第四章 はるかなるもの・10
俺は爽快な気分で目を覚ました。
「――うわっ! 今までのはまさか夢だったのか!?」
「違うよ」
いきなりあっさり否定された。ギョッとして首を回すと、そこに、小岩に腰掛けて焚火を守っている長い黒髪の美少年がいた。誰かと問うまでもない──
「おおっ!? 静! お前、静? お前? ――うわおう!」
ばかみたいな反応だが、感情が理性を越えていたんだ。こいつはちゃんと生き抜いていた! ちくしょうさすがだぜ静! コイツの健在は、自分にとってそれほど衝撃的な驚きでありうれしさだった。
「気分はどう?」
そう言われて俺は慌てて気分を落ち着かせ、体をあちこち動かし、痛みも傷口もないことを確認する。ただ、服は血まみれ、泥汚れ、カギ裂きだらけだったが。その点は静も同様だ。
「君が一番ひどかった。正直、諦めかけたほどだよ。打撲、裂傷、骨折、ねんざ、脱臼、内出血その他もろもろ。右肩がちぎれかけ、左目もつぶれかけていた。僕、こんなメチャクチャな患者、生まれて初めてだったよ」
「感謝するぜ! ――アリアは?」
「大丈夫。君よりはずっとマシ。奥で休ませてる」
ここで俺は初めて身の回りの環境に意識が行き、不自然に暗い周囲を見回した。焚火の明かりで、土壁に囲まれていることがわかる。ここは? と訊いた。
「富士山洞窟群の一つだよ。君たちを拾ったとき、そばに偶然見つけたんだ。思わず目を疑ったよ。こんなに都合のいいことがあるかって……」
それを聞いて慌てて焚き火に目をやる。
「おい、換気は?」
「ぬかりないよ。通気排気に問題ない場所だ。ついでに、奥はかなり深そうだよ」
「そうか……。それにしても、暗いな……」
「ここ、入口からそんなに遠くないんだけど、入口、植物で蓋をして偽装しているから。今、これでも朝なんだよ。探検六日目の朝だ。おはよう、やっぱり君は朝に強いんだね。で、今朝の報告だけど、外は、『驚いた』ことに雨だ。それも、氷雨。たとえ神獣がやって来たとしても、ここを嗅ぎ当てるのは、かなり難しいと思う……」
それは幸い。一通り聞いて気分が落ち着いた俺は、あらためて静を見やり、
「よくぞ、無事だったなあ……」
と腹の底から言った。逆に静は、暗く顔を落とした。
「あれから僕は、幻覚を使って、一頭のハグレ狼を装ったんだ。彼らの僕に対する認識を、『敵』、から、『挑戦者』に、すりかえてやった。結局九頭の神獣には見破られたけど、その時にはもう、大多数の一般狼から認知を得ることに成功していた。僕はリーダーたちを、僕の挑戦を、サシで受けざるを得ない状況に追い込むことに成功したんだ。群れは見事に沈黙したよ」
静は両手を見つめた。
「幸い、僕は、狼の習性の知識があった。それが役に立った。僕は、初めてノリの力で、生物の命を奪った。一頭一頭の命が、この手をすり抜けて、虚空へと消えて行く、その逆に生々しい感触が、まだ残っている……。八頭まで殺したよ……」
彼は、かなりまいっているようすだった。
「……最後の九頭目は、リーダーのなかでも、さらにリーダー格のヤツだった。ヤツは仲間が戦っているさなか、一頭だけ距離を置いて、僕の消耗ぶりと、仲間の戦力を計っていた。そして僕が『負ける』と見極めをつけて、君たちの追撃にかかったんだ」
静は泣きそうな顔で笑った。
「たぶん僕は、本当は八つ裂きにされて、死んでいたんだろうと思う。――ヤツが君たちのあとを追いかけだしたのを見て、僕ははじめて死にもの狂いになった! ――そして、八頭を殺していた」
肩がしょんぼりと落ちている。俺はたまらなくなっていた。
「おい! おかげでこっちも面白い体験ができたってことさ! ──なあ、おい、静! もう二、三頭、こっちに回してくれてても、よかったんだぜ?」
よく言うよ、と静はクスリと笑った。ああ、少しは元気回復したかい? だったら俺もうれしい――
だが静は、すぐ暗い顔にもどった。
「……状況を話すよ。一言で言うと、悪い。さっき、雨が降ってると言ったけど、これがかなりの大雨なんだ。しかも冬のように冷たい。僕もアリアも予測『できなかった』悪天候だ」
「それでさっき、驚いた、と言ったのか。それくらい気にすんなよ。ドン、マイ、だ。ノリやセイレンだって、たまにはこんなこともある。次からうまくやればいいのさ」
