第四章 はるかなるもの・11
相変わらず気分は爽快だ。少々の怪我は、アリア・セイレンが完璧に治してくれるから……。
……ああ!
静は、見るも哀れにしょげ返っていた。
「……なあ、奥側に陣取っていたから、焚火は無事だったんだ。これは手柄だぜ?」
「……」
「ノーリ、逆に外に追い出されていたら、そっちの方が厄介な状況だったのよ?」
「……」
俺はアリアと顔を見合わせ、そっと息をついた。出口の方に目をやる。
大雨で地盤が緩んでいたところに、地震が襲った。
土砂が滑り落ち、穴を塞いだ。
出口からおよそ二十メートル、高低差でおそらく三メートルが、その土砂で埋まっている。そしてまずまちがいなく、出口の外側も、土砂が厚く堆積していることだろう。
いかなセイレン、ノリといえども、掘り抜くことは『不可能』だった。
残された荷物は少ない。薪は、静が気を利かして多めに集めていたのだが、やがて確実に尽きる。そのほか、静のリュックにランプが一つ。燃料の油は、ビンに半分。あとは、マッチが少々――
「ね、ジュール・ヴェルヌの『地底旅行』という物語を知ってる?」
「ああもちろん! ページめくるのがもどかしいくらいワクワクしたもんさ!」
「あれに出てくる『ルームコルフ照明器』が、つくづくほしいわねえ。今なら全財産くれてやったっていいわ」
「わいっ! 豪儀だねえ! あっはっは!」
「……」
ああ静! 静かだなぁ、もう!
だから、アリアが洞窟の奥を探検しようと言い出したとき、俺は熱心に賛成したのだった。
肉体運動は、ストレスや心の鬱やらを、身体から追い出してしまう効果がある。柔術の稽古で何度も経験済みだ。
静は、ようやく立ち直りかけている。あとはきっかけだ。
ここで体を動かしてやれば、残された少々の自己嫌悪やら後悔なんぞ、完璧に吹っ飛ぶというものだ。俺は座り込んでいる静に手を差し出した。こうなりゃ、無理矢理にでも歩かせる所存だった。
その俺の決意の顔が、緩む。静が、おずおずと手を差し出したのだ。嬉しく思った。差し伸ばされた手をぐいと引っ張った。
「よし、行こうぜ!」
静、弱々しくもはっきりと頷き、意思表示した。
「うん……」
※
三人は長めの薪を松明代わりにして、念のため予備を背負って、奥に向かって歩きはじめた。
探検は順調に進んだ。つまり、分かれ道――脱出路――とかが、何も見つからなかったからだ。
道は、天井が低くなったり、高くなったり、右、左にけっこううねっていたが、単純な一本道だった。一時間もたっただろうか、松明が半分になる前に引き返す予定だったが、その前に、あっさり終点に到着してしまった。そこは一面の壁――行き止まりだった。
俺は内心、肩を落とした。結局、脱出路はなし……。
「引き返しましょか……」
アリアがさすがに疲れた声で言った。
引き返しはじめてわずか数分後だった。またしても強い揺れが三人を襲った。俺らは地べたに這いつくばり、揺れが収まるのを待つ――
だが今度のは、先のよりも、強く、長かった。
嫌な汗がにじむ。これは──
その瞬間、武芸家の感覚が、土壁の悲鳴を感じとった。
「下がれ!」
とたん。
天井が崩れた――
「おおお!?」
「!」
「!」
――
揺れが収まり、顔を上げると、まるで計ったかのように、数メートル先が潰れていたのだった。
「……」
恐くて、口がきけなかった。
「──」
──三人は、土中の数百メートルのところに、見事に袋詰めにされてしまったのだ! これなら、あの広間の方が、まだ、なんぼかマシであったろう……。
「こんなのウソだ……」
静が、水の中を浮き上がる泡のように呟いた。
「……変だよ。ありえないよ。これはどういうこと?」
まずい、と思った。危険な匂いを嗅ぎ取って、俺は焦り気味に静の肩を強く抱いた。
「おい静!?」
静は三四郎に気づかぬかのごとく独白し続ける。
「なぜ、なぜ今まで崩れなかったのだろう? 太古の昔、洞窟ができあがって以来、何度も地震はあったはずなのに。なぜ、今になって崩れる? 僕たち三人が、入り込んだときを、見計らったかのように……!」
そして俺を見つめ返した。その彼の両眼に、強い光が復活している。
「――僕は大丈夫だよ! ありがとう」
そのときまた、小さな揺れが来た。パラパラと土くれが降りかかる。
「ここはやばそうだ――」
「奥へ!」
静が叫んだ。三人は立ち上がると、今行って来たばかりの奥へと、再度走りはじめた。
※
静が先頭に立って、奥へと歩く。その足取りは力強く、なにかしらの信念を持っているかのように見える。
奥へ、奥へ――
つい先ほど、行き止まりを確認して引き返した、洞窟の終点へ――
――到着。静の足が止まった。
「やっぱりあったよ……!」
俺とアリアは静の両隣に並ぶ。そして驚く。
「……」
三人の目の前の壁に、先ほどまではなかった、大きな亀裂が口開いていたのだった。
「……さっきの地震でできたの?」
とアリア。言うまでもなく、そうとしか考えられない。それはともかく――
「おい、静。まさか……」
彼は振り返ると、ひさしぶりに可愛くほほ笑んだ。
「うん、その通り。この亀裂の中に入って行こうと思うんだ!」
当然のように答えた。
「なんかえらい確信を持ってるようだけど、すぐ行き止まりになってんじゃないのか?」
「そんなことは入ったらすぐにわかることだよ。だけどね、僕はかなり自信があるんだ。第一、この先に何かなかったら、こんな大きな亀裂なんか、そもそもできっこないもの」
「……」
三人はまた、亀裂を眺めた。松明の揺れる明かりに、それは、貪欲な年老いた悪魔の、物欲しげにだらしなく開いた、醜い口腔を連想させた。
俺は思ったままを口にした。
「別にこの先に進むのはかまわない。だって他に道がないんだからな。だが、入ったあと、そのときまた地震に襲われたら、今度こそ恐らく……」
わかりきったことを指摘し――そのまま三人は黙りこくってしまった。
松明の火だけが、音を立てて揺れていた。
と――
俺は、自分の頭を殴った。静とアリアがびっくりしてこちらを見る。
「――俺は、何をつまらないこと、言っちまったんだろうなっ。もう!」
黙ってたってなんにも始まらない。そのあいだにも、松明はどんどん無くなって行ってんだぞ!? 俺はなんでこうなんだろう? くそっ。まったく、自己嫌悪だ!
俺は二人に檄した。
「行ける――だから、行こう!」
その言葉を待っていたのか、静とアリアが、雪のように、花のように、凛としてほほ笑んだ。
「うん、行こう!」
「オーケー、行きましょう!」
真実は、半分以上ヤケだったに違いない。が、残りの半分は、勇気だったと言いたかった。──いや、言おう! 断言だ。
俺は強引に笑った。
「さあ、行こう。前進だ――!」