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黙示の賢者  作者: トトロン
第1部 邪神と女神 編
16/23

賢者と出会い

 両方の手で持っていたお盆から片方の手を放し、僕は空いた手で寝室のドアを開ける。

 普通なら手を放した瞬間、力のバランスを崩したお盆は不安定に揺れるだろうが、そんなそぶりは少しも見えない。

 力の支点のうち一つを失ったはずのお盆は、変わらず地面と水平な状態をキープしている。

 まるで、手を放し虚空となった空間には見えない手が存在していて、今なおお盆を支えているみたいだ。


 僕は特段体格に恵まれているわけではない。

 が、普段からかかさずこなしている特訓によって、腕力には少しばかりの自信があるのだ。

 それに鍛えているのは腕力だけではない。

 平衡感覚や判断力、敏捷性、術式ルーン起動、戦闘や危機回避に必要な能力は一通り訓練している。

 その成果は、こういった日常でのほんの一瞬の風景に、ふとした瞬間に垣間見えるのだ。


 あとは()()だ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()、という数えるのも馬鹿らしいほどの回数の試行の成果でもある。

 今は昔の話だが。




 ドアが開くときにギギギと鋭い音が鳴るのは相変わらずだ。

 仕事を果たし終えた片腕を、お盆の持ち手に戻しながら僕は部屋の中に入る。

  

 だが、部屋の中の景色は先ほど料理を作り始める前とは一変していた。

 元々、簡素な部屋だ。

 何かちょっとした物があってもなくても大して区別はつかないし、そも気づきもしないだろう。

 だけれども、それだけは例外だ。

 なぜなら、その存在は僕がこの数日間、ずっと気にかけ続けてきた存在なのだから。

 最近の僕の思考や行動のほぼ全ては、彼女が独占していると言っても過言ではない。

 それゆえに、僕はすぐに異変に気が付く。


 ドアの正面、木製の大きめなベッド。

 そこで横たわっていたはずの人物がいない。

 少女の姿が()()()()()()()()()()()()()のだ。


 僕は内心で慌てふためいた。

 ここまで、気持ちが乱れるのも数年ぶりだ。

 それほどの焦燥と不安。

 

 彼女の傷は確かに完治したが、その身に残る疲労を考えれば、まだ外なんかには到底出てはいけない状態だ。

 治りかけの今に無茶をして、取り返しのつかないことにならないとも限らない。

 どこに行ったのか分からないけれども今すぐに捜さないと---!!




 彼女が、どこに行って、何をするか。

 それは彼女自身の自由だ。

 これから先どうするか。

 その選択は全て彼女に委ねるつもりだ。

 彼女の人生は、彼女だけのものなのだから、そうするべきだろう。

 僕はその手助けをほんの少しだけ、彼女の背中をほんの少しだけ後押しするだけだ。

 例えそれが賢者の矜持に背く行為であったとしても、これくらいならあの人も許してくれるだろう。


 人生とは、無数に枝分かれする線の集まり、その中のたった一本のことを指す。

 人生とは、限りなく無限のように見える有限の可能性の中から、掴み取ったたった一本の線に他ならない。

 人生とは、()()()()()()()()()()()()()に他ならない。


 人生における一分一秒、全ての瞬間において、自分が何をすべきかを()()する。

 自分自身の心に問いかけながら、最善だと思うべきことを為す。

 ()()()()()()()()()()、その積み重ねこそが()()だ。


 だから、僕は彼女を助けると決めた時に、初めから彼女をこの森から返すことに決めていた。

 僕には与えられなかった選択だけに、彼女には与えたかった。

 それは僕自身のエゴなのかもしれない。

 それでも彼女の人生に僕なんかが介入するべきではないと、彼女が僕の人生に影響を与えるべきではないと考え、その結論に至った。 

 だが、それは()()()()()()()だ。


 ()()()()()()()()()()()()()


 この()()を満たした時に初めて為すべき事だ。

 今はまだ、到底その時ではない。

 彼女には、まだここにいてもらわないと困るのだ。

 

 ()()があるのだ。

 助けてしまった者には、助けられた者の()()()()()()()が。

 僕は、それを()()()()()()()()()()()()()()




 ベッドの前に立ち尽くしたまま、心臓の鼓動が負の感情により加速する。

 加速するのは拍動だけではない。

 即時対応する為に思考も加速し、それにつられて身体の感覚までも研ぎ澄まされる。

 平時から戦闘・緊急時用に思考を切り替える訓練もよく行っている。

 心の内での思考の長さに反して、現実での経過時間は短い。

 そして研ぎ澄ました感覚の中で僕は気づく。

 いや、感じる。

 ()()()()()()()()()


 感じた視線の正体を探る為に、首をゆっくりと左側に回していく。

 部屋の隅まで視線を向けるが、何もない。

 視線の元はこちら側ではなかったらしい。

 では、反対側ではどうか。

 左に向けた首を今度は右へ、振り子運動させる。

 そして僕は部屋の隅で、()()()()()()()()()()()


