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第三章 つどえるものども・5

 小春静は屋上の出入口に顔を向けた。

「だれか来る……?」

 やがてそこから姿を現したのは、あれなつかしや千鳥三四郎!? ベージュ色のインバネスに身を包み、相変わらず茶革の鞄を左手に提げていた。

 信じられない、彼なんだよ──と静、興奮ぎみに目を丸くして祖父に教える。

「ご縁があった、とはたして言っていいものやら……。汝のこの登場の仕方は、いささか驚きであるぞよ」

 と、ノリ老が声をかける。

 三四郎は黙したまま壁に手をやる。カチン、という音。とたん、廃墟のはずのビルに、『煌』と照明が燈った。

「……このとおり舞台を整えて、監視もつけて、ノリと呼ばれる人をお待ちしておりました。もうおわかり頂けると思いますが、新聞の記事は、俺――いや『私ら』の仕業です」

「なるほど……」

 とうなずき、ノリ老が静に微笑む。静も微笑を返した。三四郎、やっぱり君は、いい声だ!

「ご老、私は今、真に身がすくむ思いです。まさか貴殿ほどの人物が出てこられるとは、予想外のことでした。猊下、とお呼びしましょう。猊下、『ノリ』という存在は、この大日本帝国の、貴重な文化的財産です。できることならば、そっとして触れずにおきたい。これはこの国に生を受け、文化の薫陶を受けて育った一人の民としての、偽りのない気持ちです。帝国の全ての臣民も、おそらく私と同じ思いでしょう」

 三四郎の口上である。対してじいは、

「……」

 見ていてわかる。じいは応じることこそしなかったものの、この状況を楽しんでいた。静にしても、『全臣民』を、さも自分の側のように出してみせた三四郎の論術に、なんだか胸がワクワクするのを感じている――


 三四郎が言葉を続けた。

「しかし、改宗してください」

「……なにゆえ?」

「このままだと、猊下と猊下に帰依する者すべてが、地獄行きだからです!」

 相手は真剣な眼差しを向けている。ノリ老が静の肩に一度手をおき、そして前へ歩み出た。静の目が輝く。じいは、受けて立つ気になったらしい。

「――たわけ!」

 わざとぶっきらぼうに答える。三四郎がムッとしたのが、静にも手に取るようにわかった。

「汝はまったくもって期待外れなり! 早々にこの場から失せるがよいぞ?」

「……ご自分の頑迷さを、少しは自覚されたらどうです? 旧神の使徒、いや、邪教の聖なる導師よ?」

 ノリ老が感情をおおっぴらにした。楽しそうに笑ったのだ。

「――皮肉か? ならば、こちらも汝を、四角四角教の使徒と呼ぼうか」

「四角四角教……なんだ、それは?」

「クルスは直線と平面で構成される。ゆえ、四角形をもって象徴できよう」

「……それがどうした?」

「直線も平面も、曲線、曲面を『微分』してやっと出現するものである。それほど『微少』な存在、というわけだ」

 微分――!? 静はあんぐりとした。実は言葉の意味も知らないのだが、いや、なんだか難しそうな言葉であることは察知できるのだが、いや──自分の祖父が、もっとわからない。

 だが三四郎のショックはそれ以上だったらしい。頬を紅潮させている。やがて、

「……いいですよ、猊下。そのご兼題、そのテーマで応じましょうとも――!」

 虚勢か実力かわからない。とにかく一度余裕を見せてから、彼は論戦の火蓋を切ったのだった。

「ノリ様におかれては、直線や平面の真の大きさを知らぬとみえる。まずはその口を閉ざし、真摯に眼前に広がるこの都市の様を見るがいい! 老いて見えぬとほざくなら、この目の前の建物を見るがいい! それすら見えぬと嘯くならば、生くるにかかせぬ物品の数々、ノリ様のご生涯においてお使いになられた、家具食器日用品の一つ一つを思い起こすがいい! それらすべてが直線、平面によって成り立っており、それによって人は生かされていると言って過言でない! さらに、いま平面を軽々にも微少と言い、その地位を不当にも貶められたが、極限の微少であるところの『一瞬』の中にさえ、ちゃんと全宇宙が存在することをお忘れになるほど耄碌されたのか? これらすなわち平面の持つ極めての重要性、可能性の証左であり、これを気づかぬふりし軽んじるとはいかなる了見であろう? 付け加えるならば、微分とおっしゃったが、その西洋数学自体、もともとは我らが神への、人々の思慕が作り上げ、発展させたものと言ってもいいくらいだ。ノリよ、老ノリよ、その老人とは思えぬ博識、それはよし。ただし哀れなるかな、その学識をまるで咀嚼できておらず。人、それを半可通と呼ぶ。老人よ、我が神は、数え切れぬほどの美と知と平和を生み出してきた。まずはこれを認めるところから勉強しなおすがいい!」

 あっぱれ、一気に言い放った。三四郎は大きく息を吸う。じっと睨み付けてくる。今度は祖父のターンだった。

「この都市が、丸い地球の上に築かれていることを無視してもらっては困る。都市、すなわち汝の言う平面のその価値と意義を認めてもらいたかったら、まずは大いなる球体の存在を認めたまえ。この意味が分かるであろうや? 存在意義の無限性のことである。つまりは、汝らの認める極小は、実はその隣にも、その隣にも、それこそ無限にあるということよ。汝はそれから目をそむけ、あまっさえその存在すら認めず、逆に攻撃さえし、後生大事に己のたった一つの四角形を守るのに汲々としておる。これすなわち人類の巨大な可能性から人の目をそらす欺瞞である。汝の言うことはしょせん、手のひらで踊る猿のたわごと。ただの臆病者の言である。いったい誰がそのような汝の言葉に耳を貸そうや? また、物には必ず表裏の両面がある。さきほど美と知と平和を生み出したと言ったが、過去において、その逆もあったのではないか? ――コペルニクスを弾劾したのは誰だ? ガリレオを屈服させたのはいったい誰だったのだ? 戦争のことは言うまい。汝は一点のみ、片面をのみ取り上げて言い募る。それが汝の神が生み出した、ディベートのテクニックと言うものか?」

