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3月、入塾と予感

所謂プロローグ、あるいはプレストーリー的なものです。

 この地区の小学生の多くは、四年生、遅くても五年生になる前に塾に通い始める。別にそういう決まりがあるわけではないが、みんながそうしているから、という理由で、みんなが塾を探し出す。宮上(みやがみ)大輝(たいき)も、今日から某大手塾に通うことになっていた。


「あれ、大輝じゃん。お前もやっぱりここにしたんだな!」

「まぁな。お前もいるし、ここが一番家からも学校からも近いから楽だしな」


 エレベーターを待つ大輝に声をかけたのは、四年生の時のクラスメイト、相原渉。最近になって眼鏡をかけ始めた渉は、背の高さと頭の良さ、そして運動神経の良さも相まって、学年一の人気者で、大輝とは幼稚園からの幼馴染である。大輝の塾選びの決め手の一つが、この渉が通っている、という理由だ。幼馴染で成績優秀な渉が通っているなら安心、と両親も満足していた。

 そして……この塾に通う幼馴染は、もう一人いた。


「げっ! 大輝!! あんたまさか、ここに通うの!?」


 二人の後ろで、ポニーテールを揺らした少女が叫ぶ。そう、彼女が「ここに通っているもう一人の幼馴染」。


「理恵菜……!」


 宮内理恵菜。大輝のもう一人の幼馴染……否、腐れ縁でもあり、天敵でもある。渉と大輝が同じクラスになる確率は60%ほどだが、理恵菜と大輝が同じクラスになる確率は100%、幼稚園時代を含めて、二人はずっとクラスメイトである。

 迷惑そうな表情を隠そうともしない理恵菜に、大輝もむっとした顔で応えた。


「なんだよ。文句でもあんのか」

「文句っていうか……騒がしくなりそうだと思っただけだよ。ここは勉強するところなんだから、うるさく騒いだりしないでよね!」


 そう言い放った理恵菜に大輝が言葉を返す前に、エレベーターの扉が開く。いち早くエレベーターに駆け込もうとした大輝の服を、理恵菜が思いっきり引っ張った。


「ぅおっ!? 何すん――」

「っと……ごめんね! 大丈夫?」


 後ろを向いて文句を言いかけた大輝の言葉に被せるように、頭上から焦ったような声が降ってきた。振り向くと、スーツを着た女性が、心配そうに大輝を見下ろしている。大輝が言葉を失っていると、彼の服を掴んだままの理恵菜が頭を下げた。


「ごめんなさい! こいつが飛び出しちゃって……」

「私は大丈夫。元気なのはいいことだから。お勉強、頑張ってね」

「ありがとうございます!」


 理恵菜の声をどこか遠くに聞きながら、大輝は思わず女性の顔を見つめた。


「ほら、大輝も謝らないと」

「あ……ああ、えっと、すみません、でした」

「気にしないで。それより、早く乗ってあげて」

「はい、失礼します!」


 理恵菜に軽く小突かれて、大輝は慌てて頭を下げる。そのまま、半ば引っ張られるようにしてエレベーターに乗り込んだ。いつの間にか先に乗り込んでいた渉が、ずっと「開」ボタンを押してくれていたようだ。ごめん、いいよ、と短いやり取りの間に、ゆっくりと扉が閉まりだした。

 

 扉が閉まりきらない内から、理恵菜が説教口調で大輝に向かい合う。ご丁寧に、腰に手を当てるポーズ付きだ。


「学校でも習ったでしょ、エレベーターとか電車とかは、降りる人が先!」

「わかってるよ。……それより、あの人、この塾の先生?」

「話をそらさない!」

「いや、俺も初めて見た人だったよ」


 お説教を続けようとした理恵菜に代わって、渉が大輝の質問に答える。勢いをそがれた理恵菜は、不機嫌そうに黙り込んだ。


「ふーん……」

「え、何、もしかして大輝って、すごい年上の人が好きなの?」

「ちが……っ! そんなんじゃねーよ!!」


 若干引き気味の渉の言葉に、大輝は思い切り叫ぶ。一瞬静まり返った狭いエレベーター内でその声が何度も反響し、三人が大きく笑いだしたところで、エレベーターの扉が開いた。


「おはようございまーす!」


 慣れたように塾に入っていく理恵菜と渉に続いて、大輝も緊張しながら足を踏み入れる。渉と理恵菜は自分の教室に入って行ったり、先生に話しかけたりと、さっそく自分の用事にとりかかっているようだ。


 大輝がここに来るのは、体験会と手続きに続いて三度目。どうしたらいいのか、ときょろきょろしていると、理恵菜が一人の先生を連れて戻ってきた。


「先生、こいつ……じゃなくて、この子が今日から入る宮上大輝。この先生は、横山先生。この塾で一番偉い人」

「ありがとう理恵菜さん。おはよう大輝くん。さっそく教室に案内するね」

「お、おはようございます! よろしくお願いします!」


 横山先生、と呼ばれた男性は、優しそうなおじいちゃん先生だった。頭の上の方が少し灰色になってきている。

 ついておいで、と歩き出した横山に続こうとして、大輝はふと理恵菜と振り返った。


「ありがとな、理恵菜」

「べ、別に……早くいかないと、置いて行かれるよ」


 そっけない理恵菜の言葉に従って、大輝は慌てて横山を追いかける。塾の室内は意外と狭く、大輝が使う教室へはすぐにたどり着いた。


「座席表は前に貼ってあるからね。テキストに名前を書いて、待っていてほしいんだけど、油性ペン、持ってきてるかな」

「あ、はい、大丈夫です!」

「おお、えらいね! さすが理恵菜さんの友達だ。それじゃ、もうちょっと待っててね」


 横山はそれだけ言って、忙しそうに戻って行ってしまった。何人か生徒はいるものの、全員初対面同士らしく、その場は静まり返っている。


(こういう空気、苦手なんだよなぁ……)


 気まずい空気に身を固くしながら、大輝はホワイトボードに貼られている座席表を確認して、自分の席に座った。机の上には、これから始まる春期講習で使うテキストが置かれている。人によって冊数が違うのは、受ける教科数が違うからなんだろう。

 出かける寸前に母親が持たせてくれた油性ペンを取り出して、全てのテキストに名前を書き入れる間、大輝はさっきの女性のことを思い出していた。


 特別綺麗な顔立ちというわけではない。強いていえば、ハーフアップにした長い黒髪は、つやつやしていて綺麗だった。

 初恋こそまだだが、年上……しかも10歳以上も離れていそうな人に一目ぼれをしたわけでもない……と、思う。


(――っていうか)


 一瞬だけ、懐かしい、と思った。あれは、なんだったんだろう――。



5年間を描くなんて、気の長い話ですね(他人事)。塾講師は昨年までやっていました。そうか……もう塾講師辞めてから1年になるのか……大人になると1年ってあっという間ですね。なんだか寂しいです。

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