第三章 つどえるものども・9
三四郎は風邪に罹り、二日間寝込んでしまった。
夕刻、教会の宿舎の彼の部屋に、エドワードが見舞いに訪れた。
とりとめのない会話がぎこちなくはじまり、結局は、一昨日の話になった。
「エド、『青い鳥』とは、なんのことでしょう?」
「……メーテルリンクの童話だよ。……知らなかったのかい?」
「どうかごまかさないで下さい。私は、師のお顔が変わるのを見てしまいました」
師父は肩をすくめた。ここに訪れたならこうなるだろうと、観念していたようだ。
「……よかろう。プラヴァ、あなたに鞭を『与えた』ときから、いずれ話してやるつもりだったのだ」
エドは軽く目を瞑り、語り始める。
「……なぜ、ノリ、またはセイレンが、いわば駆逐され、滅びの道を辿っているのか、考えてみたことがあるかな?」
いきなりの問いにまごつく。回答を捻るように出す。
「――それは、私たちの神の真理によってです」
師父は首を振った。碧の目を開く。
「確かにそうだ。……だが決して、それだけの理由ではないのだ」
疲れたように微笑した。
「いや、こう言おう。――ノリ・ウイルス感染者、セイレン・ウイルス感染者は、なぜ滅びの道を辿っているのか?」
――
三四郎はその瞬間、自分の耳を疑ってしまったのだった。
「ノリ・『ウイルス感染者』――ですって!?」
エドワードは愛弟子を見つめた。
「そうだ。御大層な教義をぐちゃぐちゃ述べ立てて人々を折伏しようとしているが、実際、彼らが『どうやって』仲間を増やすのか、あなたは知っている……。ウイルスなんだよ。要は」
「うおう……」
頭を抱える。
吸血鬼の首を噛む行為は、血を吸うためでなく、逆に与えるためのものだった?
三四郎は身震いとともに静の『やりくち』を思い起こした。
あいつは、はじめから折伏しようともしなかった。無粋にもいきなり力をふるい、俺に『牙』を突き立てようとしたんだ。
それを思って、三四郎は少し物悲しくなった。……静は、言い換えれば、その全身を賭けた、バカ正直者だったのだ。
「……それにしても、……ウィルスとか、いきなりの話で……」
エドは三四郎のショックをある意味ほったらかしにし、自分の話をすすめる。
「ウイルスは、その感染者に、異常な力を与えるのだ。
『怪力』、『治癒』、『幻覚』。この基本の三つの力に、プラス一つの、その個人に『固有な力』が与えられる。
たとえばセイレンには『声』が与えられていて、それがセイレンをセイレンたらしめているのだ」
セイレン――『声』――ならば――
「ノリもセイレンと同じく『声』と見たが――どうだろうか? 私見だが、キャラクターが被りすぎと思うのだが、他に思いつかん」
「──」
師の戸惑う姿は珍しいものであったが、だが三四郎には、腑に落ちる意見ではあった。
ノリ――セイレン――
『東西』の、二羽のナイチンゲール……。
エドが解説を続ける。
「彼らは、自分が保有しているそのウイルスを、後継者に『感染』させることによって、神人を作り、己が神の法灯――あるいは教義、奇跡、なんでもよい――を保ってきたのだ。
そうすると、ここに一つの、大きな疑問が生まれる。
では、そもそも彼らの始祖は、|いったいどこからウイルスを得た《・・・・・・・・・・・・・・・》のであろう?
……青い鳥とは、彼らのその源泉なのだよ」
エドワードは続ける。
「世界各地のもろもろの神の(ウイルスの)原点。それが『青い鳥』なのだ。
青い鳥という伝承だけで、はっきりとした正体は不明だ。それがどこから来たのかも不明だ。
不老不死でもあったらしい。数世代にわたって、目撃されている。
ときには『神獣』と呼ばれる獣の『しもべ』を、従えたこともあったそうだ。
神獣というのは、超能力を発現させた『獣』のことで……つまりウイルスは、人間『以外』の動物にもみさかい無く感染し、キャリアーとなった『生物』に等しく、その能力を分け与えたものらしい」
エドはいったん休憩を取った。
「さて、青い鳥からウイルスを感染された人間は、どうなったか?」
「……ノリ、セイレン、古き神々」
エドは首を振った。
「すべて、モンスターになった。
……いや、正確ではないな。
初期の感染者たちは、降って湧いたような己が能力に酔い痴れ、自分の欲望のまま、したい放題のことをした。それゆえ、モンスターと呼ばれ、忌み嫌われた。
またそれらとは別に、一部の、少しは良心が勝った人間たちもいた。
彼らは別の道を辿った。
彼らはその能力を神の奇跡と捉え、よって神の存在を確信し、各国各地のもろもろの神の信奉者、守人となったのだ。そして、やがて自らを神人と称し始めた。……つまり結局のところ、モンスターたちと同類と言っていい」
いったん言葉を区切った。
「――言おう。我らは、三千年も昔から、彼らを『狩り』続けてきたのだよ」
「……」
「我らの武器は、『鞭』だ。そう、あなたに与えた、あの鞭だ。モンスターどもに鞭が『効く』ことは、初期のころから『発見』されていたのだ。これは、『幸い』なことであった」
「……」
「そろそろ話は終わりに近い……。
それまで不老不死を誇っていた大元の青い鳥が、ついに終焉の刻を迎えることになる。
伝承が記すところによれば、それは、今から約二千年前のこと。今のアルジェリア国に位置する、セラフ山と呼ばれる地において、時の勇者、英雄ユダの鞭によって叩き落とされ、息の根を止められた。
大元が断たれた。
すなわち末端のノリのような者たちが、滅びの道を辿っているのは、理の当然なのだ……」
三四郎は叫んでいたのだった。
「神とは、ウイルスだったのですか!」
「間違えてはいけない。それは、彼らのケースにおいての話だ」
「我らの神は!?」
「真の神だ! それは愛であり、けっして通力――超能力なんかではない!」
「セイレンを名乗るあの少女は、青い鳥を探しにこの国に来た、と言っていました」
「戯言だ。青い鳥はもういない……」
「彼女の名前を教えてください」
これは、あるいは禁じられた問いだったのかもしれなかった。
だが、エドワードははっきりと答えた。
「我が妻と呼べる者の名は、イレーネ。イレーネ・ストラベラキス。なんと、おお! セイレンであった!
わたしは――! わたしは――!
……
……子を授かったならば、そう付けようと二人で決めていた名前があった。
我が娘ならば……かの者の名は、アリア。
夏の夜の、かんむり座、クレタの冠。その宝冠の持ち主――アリアドネ・ストラベラキス=ウィーラー。
プラヴァ――頼む、これ以上は訊かないでくれたまえ!」
そして師父は、貝のように口を閉ざしたのだった。