第四章 はるかなるもの・21
翌日。
俺ら三人はカレルのガイドで、富士山のあちこちを見て回った。それらはとても興味深いものだったが、またしても表現が不可能だった。
例えば、この富士山のスペースドライブ・エンジンを見せてもらったのだが……。
「光速を突破する方法はいろいろとあるのですが、本船は一番単純な、ワープエンジンを採用しています。ワープとは、空間を歪曲させて、遠大距離を一気に跳躍する航法です。一回のジャンプで、〇・一光年ほど進むことができます。たとえばアルファ・ケンタウリまででしたら四十三回ほどのジャンプ。一日二回の割で航行したら、二十一日と半日で到着できます……」
と説明されても、残念だがチンプンカンプンだ。
「……わからん」
「ああ!」
カレルは嘆いた。
「残念無念七転八倒、理解してもらうためには、あと半世紀は待たないとならないのか……?」
なんであと『半世紀』なのか不明だが、今は、まったく、お気の毒さまと言うよりない。
いわゆる『青い鳥ウイルス』の実体についても解説してもらったのだが……。
ナノマシン(?)やら量子コンピュータ(?)という極微小的存在の、肉体における作用……つまり体組織の効率化、細胞活動の活性化といった話や、また、神経系データの直接放射、または電波、音波への組込み、およびその伝達の指向性などといった内容になって、スマン、途中でサジを投げてしまった。
一番おもしろかったのは、美しい施設でも高度な機械でもない。例の巨大エレベータを使った、遊びだった。――やっぱり俺らは、ガキンチョなのである。
「宇宙には、なにがあるの?」
このアリアの一言が発端だった。
「うーん……無重力の楽しみ、があります。みなさん一番興味があるのではないでしょうか……」
「体重がなくなるのよね! キャッ♪」
「うーん……」
と、いうわけで――
「フリーフォールを体験していただきましょう。それが無重力を理解する、一番の方法です」
そして最上階の、巨大ホール型エレベータに連れてこられたのだ。
「乞うご期待! あと五分ほどお待ちください。空気抵抗をゼロにするため、エレベータ通路に充填していた空気を排出しています。あと、減速準備、減速実行時間を差っぴいて、無重力時間は正味九十秒ほどですからね。合図したらつつがなく、できれば十秒以内で席に戻ってくださいね。……質問はありませんか?」
「落下途中の外の立体映像は見せてくれるんですかー?」
とアリア。はしゃいでいる。
「主旨から外れますので、ナシの方が、よろしいかと」
「おやつは持ってっていいですかぁー?」
「ジュースの方が、おもしろいかもしれません」
カレルは軽く受け流す。小声で付け足す。
「もっとも、どーなったって、私は知りませんが」
なんだか理由不明の笑いを誘うが、後の楽しみとしてがまんする。
で、俺は俺で、気楽に質問した。
「大丈夫なんだろうな?」
「はて?」
「エレベータだよ。途中で壊れた! だなんて、シャレになんねぇぞ」
「ご安心を! チェックは終わってますし、監視は常時続行しています。
万一トラブルが発生しても、百を超えるセイフティ機構が即座に対応します。その一つひとつのセイフティ自身にも、さらに多重セイフティが掛けられていますので、もう、どうにもなりようがありませんです」
「へぇ……」
カレルは軽く一回、手を叩いた。
「さて、皆様! お腰のロープは絶対外さないように! これがないと、高い天井まで浮かんでしまったら、減速時間内に戻ってこれなくなりますから。さあ……心の準備は、よろしいかな?」
「YEAH!」
「じゃあ、レッツ――」
「GO!」
とたん――
足払いを掛けられたように、足の裏が頼りなくスカスカになって――
「うげっ!?」
あっと気づいたときにはもう、体がふんわり浮いていたのだった。
この、人間の身体という『肉袋』の内側で、臓物が浮き、擦れるズリズリ感! だがその気色悪さもまさに一瞬で、あとはもう――興奮で気が狂いそうになった!
まさに、今俺達は人類初の経験をしているのだ!
とん、とそばのソファーの背を蹴る。体がスイーと浮いて行ってしまう!?!
