第四章 はるかなるもの・15
夢のようなひと時が過ぎた。まさに、夢のようだった。
あのひと時は、いったいなんだったのだろうと思うほどに……。
※
アリアは薄桃色の上品なワンピースの腰を、光沢のある茶色の細身のベルトで飾り、クリームイエローの柔らかなジャケット、白のタイツ、パンプス。……もう手が届かない、高嶺の花の、血筋尊き深窓のご令嬢に、あっという間に変化したのだった。
対して男二人はガサツなもんで、スタジャンにカジュアルシャツ、ジーンズにチープなスニーカーである。こりゃまたえらい差だな。まあ案外気に入ったからいいけど。
静のやつも、こんな格好させるとスタイルのよさが引立つというものだ。その静、ポケットに手を入れたまま前を広げて、珍しそうに裏、表を見比べている。やがて、心配そうな顔付きで、訴えた。
「僕はどちらかというと、和服か、いっそのこと背広の方が落ち着くんだけど……」
「でも似合ってるぜ?」
「……そかな?」
エヘ! と一発で笑顔になる。
「ねぇねぇカレルー」
「なんでしょうか、お嬢様?」
アリア、足元を何度か踏みしめながら、
「もう少し軽めのはないの? 形はこんなんでいいからさぁ!」
遠慮なくワガママ言い放題。
「おお、私としたことが! 返品よろこび承り。少々お待ちください……」
カレル、あたふたとコンテナの中を探しはじめる。与えて貰ってこう言うのも何だが、お前、ちょいと人がよすぎると思うんだが?
俺は、俺らが入浴(?)してる間にカレルが運んできた、大人が楽に十人ほど入れそうなデカい箱の中を、カレルとアリアが二人して探し回っているそんなようすをおもしろく眺めていたが、ふと、隣の静の視線につられて――上を見上げた。
ドーム。今は『画像』が消え、もとの岩壁に戻っている。
「すごいよね……。よく潰れないものだよね」
静が感想を口にした。うん、同感だ。多分、ドーム形状だからこそ、力学的に大丈夫なんだろう……としか想像できない。
いきなり何のことかというと、そろそろ思い出してほしい。富士山のことを。
本当にこの上に、宇宙にまで届くあの富士山が聳え立っているのである。それを思うと、重量感が、ヒシヒシと伝わって来る。今にも天井を突き破り、柱が落下してきそうな感覚に襲われる。
でも。
「――潰れたって平気さ。なんたってノリがいるからな?」
「落っこちてくる富士山を支えろって?」
ハハ、と彼はいかにも少年らしく楽しそうに笑う。そして、
「ちょっと落としてみてよ。ご披露してあげるから!」
珍しくも軽口を叩いてよこすのだ。ゴキゲンだね。
「持ち上げ直すとき、標高をあと十メートル上げてやろうぜ。百キロ丁度で記録更新だ。我らが臣民が涙流して喜ぶぞ」
静、人差し指を振り振り、
「いっそ放り投げて、月にしてやるよ!」
二人で笑い声を上げるのだ。
ああ、なんだか幸せを感じてしまう。たあいない、かな? そうかもね。
アリアの準備ができたところで、カレルが全員に声をかけた。
「さあさ皆様、次は栄養満点おいしさたっぷり、魅惑の美食、どんなカタブツも一気に仲良しこよしの親睦お食事会といきましょう!」
大好きだよ、カレル!
