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夢見鳥の旋風  作者: 岡坂兼太
第一章 風樹の旅
4/12

 きっと夏休みのせいだろう。始めの電車には座ることができなかった。荘司は小さなリュックサックを床の上に下ろし、仕方なく吊革に捕まった。目の前では小さな女の子が窓の外を眺めていた。


 二駅、三駅と過ぎてもなかなか席は空かなかった。名古駅まではそんなに時間は掛からない。彼は自分にそう言い聞かせることで何とかその場をやり過ごしていた。


 ふと電車内の広告を見ると、そこには京都の観光地を巡る笑顔の家族が写っていた。京都へは小学校の修学旅行で行ったきり。前に旅行をしたのはいつだっただろうか。荘司がそんなことを考えていると、電車内に放送が流れた。


『次は新中橋―― 次は新中橋――』


 放送が終わると、目の前の女の子が急にそわそわと周りを見回し始めた。


「ママー、ゾウさん見れるかなー?」彼女は隣に座る母親に訊ねた。


「ええ、きっとゾウさんもキリンさんも見られるわよ。さあ、この駅で乗り換えるから早く降りる準備をしなさい」


「はーい」




「もう、全部の動物見ちゃったかな?」幼い荘司が祖父に訊ねた。


「そうかもしれないね。まだ早いけど、そろそろ帰るかい?」


「お祖父ちゃん、あれは何?」荘司は白いドーム型の建物を見つけて指を指した。


「あれは花鳥園って言ってね。花と鳥がいっぱい居るところだよ」


「へえー、行ってみたい!」


「うん、行ってみようか」祖父は笑顔で答えた。


 荘司は力強く祖父の手を引き、花鳥園へ導いた。哺乳類は地味な色をしている。花や鳥ならきれいな色がたくさん見られるかもしれない。彼は逸る気持ちを抑えることができなかった。


 ドーム型の建物の前に着くと、荘司はいっそう力強く祖父の手を引っ張り、入口の大きな扉をくぐった。


「部屋の中なのに大きな木がいっぱいある!」


「ここは花や鳥が住んでいる場所と似たような環境にしているんだよ。ほら、見てごらん。あんな木の実は初めて見るだろう?」祖父は高いところに成った木の実を指さした。


「お祖父ちゃん!あの鳥の名前は何て言うの?」


 荘司は祖父が指さした方向には目もくれず、天井の近くで動いた鳥を指さした。それは黄色い体に橙色の顔をした鳥だった。祖父は荘司が示す方向に目をやった。しかし、その派手な色をした鳥を見つけられないようだった。


「どの鳥のことだい?」


「ほら、あれ!葉っぱの後ろにいるやつ!」


「あれかい?あれはね……」祖父は鳥の説明が書かれた看板から、同じ色をした鳥を探した。「あれはコガネメキシコインコって言うらしいよ」


「ふーん」荘司も同じく看板の説明を見たが、漢字が多くて読むことができなかった。


 色とりどりの景色が広がる花鳥園に、彼はすぐに夢中になった。しばらく園内を歩いていると、先ほどの鳥と似た色をした花を見つけた。


「お祖父ちゃん、見て!さっきの鳥とそっくりな花が咲いてるよ!」荘司はその花に顔を近づけた。「この花は何て言うの?」


「それはマリーゴールドって言うんだよ」祖父は看板を見ることもなく、すぐに答えた。


 荘司は先ほどと同じように花の説明が書かれた看板を探したが、すぐに見つけることはできなかった。祖父はその様子を笑顔で見ていた。


「看板が見つからないのかい?お祖父ちゃんは始めからその花の名前を知っていたよ。それはお祖母ちゃんの好きな花だからね」


「へー、そうなんだ」荘司はマリーゴールドをじっと見つめた。橙色の花弁が幼い彼をどこか懐かしい気分にさせた。


「うちにあったやつは枯れちゃったからね。今度一緒にお祖母ちゃんにプレゼントしようか」


「うん!」荘司は元気良く答えた。祖母に喜んで貰えることが嬉しかった。




 マリーゴールド。荘司は奇しくも祖母が好きな黄色い花の名前を思い出した。母が好きな白い花の名前は何だっただろうか。


 気がつけば先ほどの母娘が降りたばかりの目の前の席は埋まっていた。それと同時に、電車は速度を徐々に落とし静かに止まり、乗っている人たちを急かすように勢いよくドアを開けた。残念に思う間もなく、電車は一つ目の終点に到着したようだ。乗り換えには長い階段を上る必要があった。荘司は次の電車で座りたい一心で、同じように電車を乗り換える人たちよりも早く階段を駆け上った。


 最後の段を上り切ると、肩で息をしながら次のプラットホームへ向かっていく。しかし、途中で自動販売機を見つけると、彼は立ち止まって急いで飲み物を買った。


 その場でペットボトルの蓋を開け、角度をつけて口へ持って行くと、失われた水分を取り戻すように液体が一気に体内に流れ込む。荘司はそれが全身を駆け巡るのを感じていた。そして、空になったペットボトルを自動販売機の横にあるごみ箱に捨てると、再び目的地へと走り出した。




