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第四章 はるかなるもの・9

「ざっと、二百頭はいるね」

 こんなときに、いや、こんなときだからか、静は冷静だった。

「青い鳥にどれくらい力があるのかわからないけど、全個体が全部、神獣だとはとても思えない。大多数は、一頭の神獣に支配された、普通の狼に間違いないよ。普通と言っても、頭に『影』の字がつく狼だけど。……まとまり具合から見て、九つの群れが合流していると思う。それぞれのリーダーが神獣だったとして、つまり最低でも九頭は『いる』ということになるね」

 なんでお前はそんなに冷静なんだ? そんな俺の思いをよそに――

「アリア、三四郎。やむを得ないと思うんだ。必要最小限の物だけ持って、あとは捨てよう……」

 今、リーダーシップを取っているのは、まさしくこの可愛らしい少年だった。

「どうするの?」

「逃げる」

「どこへだ? ここいらに人里ってあったか?」

「地図を見た限りないよ。だから、もう一度富士山に登ろうと思う」

「マジか! あっ――もしかして気象観測所(多聞天)か? そこまで行こうって考えてんのか?」

「まさか! いくらなんでも無理だよ! そこまで行かなくても、ホラ、昼間下っている途中に、小さな洞窟をいくつか見つけたよね? あそこに逃げ込めたら何とかなると思うんだ。だって正面だけに集中できるもの。ここじゃ、八方から攻められてしまう。とても防げないよ」

「来るわ!!」

 まさにこの瞬間、四百余の光点が、いっせいに行進を始めたのだった。こっちに向かって、怒涛のごとく。


 静が振り返った。

「アリア……」

「なあに?」


 ユダを頼む――と、静は朗らかに言った。


 ノーリ、どういうこと? とアリアが聞き返した。


「僕は、ここで奴等を食い止める」


 瞬間、俺は喚いていた!

「バカヤロウなに考えてんだよ! こら、おいッ! あのな――」

 美少年・静は、『完璧』に無視した。

「アリア、行って……。大丈夫、僕に策がある。あの群れをくい止めて見せるから。――来る! さあ、アリア、行って──」

 突然、彼はいいことひらめいた、とばかりに顔を輝かせたのだった。

「──アリア、お願いだ(プリーズ)!」


         ※


 アリアが腕を引っ張る――

 俺はされるがまま。(けっしてフテ腐れているわけではない! だが後で必ずぶん殴る!)──というのも、まるで見えないからだ。

 いや、確かに月明かりがあるし、全然見えないことはないのだが、今のように道なき道を高速で移動しているときなど、多少の夜目などあってなきがごとしなのである。俺は今自分を、まるで無限の黒い海草の中をさ迷い逃げる、フカに追われた一匹のちっぽけな魚のようにも感じていた。

 つまずき転びかけ、アリアに引きずられ、走り、やぶに突入し、細枝に顔を打ち――

 やっと開けた本裾野に到着する。岩と砂の大斜面世界。アリアがいきなり立ち止まった。

「しまった……」

 俺もその意味にすぐ気づく。急ぎ、追い立てられて、違う場所に出てしまった。下山中に見つけた、洞窟の位置がわからない。

「登ろう! 多分どっかに見付けれるさ」

 アリア、頷くと、いきなり俺を背負った。

「お、おいッ――」

「もうキミのメンツ考えてる余裕はないの! シズーカのギ──努力が、ムダになっちゃう!」

 ぴしゃりと言い、そして、彼女はセイレンの力をいきなり全開にした。爆発的加速(キャノン)! 空恐ろしいスピードで走りはじめる。


 ――うわおおお!?


 富士の斜面を、髪の毛が吹き流れる勢いで駆け登る! 小さな崖は跳ね上がる! 俺の体が弾みで浮きあがり――

「ぐっ――」

「舌噛み注意! しっかりつかまっていてっ!」

 まるでヤマンバだ――!

 辺りを見ることもまともにできない。俺はアリアの背にしがみついているだけで、精一杯だった――


         ※


 十分も走っただろうか――

 唐突にアリアが崩れた。前のめりになったかと思うと、地面に盛大に転倒する。俺は投げ出され、すかさず受け身。すぐに体を起こすと駆け寄り、彼女の肩を抱き上げた。

「アリア! 大丈夫か――?」

 アリアは鼻血を流し、フイゴのように大きく呼吸を繰り返している。表情がひどく険しい。――セイレンの限界だった。

 なら、今度はユダの番――!

