第五章 かぜがふくとき・6
今彼女はなにを言ったのか?
アリアは――アリアは、ひどく静かな表情で、その澄んだ瞳をまっすぐ俺に向けてきている。俺は――俺は一瞬戸惑い、だがこちらも一瞬だけだった。
※
彼女はなぜ、この国に来たのだろう。
青い鳥を探すためにだろうか?
父親に会い、一言でも文句を言うためだろうか?
世界一の山を観光するためだろうか?
思い出作りに冒険するためにだろうか?
それとも、母親の復讐を、するためだろうか?
それとも──今までの人生から、逃れるためにだろうか?
違う。違う。違う。違う。違う──!
彼女は──この俺に、会いに、来た。
今彼女は、自分でも気づかずに、「この俺に会いに来た」と言ったんだ。
この国で十七年、それなりに生きてきたこの俺に、会いに来たって、『言ってくれた』んだよ!
彼女は今、そう言ったんだ!
※
じゃあ──
そこまで会いたがっていた、この『俺』っていうヤツは──
どんなヤツだ?
おい、ちゃんと答えてやれ、俺!
──
アリア、俺はな、こんなヤツなんだ。お前のことを──
──
※
俺は口を開いた。
「もし、母さんが生きていたら、今よりもずっと幸せだったかもしれないな……」
アリアがぴくりと身を震わせた。
※
「……母さんを殺されたお前の気持ちがわかる、とは言わないよ。そこまで己惚れていない。
母さんを殺されたその事実と向き合い、無力な自分に歯がみ、身悶えし、平安なひとときさえなかった今までの生活は、さぞ辛かったろう、とも言わない。そこまで傲慢じゃないさ――
俺は、お前がこの国に来てからのこと、俺のこの目で見た事実しか、知らない。
お前は、あの男を本当に殺したかったのだろう。そうしなかったら、復讐のために生きてきた今までの人生は、なんだったのかわからなくなるから……。
だが――お前はそうしなかった。
俺がいたからやらなかった、とお前は言ってくれた。その言葉、とてもうれしい。
お前は、たまたまそばに現れた、ある意味邪魔者のこの俺の前で、人を殺すことをためらった。神の使徒であるこの俺の立場を、気遣ってくれたんだ。
自分の都合を置いて他人を気遣うお前は――真の強き者として、この俺の目に映ったよ」
「――」
「気付いてくれ。
そんなにも強いお前を育て上げた今までのお前の人生は――けっして惨めなものでもなく、不幸なものでもないんだ。
お前の今までの人生は、堂々と誇るべき、肯定されるべき人生なのだったと――俺は断定する。
『まーたアンタの勝手な決めつけ』と、お前は言うかもしれないな。だけど言う。
もし殺していたら、お前は今までの自分の人生の、借りを返した、ということになる。つまりそれは──
今までの人生は、負の価値のものだったと自分で決めつけてしまうことにならないか?
殺して借りを返してプラスマイナスゼロ……。つまりお前の今までの人生は、マイナスだったのかい?
違うだろ?
お前は殺さなかったことにより、自分の真の強さを証明した。ということはつまり、お前の今までの人生は、堂々と誇るべきものであって、けっしてマイナスのものではなかったことを、証明したんだよ!
もしマイナスだと思っていたんだったら――おう! ただちにひっくり返せ! お前の今までの人生をだ! そして誇れ! 今までの自分の人生と、自分自身にだ!」
「――」
「いいか? お前の母さんの存在の幸せには、程遠いかもしれない。が、かわりにここにこうして、お前を大切に思う友だちが二人、いるじゃあないか!? そして、この俺たちゃあ、お前の肯定された人生のライン上にだけ、存在するんだぞ!
お前にとって、あの男の生死なんて、取るに足らんつまらないこと、どーでもいいことだったんだ。それをお前は鮮やかに証明したんだ。
断言する。
これぞ――最高の敵討ちだ!
おめでとう。お前の人生に、おめでとうだ!
もう一回言おう。
おめでとう。――ハッピーだぜ!」
俺はもう全力で、朗らかに続けた。
「実際のところお前は、最高にクールな決着をつけたな!?
さっきお前が言ってたように、あのバカは、もはや無力なんだぜ! このさき死ぬまで、害をかけた相手からの復讐を恐れて、びくびくと惨めに暮らしていかなきゃならないんだ。俺は、それは、カンタンに殺してやるよりも、もっと厳しい罰だと思うよ!」
全力で、さらりと笑顔を見せた。
「汝の敵を許せ――な〜んて、いまさらヤボなコト言わんぜ! あの男、『ざまあみろ』、だ! 身のほど知らずにも、アリアに手ェ出したこと、一生、後悔し続けたらいいんだ! ああ、もう! 最初から俺がいたらなあ! 十分に鞭をふるえていただろうに! さっきはカッコ悪かったよなあ! 俺、ホントはマジすげぇんだぜ! ホントのホントだぜ?」
「……うん!」
「――!」
瞳が、濡れているように見えるのは、俺の目の錯覚なんだろうか?
いきなり心臓が早打ちはじめた。
顔が火照り――焦って――あることを思い出してそれにすがり付いた。
「――そうだアリア! 以前、世界中に、自分を付け狙っている危険な奴等がいるって言ってたよな!? まかせろよ、俺に! うんうん! そうさ! お前に危害を加える野郎が現れたら、うん、今度こそ、俺がな、つまりな、――だからな、そんな野郎どもが出て来たら、俺が、――俺が、――俺が、その、――俺が、やっつけてやる!」
俺はなにを言ってるんだ俺は――!!
なんでいつの間にこうなった?! ――これじゃコクハクぢゃあないか!? ――顔を真っ赤にさせ、慌てたように付け加えた!
「誤解すんなよセイレン!! おう! アリア! お前に正義の鞭をふるえるのは、世界中で俺俺俺俺一人だけなんだからな――! お前は――、お前は――、お前は、俺のモンなんだからな!!」
アリアがはにかんだ表情を見せ、ほほを桜色に染めた。
「やっと言ってくれた……サンシロオー!」
駆け寄り、そして――熱い、深い、キス――
「……うれしいわ、サンシロオー。ありがとう、サンシロオー。おやすみ、サンシロオー。サンシロオー。今夜は――サンシロオー、サンシロオー……また、明日」
碧の瞳が、美しく潤んでいた。
「うん……お、おやすみ、アリア」
それしか言えない。
そして、ドアが静かに、閉じられた。