「おわあああっ!?」
「わあはははっ!?」
声のする方を見ると、髪の毛を羽衣のようにたなびかせ、静が、なにをやらかしたのか、独楽のように回転している。
「止まんないー?!?」
「ぶっ――ははははは……!」
ハラをかかえて笑ってしまった。
「ねえ! 見て見て!」
はしたなくも興奮あらわな高い声は、アリアだ。見ると――ああ、ジュースだ!? なんてヤツ! 本当にやりやがった! ――ジュースが空中に浮かび、真ん丸くなっていた。アリアが、その玉にストローを差し込み、これ見よがしに吸っている。
「バナナ・ジュース! イッツ ベリィ ディーリシャス!」
ニィッ、とコマーシャルガールのように笑う。――どうでもいいが、なんでバナナなんだろう? ホントにどうでもいいことだけど?
と、思っているうちに腰のロープが限界に達し、伸び切ったその反動で引き返しはじめる。天井が近く、下がもの凄く遠い! 高い! なるほどここで重力が復活したらえらいことだと納得する。
徐々に高度が下がって行き、そのころになると心の余裕もできていた。水泳のように手足で空気を掻くことによって、わずかだったが、進行方向をずらすことに成功した。
アリアが真剣な顔付きで、ジュースのボールに、慎重に息を吹き込んでいた。ボールの全表面から、泡がポコポコと弾けている。うわ、行儀わるっ! 食べ物を粗末にすると、バチがあたるぞー!
と、そのときだった。
どこからか、骨が折れたような、鈍い破壊音が響いたのだ。
同時にエレベータホール内の空間に、おそらく注意喚起のためのだろう、点滅する薄オレンジ色の光が充ちる。
急いでカレルを見やると、彼は――何事もないように穏やかに立ちつくしている。
「……?」
やがて点滅が消え、彼はようやく三人に呼びかけた。まったく落ち着いた口調だった。
「減速準備の合図です! さあさ皆様、席にお戻りを!」
もう九十秒たったらしい……? ちょっと早いような気がするが……。そんな俺の思いをよそに、
「あん、待ってぇー!」
アリアが甘えた声を上げた。カレルは無慈悲に首を振る。
「ダメです。これ以上待ったら、命があぶない。――減速しまーす!」
とたん――
「うお!? うおおおっ!」
急速に床が近付いてきた。とりあえずの疑問を脇に置き、体を捻って足から着地する。ふふん――どんなもんだい!
振り向くと、静は横倒しのまま、うまい具合にソファーに軟着陸した。
「きゃあああ……!」
これはアリアだ。――ある種の期待をいだきながら見やると、あっはっは! やってくれたよ! アリアは、ものの見事に頭からジュースを引っかぶっていた。
「ヘイ! 貴重なデータが得られたようだな!」
アリアは不吉な目つきでこちらを睨んだ。悪いが、それもとても可愛らしく見える。俺はもう、こみ上げる可笑しさをどうしようもできなかった。
重力が常態に復帰するまでのあいだ、その増してくる重力にシンクロしながら、笑い声が口から噴きこぼれたのだった――
アリアのシャワーを待っているあいだ、カレルの動作が少しのろくなった。訊くと、小用を片づけるため、意識を半分、宇宙船本体に移したとのこと。まったく、器用なことができる!
