第四章 はるかなるもの・12
静の考え通り、そこは、壁一枚で隠されていた、洞窟になりそこねた空洞だった。
空洞とは言ってもその尺は最初から小さく、先に進むごとにさらに狭くなっていた。そのうえ、ルートはひん曲がっていて、上になり下になり、まともに立って歩くことは最初からできなかった。
トップは静。細身の体と体力を生かして、先へ先へと進む。
二番手をアリア。泥に汚れ、土にまみれ、懸命に静の後を追い、時にはサポートをする。
しんがりは俺だ。細穴を通過中、万が一地震が襲ってきたら、一番危険なポジション。(なぜならバックできないから。)この番手は、意地でも譲らなかった。
松明が燃えつき、明かりは静が持つランプ一つのみになった。
前を行く二人のりんかくだけが、明るく闇に踊る。
ルートは極限まで細くなった。本当に頭の高さと肩の幅くらいしかない! 信じられないほど――でもこれが現実――の小さな穴に体を通す。土壁に頬がすれ、耳が引っかかる。先を行く静の、削り取られた髪の毛が、鼻をくすぐる。
今、地震が来たら……考えないことにする。
極細穴を這い出た。ありがたいことに、ちょっとだけ広くなる。うれしくて、涙がにじんだ。
頭をぶつけ、肩を打ち、腰がつかえ――
そして――
ああなんという寛大な御心なんだろうか!? 最初の広間のような大きさの空間に、転げ落ちるように到達したのだった。しばし、息を整える三人――
静が空間の広さを確認しようとランプの手を伸ばしたときだった。油が切れた。
「!」
三人が同時に、絶望の悲鳴をあげた。
黒!
なんにも見えなかった。目をこすり、何度瞬きしても、網膜になにも、映像はむすばなかった!
三人は声をかけ合い、手をのばしてお互いを探し――抱き合った。
「……対策を、考えましょ。……手探りだけでも、前進できる、はずだわ」
アリアは、しゃくりあげている。それを懸命に押え込み、彼女は攻撃の言葉を吐いたのだった。
「おう、その通りさ……」
「きっと脱出できるよ……」
――そして、三人は、動かなかった。
動けなかった。三人はさらにかたく抱き合い――
黒は、圧倒的だった。
※
これは、述懐である……。
俺は、このときの体験をこの後、人生の折々に思い出し自らの戒めとすることになるのだ。
最初俺達は、それでも、歌を歌って、自分たちを励まそうとしたんだ。
が、やがてそれも途切れがちになり……誰ともなく、ついには、完全に沈黙してしまった。
耳や声までもが、圧倒的な闇に黒く塗りつぶされてしまったんだ。
お分かりだろうか……?
……。
正直言おう。誰かの助けがない限り、自力ではもうどうしようもなかった!
つまり、当時の俺達の実力ったら、そんなものだったのさ……。
※
自分は眠っていたのだろうか? それとも目を開けたまま、惚けていただけなのだろうか?
どれくらいの時間が経過したのだろう。だれかが体を動かし、俺は意識を取り戻した。
「……なにか」
静の声。久しぶりだ……。
「なにか……あっちが、ほんのりと、明るくみえる」
しかし――あまりにも、あんまりな内容だった。
「……まさか出口なの?」
アリアが微動だにせず――しかし彼女のことだから、ほほ笑んでみせたであろう――言葉を返した。ああ、アリアのそのほほ笑みを、もう一度だけ――!
「やっぱり、明るいと思う」
意外に力のこもった声が、俺のもの思いを中断させた。アリアが、ゆっくりと顔を上げるのがわかる。
俺は、正直、絶望を何度も体験したくなかった。そして実際、そんなことあり得る話ではなかった。静はたぶん、精神が相当まいっているのだろう……。
「……だけど、ここは富士山の腹ン中だぜ。俺たちゃ、そのさらに奥の方へと進んでいたはずだ?」
口調が普通だったのが、無性にうれしい。……つまらない意地だけど。
「……ユダ? ボク、おかしくなったのかな?」
「――」
「ボクにも、明るく見える――」
「――」
鳥肌がたった。――アリア!? お前まで? 頼む! しっかりしてくれ!
「ルート、気づかないウチに、外の方へ方向転換していたのかも?」
――
――本当、なのか?
――本当なのか?
――期待して、このうえ裏切られたくないんだ!
が――!? が――!?
「――!」
そのとき、『都合よく』三度目の大きな揺れが来た。静が叫んだ。
「走って! ここは『つぶされる』! こっちだ!」
逡巡もなにもなかった。その、『こっち』の方向へ向かって、三人は争うように走り出し、つまずき、すっ転び、そして、あっと思ったときには崩れた土砂に巻き込まれて――地面がなくなり――奈落の底へと落ちて行き――
──
──
──
──そして。
気づいたとき、そこは、……そこは?
俺は跳ね起きた――
「なんだこれは……!?」
光に溢れた湖が、眼前に広がっていたのだった!
※
なんと表現すればいいのだろう?
そこは、『巨大なドーム』だった。
背後には、今三人が吐き出された穴が岩壁にぽっかりと開いており、その岩壁は、ドームの壁なのである。目で追って行くと、ずうっと、ずうっと――天頂からさらに向こう、水平線のかなたまで、壁が空をなして続いている。
水平線――!
俺が今立っている前方には、美しい白浜が広々と広がっていて、透明な水の遠浅の湖が、どこまでも広がっているのだ。
「──」
ああ、向こう岸が見えない。もちろんドームだから、壁は見える――
それは壁であり、けっして『向こう岸』ではない。わかりづらかったら、岩壁を青空と置き換えて想像してくれ……。
「──」
気をしっかり持たないと、頭がおかしくなりそうだった。
水平線の向こうは、まるで霞がかかったかのように、ぼうっと、光の空気に包まれている。
「──!」
たった今、気づいた。
『ここ』は、まるで真昼の『外』のように明るい――!?
地面を見る。しゃがむ。手で砂をすくう。
「ぐふぅ……!」
はらわたが震える。信じられない! 美しい白浜の砂粒と思われた微少な一粒ひとつぶが、光を放っているのだ。
一粒ひとつぶが、微細に異なる色彩の光を放っている──
俺は振り仰いだ。
壁が――そして透明な湖の底が――つまりドーム全体が――光を自ら優しく放ち、それは明らかに調和が取られており、目に眩しくはなく、それでいて、春の空のように明るくて――
そばでアリアが、小石を拾う。
「きれい……!」
それは、世のどんな宝石をも圧倒する、自ら美しく燃え煌く、神秘の塊、光石、貴石──星の石であった。
俺は湖に関心を戻す。
急に、喉の渇きを覚えた。湖に向かって数歩よろめくように歩き、そして呆然と立ち止まった。
本当に、湿り気を感じる。
「おお、湖よ……?」
ふいにヴェルヌの『地底旅行』の一節が、頭に浮かんだ。
『宇宙的な柔らかな光に満ち、穏やかな風に水泡が舞う――』
「……『リーデンブロック海』?」
「違うよ。ここは、富士山の中なんだから……」
後ろで静が冷静にチェックを入れたが、さすがに、彼も声の震えは隠せない。