 俺はアリアを背負った。脱力しているアリアは、非常に軽くて重かった。五、六歩歩いた。それでもう汗が噴き出る。足が滑った。腕が痺れた。腹が痛んだ。膝が伸びない。――なんてこったい!

 俺は自分の非力さに動揺してしまい、次の瞬間、怒りがわき上がった。

 なんてザマだよ俺? しっかりしろッ――! 

「――っしゃあああああッ!」

 一本、気合を入れる!

 俺は地面を睨み付けて意識して歩幅を狭めた。着実に歩き始めた。セイレンに比べて、ああ、その速度は遅々たるもの! ――だが見ろ! アリアを背負い、この富士の大斜面を、確かに移動している――やれているじゃあないか!

 どうだ静! アリア! 俺は決して、役立たずじゃねえんだぜッ!

 柔術の修行を捨てずに、本当によかった! 

 心の底からそう思った――


 ――ところで?


 洞窟はどうなっちまったんだ!?


「俺はバカか?」

 焦りつつ辺りを見渡し――ぎょっとして立ち止まった。そっとアリアを地面に下ろす。

 ほとんど円い月の明かりの下、下方約二百メートルに、突風のように近付いてくる灰色の点々がある。――狼、狼だった。

 追いつかれた!

 ざっと二十頭ほど。あとは──いない。それだけだ……。

 最初は、二百頭いた。それが今、二十頭──

 ──おお、静! ノリよ──お前は――!!

 歯を噛みしめた。


         ※


 前に出ようとする俺を、灰色の顔のアリアが止めた。

「ちょっとのあいだ、声を立てないで……」

 苦しそうに声を出す。それから十数秒後のことだった。駆け登ってくる群が、めちゃくちゃに騒ぎ始めたのだ。たたらを踏み、右往左往し――

 やがてここにいる二人を無視すると、北に向かって一斉に走り出し始める――!?

 と、そのときだった。

 まるで雷鳴のような硬質の吠え声が、群の動きを止めた。

 それは他よりも二回りは大きい、リーダーと思われる銀毛、青眼の狼だった。月に向かって野太く朗々と遠吠えを続けている。ちッ……とアリアが舌打ちした。

「血の匂い付きの、ボクら二人が逃げる(ファントム)を見せてやったんだけど、見破られた。なかなかクレバー。やるじゃん、アイツ!」

 群は、一頭一頭引き返しざま、もはや立ち止まることなく、こちらに向かって押し寄せてくる。

「アリア逃げろ! お前一人なら――」

 最後まで言えなかった。もうすぐそこまで来ている! 俺は迎え撃つべく正面に走り出た。鞭を盾のように構える。邪魔になるだけ、お荷物になるだけと思いながらも、捨て切れずに持ってきた鞭だった。あらゆる元凶となったやっかいもの。それでも俺が俺であり続けられる物。分身、俺自身。俺の、大切な鞭だった。俺は鞭をハデに空打ち(クラッキング)させた。その禍禍しい、頼もしい音よ! ついでに雄叫びをあげた。やあやあやあ! 盛り上がろうぜ! さあこい! 決着を付けてやる! この俺様が相手だこの野郎──!

 全軍の気をこっちに引きつけた。走る方向を、群の突撃をかわす方向、斜面の右手斜めに修正する。

 奴らの突撃軸から、視界から、意識から、アリアをそらす。単身捨て身の『特攻』だった。

 相手は掛かった。

 鞭の空打ちの音に一瞬怯んだ『神獣』は、怒りの唸り声とともに、群を率いて三四郎を追いかけ始める。

 狼の最大戦速!――あっという間に距離が詰まった。

 俺は追いついた一頭を、見もせず気配だけで打ち据えた。そいつはギャンと一声、大斜面を転がり落ちて行く。――バイバイ! そのまま地獄まで落ちちまえ!

 二頭目がニッカーボッカーの布地に噛み付いた。鞭の柄頭で鼻を殴るとそいつはいったん引き下がった。三頭目が反対の足に噛み付き、同時に四頭目が右腕に噛み付いた。狡猾だった。足を止められ、きき腕の動きが苦しくなる。すかさず狼は山のように群がった。振り払おうとするが、外れない――

 ふんッ!

