、書かれた文章をじっくりと読んでいた。
蝶司はお御籤を開き、そこに書かれた文字を見て大きくため息をついた。
「俺は大凶だな。健康運も金運も恋愛運も良くない」
「はは、残念だったな。涼目と結ばれるのはまだまだ先になりそうだな」
「だから、そんなんじゃないって」蝶司は力ない笑顔を桂太に向けた。
「とりあえず、お御籤を木に結んだらどうだ?」そんな二人のやり取りに目もくれることなく、文章を読み終わった柳壱が声を掛けた。
「そうするよ、悪い気が祓えると良いけど」
神湖神社の神木は樹齢何百年にもなる大木だった。蝶司はお御籤を結ぶために二人を置いて幼いころから慣れ親しんだその神木へと向かった。神木を囲む紐にはすでに多くのお御籤が結ばれている。蝶司は神木の周りを一周し、お御籤が結ばれていない隙間を見つけると、左手に握ったお御籤を丁寧に結んで急いで二人のもとへ戻った。
三人が揃ったところで、桂太が声を上げた。「お腹空いたな、そろそろ行こうぜ」
「そうだな、もう会場へ行こうか?」柳壱は蝶司の方を見た。
「悪い気も祓ったし、俺も何か食べたいな。そういえば……」
『ユキチも俺の妹と一緒に来ているよ』この台詞を言えばまた桂太に茶化されるだろう。そう思って蝶司は言葉を続けることをやめた。
そんな彼の懸念が二人に伝わることもなく、三人は会場へと向かった。
「由希ちゃん!あの綿あめ可愛くない?」蛍子は由希の手を引いた。
由希は彼女が指さす方を見た。そこにあったのは、今まで見たことないようなカラフルで大きな綿あめだった。
「すごい、あんなの初めて見たわ」
「見てるだけで楽しくなっちゃうよね。どうしようかな、買おうかな?」蛍子は巾着袋から財布を出そうとした。
「さすがにあんなに大きいのは二人でも食べられないわ」そう言って由希は隣の屋台を見た。「それよりも隣の射的をやらない?」
お菓子なら簡単に食べられるし、持ち帰ることができる。それに、射的なら取る過程も楽しめる。我ながら親のような発言だ、由希は後になってその提案を悔やんだ。
「……うん、良いよ」蛍子は少し悩んだが、快く返事をした。「さっきお御籤で由希ちゃん大吉だったしね。きっと当てられるよ」
由希と蛍子も到着してすぐに神社に向かってお参りをし、お御籤を引いていた。由希は大吉。蛍子は吉だった。
「運よりも実力よ」由希は財布からお金を出そうとした。財布の中には大吉のお御籤が入れられていた。彼女はお金を出すついでにそのお御籤に願いを込めた。
射的を提案したものの、由希がそれをやるのは初めてだった。お金を払っておもちゃのライフルとコルクの弾を受け取ると、彼女はかつて父がやっていた姿を思い出しながら、見よう見まねで銃を構えた。
コルクの弾をライフルの先に込め、ストックを肩に当てながら用心金の横に指を当てる。そして、そのまま照星を見ながら目標のお菓子の箱に対してゆっくりと銃口を向けた。
その間に蛍子は何も言わなかった。由希の鬼気迫る表情に緊張しているようだった。
ごくり。由希は唾を飲みこみ、引き金に指をかけた。一粒の汗がこめかみを伝った。彼女はそのままゆっくりと引き金を引いた。
――乾いた音が鳴り、弾が真っ直ぐ目標に向かっていく。
弾は箱の上部ぎりぎりのところに当たった。箱はあっけなく倒れた。
「倒れた!由希ちゃんすごい!」蛍子は思わず大声を上げた。
「はあ、当たった」由希は安堵してライフルを台の上に置いた。
「すごいですね、もしかしてプロの方ですか?」
由希の右耳に聞き慣れない声が入ってきた。彼女は驚いて声がする方向を見た。
そこにいたのは、茶髪で細身の背が高い男性だった。その隣では、もう一人似たような背格好の男性がこちらを見ていた。由希は彼らに見覚えは無かった。
