短話4 脱いでくれないか(二)
「なるほど、それであんな、婦女暴行じみた現場になってたんですね……」
しみじみと、あのあと駆けつけた従者の少年は呟いた。手にはティーカップ。それを主に渡す。
「はい、どうぞエルゥ様。あれだけ声を張り上げられたんです。我が国の宝ですから、喉は大事になさってください」
「ありがと……」
カチャ、と気楽に受けとる。
自由製作室にも、休憩スペースはちゃんとある。先ほどまでロゼルに押し倒されていたソファーだって、本来はそういう用途のためのものだ。
一口、鼻先に香るぬくもりと蜂蜜の甘み、澄んだ水色を楽しんで、エウルナリアは丁寧に淹れられた紅茶を味わった。「美味しい」と、ほっこり呟く。
同じように紅茶を用意されていながら、ロゼルは見向きもしなかった。むっつりと作業スペースに戻り、窓辺の優雅な主従を眺めつつ、足を組み、行儀悪く姿勢を崩しながらスケッチに興じている。
使っているのは、エウルナリアの肌を写し取ろうとしていたキャンパスではない。普段持ち歩いている大判のスケッチブックだ。描き終えたのか、それを一枚ぺらりと捲った。
「人聞きが悪い。暴行だなんて……私は、この上なく丁寧に脱がしにかかってただけだ」
「お言葉ですがロゼル様。片手でエルゥ様の両手を纏められて、嫌がるこの方の抵抗まで楽しげにいなされながら、お胸元のボタン外してましたよね。ご丁寧にリボンはほどかずに。――あんまり心配だから、と、青い顔をした美術棟の今日の管理者に呼ばれて、鍵を託された僕の気持ちをお考えください」
「あぁ……最初の悲鳴でもう男子寮に向かったのか、あいつ。むだに有能だな」
「レイン、どこまで見たのか、あとでちゃんと教えて。……って、それより『あいつ』って? 知ってる方なの、ロゼル?」
受け皿を左手に。右手で小ぶりなティーカップを口許にあてがったまま、エウルナリアは今朝のことをぼんやりと思い出す。
美術棟管理室。
学舎入り口の脇に備えられた小部屋――という造り自体は、音楽棟と変わらない。その役割も。
各種申請などの窓口も兼ねており、前の廊下を通ると設置された小窓越しに中を覗けるのだ。
事務所然とした室内には、いつもの若い女性管理者と。
(見たことのない、眼鏡のひとがいる……)とは、確かに思っていた。それをあえて口に出さず、姫君は無言でロゼルに言葉を促す。
露草よりなお青いまなざしを向けられ、ロゼルはほほえんだ。いつも通り、唇の端を片方だけ上げる、ちょっぴり不穏な笑みだった。
(――!)
それが妙に、見たことがないほど色っぽく、エウルナリアは思わずどきっとする。
「……たまたま、予定より早くに仕事を切り上げて帰国したうちの家庭教師だよ。前、話したろう? 私の婚約者で十歳年上の、ここの卒院生。ばかだよね。休日にまで私に付き合うことないのに」
はぁ、と大儀そうに吐息しつつ、手はしっかりと動いている。
“対象物”を写しとりながら、ちらちらと相手の内面まで透かし見る深緑の瞳。
――こういう時、ロゼルは一種近寄りがたい空気を醸す。話す内容はさんざんだったが。
婚約者、のくだりでピン! と来たエウルナリアは嬉々と表情を緩ませた。両手で茶器を持ったままソファーに座った姿勢で、前のめりになる。(着衣の乱れはすでにない。それこそがロゼルの不機嫌の元だった)
「それなら私達、もうお暇するわね。ご婚約者の方に脱いでもらえばいいじゃない? 二人きりで」
「やだ。あいつの裸は描くほど綺麗じゃない」
「もうご覧になったんですか」
給仕を終え、自身のカップにもぞんざいに茶を注いだ少年は、うっかり突っ込んだ。ロゼルはさも当然と言わぬげに、しれっと受けとめる。「もちろんだ」
「…………」
「……」
笑顔で黙り込む主従。
特にエウルナリアの脳内は忙しかった。
(え、それは……その。婚前なんですけど。婚約者ならいいのかしら。いえ、その前に。何なの『描くほど綺麗じゃない』って。仮にも…………あれ? 前、女子寮に遊びに来てくれたときに話してた方? 同一人物よね?? ロゼル、珍しく照れてたのに。とっても分かりにくく!!!)
「エルゥ、百面相」
「……はっ!」
「ぷふっ」
淡々と、彼女の表情からその内心を汲みとったらしい幼馴染みは、ぶすっと不貞腐れて揶揄した。
たちどころに我に返る令嬢。吹き出す従者。
――――――
室内に、ほのぼのとした空気が満ちる。
誰も脱がないなら、と開け放した窓から初夏の微風が入り、窓辺の薄いカーテンを揺らす。
白の紗が夏らしく、視界をそよいだ。それに目を和ませながら。
「あ、そうだ。どうしてもエルゥが脱がないと言うのなら……レイン。君が脱いでくれても構わない」
「え」
「…………んん?」
それなりに、抉るような角度から放り込まれた爆弾発言。
反応速度に関しては片眉を上げた従者がピシリ、と固まりつつ、おっとりとした主に先んじた。