アリアが戻ってくるのと同時に、カレルも全部元に戻った。
てっぺんのドームでお茶にする。
チーズケーキとコーヒー。コーヒーを口に含むと、ソファーにふんぞり返ったアリアが、ボクは絶対ウチューになんか行かないから、と頬を膨らませ、おかげで噴き出す衝動を堪えるのに死にそうになった。
「無重力、おもしろかった!」
静が万感の思いを込めて、簡潔にコメントした。
※
お上品にケーキをパクつきながら、アリアが興味深そうに尋ねた。
「あのフリーフォール、最終的に、どれくらいの速度が出ていたの?」
「秒速七百メートルです。時速にして二五二〇キロメートル。音の速さの、およそ二倍ですね」
カレルは答えた。そして、付け加える。
「これを実現できる技術力、ちょっとしたものでしょう? 音速は、一つのモノサシなんです。これを突破でき、自由にできたら、その文明は、たいしたものだと言っていいと思います」
「そうは言うけど――」
と俺。確信を持って言う。
「――騙されないぞ? フリーフォールの最中の破壊音、あれ、なんだったんだ?」
カレルは首をすくめた。
「やっぱりごまかせませんか……。正直言いますと、ブレーキが一つ、破損した音でした。大丈夫です。残りは正常に作動しましたし、壊れた物も、さきほど元通り復元できました」
「健康な証拠、だったっけ?」
「あんまりいじめないでくださいな!」
カレルは笑ってごまかし、意味ありげに南を指差した。
「走って飛び降りたら、どうなるかおわかりですか?」
「そりゃ、地球にまっ逆さま。地面に激突して、一巻の終り」
アリアがすぐのってくる。
「では、もっとスピードをつけて飛んだら?」
「変わりないわ。もうちょっと先の地面にぶつかるだけよ」
「なかなか優秀ですね」
「バカにしてない?」
「とんでもない! では、もっとスピードをつけたら? たとえば、この頂上からでしたら、音速のおよそ二十三倍の速度で飛んだら、どこに落ちるでしょうか?」
「二十三倍? いきなり吹っかけたわね? ……南極?」
「おしい!」
カレルはほほ笑んだ。そして北を指差す。
「この頂上からそのスピードで飛んだら、八十六分後に、反対側のあっちからこの頂上に落ちて来ます」
「嘘だー!」
「はい、嘘です」
三人は脱力、背もたれからずり落ちる。
「実際には、薄いとはいえ空気抵抗とか、地球の自転とかがありますから、そううまくは行きません。ですが、簡単に考えると、そうなるのです。――面白いでしょう?」
「ずいぶん、音速にこだわっているのね?」
カレルは頷く。
「音の次は、光です。光速を追い越す。――独力でそんなことができたら、今度こそ脱帽です。我々は、黙って舞台から消え去ることに致しましょう。ですがまず、音速です。……おわかりですか?」
アリアがすぐに気づいた。
「『鳥追い師の鞭』ね?」
「さすが、セイレン様……」
カレルは静を見た。
「さて……静様。ノリの奇跡のもとは、もうご承知してくださいますね?」
「僕は動揺していません。お気遣い無く。……認めています。ノリの力の源は――三四郎がノリ・ウイルスと呼ぶもの。つまり青い鳥――あなたが作ったウイルスです。もっとも、とうとうその原理は、理解できずじまいでしたが……」
カレルは頷いた。
「ありがとうございます。原理については、おいおいわかってもらえると信じています。今は、その働きと反応をおさえてもらえれば……。
昔、マスターのコピーとしてノリ様やセイレン様の存在を設定したとき、一つ、制限を設けさせていただきました。でないと周囲の一般人と比べ、ひどく不公平になってしまうからです。――それが『音速の枷』でした」
「……」
アリアの目が妖しく煌き、カレルは続けた。
「音速以上――秒速三百四十四メートル――を超える物体が身体に衝撃を与えた場合、その超能力は一時的にダウンします。例えば、『鞭』によるダメージ。あるいは、『銃弾』によるダメージ。そう、ダイナマイトなどの爆発『衝撃波』もそうです。……もし、時をおかず連続してその衝撃を浴び続けたならば、その者は超能力を完全に失ってしまうことでしょう。
特に銃弾の場合は、急所を打たれたら、一発でお陀仏でしょうね。能力ダウンも自己回復も、何もあったものじゃありません。――セイレン様は、よくご承知でいらっしゃる。ノリ様、貴方様に私がこんなことを言うのもなんですが、御用心くださいませ――」
※
そしてその翌朝。カレルに見送られて、三人は富士山を後にしたのだった。
わざと体を汚して、カレルに保管してもらってた、泥と血と汗のボロボロ登山服をふたたび身につけて。――やあ登山靴、また頼むぜ!
そういえば、今日は探検八日目だ。つまり予定を二日も残し、当初の青い鳥を探すという最終的大目標を、達成してしまっていた。
口笛を吹こうか、それとも万感の溜息か……。
「……どしたの?」
「あはっ……なんでも! カレルーっ!」
サンキュー、アンド、グッバイ!
三人の冒険は、こうして、幕を閉じたのだった。