 三四郎の再ターン。

「なるほどほざく! さすがは宗教屋なり。だがいよいよ恐れるがいい! ことはいたって簡単平明なのである。すなわちそちらの神におかれては、我らの神が生み出した数々の栄光と比べて、いったい何を生み出した、いったい何を成し遂げたと言われるのか! さあ、言えるなら言ってみるがいい!」

 老ノリの表情に、一抹の寂しさが生まれた。祖父は、極めにかかったのだ。

「汝の神と比較せよと言うのか? すなわち神を試せと言うのだな? おもしろい! もとよりこっちは一向にかまわぬ。が、忘るるなかれ、汝はすでにこの――」

 ノリ老は静を指し示す。

「――この者に敗れておる。完膚なきまでに!」

 三四郎の顔が朱に染まった。左手の鞄が揺れた。

「……老いぼれ、ご覚悟。猊下に対し、他宗一信徒たるわたくしごときが差し出がましく役不足なるも――この俺が引導くれてやるからそう思えッ」

「片腹痛いわ小僧! まずは国語を勉強し直すがいい。『役不足』とは不遜なり。それ以前に間違い言葉じゃ。『力不足』――それが不満なら、せめて『大役』といい直すがよい! また『引導』においては、そりゃ仏教語じゃわい。小僧、汝は坊主か? 抹香臭いぞ、あはははは……」

 三四郎の右手から、怒りの鞭が飛んだ――


         ※


 超常の能力を持つ静とノリ老人の『目』には、その鞭は、緩慢な紐にしか見えない。

 紐が体に届く前に、二人は地を蹴っていた。マックス十トンの筋肉のバネが、高々数十キロの肉体を、軽々と空へと弾き飛ばす。二人は空中を『飛び』、ツインタワーの片割れ、隣の屋上に着地した。

 ビルの谷間の空間を隔て、両者は対峙した。

「この化け物! 吸血鬼めが!」

 三四郎が怒鳴る。

「……汝は大変な誤解をしておる。我らは血ィなんか『吸った』ことなんぞ『ない』。われら二人とも紛れもない『人間』である。今、自分がしでかしたことを自分で理解しているのか? 汝は、その鞭で、『傷害事件』を犯すところだったのだぞ!」

「『魔界』の力をふるっておきながら何をほざく!」

「汝、そーとー頭が固い。しかも大袈裟じゃ! ――確かにいわゆる超能力を使えることは認める。だがなぜ、それが魔界とやらの力になってしまうのだ? 我らがやっていることと言ったら、外傷、骨折、内臓疾患、筋肉疲労の治療程度じゃ!」

「医者みたいなことを言う!」

「医者じゃ――」

 政府は認めんがな、と小声で付け足した。

「認めん――!」

「汝らは、『魔女狩り』の愚を再現する気かっ?」

「――」

「帰りなさい!」

 最後まで黙したままの静――というか、口を挟む機会がなかった静を促し、ノリ老は自分の方から、さっさと背中を見せたのだった。


         ※


 まったく相手にされず、寒々とした屋上に、三四郎は一人残された。

「……またしても、この俺を……」

 顔がゆがむ──


 三四郎は、ノリを――とりわけ静を、憎もうとしていた。なぜならば――それはとてもとてもシンプルな理由――静は、美しい声を持っていたからだ。それは、『罪』だった。相応の『罰』を、与えるべきであった――

「――」

 膝を突き、両手で顔を覆う。


 ただの醜い嫉妬だった!


 十二分にわかっていた。わかっていたが――

 屋上へと誘い導くあの歌声は、三四郎をどうしようもなく悶え狂わせていたのだった。

 やがて。

 三四郎は自身が驚くほど空虚な心で、歌い始めていた――


「しずかに夕日の

 きえゆくあたり

 世を去りし友の

 のこるおもかげ

 さだめなき世より消えもこそすれ……」


         ※


「気のせいかもしれないけど、どこかで耳にしたことがある……」

 静がつぶやく。

 壁の陰で、その壁に背をもたせ、ノリ老は答える。

「確か、四八七番だったか? 彼らの賛美歌のなかでも、比較的ポピュラーな曲だな……」

 二人はしばし、聞き惚れた。


 やがて、先代のノリが、当代の若きノリに命じた。単刀直入――

「あの子を、我等が『仲間』に引き入れてみせるがいい」

 静は勢い込んで頷いた。

「認めてくれたんだね! 僕、三四郎が気に入ってんだ。あんなにいい歌声なんだもの! 僕、三四郎が大好きなんだ」

「ああ……青春、だの……」

 そう答えると、ノリ老は、気恥ずかしそうにかろく笑ったのだった。





SFという都合上、今後も、変てこな理論理屈、妙ちくりんな数式とその計算結果が出てくる予定です。これらはみな、物語の必要にかられて、しょうがなく、筆者がない頭をひねって無理矢理こね上げたものなんです。そんなわけで、どうか生暖かく見守って下さったら僕は嬉しいのだ。

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