 次のプラットホームに着くと、流行りのキャラクターのラッピングがされた派手な電車が止まっていた。乗り遅れなかったことに安堵しながら彼はその前にできた列に並んだ。


 ドアが開くとすぐに荷物を棚の上に置き、空いている席に座って一息ついた。乗り換えは今のところ順調である。このまま行けば時間通りに着けるだろう。荘司は窓の外を見つめた。電車が駅前のビル街を抜けると徐々に背の高い建物が消え、次々と緑が増えてくる。父の故郷に近づいている、そんな気がした。


 父はどうして人を殺したのだろうか。祖母から父の話を聞いてから、荘司はそればかり考えるようになっていた。父と母が別れたのは、それが原因だろうか。両親だけの問題だと思っていたところに、第三者が介入してきた。しかも、その人は殺されている。彼は複雑な気持ちをどうしても拭えないままでいた。しかし、もう二人とも亡くなってしまったのだから、いまさら考えても仕方がないことだった。母は出産してすぐに亡くなり、父は刑務所で死んだのだ。荘司は何とか自分にそう言い聞かせた。


 呼吸不全とは何だろうか。まさか、被害者の関係者に復讐をされたのだろうか。いや、それは有り得ない。刑務所内でそんなことすればすぐに足がつく。それならば、自殺だろうか。祖母は死んだ詳しい原因までは聞いていないようだった。


 どれもこれも、考えても無駄なことだ。ただ、電車の行く先にきっと答えは待っているのだろう。




 途中の大きな駅に着くと、向かいの席の人が降りていった。荘司は周りに立っている人がいないことを確認して少しだけ足を伸ばした。


「ここの席空いていますか?」


 窓の外を眺めていると、夫婦とみられる人たちが話し掛けてきた。両親が生きていたらこのくらいの年だっただろうか。


「すみません。どうぞ」彼は足を畳んだ。


「こんなに暑いのに、どこもかしこも混んでいて、嫌になっちゃうわね」二人が席に着くと、女性が男性に向かって話し掛けた。


「そうだね。でも、電車の冷房が効いていて良かったじゃないか」


 僕もそう思います。荘司は男性の言葉に心の中で返事した。


「これだけ快適だと、これから山に登る気もなくなっちゃうわね」女性はハンカチを取り出して額の汗を拭った。


「まあまあ、ひとまず座れたんだから、ここでしっかりエネルギーを蓄えよう」男性はそう言うと、視線を荘司の方に向けた。「君は一人なのかい?」


「はい、一人で旅行をしてるんですよ」荘司は突然話し掛けられたことに驚きながらも、冷静に答えた。


「一人ですごいわね。どこに行くのかしら?」


「〈神湖村〉という場所です。この先の大柿駅で乗り換えて行くところですよ」


「あの湖があるところだね。行ったことはないけど、行ってみたいと思ったことはあるよ」男性はそう答えた。女性は場所がわからないようだった。


 きっとこの男性は〈神湖村〉に行くことはないだろう、わかりやすいお世辞だ。どれだけ〈神湖村〉について調べても、そこには〈神湖〉という小さな湖があるだけで、他に目立ったものが何もない田舎でしかなかった。荘司は湖にも興味を魅かれていなかった。


「あそこは泳げなかったはずだけど、湖畔でゆっくりするのも良いかもしれないね」男性は荘司の表情を察したかのように、言葉を付け足した。


「はい」荘司はそれ以上答えなかった。亡くなった父のお参りに行くなんて、あえて言う必要はない。


「今はおいくつなの?」


「十七歳、高校三年生です」


「へえ、若いわね。私たちにも中学二年生の息子がいるのよ」


 荘司の身長は一六三センチメートルである。クラスの中でも小さい方で、一八〇センチ以上ある浩輔にはいつも見降ろされていた。自分の身長を見て、中学生の息子を引き合いに出したのだろうか。女性の言葉を嫌味にとらえた荘司は拳を握った。


「若いうちにいろいろな経験をしておくのは良いことだと思うわ。私たちの子はいつも野球に明け暮れているから、もっといろんなことに挑戦して欲しいのよね」


「まあまあ、あの子はプロ野球選手になるって言っているくらいだし、今は好きにやらせてあげようじゃないか」


(プロ野球選手か……僕は将来何がしたいのだろうか?)