※
あの畳のように薄い乗り物に乗る。立席乗車だ。で、足元をよく見てみたのだが、やっぱりなんにもない。普通の平板。気になって運転操作はどうやるのか訊いたら、カレルはニッコリと、機械のひとさし指で、自分の機械の鼻を指差した。すぐに納得する。ようするに、カレル自身が操縦ユニットなのだ。
「発車オーライ!」
彼の注意をかねた合図で、乗り物はふわりとワン・フィートばかりホバリングする。まるで音がしない。微振動もナシだ。ついで、滑るように動き出した。なんだかソリに立ち乗りしてるような感覚。ただ、加速による横重力はそう感じられない。たとえが苦しいが、高級なソリ、といったところか……。
「ねぇねぇカレルー」
「なんでございましょう」
「このホバークラフト、どこまで高く上がれるの?」
「その気になれば、宇宙まで」
「この四角い機体しかないの?」
「いえいえ。円形とか、正多角形とか、不定形とか、様々な物がございます。今回は、ほっと一息お寛ぎ、畳形状のものをセレクトしただけでございます」
「ありがとう……」
なぜアリアがこんな無邪気な会話をしたのか、このとき俺は気づけなかった。推理力に自信がある方は、どうぞ考えてみられたらどうだろう。解答は、今日中に明らかになるのだ……。
閑話休題。
ホバークラフトが進行する先の岩壁の一部が、自動的にスライドし、トンネル通路を開いた。四人を乗せたクラフトがスムースに進入する。そこは――非常に高度な、建物の中、だった。
残念だが、俺にはそうとしか表現できない。昼のように明るく清潔で、深遠な思想のもとに生み出された造形の数々。メカニカルでありながら美しく……最先端の装飾様式、アール・デコのような、そう、どちらかというと、西洋的な様式の雰囲気がある。とにかく、人類の科学力をはるかに超えるテクノロジーによる構築物であることは、はっきりと知れる……。
俺は、薄々とは感づいていた、あることについて、今、はっきりさせようと決心した。
「……今一つだけ教えてほしい。これは、富士山『そのもの』なのか? それとも、富士山の中に『建築』した、お前たちの施設なのか?」
「お答えします。――『前者』です」
「――」
頭の中があらゆる思いでいっぱいになり、フォールダウンしてしまったのだった。
ホバークラフトによる移動は、物足りなさを覚えるほどすぐに終了した。
降車し、開けてくれるドアから室内に入ると、
「……」
そこは、まるで野球場のような広さのホールで、上を見ると丸天井が、なにゆえこんなに高いんだろうと呆れるほど、高かった。足が止まり、アホのように見上げているこちらを見て、ホームラン級のボールでも届きませんよ、とカレルはほほ笑んだ。
ホール内装は柔らかな白を基調とした上品なデザイン。観葉植物や彫刻がほどよく配置され、人類の施設で例えるならば、一番似ているのはホテルのロビーだろうか? ただやっぱし広さが断然違うが。
カレルは先立って案内し、三人を一区画のソファーに座らせた。――フカフカ!
と――
「動きます。ご注意ください」
カレルの運転開始の合図がある。何が動き出すのだろうか? もしかしてこのソファーか? と思ったが……違う。変化なし。
「?」
そのとき、アリアが、あっ、と声をあげた。答を口にする。カレルはほほ笑んで、正解です、と告げた。
俺はうなった。これはわからなかった! つまり、このでっかいホールが、『丸ごと』、動いていたのだ。――どこへ?
「なかなか鋭敏ですね……そうです、これはエレベータです。今、『上』に向かって移動しています」
「と、いうことは?」
「お食事しましょう。皆様にもっとも相応しい場所で。富士山の『てっぺん』で!」
思わず身が引き締まる三人に向かって、カレルは、ぱっちんと名優のごとくウインクした。
到着まで二十分かかります、とカレルが言った。
「……それってどういうこと? エレベーターでしょ? なぜそんなにかかるの?」
アリアが当惑げに問いかける。彼女に限らず、どうも感覚がつかめない。カレルは教師のような笑みをみせて、回答した。
「当エレベータは、ただいま、時速四百キロメートルで上昇しています。加減速時間を含めて、到着までの所用時間が、およそ二十分なのです」
「……」
クラッときたね。うっかりしてたよ。そうだった、富士山の頂上の標高は、百キロメートル。それに、なんだって? 時速四百キロメートル? ――笑っちゃうよ。ホール型巨大エレベータは静寂そのもの。これほんとに動いているの? 時速四百キロメートルだって? ああ──なにもかも、まるで本当に、嘘のようだ。
「外のようすを見ますか?」
カレルがこっちに話しかけてくる。
「お願いする……」
そうとしか答えられないじゃないか? カレルはその返事を待ってから、またしても右手を差し伸べた。とたん――
身を預けているソファーをはじめ、植物やら彫刻やら回りのすべての物体、そして床、壁、天井がすべて消え、上下左右三百六十度、全方向に外界の光景が出現した。一瞬にして、俺たちは、地球を見下ろす高度に身一つで浮かんでいたのだった! 思わず恐怖の叫びが喉を突く――
「大丈夫、慌てないで下さい。もたれて安心、椅子の感触があるでしょう? 私たちはちゃんとエレベータの中にいます。この光景はただの立体映像です。リアルタイムの実写には間違いありませんが。つまり富士山本体だけを、画像処理技術で透明化させた光景なのです。――現在、日本国標準時で午後三時四十二分。高度五十キロメートルを通過しました。もう、とっくに雲の上でしたね……」
「――」
ここは――もちろん、いままで行ったことはないのだが、断言できる――宇宙だった――
「――」
言葉が出てこない。かろうじて、思った。
地球は、巨大に、丸かった――