「いえいえ、違いますよ」
そんなはずないだろう、この男性は何を言っているのだろうか。由希はそう思いながら手を横に振った。
「もう、本物さながらでしたよ」男性は会話を続けようとする。
「いえいえ、まだ学生ですから」由希は何とか笑顔で返した。
「学生って、もしかして神湖高校?」
「……はい」素性を答えても良いのかは迷った。しかし、ここに来る学生の多くは神湖高校の人であり、渋るようなことでもないのだろう。
男性は何かを確認するように、もう一人の男性に目配せをすると、由希の方へ視線を戻した。「俺たちもあそこの出身なんだ!山崎先生って知ってる?俺たちの担任だったんだよ」
山崎先生は蝶司が居眠りしているときに古典の授業を行っていた先生だ。そういえば彼も神湖祭りに来ると言っていたが、まだ会ってはいない。もう着いているのだろうか。
「知っています」由希はそんな考えを押し殺して答えた。
話を続けていると、二人は大学生ということがわかった。突然話し掛けてきて戸惑ったものの、悪い人ではなさそうだ。由希と蛍子は少しずつ彼らと打ち解けていった。
「こんな可愛い子たちと同級生だったら良かったな」男性は再び何かを確認するように、もう一人の男性に目配せした。「この後は予定あるの?花火がすごく見やすくて人が少ない穴場を知ってるんだけど、もし良かったら一緒に見ない?」
「花火ですか?」
花火は九時に始まる予定であった。由希は会場の中心にある時計で時間を確認すると、今は七時三十分であった。まだまだ花火が始まるまで時間がある。
「由希ちゃん、どうする?」蛍子が由希の袖を掴んで小声で話し掛けてきた。
花火は例年神下家で見ている。それに、あまり遅くなっても両親に申し訳ない。
「そうね……」由希は口に手を当てた。
「あれ、ユキチじゃないか?」
由希の左耳に聞き慣れた声が入ってきた。ユキチ、そう呼ぶのは一人しかいない。彼女は口から手を放し、落ち着いて声がする方向を見た。そこにいたのはやはり蝶司だった。
「蝶司、あなたもここに来ていたのね」
「何を言ってるんだ?来るって言ったじゃないか。ほら、柳壱と桂司と一緒に」
由希が蝶司の後ろの方に目をやると、遠目に柳壱と桂太が佇んでいるのが見えた。二人は彼女と目が合うと手を振ってきた。由希は手を振り返した。
「何してるんだ?」蝶司は男性たちに気づくことなく訊ねた。
「射的をしていたのよ」
「由希ちゃんすごいんだよ。これを一発で取っちゃったんだ」蛍子は由希の後ろから顔を出し、得意気にお菓子の箱を見せてきた。
「これ、俺が好きなお菓子じゃないか!ユキチにそんな才能があったんだな。後で花火を見るときに食べようぜ」
「花火?」そう言って由希は男性たちの方に視線を向けた。男性たちは由希たちの方には目もくれず、何かを話していた。
蝶司はそんな由希の視線に気づくことなく言葉を続けた。
「花火を俺の家で一緒に見るんじゃなかったのか?」
「え、ええ……毎年そうだけど、今年はどうしようか悩んでいるの」
「ユキチは今年も俺の家で花火を見るよ、きっと」
蝶司の決めつけた台詞に由希は不満を隠せなかった。しかし、いつものように大声を上げるわけにはいかない。彼女は落ち着いて訊ねた。
「どうしてそんなことが言えるの?」
「今日の夢で見たんだ」
「また、夢の話?もう良いわよ!」由希は思わず大声を上げてしまった。周囲の目が彼女に突き刺さる。由希は赤面し、思わずその場を離れようとした。
しかし、走り出そうとする彼女の腕を、誰かが強く掴んだ。
それは蝶司だった。由希の鼓動が一気に早くなる。
「ユキチ、信じてくれ」蝶司は真剣な眼差しで由希を見ていた。
