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第五章 かぜがふくとき・4

「うおおおおおおおおおおお――ッ」

 階段を駆け上がる! ふだんは施錠されているはずの鍵がまたしても破壊されていて、ドアが半開きになっている――

 体当たりをぶちかまし屋上に飛び出ると、月光に照らされたそこにはだれもいない。激しくうろたえる俺の耳に、いきなり水面が叩かれ砕ける音が届いた。見やると、それはプール施設だった。常人には高すぎる、覗き見防止の壁に阻まれ、中のようすがわからない。音はその中から聞こえた。

 ドアは時季外れで施錠されている。

「くそがっ!」

 どうせならこっちも壊せよ──!

 

 過去の大震災で、何よりも被害をもたらしたのが、火災だった。それ以来、高層建築物の屋上に、水泳用プールを設置するのが、一種のスティタスシンボルとしてブームになっていた。

 プールの底には特殊栓が設けられていて、いざ火災が発生した際、鎮火の最終的手段となる。

 だから、水だけは、常時張られているのであった。


 俺は、助走をつけて、ドアをぶち破った。左肩の骨折音を聞いた。


 かまわねぇ、右さえ使えりゃな──!


 そこは、幅十メートル、奥行き二十五メートル。プールサイドと呼ばれるスペースは、フロント部にしかない。横と奥側はすぐ壁で、上がれる空間はない。泳者は「行って来い」するしかない。

 今、照らされる月の光。その薄い白々とした明かりに――プールの向こうに無抵抗に白く浮かぶ裸の人形(ひとがた)──アリア! その手前に浮かぶ、人間の肩から上、銀髪の後頭部。その男の左手が、アリアの体をまさぐっている――

 頭が沸騰した。

「アリアアアアアッ!」

 銀色の頭がこちらを振り向いた。狂ったように、引きつるように嗤う、男の顔――

 ――

 ――

 ――

 ――

 ――静! アリア!


 頭に血が怒涛のごとく逆流する!


 鞭の届く遥か範囲外――俺はかまわず繰り出した──!!!


 ──しかし!


 あまりにも当然すぎる不様な結果が待ち構えている。

 鞭の先端は、情けないほど賊の手前で、弱々しく、空しく、水に沈むだけ――

「――!」

 歯噛み――。なんて――なんて俺は無力なのか!

 ――が、効果がまるでなかったわけでもなかった。男の表情が少し、変わったのだ。

「バード、ハンター……?」

 勢い込んで吠えた!

「おおおう! 世界ナンバーワンのエドの直弟子にして帝国最強の鳥追い師たぁこの俺のことだ! いまさら謝ったって許さねえから覚悟しゃあがれ! テメェも少しはプライドあるんだったら、正々堂々、コッチ来いや! この臆病者! 弱虫! ヘドロ野郎! とにかくその汚ねえ手ェ放せ! このくそだらあがッ」

 男は軽く鼻を鳴らし、相手にもならんといった態度で肩をすくめた。無造作に水中から右手を出し――その手には金属製の黒光りするものがあり――それがこちらに一直線に向き――

「……それがどうしたこのバカ野郎! この俺がビビるとでも思ったんかアホんだら! ヘイ? 実はてめえ、恐くて動けねえんだろ? 逃げんなよ。こっちから行ってやらあ!」

 俺はプールに飛び込もうとして、よみがえった左肩の激痛につんのめった。プールサイドに倒れる。いまさらの恥さらしに、顔が紅潮した。

「……ユゥ フール!」

 男が甲高い笑い声を発した。右手の指に、力がかかった――

 絶体絶命。

 そして――

 そして――

 ――


         ※


 その瞬間、いきなり海が出現したのだ――!


         ※


 それは――!

 それは――!!

 それはあのカレルの(うみ)をさらに上回る巨大さで! ――美しかった!


 柔らかな青白い大空に金の太陽がほほ笑み、銀の三日月がもの憂げな表情を浮かべている――!


