短話5 歌姫のパートナー(前)
エルゥ結婚後、学院卒業前のお話です。
レインはどこまでR15のお砂糖に挑戦できるのか。
見守ります……! (フラグ)
レガティア芸術学院の在学期間は、十四歳から十八歳までの四年間。
レガート皇国の冬は雪が深く、人の移動が困難なため、入学も卒業も春の四の月に行われている。それは、創立当初から何も変わらない。
変わらないもの、といえば。
『ねぇレイン。声楽の卒業課題で『歌劇の実演』があるでしょう? ずっと、パートナーがいなくて困ってたんだけど。いまね、候補を名乗るひとが二人いて、すごく迷ってるの』
『…………はい?』
けぶる窓の外。通りの木々や家々は満遍なく雪を戴いている。
まるで、閉じこめられたような錯覚さえ覚える雪つぶてを彼女の背景に認めつつ。
じりじりと窓枠まで追い詰めたところ、なぜかあからさまに話題を逸らされたレインは、訝そうに眉をひそめた。
話題、というか。
主の少女は、こと、こういうときに限って空気を変えたがる。
(せっかく、ものすごく久しぶりに二人きりになれたんだけどな……)
残念な思い少々。惚れた弱味が大半。
レインはエウルナリアを責めるように、ちょっとだけ睨み、こつん、と額を合わせた。
『二人。なるほど。よくわかりませんが聞いてさしあげます。どうぞ?』
『ありがとうございます……』
そうして起こる、いつもの主従逆転劇。
でも。
『寒いですからこちらで』
『いや、結構です』
黒髪の少女は、暖かそうな暖炉の明かりを受ける寝台を指し示すレインに対しては、即時断固拒否を顕にした。
* * *
事態は、学院きっての歌い手であるエウルナリアにふさわしい歌のパートナーが見つからないこと。また、誰からも誘われず、そのままのらりくらりと課題の締切を迎えつつあることに端を発する。
バード楽士伯家の一人娘でありながら、まさかの留年? そんなわけにはいかない、と先月から相手を募り始めたが、今度は極端に人が集まりすぎた。
エウルナリアが寮住まいなのを良いことに、休日でも「我こそは」と名乗り出る男子があとを絶たず、食堂でも談話室でもしょっちゅう囲まれてしまう。
それを、公私ともに憂えたレインからの発案だった。
――休日くらい、学院を抜け出してゆっくり散策でもしましょう、と。
新年を迎えたレガートは、どこもかしこも雪に埋もれている。銀景色の古都こそを堪能したいという観光客で溢れかえっていた。
本来、主従であるエウルナリアとレインは基本的にどこへ行くのも一緒。
なので、今さらデートというのも可笑しいかな? と軽く思っていたエウルナリアは、たぶん妻としての意識も大いに欠ける。
いろいろと事情があり、二人が式を挙げたのはちょうど一年前。十七歳の年明けのことだったので。
『申し訳ないけど、二人とも卒業を最優先に結婚生活を送ってね』と、実にいい笑顔で告げたアルムの意向は、こんなところにも作用している。つまり。
「レイン、ここはどういうお店? お食事もいただける宿……にしては、小ぢんまりしてるけど」
「もちろん、食事もとれます。個室ですしゆっくりできるかな、と。なかなか二人になる機会もなかったので、先日思いきって予約してみました。最近できたばかりのタイプの茶宿でして。茶や軽食を、こうして人目をはばからずに楽しめるんです」
「へぇぇ……? それは。ずいぶんと人気なのね?」
「えぇ」
“茶宿”と呼ばれる小規模休憩所が集う区画がある。
場所はレガティア中央区よりもさらに南。
港や市にほど近く、中央で宿を取れなかった観光客が宿泊先に選ぶ、ごちゃっとした界隈だ。
都に貧民街はないが、このあたりは下町とも言える迷路じみた風情がある。
――にも拘わらず、予約。
茶宿の集まった区画のなかでも小綺麗な赤レンガの佇まい。清潔感・調度品の装飾性・店員の洗練さや、看板メニューのサンドイッチとスコーンセットの美味しさが評判のここ、『小蓮茶宿』は、いわゆる恋人たちの逢瀬の場所として絶大な人気があった。
受付でレインが受け取った鍵を、案内された部屋に差し込んでひらくと安アパートほどの広さの一室。そこに、三分の一を占めてシンプルなキルトカバーを掛けられた寝台が。手前は丸テーブルに椅子が二脚。それだけ。
扉脇の台には青硝子の器に小花が飾られ、ちょこん、と金のベルが置いてある。
入室して足を止めたエウルナリアが固まり、じっと見ていると、ふいに耳元で「それで、店員を呼んで注文できるんです。食事が入り用なときは」――と、あやしく囁かれた。
「わっ」
驚き、とっさに距離を取ろうとしてじりじりと後ずさると、トン、と背が窓にぶつかった。
何だろう……。
どうして、「いただきます」みたいな目で見られているんだろう、と、エウルナリアはどきまぎとする。
『結婚生活』と父は言ったが、互いに厳粛なる寮生かつ学生の身。心配しなくとも滅多にそんな機会はない。なかった。初夜と、続く冬期休暇の間くらいしか。
(経験……。なくはないし、その、やぶさかではないんだけど。こういう、呼び鈴一つで他人が来ちゃうような場所じゃ、ちょっと!??)
しどろもどろと目が泳ぎ、無意識に逃げるための突破口を探す。
背中は外の冷気でつめたいのに、じり、と覆い被さるように身を寄せて来たレインの体温は、気持ちの上では焦がされそうなほど熱くて。
伏せられた栗色の睫毛も、熱を秘めた灰色の瞳も好き。でも。でもでも――――!!
「あっ、あのねレイン」
「何ですか、エルゥ」
出窓の縁に、両腕を置かれた。完全に閉じ込められた。あわや顔を近づけられ、接吻を受けそうになる。その一歩手前で。
「ねぇレイン。声楽の卒業課題で『歌劇の実演』があるでしょう? ずっと、パートナーがいなくて困ってたんだけど。いまね、候補を名乗るひとが二人いて、すごく迷ってるの」
自分でも突っ込みたくなるようなひどいタイミングだったことは否めない。
エウルナリアは、不意打ちの奇襲よろしく話題を放り投げてしまった。