そんな二人の姿を蛍子はすぐ隣で黙って見守っていた。柳壱と桂司は遠くの方から笑顔で見ていた。
由希の鼓動が徐々に落ち着いてきた。しかし、彼女は未だに赤面している。
「わかった……蝶司を信じるわ」
由希は時計を見た。時計は七時三十五分を指していた。
「そうね、八時三十分くらいにはあなたの家に着くようにするわ」
「よし、決まりだな」蝶司は由希の腕をゆっくりと離した。「じゃあ、またな」
蝶司は左手を上げ、柳壱と桂太のもとへ戻って行った。
由希は蝶司が二人と合流したことを確認すると、男性たちの方を向いた。彼らはいつの間にか会話を終え、無表情でこちらを見ていた。
「すみません。花火はちょっと、ごめんなさい」由希は会釈をした。
「ああ、そう。じゃあ」話し掛けてきた男性は淡白な声でそう言った。そして、それ以上何も言うことなく、早々にその場を去って行った。
由希はそんな男性の対応に少し恐怖を覚えた。
「なんか、急に嫌な感じになったね」あっけにとられている由希の隣から、蛍子が声を掛けた。「帰る時間まで何する?」
「そうね……とりあえず会場をもう少し見て回りましょうか?」
約束の時間はすぐにやってきた。
由希と蛍子は八時を回ったところで会場を後にし、約束通り八時三十分に神下家に着いた。蝶司はまだ来ていないようだ。
「なんだ、お兄ちゃんまだ来てないじゃない」蛍子は下駄を脱ぎながら不満を漏らした。「そういえば、あのときお兄ちゃん何て言ってたの?」
「あのとき?」由希は蛍子の言葉を繰り返した。きっと蝶司が自分の腕を掴んだときのことだろう。蛍子には聞こえてなかったようだ。
「ああ、あのときね。ここで私たちと花火を見る夢を見たから信じてくれって。また夢の話だなんて、本当に馬鹿々々しいわね、でも……」由希はその場面を思い出し、言葉に詰まった。「言われた通りに花火を見ようとしている私はもっと馬鹿なのかもしれないわね」彼女は蛍子に聞こえないくらいの声で呟いた。
「でも、断った途端に急にあの人たちの態度も悪くなったし、こっちに来て良かったのかもね。きっとそういう運命だったんだよ」
(運命か……)由希は縁側に座って庭を眺めた。庭には苔が生えた小さな灯篭が置いてある。それは彼女が小さいころから置いてあるものだった。
それ眺めているうちに、居間の方から時計が鳴る音が聞こえた。時間はちょうど九時になったようだ。それと同時に玄関の扉が開く音と「ただいま」と言う蝶司の声が聞こえた。
足音は真っ直ぐに由希たちの方へ近づき、二人の後ろで止まった。彼女たちが振り返ると、そこには汗だくの蝶司が立っていた。
間に合わせようと努力はしていたのかもしれない。彼の姿を見た由希はそう思った。
「ぎりぎりじゃない」蛍子は蝶司に強い口調で言った。
――それと同時に花火の音が村に響いた。その音に呼応するように三人は一斉にその方向を見た。
色とりどりの花火が上る。
流れが止まったと思っても、再び多くの花火が次から次へと上り続ける。
その様子を三人は黙って見ていた。
ひと段落し、花火が止まったところで由希は口を開いた。
「間に合ったから大目に見てあげましょう。まだ九時になったばかりみたいだし」
彼女の言葉を聞いて、蝶司は何かを思い出したようにポケットの中を探り始めた。しかし、いくらポケットを探っても目当てのものは見つからないようだ。
蝶司は諦めて由希と目を合わせた。「そういえば、さっきお御籤引いたんだけどさ。大凶だったよ」
「あら、そう。残念だったわね」由希は笑って答えた。
彼女はそこで自分たちもお御籤を引いたことを思い出した。大吉のお御籤を見せつけて蝶司に自慢してやろう。そう思って由希は巾着袋からお御籤を取り出した。
