第二章 ときめき・2
診療所とは、元患者であった富農が寄進した、広い農地の中にただ一軒の、屋根と壁があるだけの建物だった。
診療所――
静に医者としての正規の資格や知識があるわけでは、もちろんない。
彼は、民間療法師、『ノリ』であっただけだ。
ノリを信じる少数の人たちはここに来るし、逆の大多数の人たちは町の病院に行く。つまりはそういうことだった。
一つきりの戸をガタガタと開き、中に入る。ピシッ。──そこには、すでに何人かの患者さんが、笑顔で待ち構えていた。
静は患者を一目見ただけでどこが悪いのかわかってしまう。そして、治療は患部に手を当てるだけだ。
早くて『数秒』、かかっても『数分』――それで治ってしまうのだ。
今日の患者は六人で、あっと言う間に片付いてしまった。部屋の掃除をするともうやることがない。普段ならさっさと家に帰るところだが、今日は違う。黒雲が兆した、十年来の客の予感があった。
待ち時間を潰すため、追肥の時期を再び検討したり、お湯を沸かしてお茶を飲んだりもした。
ノリの奇跡ですら難しかった患者を思い出し、宗教とはなんだろう、心の安寧とはなんだろう、と考えごともしたりした。
本当にやることがなくなり、幾分じりじりしていると、やっと、一つきりの戸がガタタと開いたのだった。
「いらっしゃいませ……ようこそおこしを……」
待ちくたびれた声になってしまった。ああ恥ずかし!
同い年、と直感した。それだけでもなんとなくうれしかった。静は立ち上がって迎える。
相手は、小振りの、上品な茶革の鞄を左手に提げ、洗練された羊毛色のスーツを着こなした、おしゃれな身なりだった。都会っ子とすぐわかる。
自分よりも頭半分ほど、背が高かった。
短めの、炎のような髪の毛。ちらりと見えた歯並びは整っていて、白くてきれい。目元が鋭くも優しげで、つまり垢抜けたハンサムだった。――静は、ドキドキした。
相手も同様らしく、静を、穴が開くほど見つめている。やがて、
「……女の子みたいだ」
よく響く声。来客の、それが第一声だった。
うれしさで『女の子』発言はスルーされた。静は勢い込んで歓迎する。
「一週間前から待ってたんだよ、君を! 『西洋の神の使徒』さん!」
相手は皮肉の笑みで応えた。
「それで予言のつもりかい? 俺にはムダだと言っておく。こけおどしにもならんぜ」
「――」
ようやく対面できた相手だったので、いつの間にか友好的な人物だと思い込んでしまっていた。黒雲は、やっぱり黒かったようだ。
なんだかがっかりした。さっきまでの高揚感はどこへやら、あっという間に気落ちしてしまう。
「くだらん予言はいいとして……」
そこで相手はようやく気づいた。
「どうして俺が神のしもべだとわかったんだ?」
「それくらい、君の雰囲気でわかっちゃう……」
あっさり言ってのけると、静は歩き始めた。もやもやした気持ちを落ち着かせたかった。開けっ放しの戸口を通り抜け、外に出る。鍵はもとからないので、戸締まりは不要だ。
残された客人は慌てて後を追って来た。彼は、自分が失敗したことを悟ったらしい。
「待てよ、おい。俺は別にケンカしに来たんじゃないんだぜ」
静は、意地になって、振り返らない。