第三章 つどえるものども・8
少しウェーブが入った金色の髪の毛。深く誘い込む湖のような碧の瞳。白い肌。長く、すらりと素直に伸びた両の足――
背の高さは静と同じくらいか。そしておそらく二つ、三つ年下なのだろう。少女の持つ元気さと、少女の持つ麗しさの見事な調和の結晶が、そこに立っていた。
少女は組んでいた腕をほどき、小さなあごに手を当てて、小悪魔のように挑発ポーズを取った。
「あはん?」
まず静が声をかけた。
「君は、潮のハーモニーと、柑橘類の香りをまとった、真珠の妖精のようだね……」
「うわお!?」
美しい少女が歓声をあげ、太陽のような笑顔になった。
「――それで、お前は?」
三四郎は疲れたように尋ねた。その三四郎にからかうような笑みを見せると、彼女は答えた。
「はじめまして、お二方……」
完璧な発音だった。二人は言葉が通じていたことに気づいて、今更ながら驚いた。
「ボクはセイレン!」
静を見て、
「地中海の古い古い『神様』よ」
三四郎を見て、
「キミたちに滅ぼされた!」
三四郎は理解して、両肩を落とした。ようするに彼女は、彼女の国のノリだった。
「だけど、キミは気に入ったわ!」
見つめられ、三四郎は、不覚にも顔を赤らめてしまう。
少女は両手で肩を抱き、
「よろしく! ――ああ、もう! お二方、さっきは見ててゾクゾクしちゃった!」
三四郎はなんとも言葉が出ず、同じくまっ赤な顔の静と、その顔を見合わせた。
※
出入口から今ようやく、エドワードが姿を現した。さすがに階段の全力疾走はこたえたらしい。壁に寄りかかり、顔は真っ青。肩が大きく上下し、フイゴのような呼吸音が、こちらにまで聞こえる。
「年寄りの冷や水!」
セイレンを名乗る少女がからかった。エドワードは怒気をあらわにし、
「……何をしに、この国に現れた? 答えなさい!」
ここで答えた少女の言葉を、少年たちは一生忘れぬことになる。
「『青い鳥』を探しによ。もちろん」
青い鳥──?
そしてエドの表情が慌てたように乱れたのを、三四郎は見逃さなかったのである。それは、一瞬のことだった。
「青い鳥……メーテルリンク作の童話。『幸福』か。……ふざけるな!」
「ごまかそうとしても、ダ、メ、よ」
セイレンは意地悪にほほ笑み、目をくりくりさせた。左腕を広げて少年二人を指し示す。
「この子たち、ボクがもらう。手出し御無用にお願いね」
「誰が聞くかっ」
「娘のおねだりなのにぃ!」
エドの顔がどす黒くなった。
「三四郎は我が弟子……」
息を整える。
「……そこのノリは、デビルである。ついでに、『お前』もだ!」
セイレンはたまらず笑い声を上げた。ここから、その二人の会話は英語になる。
「まーたレッテルを貼り付ける! 住民が平和に暮らしていた世界に、頼まれてもいないのにむりやり土足で上がり込み、お前は悪魔だと極め付ける。大衆を騙くらかし、味方に付け、土地の神職者を兵糧攻めにし滅ぼして、最終的にその国を隷属させる。いつもの手ね。それで一体いくつの善良な『神様』がくたばったことやら!」
「もはや宣告した。この『私』がだ。白紙には戻せない。お前たちの運命は決まったのだ」
「勝ったつもりになるのは早すぎるわ。アナタ、困ったことになるわよ?」
「強がりはよしたまえ」
「たとえば、そうね、アナタの可愛いお弟子さんが『改宗』してしまったら、どうかしら? ボクと、そこの彼になら、『簡単』なことよ。――ママのこと忘れたの? そう、アナタは自分の愛弟子を、平気で『罰』することができたわよね!」
エドワードは絶句した。セイレンが笑い声をたてた――
※
静は置いてけぼりを食わされた思いがした。
いきなり現れて、自分たち同士で外国語をまくしたてているこの二人は、なんなんだろう?