 突き刺さるように煌く宝石の粒たちが星として浮かび――そんな天空のもとに無限に広がる、光のそよ風のような海原――!


 その海に今、波が泡々と白く輝き、神々しいばかりの――裸形の美少女が晶析したのだった!


 それはそれはそれは――


 金色の髪の毛、碧の瞳――

 貝のごとき白い肉体――

 オーロラの水面を沈みもせずに、緩やかに滑り漂い――


 高貴なる香水を衣とし、その目に見えぬ香りが色とりどりの貝殻や真珠、花びらに変化(へんげ)し、つむじ風となって宙を舞い、それもまた光の粒子へと変わると、宇宙全体に尽きることなく発散して行く――!


 これは、ああ、無重力なのだろうか!?

 髪の毛が空気に浮かび、彼女は優雅に右手で胸を、左手で下腹部を隠した――


「おお!?――女神よ!」


 女神は歌を歌った――

 その歌、その歌声よ――! おお! その歌声よ――!!


 歌の光の粒が、波動となってぶつかってくる!


         ※


 俺の筋肉が萎え――そして――俺は――ああ俺は――俺は立ち直る!

 全力を振り絞り、俺は応えるように歌った――!

「!!!!!!!!!」


 空間が白熱する光の玉となり、次の瞬間、絶対無音、そして、一気に爆散した――!


「──」


         ※


 ……気づくと、女神がこちらを見てほほ笑んでいる。

 俺は、肺が壊れんばかりの激しい息――

 やがて、女神が消え――海、宇宙が消えた。


         ※


 ――気づくと、いつの間にか俺は、プール施設から外に出ていて、屋上に仰向けに、大の字になって伸びていたのだった。

 体を起こそうとして――

「あいたたた……」

 左肩が痛み、さらに後頭部に、膨らみ――コブがあった。どうも盛大に、ひっくり返ったらしい。

「……そうだ! アリア!」

 目の前のプール……の壁は、しん、と静まりかえっている。いきなり不吉な予感に襲われ、痛みを忘れて立ち上がった――そのとき。

 急に水の爆ぜる音がして、同時に壁を大きく飛び越えて、プールの内側から何かが空を飛び、屋上のコンクリートに落下した。

 そばによると、それは、三十代半ばごろと思われる、貧しげな面相の――あの銀髪の外国人。

 思いっきり、これ以上ないというほど――気絶している。

「――」

 今またハデな音をたてて、そばに何かが落ちた。へし折り曲げられた単発式ライフル……???

「――」

 今また、何かが落ちた。――それは破壊された、『連発銃』、小型、手のひらに収まるほどの、サイレンサー付のオートマチックだった。


「はあ……」

 脱力する。ライフルとオートマチック。生まれて初めて目にする物体を、しげしげと眺めた。

 やがて、視線は、さっき自分に向けられていた物――『サイレンサー付のオートマチック』に固定された。

 俺の感覚は教える。それは――あまたの対戦相手に、『卑怯』と名づけられたものなのであろう――それは、おそらくは男の『隠し武器』であった。

 後ろのプールからひときわ大きい水音がして、全裸のアリアが屋上に降り立った。

「……ううう、さむ! そこのジェントルマン! その温かそうなジャケット、貸していただけないかしら?」

 女神(セイレン)は、晴々とした笑顔を見せていたのだった。


         ※


 アリアはジャケットに腕を通しながら、硬い表情の俺の報告を聞いた。

「うーん、ノーリ……。やれやれ、マズったわねぇ。ゴメン、ボクのミス。落ちたのは裏庭ね? じゃ、非常階段が使えるわ。コっから飛べる。――ユダ、キミは先に部屋に戻ってて! ノーリが誰かに先に見つけられる前に、拾ってくるから!」

 そう言い残すと、丸いお尻を見せて、そのまま飛び降りてしまった。


 俺は、もう呆気に取られるばかり――


 どうなってんだ? 誰か教えてくれ、よ……?





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