第四章 はるかなるもの・19
アリアは追求する。
「さっきキミは、ボクらに、自分のマスターになってくれと言ったわ! これはどういうことよ!? キミがいなくなるんだったら、マスターになれも、へったくれもないじゃん!」
「矛盾しておりません。実は、私は『さみしがりや』なんです。──どうです?」
「?」
「――いっしょに、宇宙に行ってみませんか?」
カレルは途方もないことを言ってこちらを見た。アリア、静はそろって、口をぽかんと開けた。
「……とても、魅力的なお話ですわ」
やっぱりこういうことになると、アリアが一番対応が早い。
「もし、お断りしたら、どうなるのかしら?」
カレルは親戚の叔父さんのように笑った。
「どうもしません。――そんな、人をマフィアのボスのように見ないでください!」
アリアは視線を空中に飛ばした。だが星の宇宙を眺めているのではなかった。アリアは顔を赤らめ、その顔を両手でうっとりと包んだ。
「この三人で地球を離れたとして、そしたらボク、すごくがんばらなきゃ、子孫が増えませんことよ……」
静とカレルは、同時にひっくり返ってしまった。
「……なにも三人と限らずとも、お仲間何人でもいいのに。ぶつぶつ」
「なんか言った?」
「いえいえ。……即答は結構と、言っただけです。まだ時間的余裕は残されています」
「カレル、いやに自信たっぷりね? 本当に、誰かついて行くと思っているの? それともむりやり攫って行く?」
「またまたさっきと同じようなことを言う! ンもぅ……。何度も言いますが、皆様の自由意志です。あのね、私はいざとなったら、皆様の『心を自在にコントロールできる』んですよ? それはもう、人類規模の強力な能力です。ですからもし私に人身略取の意志があるのなら、そもそもこんなこと口にはいたしません。私は、友人として、口をきいているつもりなんです」
アリアは目を丸くした。
「ボクたちを自在にコントロールできる? 本当? どうやって? 洗脳? それとも薬品とか、電気ショックかなんかで?」
くすくすと挑発するように笑っている。彼女のおハコだ。だが今回は相手が上手を行った──
「もちろん!」
カレルが胸を張ったのだ。
「私の人徳でです!」
こんどはアリアがひっくり返った。
※
静が発言した。
「話を戻すようだけど。ここに招かれたのが、僕たちであったことは、偶然なのでしょうか?」
そのとおり、偶然です、とカレルは肯定した。
「いずれ、だれかが『青い鳥』とこの富士山の謎に挑んだことでしょう。それが、皆様だった」
「僕たちが最初だったの? そうなの? たとえば、そう、加藤文太郎も挑んだことになると思うけど」
カレル、優しく首を振る。
「質的に全然違っています。……かの偉大な男は、嗚呼! より高きを、宇宙を目指した! 対し、皆様は、『私』に挑んだ。私は、『私』に挑む方に興味がありました。
人類にとって、難しい謎だったかもしれません。
まず『私』という存在に思い至ることだけでも、奇跡に近い。
が、こうして皆様が現れた!
まぁ……私の方からも、『私』の存在の、ヒントを、小出しにして見せましたがね……」
「つまり影の国の神獣のことですね。……言わば、撒き餌だったわけですね?」
「はい……その通りです。……先ほどの話ではありませんが、時間的なリミットが近づいておりましたから」
すんごいエサもあったものね、とアリア。
「『あなた』を目指して、僕たちのほか、だれも近付く者はなかったのですか?」
これには、カレルは否定の返事をよこした。
「法王庁の方々が、接触を試みました。何度も。この富士山に、あの手この手でメッセージを放って。影の国を含む、あらゆる角度、高度から……。あるときは声で呼びかけ、またある時は狼煙を上げ、ある時は焚火で文字を描き――
彼らは優秀と言えるのでしょう。私の存在を確信し、その意義をおぼろげながら把握していました。
まあ正確さにこだわるならば、彼らが私に挑んだ最初の人たちなのでしょう」
「なぜ、入れてあげなかったのです?」
「ノリ様。……それは、彼らの目的が明白だったからです!
私は、その……『青い鳥』です。私の存在は、彼らにとって、目障りでしょう。
それよりももっと大きな理由があります。彼らが最終目的としているのは、実は青い鳥の『抹殺』ではありません。そんなチンケなモノではないのです。
彼らが目的としているモノは、二つあります。
一つは『科学技術』です。――これは、説明の必要はありませんね?