 この話題はいつも荘司を悩ませる。今は受験勉強をしているが、どうしても行きたい大学があるというわけではない。たまたま自分の学力で何とかなりそうな大学を選んでいるだけで、目標があるわけでもない。苦手な物理を避けられればどこだって良い。浩輔は将来教師になりたいと言っていた。大学も教育系の学部があるところを目指している。秋田が将来どうなりたいのかは聞いてない。しかし、看護系の学部いくつか受けると言っていたから、きっとそれに関連した仕事に就くのだろう。


 窓の外を見ると、緑はさらに深くなっていた。夫婦は次の駅で降りるそうだ。


「いろいろ話し掛けて申し訳なかったね。一人旅、頑張ってね」男性が降り際に声を掛けた。荘司は無言で会釈を返し、出発する電車の外でこちらを見ている夫婦に手を振った。その駅では多くの人が降りたため、気づけば周りにほとんど人はいなかった。


 まだ三十分ほど乗っている必要がある。ふと懐中時計を見ると、指している時間は九時十五分だった。時計を眺めているうちに、荘司は再び眠気を催してきた。


 昨晩あまり寝られなかったからだろうか。それとも、この時計には催眠作用があるのだろうか。そんな冗談でにやつきながら、乗り過ごす危険を気にすることもなく、思い切って眠ることにした。




『ありがとう』女性の声で感謝の言葉が聞こえてきた。


 また同じような夢を見ている。二回目とはいえ、荘司はそのことになかなか気づかなかった。前回と違って周辺は暗く、花に囲まれた開けた場所にいる。あまり不自由は感じなかった。それでも同じように物語は淡々と進んでいく。


 今回は一人ではないらしい。荘司は目の前で立つ女性を見た。心臓の鼓動が早くなり、どこか緊張した空気であった。


 この女性は誰だろうか。荘司その人に見覚えがあった。それどころか、毎日見ているような気がした。けれど祖母ではない。彼女は何かを手に持ってじっと眺めていた。何を受け取ったのかはわからなかったが、その様子を見ているうちに早かった鼓動がだんだんと遅くなっていった。


『ありがとう、大事にするね!』女性は何かをぐっと握って答えた。


『喜んでくれて嬉しいよ』荘司は思いがけず返事をした。そして、前回と同じく自分が右手に何かを持っていることに気がつくと、その感触を確かめた。もはや見る必要もない。それは懐中時計だ。


――荘司はようやく目の前の女性が母であることを思い出した。右手の懐中時計を顔に近づけると、それは母の形見と同じ形の金色の懐中時計ものだった。


 一体自分は誰なのだろうか。そう考えながら淡々と時間が過ぎていく。見覚えのある文字盤を見ると、時間は八時五十五分を指していた。


『この蓋の裏に書いてある文字の意味はわかるけど、その下の〈4469〉って数字、どこか見覚えがあるわ。たまたまかしら?』母と思われる女性が話し掛けてきた。


『ううん。それはあえてそれはあえてその数字にしたんだ。君にまつわる数字だよ』


『私に?でも、誕生日でもないし、何の数字だろう?』


『ヒントは俺たちが出会ったときの数字だよ』


『私たちが出会ったとき?』女性は顎に手を置いてしばらく考え込んでいた。楽しそうにその姿を眺めていると、突然女性は手を合わせた。


『わかったわ!もしかしてあなたの数字は私と一つ違いかしら?』


『正解!贈り物は受け取ってくれる人に関係するものじゃないと、気持ちが伝わらないからね』そう言って頭を掻く。


 自分が言葉を発しているにも関わらず、荘司には何の話をしているのかさっぱりわからなかった。唯一わかったのは、〈4469〉が懐中時計の数字ということだった。


――どこかで鐘の音が鳴った。音の鳴る方を向くと、大きな時計塔が見えた。時間は九時を指していた。


『もう、九時だね』


『ええ、そうね』女性も同じく時計塔を見た。


 二人の間に沈黙が続いた


蝶司(ちょうじ)くん、わたし……』先に沈黙を破ったのは女性の方だった。こちらを見る彼女の瞳はとても綺麗だった。


『花代さん、待ってくれ!』荘司は彼女の言葉を遮った。その言葉に従って、女性は一度開いた口をつぐんだ。


『話したいことがあるんだ』例によって自然と言葉を口にした。


 荘司は心臓の鼓動が再び早くなるのを感じた。




『次は大柿―― 次は大柿――』


 電子的な女性の声で荘司は目を覚ました。危うく乗り過ごすところだったようだ。手には汗で濡れた懐中時計握っていた。彼はそれをまじまじと見つめた。


(これは母が父から貰った懐中時計だったのだろうか?前回の夢は、僕が死ぬ未来じゃなくて、きっとお父さんが死んだ過去を示していたんだ。それに、お父さんも同じ懐中時計を持っている。なぜだかはわからないけど、懐中時計を通して、僕は夢の中でお父さんの記憶を追体験しているのかもしれない)不思議な感覚を抱きながらも、これまでの夢に対する疑問を解決するため、荘司は一つの結論を導いた。


 馬鹿げた話だ、そんなことはわかっている。しかし、自分が体験してきたことの整合性を何とか合わせようとした。固く結ばれた紐が、少しずつ解かれていく。


『宮上君が死んじゃう未来を予知しているのかもよ?』


 未来なんてわかるはずがない。荘司は秋田の言葉に反論したかった。今頃秋田は北海道を楽しんでいるのだろうか。


 ふいに周りの暑さを感じた。人が少なくなって、電車の冷房が少し弱くなったようだ。電車の放送を聞いてから到着するまでの時間はものすごく長く感じた。

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