強く頭を振る。
おそらくは親娘と思われる二人組を、無視することにした。まだ気が緩んでいる三四郎に、ノリの『接吻』を与えるべく、歩きはじめる。
エドワードが気づいた。鞭が、神のようにあるいは悪魔のように、出現した。
静はちらりとエドを見た。エドワードは先んじて、
「私に幻術は効かんぞ!」
静は、エドワードがつい先ほど、ノリ老にすでに幻覚を食らわされていたことを知らない。
いきなり見透かされて、怯んでしまった。
「効かぬ」という言葉が、本当なのかハッタリなのか惑わされてしまった――
その一瞬を、エドワードは見逃さなかった。素早くステップして距離を詰めると、一呼吸の間もなく稲妻の鞭を繰り出した――
それは、ノリ老を驚嘆せしめた鞭!
静は、つくづく不運だった。
三四郎の鞭に慣れた静には――躱せられなかった。
セイレンが悲鳴をあげた。
静は顔面にもろに受け――
血と肉片を弾き飛ばしながら――突き飛ばされるように後ずさりし、鉄柵がその背に当たり、それは、動揺した静の力の暴走によって、根元から破壊された。――その先には、何もない。
静は、落下した――
※
エドワードは仮借なし。
静の落下に眉一つ動かさず、返す刀で娘と名乗るセイレンに鞭を飛ばす――
少女は、すでに消えていた。
「――エドッ! エドッ! 我が師よッ!」
三四郎が叫んでいる。彼が初めて見る、師の鬼のごとき恐るべき姿だった。
※
静は以前、ノリの身体能力を自ら試してみたことがある。
そのときは、垂直飛びで二階建ての屋根に手を掛けることができ、垂直落下は、同じく二階建ての屋上からが限度だった。
六階建て――!
必死の静は、落下直後に反射的に壁を蹴っていた。落ちた側が幸運だった。向こう側に、ツインタワーの片割れが建っていたからだ。宙を飛んだ静は、肩からその壁に激突する。落下し始める前にその壁を蹴り、またこちらに引き返す。片足のクッションで衝突の衝撃を吸収し――
だが『あがき』もそこまでが限界だった。強靭、かつ無数の腕――地球重力が、静の上半身を対処不能なまでに下方に引きずり倒していた。静はとっさに体を捻り、体勢を整え――
(死ぬかも――)
一気に地面に落ちた――
骨と筋肉と大地が破裂音をたてた。
「――! ――! ――! ――!」
衝撃が股座から頭蓋を突き抜けて行き、意識が吹っ飛びかけた。――膝をつく。
「――!」
この痛み!!!
――
涙が、滲んだ。
痛みを全力で耐えた。それでも、耐えても耐えても、まだ耐えなければならなかった。
ノリの治癒力をフル稼働させようとする。
が、集中できなかった。惨めで、泣きたくなった。
顔面が、激しく熱くなっていた。
ぶるぶると震えの止まらぬ手を顔に持っていく。その手のひらがぬるぬると血で真っ赤に濡れる。
指先が肉のへこみを感じ取る――肉が爆ぜている!?
とたん、激しい痛みが顔面で爆発した。悲鳴が出なかった。地獄の苦しさに地面を転げ回った。胃の中の物が体外に吐き出された。
終わりだ、と思った。ここら辺で、自分を許そう、と思った。
気が、遠く、なった――
気を失いかけた静を、白い細い腕が支えた。
「OK! もう大丈夫。大丈夫よ!」
その声は――痛みという壁、翳む意識という壁を力強く突き破り、澱んだ大気の底の底、地の底にまで一直線に舞い降り、光り輝いた。
さながら太陽光のような声! あの、声だった。
「――セイ、レン?」
「喋らないで!」
彼女は手をかざした。すっと、吐き気が引いた。血が止まる。感情が沈静化していく。体組織の再生が始まる。――気持ちがよかった。
彼女は『怪力』だった。血だらけ、汚物まみれの静をヒョイと背負った。そのまま足取りも軽く歩き始める。
朦朧となりながら、静は話しかけた。
「これが、セイレン……?」
「そうよ、キミと同類。だからボクに任せて。必ず治してあげるから! だけど、くれぐれも、ボクの言うことを聞いてね。勝手に自分で治そうと『しない』でね。お願いだから! キミは――キミは、今大変なことになってるんだから!」
セイレンが叫ぶ。その声音に真実を感じとる。自分はなにか、とんでもない状態に陥っているらしい――
「キミは、『鳥追い師』の『鞭』を受けたのよ!」
とりおいし――
なんだろう――
静は安らぎと幸福感に包まれ、こんどこそ気を失った。