(私たちもさっきお祭りでお御籤を引いたの。大吉だったわ)
「私たちもお祭りでお御籤を引いた。大吉だった」
由希が思いついた台詞を先に口にしたのは蝶司だった。彼女は言葉を失った。
「ほら、俺に見せるんだろ。大吉のお御籤、俺が大凶だったからって自慢しやがって」
――再び花火が始まった。呆然としていた由希は手にした紙を見た。それは確かに神社で引いたお御籤であり、書かれている文字も変わりなく大吉だった。彼女は何とか言葉を振り絞った。
「なんで、わかったの?」
「何回も言ってるだろ、夢で見たって」
予想や予測とは違う。これは由希にとって初めての不思議な感覚だった。
きっとこれは蛍子が言っていた未来予知なのだ。由希は直感でそう思った。それは些細な出来事であったが、長年の付き合いがある彼女を納得させるには十分な出来事だった。
「あなた……本当に夢で予知しているのね、未来を」由希は確信を持って訊ねた。
「そうだよ。ユキチのその反応は夢の内容と少し違ったけどな。大方の話はこんな感じだった気がするよ」
由希は何も言わず、目を反らした。
「でも、別に見たいものが見れるわけじゃないし、見たことがそのまま起こっているだけなんだ」蝶司は笑顔で由希を見下ろした。
「じゃあ、もしさっき私たちがここで花火を見ていなかったら、どうなっていたのかな?」隣で黙って会話を聞いていた蛍子が訊ねた。
「さあ、今のところ未来予知がはずれたことないから」蝶司は由希と蛍子の間に座った。「もし、思い通りに未来を変えることができるなら、博打で大儲けしたり、事故を未然に防いだり、色んなことができるんだろうけど、なかなか都合の良い夢は見られないよ」
「そうなのね……」由希は未だに蝶司と目を合わせることができなかった。
聞きたいことはたくさんある。それなのに、なかなかそれを口にすることができなかった。お祭りの会場では大声を出してまで蝶司の未来予知を否定してしまったのだ。掌を返して興味深そうに聞くことを彼女は恥ずかしく思っていた。
「……疑ってごめんなさい」
「もう良いよ。それよりも、俺の夢ではここで花火を見ながら西瓜を食べるんだ」
蝶司の言葉に反応したかのように、後ろから蝶司の母が声を掛けてきた「由希ちゃん、西瓜食べる?」
「は、はい。い、いただきます」由希は思わずどもった。
「綺麗だ」その隣で蝶司は呟いた。
由希は突然の言葉に驚き、早まりそうな鼓動を何とか制止して、素早く蝶司の顔を見た。彼はいつの間にか花火に見入っていた。由希はため息をついた。
「そうね、年々いろんな花火が上るけど、今年のは……」
――由希の言葉を遮るように、大きな花火の音が鳴り響いた。
「うわ!今の花火すごく大きかったな!」蝶司は楽しそうに由希の方を見た。
由希は何も言わず、険しい表情をした。蝶司はその表情の意味がわからず、首を傾げた。「どうかしたのか?」
「いいえ、何でもないわ」由希は表情を崩して花火を見た。
その晩の花火は彼女が今まで見たどんな花火よりも綺麗だった。
俺はベンチに座っている。隣にも誰かが座っている。女性だろうか。
(ここはどこだろう)背後には手すりがあり、そこから下を覗く。
暗闇で底が見えないほど高いところだ。下の方からは微かに川の音が聞こえる。
ふと上を見上げると空から満月が顔を出した。とても綺麗だ。
月明かりが辺り一面を照らすと、遠くの方に大柄な男が現れた。
『あった』大柄な男が声を上げる。その瞬間電車が二人の間を通った。
『危ない!』俺は叫ぼうとした。それは言葉にはならなかった。
最後に見たのは、大柄な男が落ちていく姿だった。
蝶司はその夜も夢を見ていた。