 と同時に、体中に張り巡らせていた気を、鋭敏化させていた五感を、鎮める。

 心の中でホッと安堵のため息を一つ。




 辿り着いた視線の先には、ベッドの毛布があった。

 ただし、毛布は丸々と膨らんでいて、一目で中に何か入っていることは分かる。

 その姿はさながら、まるで絵本の中のお化けのようだ。

 そのままお化けの全体像を眺める。

 お化けの頭らしき部分、その毛布の隙間からこちらの様子を伺う眼光が見えた。

 瞬間、お化けは顔を伏せた。

 身体がプルプルと震えている。

 僕は、その感情の源が何なのかすぐに分かった。

 それは、「不安」と「恐怖」だ。

 

 当たり前だ。

 ここまで来るのに彼女がどれだけの傷を負ってきたのか。

 どれだけの苦しみを味わってきたのか。

 その大きさは計り知れないし、想像するしかない。

 だけれども、決して幸福な人生を歩んでこなかった事、それだけは分かる。 

 体に残っていた傷痕が彼女自身の人生を代弁してくれていた。

 そして、その原因となったものは何なのか。

 ほぼ間違いなく「人間」だ。


 この世界は東西南北に袂を分かつ、四大国家によって統治されている。

 それぞれ、西の王国、東の帝国、南の聖国、北の魔国、だ。

 この場所、賢者の森はその中の王国領に属している。

 世界地図で西側に領土を持つ王国領、更にその南西の果てに位置するこの森は、「人間」以外の存在と最も縁遠い場所だ。

 無論、踏み込む「人間」自体も皆無だが。


 事実として、この森を抜けた周辺には「人間」しか住んでいない。

 他種族が生息しているという事実はない。

 ……、はずだ。

 僕が本で得た知識が間違っていなければ。


 その前提が正しいとした上で、ここに1人の少女が迷い込んだということ。

 その少女が満身創痍であったこと。

 更には、その体には他者に加えられた無数の傷があったということ。

 これらの情報を統合すると、この少女が「人間」によって酷い目にあわされたとすぐに想像がつく。


 ゆえに、「人間」の形をした僕の事を、少女が恐れるのも無理はない。

 この身は()()()から、そんな人間ものからかけ離れているというのに、何とも皮肉なものだ。


 それを思うと、やり場のない気持ちが心の中を燻る。

 どうしようもなく心が痛む。


 でも、だからこそ、僕は嬉しかった。

 目の前の少女が自力で動けるほどに回復した。

 その事実が、まるで自分のことのように、いいやそれ以上に嬉しかったのだ。

 こんなに嬉しく感じたのは、いつ以来だっただろうか。

 余りの嬉しさに、気持ちが逆流して顔に出てきてしまう。

 それほどの喜びを、僕は感じていた。



 

 一歩、また一歩。

 僕は少女の傍に、歩み寄る。

 僕が少女に近づくたびに、彼女はその震えを大きくする。

 彼女との距離と、彼女の中の「不安」と「恐怖」の感情が、反比例しているのを感じ取る。

 距離が縮まれば縮まるほど、彼女の中の感情は強く大きいものになっていく。

 それでも、僕は歩み寄る。

 

 お盆を物置台に置いて、足早にこの部屋から出ることもできた。

 だが、僕はそれをあえてしなかった。


 確かに僕がこの場から立ち去れば、少女の中の「不安」と「恐怖」は収まるのかもしれない。

 けれども、それは一時的なものだ。

 彼女はこれから先、僕の事を見かけるたびに震えることになるだろう。


 少し荒療治かもしれないが、彼女の心を苦しめ続けている原因を。

 「不安」と「恐怖」を取り除いてあげたかった。

 少女に理解してほしかったのだ。

 もう怯える必要も震える必要もないんだと。


 この幼き少女に伝えたかったのだ。

 僕の心からの気持ちを。


 そして、()()()()()()()僕には、こうするしか方法がなかったのだ。


 


 その時が来た。


 歩みを止める。

 目線を彼女に固定する。

 片膝をつくように、姿勢を少しずつ下げていく。

 やがて、彼女と僕の顔の高さはほぼ同じになる。

 しかし、俯いたままの彼女の顔を見ることは叶わない。 

 彼女の横に、出来立ての料理が乗ったお盆を置く。

 コトッと音が鳴り、部屋の静寂が一瞬破られる。

 その音に呼応するかのように、目の前のお化けは顔を上げる。

 少女の素顔が露わになる。




 こんな顔を()()のは、生まれて初めてかもしれない。

 いや、少女の事を思うと、その表情は自然と心の内から湧いて出てきた。

 だから、こんな顔に()()()、のは生まれて初めてかもしれない。


 僕は、自分の気持ちを、本心を、ありったけの感情を、彼女に伝えた。

 最も、「黙示の賢者」として相応しい方法で、彼女に伝えた。

 言葉ではなく、表情で、彼女に語って見せた。

 心の底からの笑顔で、彼女に語って見せた。 




 君が元気になって、本当に良かった---。




 それが、僕と彼女の。

 賢者と少女の、本当の、最初の。

 出会いだった。

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