第五章 かぜがふくとき・2
翌日の夕方に帝都に帰りついた三人は、いったん別れた。アリアはホテルに。静は、俺の実家に。
東京駅から中央本線、三鷹駅で下車。
家では父・憲太郎はじめ、母の三冬、妹の三夏、内弟子その他やらが、珍客だと喜んで『ノリ』を迎えた。特に由佳の喜びようは傍目から見てもはしたないほどで、ほんとに美少年は罪な存在だとつくづく思う。――残念ながら俺の可愛い妹よ、静にゃとっくに相手がいるんだぞ? だがこれも経験、思慮深い兄ちゃんは、今お前にはなんにも教えてやらんのだ!
翌日、待ち合わせる。(妹は封殺した。笑)
俺と静はフォーマルなジャケット姿。静のは俺が貸した物で、少しダブ気味。約束の時間少し前に現れたアリアは、こちらの度肝を抜く、ゴスロリ(?)と呼ばれるファッションだった。
俺は自分らの珍妙な取り合わせをジョークにしようと思ったが、気づいたことがあって思いとどまった。
アリアの顔色が、心持ち悪いのだ。
「もしかして、疲れが、でたとか?」
彼女はしっかりと首を振る。違うの、と答えた。そして、らしくない、今になってようやく、たくらむように微笑んだ。
「ラヴレターを受け取ったの……」
だが、肝心の笑顔が弱々しくてはどうにもならない。
「そいつ誰だよ? 何者?」
「あらあ? 気になる? ねえ、気になる?」
アリア、俺だって、成長してんだよ。
「ああ! そんな顔色見ちゃ、やっぱり気になるね」
「……フン、だ」
アリア、小さく息をついた。
「カレったら、『射撃』がとてもお上手なの……。それが彼の、スペシフィック・アビリティ……」
「特殊能力。つまり――そいつは、ウイルス保有者なんだな?」
アリアは頷いた。
「銀弾の鉄砲打ち。ゲスのバンパイア・ハンター。……勝手にハンターを名乗っているけど、自分自身が化け物。変態嗜好のいわゆるモンスターよ。以前からボクを付け狙っていたの。ストーカーて、ヤツね。ボクがこの国に来たのを、逃げたと勘違いしている」
俺は控えめに提案した。
「手伝おうか?」
アリアはやっと、いつもの挑戦的な笑みを見せたのだった。俺は、鞭が入った鞄を提げている。これはもう、完全に習慣になっているのだが、その鞄を一瞥し、
「ご無用よ、ユダ・鳥追い師! キミに助けてもらったら、セイレンの名が廃るわ」
言い切り、矜恃をみせるのだ。
ところで、今日の、というか、今日からの俺は違った。
「了解――だけど、こっちも勝手にするかもしれないぜ?」
いつになく押せ押せである。アリア、ちょっと意外そうな顔を見せたが、すぐに微笑み、
「ありがと」
素直に謝辞を返したのだった。
そして、彼女は──衣装に合わせたサングラスをかける。
顔を隠した……? アリアが……?
――まさか、ね!
俺は軽く頭を振った。
アリアだって、けっこう手強い神人なんだ……。
アリアを出し抜けるやつが、そうそういるとは思えない……。
「――ところで、悪いけど、俺の方からもお前ら二人に気の毒な報告がある」
「あら、なにかしら?」
俺、精一杯真面目な顔を作った。
「今朝、エドから内示の電話があった。俺は、正式に鳥追い師に任命された。よくわからないけど、実力が認められたらしいよ。――で、だ」
笑みを堪えきれない。
「お前ら二人、アリア・セイレンと、静・ノーリの教化は、正式に俺様の担当となった! ワオッ! 覚悟しろよ!? ガンガンやったるからな! 以上、よろしく!」
自然にガッツポーズが出る! こいつらは、俺のもんだ!
呆れたように笑ってアリア、わざとらしく大袈裟に嘆いてみせた。
「ああ、まだ四半世紀しか過ぎてないのに! 二十世紀最大のバッドニュースだわ! ノーリ、どう思う?」
「うん、本当によかった。ユダの鞭なら安心だ!」
「アハハハハハハハハ……!」
アリア、体を折り曲げてバカ笑いした。……まったく、身も蓋もない言い方をしてくれる。
「コノヤロ! 笑ってられるのも今のうちだからな! ――行こうぜ!」
俺達は歩き出す。街に向かって──
※
モボ・モガにならって、銀座の西側、煉瓦通りを銀ブラしようか、それともダンスホールを覗こうかと提案したが、その日は静のたっての希望で、まじめな帝国海洋博物館に、三人は訪れた。目当ては、クジラ、だった。静のやつ、アリアにさんざん海の話を吹き込まれたと見え、どうしてもクジラが見たい、この機会にぜひ見ておきたい、一人でも見に行くと、駄々をこねたのだ。
アリアも俺も、コイツの駄々にはまるで弱いときたもんであるのだよ。
で、帝国海洋博物館。そこには確かにクジラがいた。――ただし、骨の標本だったが。がっかりするかと思いきや、しかし、静はそれで十分に満足しているようすだった。勝手に想像をたくましくしているのだろう。やがて彼は言った。
「山には、かろうじて山鯨という言葉があるけど……。本物の方が、比較するのが愚かなほど大きい!」
「本物って言っても、骨の標本だけどな……」
アリアはこの機を逃さず、
「そうよ、ホネだけじゃ、わからないことはタクサンあるわ。たとえば、クジラの皮は、ピンク色してるって、知ってた?」
ものすごく真剣な口調で言う。
「で、黄色い水玉模様があるの」
静は大いに頷いている。アリアの言うことだから、多分わかっていると思うが――静のことだから――さあ、どうだろう。
アリアは俺にウインクする。影クジラよ、と彼女は言った。これは三人にしか通じないジョークだ。
俺はほほ笑んだ。――もちろん、目の色は青いんだろ!
「ヤー!」
そしてくすくす笑い。
俺はネクタイを緩めた。
平和な、一日だった――