もう一つ。つまり、『記録』です。
先ほどもちょっとだけ喋りましたが、私は、地球人類史を完全に記録しています。地球上のどこで、いつ、だれが、何をしたのか? もっと具体的に言うと、その紛争の直接の原因は何か? 何者か? その栄光の真の所有者はだれなのか? 私は、そのすべてに明確な答を与えることができます」
「それが法王庁がほしがるほど重要なことなの?」
と、アリア。
「たとえば――貴重な何かを発見したのは、本当はだれだったのか、が明らかになったって、そんなに問題にすることないじゃん? 個人的なプライドの問題にすぎないわ」
「これは受け手側ではなく、情報の発信側の問題です。圧倒的な証拠に保証された、あらゆる情報を握っている者は、簡単に権威を持ててしまうのです。それがまずい。
公明正大に明らかにされるのでしたら、おっしゃる通り問題ありません。
ただ、自己利益を意識した人物が、『記録』を自分に都合のいいように発表、断定したら――もう誰にも覆せません。
付け加えて、その者があらゆる国の軍事力を凌駕する『技術』を持っていたら? もうお手上げ、というものでしょう。
決め付けたら失礼かもしれませんが、法王庁の関係者の中には、覇権意識、自己利益の意識が、多分に見受けられるのです」
「そうかもね! ――でも、彼らをこの船の中に入れてやったところで、キミが彼らにその二つを奪われるとは、ちょっと想像できないけど?」
「それは百パーセントそうとは言いきれません。私だって、ヘマをするときもあります」
アリア、にっこりと魅力的にほほ笑んで、
「ねぇ、なにか教えてよ? ね?」
カレルは笑った。
「かないませんね、もう。うーん……そうですね、じゃあ、クイズを出しましょうか?
近代数学の最重要理論であるところの微分論。これなくして、もろもろの科学の発展は有り得ませんでした。さてさて、この理論を最初に発見した人は、だれでしょう?」
「それ知ってる! イギリス国の、アイザック・ニュートン卿! 学校で習ったわ!」
「おお、巨人・ニュートン! 『私は何もわからないんだ』と、のたもうた知の英雄! よくご存知でしたね。――けど、ブーッ(ブザー音)、違いまーす」
「え? ……じゃあ、ライプニッツ?」
「ゴットフリート・ウィルヘルム・ライプニッツ! もう片方の英雄! ――ご存知とは、恐れ入りました。ニュートンと同時代の、ドイツ国の人で、現代に通ずる微積分の記号法を与えてくれた恩人です。『連続性』を扱う微積分と逆に、『離散性』を扱う組み合わせ理論でも功績を残した、二人といない大天才ですね。――けど、ブーッ、違うんです。
ここで誤解をしないでくださいね。彼らは二人とも、それを独自に発見しました。その功績を否定するつもりはありません。ただ彼らよりも先に、微分を発見した人物が存在する、ということなのです」
「……答えようがない。だれなの?」
カレルはほほ笑む。
「さあ、それです。実は、現時点では教えられません。意地悪じゃないですよ。これが今明らかになったら、恐らく確実に混乱と紛糾が発生し、人類の少なくとも数学と物理の発展が、ここで足止めを食らってしまうことになるからです。とくに量子論が芽生えはじめたこの時期、余計な混乱は、是が非でも避けたいところです。……これが今から二百年前だったら、あるいは二百年後だったら、公表できるかもしれない。だけど、国粋主義、軍国主義台頭の現在の世界状況下では、だめです。国を覆い包む専制政治のこの暗闇は、皆様方が想像するよりも遙かに大きく、黒いのです。公表のそのデメリットの方がはるかに大きいのです。――というのが、私の回答です」
「……こっそり教えてくれたって、いいのに?」
カレルは首を振る。
「皆様の相手は、私じゃなく、法王庁ですから。まったく知らないほうが安全です」
「……」
アリアが沈黙し、かわりに静が、
「カレル、あなたは、僕たちが、法王庁、あるいは為政者と、トラブルを起こす、と考えている?」
「『預言』と言ってもいいくらいです。……私は、皆様の身の安全が心配です。法王庁は必ず、皆様を監視するはずだからです。それは執拗に、長期間におよびます。皆様が私と接触していたことがもしバレたら、拐かされ、訊問されるかもしれませんよ? ゴーモンもありえますよ? 冗談ではないのです。ああ、今も昔も、偏った思想団体はコワい。――今回だって、彼らは皆様を追跡、監視していたのですよ」
「本当!?」
「ウィーラー氏の配下で、トップ・エリートの『鳥追い師』の三名です。
皆様が『朝日駅』を出発され、谷をさかのぼり、尾根を越え、抱擁しあったり、キスをしたり、本裾野を登山し、歌を歌ったり、下山し、神獣と争って洞窟に逃げ込むまで、彼らはきちんと皆様を監視しておりました。全然気づかなかったでしょう? まあ、双眼鏡の力を借りていましたからですが。
とにかく、今日の地震で皆様が生き埋めになったことが、多分今ごろ、上層部に報告されていることでしょうね……。
私はうまくやったつもりです。彼らの目を欺いて、皆様をここにお連れしました。教会の関係者は、皆様がまさかここに、こうしていることを、想像すらしていないでしょう。
皆様の痕跡は、埋め潰された洞窟でおしまいです。彼らは、皆様の生存の可能性を、否定することでしょう。
皆様におかれましてはこのまま死んでいただき、私と宇宙に行ってくれれば、一番簡単なんですが……」
「……宇宙の話、まるっきり冗談じゃなかったんだ」
やがて、静とアリアは、俺に視線を向けた。
自分が所属する団体をこうまで言われ、さすがにショックが大きかった。──俺は、先ほどから身動き一つ、できていなかった。
「私は青い鳥です。私が数千年前に起こしたコトで、今このように目の敵にされるとは……。私がへぼな証拠です……」
あああ――
『宗教創造』――!!
俺にとって、団体を批判される以上にショックなのが、これだった――!