「……僕の予想では、確実に四日は降り続く」
それで? とつい、まぬけな返事をしてしまった。
「僕たちはテントも雨具も全て失った。食料がないんだ」
「最低ね……」
奥の壁からアリアが顔を出した。やつれ、髪の毛がばさばさ。土まみれ。が、さすがにかんぺき美少女だ。こんなでも美しさ、愛くるしさを隠しきれないでいる、ときたもんだ。彼女、こっちを見て、大丈夫? と訊いてくる。その気配りもうれしくて、俺は笑ってみせた。
「お前のキック、一生忘れないからな――というのは冗談。ご覧の通り元気によみがえったよ。そっちも調子よさそうだな?」
「ノーリのおかげよ。それで……」
アリア、声に張りが戻っていた。
「……さあこれから、どーしよう? お楽しみはまだまだこれからってとこね!」
三四郎と静を見比べて、三四郎を指名する。
「ユダ、考えを聞かせて。期待してるわ、よ!」
俺は両手をあげる降参ポーズをとる。まったく、光栄の至りというものだ。
※
「まず、一番近くの人家は観測所なんだけど、カッパなしで歩いたら恐らく半分も行かないうちに凍死する。雨が止むのを待てば飢えで動けなくなり、結局死ぬ。誰も俺らがここにいることを知らないから、当然救助もあてにできない」
俺は念のため付け加える。
「エドの救助も、あてにできない」
「そりゃそうよ。ボクらが危機に陥っているなんて、全然思ってもいないはずだわ。もっとも、彼の救助なんて、ハナから『お断り』よ!」
アリア、息巻く。
「……仮にウィーラー氏が、鳥追い師として独自に青い鳥討伐隊を出していたとしても、この広い荒野で出会う確率はゼロに近いと思う。……狼煙をあげるのも、無理っぽいし」
静もようやく発言する。
「だな。……でだ、当面の問題は食料だ。三日も食わなかったら、マジで動けなくなる」
「……」
アリアと静は暗く押し黙った。ああいかん、これでは自分が指名された甲斐がないというものだ。
「外のようすを見よう!」
そう提案した。雨と言っても、ここよりは明るいだろう。とりあえずその明るい外の光を浴びたら、少なくとも暗い気持ちは薄まる。いい考えも浮かぶかもしれないというものだ。
「たとえば……さっきは雨のなか動けば凍死すると言ったけど、近場を短時間行動するくらいなら差し支えないはずだぜ? なにしろ、こっちにゃ焚火という強い味方がいるんだからな。濡れても乾かしてもらえる。運がよかったら、近場で猟ができるかもしれないじゃないか?」
俺はいくぶん希望を持って二人を促した。
「それに、今は実りの季節だぜ? 木の実とかの収穫が絶対期待できるさ――」
なんだか自分で言ってて、光明を見いだす思いだった。うまく行くだろうという自信が、少しずつ大きくなる。二人の顔も、気のせいではなく、明るくなっていた。うん、どんなもんだい、と俺、誇らしい気持ちになる。
その時だった。
慢心を諫めるかのように、いきなり地面が揺れた。
地震である。
けっこう強い揺れで、三人は思わず身をすくませる。
こんな大きいのも久しぶりだな……。そんなことを思いながら揺れに身を任せていると……十秒くらいで、地震は嘘のようにおさまった。
日本は世界有数の地震国である。男子二人は慣れたもので肩をすくめあっただけだが、アリアが、体全体を縮こませていたのだった。悪いとは思ったが俺、ニヤニヤ。アリアは気分を害した、という顔を作って、すぐに、バツが悪そうに吹き出した。
「あー、びっくりした!」
「アハハ! 隊長! 今のカッコ、一生忘れないからな!」
「言ってなさいバカ!」
アリアは一度ぶつふりをして、そのあとこわばった体をゆっくりと伸ばした。俺は、みんなにいつもの明るさが戻ったような気がして、なんだか地震に感謝したいような気持ちになった。ま、それにしても、唐突な揺れではあったが。
と――
「――まずいっ!」
いきなり大声、目をまん丸にした静だった。
「走って――!!」
彼は叫ぶと、洞窟の入り口に向かっていきなり駆け出した。残された二人も、訳もわからず押っ取り刀で後を追いかける。
「おいシズ――」
「はやく――!」
前方に、植物のフタ、そこから外明かりが見える――
そこまで──
あとほんの十数歩のところだった──
──
──
土砂が、なだれ込んで来た――
三人は、その圧力で、奥に吹っ飛ばされてしまったのだった。