 ニンゲン様をなめんなよ!? 俺は勢いをつけて自ら転がった。狼を瞬間振り払った。奥義発動! 再度噛み付かれる前に鞭を(リング)のように回転打ちをし、数頭を同時に打ちのめす。イヤホゥ! ぞんぶんに喰らえ、『波頭』! オリャリャ! 対角に残した二頭は『ツバメ返し』だッ、どうだ――!?

「――かかってこい! ――ラあああッ!」

 鞭を――


 背後から、一頭が、右肩に噛み付いた。


 ぎょっとするほどでかい――

 青眼、銀毛!? リーダー狼!? 神獣!? ――そいつが遠慮『なし』に噛んだ。

「ギャガアアアアアアアッッッッッ――!」

 俺が悲鳴をあげた!? 肩を、もぎ取られる――

 鞭が、地に落ちた――

 狼どもがふたたび群がり――

 俺は、喰われることを覚悟した。


         ※


 その瞬間衝撃が走り、俺は狼ごと空にふっ飛ばされていた。

「サンシロオー!」

「おい!? ばか――!」

 アリアだった。タックルをかましたアリアは、さらに邪魔する一頭一頭を悶死確実なセイレンの蹴りで文字通り蹴散らしながら、こっちに向かって走って来る。そして俺からまだ口を外さない巨大な一頭に、回転蹴り。遠心力と一層スピードを増大させた気合の一発を送り込んだ――!


 銀狼がひょいと首をひねり、そのセイレンの、クソ重い革の登山靴弾丸キックを、三四郎自身に喰らわせる。


「! ! ! ! ! ! ! ! ……」


 俺はこのとき、今後一生の持ちネタとなる『幽体離脱』といふものを、生涯初めて体験したものである。


 だがアリアもたいした玉だった! 彼女は一瞬も怯まない──俺を蹴った足を即、軸足にし、遅滞なく二発目を打ち込む。今度こそ狼の横っ面につま先がめり込んだ。銀狼はたまらず口を外した――

 アリアがステップジャンプ――トドメとばかりに三発目を『(ヒール)』で打ち下ろす――


 その足をパクリと咥えると、狼は全身で首を振った。


 アリアはいきなり振り回され、頭から地面に叩き付けられた。

 銀狼に隙はなかった。一瞬でキメにかかった。アリアの喉笛に牙を突き立てた――


 その寸前、狼の足首に、俺の『噛み付き』が間に合った――


 銀狼はギャンと悲鳴を上げる。痛いのは痛いのさ。ヤツは瞬時に振り返り、俺を先にシメにかかる。

 その一瞬の隙――


 アリアの蹴りが、ハラにめり込んだ。時よ止まれ。――さらにもう一発、同じとこ!

 ――


 ――時が動き出す。最凶の神獣が、大斜面を転がり落ちて行く。

 ――

 ――

 ――


 ……。

 アリアが上半身をよろよろと起こした。真っ青な顔をしかめさせながら、まるで固形物を吐き戻すかのように、息している。アリアは立ち上がろうとして――倒れた。

 右のくるぶしより先が、不自然にあっちを向いている。が――


 アリアは──立ち上がった。

 ぶるぶると震えながら、三四郎を両肩に担ぎ上げ──

 ひょこ、ひょこ──と歩きはじめる。


 上へ──


 最後まで生きのびた二頭の狼が、リーダーが転がって行った方向と、二人とを、交互に見比べている。やがて、獣の頭でどう計算したのか、二人に襲いかかって来た。


 アリアは精一杯のジャンプをした。そして、気を失った。俺は、アリアをかたく抱いた。落ちた場所は、大斜面だ。

 ボロボロに体を削られながら、転がり落ちて行く。どがっ――どがっ――ごん――ごき――がつっ――ごっ――どくっ――ごつっ――どっ――がきん――ごん――ぼくっ――がりっ――がつっ――がつっ――がつっ――がん――ばしっ――かんっ――ごほっ――ごっ――べしっ――ぱんっ――ががっ――がしっ――ばきっ―― がんっ――ごおっ――どんっ――ばんっ――ごつっ――ごつっ――ごん――がしゃっ――ががんっ――ごおん――がきいっ――がごっ――ごん――ごつっ――ばんっ――どぼっ――がほっ――がんっ――ごんっ――ごん――ごん――ごん――ごっ――


 もろに衝撃が体を貫く。唇に、なぜか笑みが浮かんだ。意識が、ついに飛んだ――





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